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おわりに

01 24, 2011 | おわりに

7 Comments
おわりに
 
 きっと、僕らの目の前には、思っているよりも広大な道がある。正しい道、なんてありはしない。真っ白な雪原から、暗い洞窟の中、爽やかな風が吹き抜ける高原。そこは、大海原のように果てしなくて、森のように美しい。
 その中から自分が自分で決める。

 自分が、自分で決める。

DSC_0326resize.jpg
真っ白な雪原
DSC_0131resize.jpg
イースター島からの大海原

 僕は、世界一周の旅に出た。それは少しばかりちんけな事、かもしれない。でも、僕はそれがしたかった。大学に入り、「2年か3年になったら休学して、世界一周に行くんだ。」と、友達に伝えた。
 その瞬間、僕の進んでいた道のターンアウトスイッチは、“ガチャン”と音を立てて切り替わる。僕は、ガチャンの音と供に、ほんの少しだけ右に向かい、走り出した。その先にあるのは、世界一周だ。
 目的地は、分かりやすくて、見やすいものだった。あぁ、目指す光はあれなのかと、僕はそれに向かった。その光があまりに強くて目が眩んで、怖くなって道を間違えそうになるけれど、僕は、思い出す。あのときのスイッチの音を。

 自分が、自分で決めたんだ。

 少しだけ右側に逸れた側線は、いつのまにか、本線から大きく離れて、それが本線に変わっていた。誰かにこの道の道標を話す度に、それは加速した。多くの人に言えば言うほど、僕は加速した。

DSC_0132resize.jpg
このみちを、僕は走った。
 
 それでも僕は何度も、スイッチを入れ直したい、と思った。また元の場所へと帰れないか、と繰り返した。
 そんな時は、決まって思い出す。自分が、自分で決めたんだ。誰かが押したスイッチではない。僕は、また前へと進んでいく。

 スイッチは、きっと思ったよりも簡単に切り替わる。決断するだけで、道は間違いなく変わる。それは善くも悪くも、ではあるかもしれないけれど、道は変えられる。
 
 もし、世界一周に行きたいなら、決断して、友達に言ってみればいい。「俺、世界一周に行くよ!」きっと友達は、「マジで!!?すげーな、いつから!?」って言ってくれる。そしたら、こう言う。「えー、と一年後の今日!」きっと、スイッチは変わる。
 もしくは、彼女に言ってみればいい。「俺、世界一周に行こうと思ってんだけど・・・。」「えっ?私を置いていくつもりなの?私と旅行どっちが大事なのよ!!」そしたら、こう言ってやればいい。「もちろん、君さ。そうだ!今度一緒に別府温泉にでも行かない??」

 世界一周なんて、諦められるのなら、諦めてもいい。行きたければ行けばいい。スイッチはいつだって、自分が握ってる。

 2009年8月、僕は大学を休学して、働いた。
 2010年1月、友達に見送られて、成田空港からタイへと、向かう。午後6時、飛行機は、滑走路を走り出して、僕の目から涙が少しだけ零れた。スイッチオン!!元の場所へ戻りたかった。でも、元の道へと戻るスイッチは無くなっていた。いや、そんなことはなくて、結局僕はこの道を選んだのだ。きっといつだって、本当は帰れるんだから。
 機体はどんどん高度上げていく。窓の下には、日本の夜景が広がっていた。それはなんだかとても美しく見えた。しばらく見る事がないであろうその景色に、また涙が溢れそうになる。


 タイには、午後11時過ぎに到着した。僕の旅は深夜からのスタートとなる。それだけでも、僕にとっては、困難な事だった。こんな不安の中にいるのはいつ以来だろうか。そのときの僕はまるで迷子になった子供だった。

 迷子になった子供は、途方に暮れる。そして、少し上を向いて泣いてみればいい。きっと誰かが助けてくれるから。僕も上を向いて泣いてみれば良いのだろうか。そしたらきっと、警察が3人くらい寄って来て事情聴取されて、また元の場所に帰されるのが関の山だろう。

