おわりに
01 24, 2011 | おわりに
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おわりに
きっと、僕らの目の前には、思っているよりも広大な道がある。正しい道、なんてありはしない。真っ白な雪原から、暗い洞窟の中、爽やかな風が吹き抜ける高原。そこは、大海原のように果てしなくて、森のように美しい。
その中から自分が自分で決める。
自分が、自分で決める。

真っ白な雪原

イースター島からの大海原
僕は、世界一周の旅に出た。それは少しばかりちんけな事、かもしれない。でも、僕はそれがしたかった。大学に入り、「2年か3年になったら休学して、世界一周に行くんだ。」と、友達に伝えた。
その瞬間、僕の進んでいた道のターンアウトスイッチは、“ガチャン”と音を立てて切り替わる。僕は、ガチャンの音と供に、ほんの少しだけ右に向かい、走り出した。その先にあるのは、世界一周だ。
目的地は、分かりやすくて、見やすいものだった。あぁ、目指す光はあれなのかと、僕はそれに向かった。その光があまりに強くて目が眩んで、怖くなって道を間違えそうになるけれど、僕は、思い出す。あのときのスイッチの音を。
自分が、自分で決めたんだ。
少しだけ右側に逸れた側線は、いつのまにか、本線から大きく離れて、それが本線に変わっていた。誰かにこの道の道標を話す度に、それは加速した。多くの人に言えば言うほど、僕は加速した。

このみちを、僕は走った。
それでも僕は何度も、スイッチを入れ直したい、と思った。また元の場所へと帰れないか、と繰り返した。
そんな時は、決まって思い出す。自分が、自分で決めたんだ。誰かが押したスイッチではない。僕は、また前へと進んでいく。
スイッチは、きっと思ったよりも簡単に切り替わる。決断するだけで、道は間違いなく変わる。それは善くも悪くも、ではあるかもしれないけれど、道は変えられる。
もし、世界一周に行きたいなら、決断して、友達に言ってみればいい。「俺、世界一周に行くよ!」きっと友達は、「マジで!!?すげーな、いつから!?」って言ってくれる。そしたら、こう言う。「えー、と一年後の今日!」きっと、スイッチは変わる。
もしくは、彼女に言ってみればいい。「俺、世界一周に行こうと思ってんだけど・・・。」「えっ?私を置いていくつもりなの?私と旅行どっちが大事なのよ!!」そしたら、こう言ってやればいい。「もちろん、君さ。そうだ!今度一緒に別府温泉にでも行かない??」
世界一周なんて、諦められるのなら、諦めてもいい。行きたければ行けばいい。スイッチはいつだって、自分が握ってる。
2009年8月、僕は大学を休学して、働いた。
2010年1月、友達に見送られて、成田空港からタイへと、向かう。午後6時、飛行機は、滑走路を走り出して、僕の目から涙が少しだけ零れた。スイッチオン!!元の場所へ戻りたかった。でも、元の道へと戻るスイッチは無くなっていた。いや、そんなことはなくて、結局僕はこの道を選んだのだ。きっといつだって、本当は帰れるんだから。
機体はどんどん高度上げていく。窓の下には、日本の夜景が広がっていた。それはなんだかとても美しく見えた。しばらく見る事がないであろうその景色に、また涙が溢れそうになる。
タイには、午後11時過ぎに到着した。僕の旅は深夜からのスタートとなる。それだけでも、僕にとっては、困難な事だった。こんな不安の中にいるのはいつ以来だろうか。そのときの僕はまるで迷子になった子供だった。
迷子になった子供は、途方に暮れる。そして、少し上を向いて泣いてみればいい。きっと誰かが助けてくれるから。僕も上を向いて泣いてみれば良いのだろうか。そしたらきっと、警察が3人くらい寄って来て事情聴取されて、また元の場所に帰されるのが関の山だろう。
僕は歩き出す。自分の足で、この体で。
自分が、自分で決めたんだ。

僕は、雪山の風景が何よりも、好きでした。それが、わかりました。
東南アジアを周り、僕の世界は少しずつ広がった。ビビりながら、迷子になりながら、僕は前へと進んでいく。白黒だった、僕の世界地図に僕なりの色が付いて、それが現実であるように、日本の僕の生活と繋がっていることを、繋がっていくことを感じていた。東南アジアからインドへと向かう。インドの東の町コルカタに着いたのは、夕暮れだった。また少し、地図は広がり、新しい色が付いた。文化も人種も言葉も変わり、僕自身は何者なのかと不思議に思ったのをよく覚えている。