 僕は歩き出す。自分の足で、この体で。
 自分が、自分で決めたんだ。

DSC_0357resize.jpg
僕は、雪山の風景が何よりも、好きでした。それが、わかりました。

 東南アジアを周り、僕の世界は少しずつ広がった。ビビりながら、迷子になりながら、僕は前へと進んでいく。白黒だった、僕の世界地図に僕なりの色が付いて、それが現実であるように、日本の僕の生活と繋がっていることを、繋がっていくことを感じていた。東南アジアからインドへと向かう。インドの東の町コルカタに着いたのは、夕暮れだった。また少し、地図は広がり、新しい色が付いた。文化も人種も言葉も変わり、僕自身は何者なのかと不思議に思ったのをよく覚えている。

DSC_0254resize.jpg
インドにて。襲撃中

 それからも僕の旅は続く。トルコから、ヨーロッパ、モロッコに南米、最後の国アメリカ。僕の知らなかった世界は、ちゃんとそこに存在していて、ちゃんと僕の世界と繋がっていた。

 たった300日の旅だ。それでも悲しい事や辛い事も沢山あった。もちろんそれ以上に幸福なことも。息が詰まるような臭いも嗅いだし、顔を両手で覆いたくなるような場面もあった。何も素敵な事ばかりでは、ない。

 それでも、行ってみなくては何も分からない。

 自分で行って、自分で見て、自分で臭いを嗅いで、自分で食べる。そうしてみなくてはわからないことだらけだった。自分の足で、自分の感性で歩く事で見える事が沢山ある。

 どこの国のどんな場所にも、人は生きている。愛し合いながら、笑い合いながら、けんかしながら、泣きながら、怒りながら、沢山の事を分ち合いながら・・・。
 そうやって、生きている。国や人種、言葉も文化も全て超えて、そうやって生きている。この世界は分かち合いながら、繋がっている。それはどこまでも。僕らはどこまでも繋がっている。僕らは皆、繋がっていて、この丸い地球の上で生きていて、生かされている。

 僕は無事、この生まれた“場所”日本に戻って来た。このブログのサブタイトルは、『One world! 世界一周の旅へ。そんで最後にオーロラを見ながらチョッパーのような、涙を流したい。』

 僕は、オーロラを見る事は出来なかった。
 サブタイトルを達成する事が出来なかった。
 
 だけれど、後悔は、ない。僕は自分でオーロラを見る事を諦めた。いつかきっと、また出会えるだろう、そんな気持ちで諦めた。
 アメリカから、日本に戻ると友達が空港まで迎えに来てくれていて、友達の車で4時間と少しかけて長野へと帰る。長野県に入ったところで、僕はふと眠ってしまった。起きたら大学の体育館の駐車場に入っていくところだった。まるでワープしたような気持ちになっていた。


 着いたよ、と友達の声が聞こえた。車から降りると、一台の車がヘッドライトをつけた。眠たくて薄めに明けた目から、僕は、それを見た。

 それは、オーロラ。

 友達が布いっぱいに書いた山と海と空と星と太陽。それからオーロラ。
 願いは、叶う。きっと、自分だけじゃなくて、誰かが叶えてくれる事もある。そんな風に僕は想いたい。願いたい。

 今、そんな事を考えていると、少し涙が出た。チョッパーみたいに、じゃなくて僕らしく。

DSC_0259resize.jpg
オーロラ
 
 “ガチャリ”
 さて次はどこに向かおうか。
 僕はこの地球が大好きです。なんてたって、僕は日本人、いやいや、地球人なんだから。
 

 読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。応援してくれた家族に友達、旅で出会った人、全く知らずに見てくださった方。感謝しています。それではさようなら。
 
 僕らしく、あなたらしく。
 皆さんよい日々を! そして、素敵な人生を!