インドにて。襲撃中
それからも僕の旅は続く。トルコから、ヨーロッパ、モロッコに南米、最後の国アメリカ。僕の知らなかった世界は、ちゃんとそこに存在していて、ちゃんと僕の世界と繋がっていた。
たった300日の旅だ。それでも悲しい事や辛い事も沢山あった。もちろんそれ以上に幸福なことも。息が詰まるような臭いも嗅いだし、顔を両手で覆いたくなるような場面もあった。何も素敵な事ばかりでは、ない。
それでも、行ってみなくては何も分からない。
自分で行って、自分で見て、自分で臭いを嗅いで、自分で食べる。そうしてみなくてはわからないことだらけだった。自分の足で、自分の感性で歩く事で見える事が沢山ある。
どこの国のどんな場所にも、人は生きている。愛し合いながら、笑い合いながら、けんかしながら、泣きながら、怒りながら、沢山の事を分ち合いながら・・・。
そうやって、生きている。国や人種、言葉も文化も全て超えて、そうやって生きている。この世界は分かち合いながら、繋がっている。それはどこまでも。僕らはどこまでも繋がっている。僕らは皆、繋がっていて、この丸い地球の上で生きていて、生かされている。
僕は無事、この生まれた“場所”日本に戻って来た。このブログのサブタイトルは、『One world! 世界一周の旅へ。そんで最後にオーロラを見ながらチョッパーのような、涙を流したい。』
僕は、オーロラを見る事は出来なかった。
サブタイトルを達成する事が出来なかった。
だけれど、後悔は、ない。僕は自分でオーロラを見る事を諦めた。いつかきっと、また出会えるだろう、そんな気持ちで諦めた。
アメリカから、日本に戻ると友達が空港まで迎えに来てくれていて、友達の車で4時間と少しかけて長野へと帰る。長野県に入ったところで、僕はふと眠ってしまった。起きたら大学の体育館の駐車場に入っていくところだった。まるでワープしたような気持ちになっていた。
着いたよ、と友達の声が聞こえた。車から降りると、一台の車がヘッドライトをつけた。眠たくて薄めに明けた目から、僕は、それを見た。
それは、オーロラ。
友達が布いっぱいに書いた山と海と空と星と太陽。それからオーロラ。
願いは、叶う。きっと、自分だけじゃなくて、誰かが叶えてくれる事もある。そんな風に僕は想いたい。願いたい。
今、そんな事を考えていると、少し涙が出た。チョッパーみたいに、じゃなくて僕らしく。

オーロラ
“ガチャリ”
さて次はどこに向かおうか。
僕はこの地球が大好きです。なんてたって、僕は日本人、いやいや、地球人なんだから。
読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。応援してくれた家族に友達、旅で出会った人、全く知らずに見てくださった方。感謝しています。それではさようなら。
僕らしく、あなたらしく。
皆さんよい日々を! そして、素敵な人生を!

ばいばい
きっと、僕らの目の前には、思っているよりも広大な道がある。正しい道、なんてありはしない。真っ白な雪原から、暗い洞窟の中、爽やかな風が吹き抜ける高原。そこは、大海原のように果てしなくて、森のように美しい。
その中から自分が自分で決める。
自分が、自分で決める。

真っ白な雪原

イースター島からの大海原
僕は、世界一周の旅に出た。それは少しばかりちんけな事、かもしれない。でも、僕はそれがしたかった。大学に入り、「2年か3年になったら休学して、世界一周に行くんだ。」と、友達に伝えた。
その瞬間、僕の進んでいた道のターンアウトスイッチは、“ガチャン”と音を立てて切り替わる。僕は、ガチャンの音と供に、ほんの少しだけ右に向かい、走り出した。その先にあるのは、世界一周だ。
目的地は、分かりやすくて、見やすいものだった。あぁ、目指す光はあれなのかと、僕はそれに向かった。その光があまりに強くて目が眩んで、怖くなって道を間違えそうになるけれど、僕は、思い出す。あのときのスイッチの音を。
自分が、自分で決めたんだ。
少しだけ右側に逸れた側線は、いつのまにか、本線から大きく離れて、それが本線に変わっていた。誰かにこの道の道標を話す度に、それは加速した。多くの人に言えば言うほど、僕は加速した。

このみちを、僕は走った。
それでも僕は何度も、スイッチを入れ直したい、と思った。また元の場所へと帰れないか、と繰り返した。
そんな時は、決まって思い出す。自分が、自分で決めたんだ。誰かが押したスイッチではない。僕は、また前へと進んでいく。
スイッチは、きっと思ったよりも簡単に切り替わる。決断するだけで、道は間違いなく変わる。それは善くも悪くも、ではあるかもしれないけれど、道は変えられる。
もし、世界一周に行きたいなら、決断して、友達に言ってみればいい。「俺、世界一周に行くよ!」きっと友達は、「マジで!!?すげーな、いつから!?」って言ってくれる。そしたら、こう言う。「えー、と一年後の今日!」きっと、スイッチは変わる。
もしくは、彼女に言ってみればいい。「俺、世界一周に行こうと思ってんだけど・・・。」「えっ?私を置いていくつもりなの?私と旅行どっちが大事なのよ!!」そしたら、こう言ってやればいい。「もちろん、君さ。そうだ!今度一緒に別府温泉にでも行かない??」
世界一周なんて、諦められるのなら、諦めてもいい。行きたければ行けばいい。スイッチはいつだって、自分が握ってる。
2009年8月、僕は大学を休学して、働いた。
2010年1月、友達に見送られて、成田空港からタイへと、向かう。午後6時、飛行機は、滑走路を走り出して、僕の目から涙が少しだけ零れた。スイッチオン!!元の場所へ戻りたかった。でも、元の道へと戻るスイッチは無くなっていた。いや、そんなことはなくて、結局僕はこの道を選んだのだ。きっといつだって、本当は帰れるんだから。
機体はどんどん高度上げていく。窓の下には、日本の夜景が広がっていた。それはなんだかとても美しく見えた。しばらく見る事がないであろうその景色に、また涙が溢れそうになる。
タイには、午後11時過ぎに到着した。僕の旅は深夜からのスタートとなる。それだけでも、僕にとっては、困難な事だった。こんな不安の中にいるのはいつ以来だろうか。そのときの僕はまるで迷子になった子供だった。
迷子になった子供は、途方に暮れる。そして、少し上を向いて泣いてみればいい。きっと誰かが助けてくれるから。僕も上を向いて泣いてみれば良いのだろうか。そしたらきっと、警察が3人くらい寄って来て事情聴取されて、また元の場所に帰されるのが関の山だろう。
僕は歩き出す。自分の足で、この体で。
自分が、自分で決めたんだ。

僕は、雪山の風景が何よりも、好きでした。それが、わかりました。
東南アジアを周り、僕の世界は少しずつ広がった。ビビりながら、迷子になりながら、僕は前へと進んでいく。白黒だった、僕の世界地図に僕なりの色が付いて、それが現実であるように、日本の僕の生活と繋がっていることを、繋がっていくことを感じていた。東南アジアからインドへと向かう。インドの東の町コルカタに着いたのは、夕暮れだった。また少し、地図は広がり、新しい色が付いた。文化も人種も言葉も変わり、僕自身は何者なのかと不思議に思ったのをよく覚えている。

インドにて。襲撃中
それからも僕の旅は続く。トルコから、ヨーロッパ、モロッコに南米、最後の国アメリカ。僕の知らなかった世界は、ちゃんとそこに存在していて、ちゃんと僕の世界と繋がっていた。
たった300日の旅だ。それでも悲しい事や辛い事も沢山あった。もちろんそれ以上に幸福なことも。息が詰まるような臭いも嗅いだし、顔を両手で覆いたくなるような場面もあった。何も素敵な事ばかりでは、ない。
それでも、行ってみなくては何も分からない。
自分で行って、自分で見て、自分で臭いを嗅いで、自分で食べる。そうしてみなくてはわからないことだらけだった。自分の足で、自分の感性で歩く事で見える事が沢山ある。
どこの国のどんな場所にも、人は生きている。愛し合いながら、笑い合いながら、けんかしながら、泣きながら、怒りながら、沢山の事を分ち合いながら・・・。
そうやって、生きている。国や人種、言葉も文化も全て超えて、そうやって生きている。この世界は分かち合いながら、繋がっている。それはどこまでも。僕らはどこまでも繋がっている。僕らは皆、繋がっていて、この丸い地球の上で生きていて、生かされている。
僕は無事、この生まれた“場所”日本に戻って来た。このブログのサブタイトルは、『One world! 世界一周の旅へ。そんで最後にオーロラを見ながらチョッパーのような、涙を流したい。』
僕は、オーロラを見る事は出来なかった。
サブタイトルを達成する事が出来なかった。
だけれど、後悔は、ない。僕は自分でオーロラを見る事を諦めた。いつかきっと、また出会えるだろう、そんな気持ちで諦めた。
アメリカから、日本に戻ると友達が空港まで迎えに来てくれていて、友達の車で4時間と少しかけて長野へと帰る。長野県に入ったところで、僕はふと眠ってしまった。起きたら大学の体育館の駐車場に入っていくところだった。まるでワープしたような気持ちになっていた。
着いたよ、と友達の声が聞こえた。車から降りると、一台の車がヘッドライトをつけた。眠たくて薄めに明けた目から、僕は、それを見た。
それは、オーロラ。
友達が布いっぱいに書いた山と海と空と星と太陽。それからオーロラ。
願いは、叶う。きっと、自分だけじゃなくて、誰かが叶えてくれる事もある。そんな風に僕は想いたい。願いたい。
今、そんな事を考えていると、少し涙が出た。チョッパーみたいに、じゃなくて僕らしく。

オーロラ
“ガチャリ”
さて次はどこに向かおうか。
僕はこの地球が大好きです。なんてたって、僕は日本人、いやいや、地球人なんだから。
読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。応援してくれた家族に友達、旅で出会った人、全く知らずに見てくださった方。感謝しています。それではさようなら。
僕らしく、あなたらしく。
皆さんよい日々を! そして、素敵な人生を!

ばいばい
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