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ばいばい
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General Sherman Tree

01 12, 2011 | アメリカ

0 Comments
General Sherman Tree

 Bristle cone pine Forest を午前11時頃に出発した。そこから南西にあるSequoia National Parkへ、僕らは世界一大きい木に会いに行く。

 グネグネとした山道を来た、方向へと戻っていく。カーナビには、Sequoia National Parkの文字が出ている。それは、4時間ほどで着くだろう、と残り時間を表示していた。運転している古川は、ものすごく眠た気な顔をしている。お昼ご飯にサブウェイに立ち寄った。そこで運転を代わり、僕らはまた目的地へと向かう。外は今日も、暑い。9月も上旬を過ぎようとしているが、カフォルニアの夏は長い。
 愛車のRIOは快調にエアコンとカーステをフル稼働させながらフリーウェイを走った。

セコイア

 目的地が近づいて来た時に、僕らは異変に気がついた。道の両端には時折、Sequoia National Parkと申し訳なさ程度に表示されている。けれど、ここは僕らの求めている場所では確実にない。どこまでも進んでも大きなエントランスの文字も看板もなくて、とうとう砂利道に突入し始めた。「これは・・・・・・違うね」と、僕らは苦めの顔で向き合った。

 すぐに、カーナビに手を伸ばして再検索をかける。Sequoia National Park Entrance という文字を押した。目的地が表示され、時間は2時間30分。
 そのとき既に時間は、16時に差し掛かろうとしているところだった。RIOのギアを急いでRに入れる。Uターンをして、指し示された場所へと全速力で向かう。僕らは最後に大きなミスをしてしまったようだ。
 日が沈む前に、なんとかその場所へ行きたい。

 エントランスに着いたのは、午後6時50分。太陽は大きく傾き、もう木々に閉ざされたその場所は少し薄暗くなっていた。入場料を支払って、そのチケットが1週間有効だという、なんの意味も持たない説明を笑顔で受け流して、山道を登った(車で)。
 運転は古川で、僕は渡された地図をほむほむ、と読んでいた。地図の縮尺を見ながら、big pineという記載のある場所までの距離を見てみると、大体60kmくらいある。これはマズいぞ、でかいぞ国立公園!!

 一番近い見所ポイントは、General Sherman Treeだった。「古川、とりあえずこのジェネラルシェルマンに行こう。こいつも相当大きいようだし、日が暮れちゃうし。」このときの僕は二つミスを冒していた。これはジェネラルシェルマン、ではなくて、ジェネラルシャーマンだったのだ!(かなりどうでもいいのですが)
  そんな会話をしている僕らの走る道の両脇にはすでに、もの凄く大きな木々が僕らを出迎えてくれていた。

 ジェネラルシェルマンの駐車場に着いた時、辺りにはまだほんのりと明るさが残っていた。僕らは、ダッシュした。ジェネラルシャーマン -シャーマン将軍の木- の麓へと走った。外人さんを追い越して、時折笑われたりしながら。

セコイア4

 ジェネラルシャーマンが、見える。それはとても大きい。

 General Sherman Treeの看板の前に立つと、一つの言葉が目に入った。

-This tree is not the tallest or the widest, but the overall volume of its trunk makes it the biggest tree on Earth.-
 この木は、一番高くも、一番太くも、ない。しかし、この木は地球上で、一番大きい。

セコイア5

 僕らは、世界で一番大きな木に出会えたのだ。もう一つのミスは、こいつは、相当大きな木、ではなくて、地球で一番大きな木、そして、地球で一番大きな生命体だったのだ。
 直径11.1m、高さ83.8m、樹齢およそ2200年。僕が22歳、だから100倍。わかりやすくて、いい。

 シャーマン将軍の麓は、まるでおじいさんの手のように、ごつごつしていて、でもどこか優しくて、柔らかな形をしていた。

セコイア7
背景の木々も別に小さい木ではありません。そんなに大きく見えないのが残念

 2200年前には、たった一つの芽、だったシャーマン。名前もなくて、イエス様よりも前に生を受けて、生き続けてきた。
 いくつもの、困難を乗り越えて、時間は、遡ることなく、流れ続ける。例えば、ほんの些細な事で、成長点が折れてしまったなら、彼はここには、いない。

セコイア3
近くにあった触れる木

 決して、遡る事はできない。後悔や失敗も成功も、すべてを受け止めて、このときは流れる。僕の旅は、流れ続けてここまできた。もう終わる。
 日は、もうすぐ沈む。

セコイア2


 この旅は、何かで一番だった事なんて、ない。予算も期間も、行った国の数も平凡だ。しかし、この旅は、僕だけの世界で一番素敵な、旅だ。


 それでは、皆さんいい日々を!

Bristlecone Pine

11 03, 2010 | アメリカ

4 Comments
ブリッスルコーンパイン

 「ラスベガスでLion KIngが見たい。」
モニュメントバレーに行く2日前に古川が言った。僕にもその気持ちは分かる。僕らの選択肢は、二つだった。一つはモニュメントバレーに行ったその日の内に、ラスベガスまで行き、ミュージカルを見てラスベガスの夜景を堪能する。もうひとつは、その日はフラグスタッフという街で一泊して、次の日にヨセミテ公園に向かう。

bristlecone pine (2)
Flag staffの街

 けれど、ここで新たな案が出た。世界で一番長寿の木、ブリッスルコーンパインを見に行き、そして、世界で最大の面積を誇るジャイアントセコイアを見に行くこと。
 この二つを見ようと思ったら、モニュメントバレーの次の日は、ひたすら北西に向かい、行けるところまで行かなくてならない。

 それでも、僕らはそれを選んだ。一日を移動に費やして、Lion Kingと夜景を諦めても見たいものが、Bristlecone Pine とGiant sepuioa、それだった。

 モニュメントバレーから、フラグスタッフの街まで戻った頃、外はまだ明るかった。空腹だった僕らは、近くの中華料理のバイキングレストランへと向かった。それはやけに甘くて、お腹でなく、胸のあたりまでいっぱいになった(気持ち悪さで)。
 翌日は、のんびりと準備をして西北の街、Big Pineを目指す。いくつもの街を通り過ぎて、ラスベガスの街の上に架かる高架橋のフリーウェイを120kmで越えて行く。僕らはラスベガスを二度、素通りした。もう一生訪れることがないかもしれない街を、今までもいくつも通り過ぎてきたように、僕らは、ラスベガスに立ちならぶビルと、煌びやかな街を横目に、砂漠へと向かう。

bristlecone pine (4)
道の途中 ダム
bristlecone pine (3)
ルート66

 州道95号線をひたすらに北へ北へと向かった。街は100kmか200kmに一つしかない。まるでファイナルファンタジーか、ドランゴンクエストだ。

 夕暮れが迫る時刻になり、ようやく、ネバダ州とカルフォルニア州の州境に差し掛かった。
 ここまで来たなら、本日の目的地big pineはもうすぐだ。

bristlecone pine (5)


 その日も宿はとっておらず、野宿が決定している。街へと向かい、野宿しても良さそうな場所を探す。24時間営業のDennysを発見し、その駐車場の隅で寝かしてもらった。何事もなく朝を迎えられることの幸せを、野宿した日は特に感じる。

 狭い車内での車中泊が得意になってきたのか、疲れがたまっているのか、朝起きる時間が少しずつ遅くなる。その日もバッチリ7時過ぎまで寝てしまった。

 本日の目的地は、二つある。それが、ブリッスルコーンパインとジャイアントセコイアだ。二つは決して近くなどない。素早く長老に会いに行き、素早くジャイアンに会いに行かなければならない。レンタカーのリミットは翌日の正午だ。僕らに時間はない、けれど野心はある。

 早速、道を間違えながら僕らはインヨー国立公園(Bristlecone pineがある所 マツの一種で、樹齢4000年~4700年程の林が広がる。因みに、残念ながらスウェーデンで樹齢9550年のマツ科のトウヒが見つかっているそうなので、僕が見に行ったのは世界一じゃなかったようです)へと向かう。

bristlecone pine (6)

 晴天の中、焦る気持ちを抑えて、車を走らせた。

 インヨー国立公園の入り口に到着すると、エントランスが10時からしか開いていないらしく、入口はもぬけの空だった。僕らは、入場料は後で払うことにして、中へと急いだ。道のりは5,6km。僕らには時間が、ない。

bristlecone pine (7)

 次々に現れるブリッスルコーンパインは、ねじれた不思議な形をしている。どれもこれも、樹齢2000年は越えているだろう。そんな風には、まったく見えない程に細くって、栄養不足なんじゃないかと思ってしまうようなものが多い。

bristlecone pine (8)
ブリッスルコーンパイン

 急ぎ足で、林道を歩いた。この林で最高齢のパインは公表されていない。沢山の人が押しおせて、生態系が破壊されるのを防ぐためのようだ。

bristlecone pine (10)

 結局、どれが樹齢4700年のものか、なんて分からなった。だから僕らは気にいった木の前に立ち、それを眺めた。こいつも間違いなく4000年は越えているだろう。

 bristlecone pine (11)


 樹齢4000年を超えて、はるかな時を生きる。雨が降り、太陽が昇る。寒い冬を何千回も越えて、芽吹きの季節を何千回も迎えた。
 葉は幾度となく落ちては枯れる。それは、また樹自身の葉になり、幹になる。
ほんのすこしずつ、確実に歳を重ねた。

 最初に落ちた一枚の葉は、4000年の時を超えて今も年輪の小さな輪かの中で生き続けているのだろうか。

 きっと僕らだって、そう。

 何万年、何千万年、何億年。僕らは、この地球が育んでいる小さな輪かの中で、生きている。いつか生きていた人が繋がりあって、一つの年輪を作る。

 僕らも、いつかあの木からふわりと落ちた一枚の葉っぱのように、この星に年輪を、刻む。

bristlecone pine
樹齢4000年を、越える。

 それでは、みなさんいい日々を!

モニュメントバレー

10 23, 2010 | アメリカ

3 Comments
グランドキャニオン(サウスリム)

 アンテロープを出て、標高を上げながらグランドキャニオンに向かう。South Rim East Entranceを抜けて、グランドキャニオン・サウスリムの地図を貰った。
 その地図を見ると、50km近く広がるグランドキャニオン国立公園の中に10か所程のView Pointが記されている。僕らは、まず、サウスリムの東入り口から一番近いDesert View Pointに向かった。
North Rimとは、少しだけ何かが違う、それが僕の感想だった。何が違うのか、それはイマイチ分からないのだけれど、例えばそれは、ノースリムの方が、少し荒れていて、サウスリムの方がほんの少しだけ優しい、そんな抽象的な違いでしかない。

monument (5)
グランドキャニオン サウスリム
monument (6)


 Desert Viewを出て、3つ目のポイント、Moran viewに到着すると、アスレチックのような岩があった。僕らは岩を飛び降り、岩の下をくぐって、また岩を登る。そこまで行くと、一般の観光客は誰もいなくて、のんびりとグランドキャニオンと向き合うことが出来た。
 太陽は少し西に傾き始めており、西から指す太陽の光が燦々と渓谷に向けて降り注いでいた。渓谷ははっきりと、くっきりと影を伸ばした。

monument (7)
古川蛙とび

 Moran view pointで遊び回った僕らは、息を切らしながら車に乗り込んだ。いくつかのポイントを眺めた後、夕暮れが近づいてきたので最終地点に移動した。
 ゆっくりと日が沈んで行くのを、深い谷を前に僕らは座りながら待った。黄色っぽい地層が丸出しの谷は、夕日に照らされてオレンジ色に色を変える。もともと赤土色をしていた場所は、尚更赤く染まる。 
 太陽は、どんどんと西の空を下降していく。アメリカが夕暮れに染まるころ、朝がやってくるのは、インド、あたりだろうか。

monument (8)

monument (10)


 太陽が、テーブルマウンテンの陰に隠れて、渓谷は赤っぽく、そして白っぽく染まった。

 グランドキャニオンを出た僕らは、本日の野宿ポイントを探しながら、南へ北へと駆け回った。夜の11時を前にテューバシティという、小さな町に到着した。その街のスーパーの駐車場をお借りして、僕らは眠りに就いた。

 僕は車の中で、古川は外にマットを敷いて眠る。もちろん、僕が強要したわけではない。彼は自主的に、いかにも自然な流れで外にマットを敷いた。
 野良犬が、うろうろしているというのに・・・。

 僕は、狭い車内で体を折り曲げて眠った。明け方6時に目を覚ますと、すでに人びとは生活を始めていた。洗濯物を持って入って人々は、コインランドリーへと向かっている。僕は車を降りた。古川が無事に寝ていることに少し安心した。

 朝もやの中で、太陽が昇り始めていた。夕陽よりも大きく見える。そろそろインドでは、日が落ちるころだろう。バラナシではプージャーが始まるころだ。
 眠そうな古川を起こして、東へと僕らは車を走らせた。今日の目的地は、モニュメントバレー、だ。

 相変わらず、天気は良好で雨は降りそうにない。道は真っすぐで、時折道のサイドにはコンテナハウスが並んでいた。 
 カエンタの街を抜けると、すぐにモニュメントバレーへと到着する。朝マックで気持ちを落ち着かせて、モニュメントバレーへと向かった。

 アメリカの原風景と言われている、その場所。

monument1 (2)

monument1.jpg


 砂っぽくて、道はガタガタ。目の前には、大きな岩山がいくつも並ぶ。
 カーステレオではちょうど、ハイロウズの十四才が流れていた。

 土星の周りに丸く 並んで浮かぶ石がある
 アリゾナの砂漠 逆立ちで沈む石がある
 置かれた場所に 置かれたままの石がある
 金星のパイロンをかすめて 輝きながら飛び去る石がある

 ここは、アリゾナ州とユタ州の州境で、このアリゾナの砂漠がどこを指しているかなんて、知らない
けれど、おかれた場所に、置かれたままの石であること違いはないと思った。

 僕は、このモニュメントバレーではしゃぎすぎて、驚くほどの鼻血を出した。グランドキャニオン新聞で血を拭けども拭けども、血は止まらず、僕はティッシュの素敵さを再認識したのだ。

monument (2)
ここではしゃぎすぎました。鼻血ぶー

 鼻血を出しすぎて気分を悪くした僕は、モニュメントバレーの大きな岩の陰で、座って風景を眺めた。それは地球を見ているような気分にもなる。それほどに、大きな景色だった。

monument (4)

それは、間違いなく

一発目の弾丸は 眼球に命中 頭蓋骨を飛び越えて僕の胸に
二発目は鼓膜をつきやぶり やはり僕の胸に
それは僕の心臓ではなく それは僕の心に刺さった、だろう。

 リアル より リアティ リアル より リアリティ

「十四才」が聞こえてきそうだ。       

monument (3)

それでは、みなさん良い日々を!

アンテロープキャニオン

10 05, 2010 | アメリカ

2 Comments
アンテロープキャニオン

 グランドキャニオン(ノースリム)を出た僕たちは、風を切る様に東へと進み、夕方にはページという街に到着した。そこで一泊した僕たちは翌朝、アンテロープキャニオンへと向かう。宿を出て、アンテロープ通りを走ると、15分ほどでアンテロープキャニオンの入り口へと辿りついた。

 ここは、ナバホ族の領地になっていて、入場料がかかり、更にツアーでなくては入れない。ツアーの時間になり、大き目のピックアップトラックの後ろに座席が付けられたような車に乗り込むと、4、5台の車が走り出した。車は、まるで道のない乾いた大地に、いくつもの轍を残しながら走っていく。

アンテロープキャニオン (2)
シボレー
アンテロープキャニオン (3)


 アンテロープキャニオンの入り口に到着すると、この場所の成り立ちの歴史などをガイドが話している。この場所は、遠い遠い川の水が時にすごいスピードで、鉄砲水になりこの場所を削り続けてこの峡谷が出来たようだ。

アンテロープキャニオン (6)

 中に入ると、岩は滑らかに削られ、まるでヤスリで削った木材のように、木目のような地層が浮き出ている。それは、大きな木の中に入ったようでもある。
岩に触ると少しザラザラしているのだが、嫌な痛さはなくて、なんだから冷たくて気持ちが良い。
その細い峡谷に時折、太陽の光が一本の光線の様になり、何の迷いもなく真っ直ぐ真っ直ぐ、下の砂の大地を照らしている。
 
アンテロープキャニオン (7)
アンテロープキャニオン

 中を進んでいくと、ツアー客が多くて、しかもアメリカ人体型のアメリカ人だらけのものだから、すれ違うのも一苦労だ。
 だけど、その中の景色は絶景で、水の流れを止めたそのものを見ているようでもある。

 何の設計図も持たずに、雨は降るがままに降り、川は溢れ、流れるままに流れる。その長い営みの中で、それらはまるで芸術作品のように、この峡谷を作り上げた。いや本当は設計図もあって、まだまだ、作っている途中なのかもしれない。
 この悠久の時間の中で、雄大な景色を生み出している、この星に感動せずにはいられい。

 僕らは、それを壊すのか、手伝うのか、それともその一部なのか。

アンテロープキャニオン (4)

アンテロープキャニオン (9)


 アンテロープキャニオンの反対側に到着して、炎天下の中で、質疑応答が行われる。僕は一刻も早く、峡谷の中に戻ることを強く希望していた。

 来た道を戻り、アメリカ人体型のアメリカ人を日本人体型の僕は身軽にかわした、のだが、手に持った三脚は避け切れず、何度か謝りながら、進む。入り口に戻り、ピックアップトラックに乗り込み、エントランスまで走る。僕らはすぐさまRIO(レンタカー)に戻り、車のエアコンを付けた。車の中は生存不能(僕は)なほどに、温度が上がっている。
 少し車が冷めるのを待って、僕らは車に乗り、そこから南へと向かった。次に向かうのはグランドキャニオン(サウスリム)だ。

 お昼過ぎに、ナバホ族の旗が揺らめくアンテロープキャニオンを出発した。マクドナルドで腹ごしらえをした僕らは、快調にフリーウェイを走った。

 走り始めて2時間が経過した頃、僕らの右側に大きな穴がいくつも空いた場所が現れて、僕らは、車を止めた。
 穴を見にいくと、高さは60m位だろうか。周りには平原が広がり、大きな穴が4つほど空いている。その風景は不自然、なのだけれど、これは自然だ。ややこしい。

アンテロープキャニオン (10)


 穴が空いたのか、窪んだのか、隕石が落ちたのか、はたまた周りが突起したのか。22年間、日本で暮らして来た僕の常識から少し外れた景色を見るたびに、常識なんて下らないな、と思う。世界はこんなにも不自然で、不思議だ。

アンテロープキャニオン
僕たちインド帰りなので・・・(笑)

 風が強いその場所を後にして、僕らはグランドキャニオン(サウスリム)へと向かう。グランドキャニオンはもう、すぐそこだ。
 RIOは少しだけスピードを上げた。僕は古川に、飛ばし過ぎて捕まるなよ、と言う。RIOはまた少しスピードを緩めて、グランドキャニオンへと向かう。

アンテロープキャニオン (5)


 それでは、皆さん良い日々を!

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