バラナシ
03 14, 2010 | インド
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バラナシ
コルカタ20時発、バラナシ行き。僕は、これに乗るために宿を19時少し前に出た。そして、バスがしこたま走っている通りを目指した。
バスが目の前に停車し、乗務員のおっさんが、「ハウラーハウラーハウラー!」と、叫んでいる。ハウラーは、僕が行く駅の名前だ。
よかった、と胸を撫で下ろした。そして僕と、もう一人ブッダ・ガヤーに行くために駅に向かう方が、バスに乗ろうとした。そのとき、乗務員のおっさんは、「NO NO NO」とブルーハーツの曲名を連呼してきた。そして、あっちに乗れと言ってる。僕らは、素直に従いそっちのバスに乗ろうとする。 すると、こっちのおっさんも「NO NO NO」だ。こんなにもブルーハーツが流行っているとは思ってもみなかった。3台目は、バスをドンドン叩きながら、「NO NO NO」だ。僕らは何故だ!?と聞いているのに、彼らはバスをドンドン「NO NO NO」しかいわない。まるで、地団駄を踏む子どものような対応に、僕らは呆れてタクシーに乗り込んだ。
無事に駅に到着し、少し手間取りながら、バラナシ行きの電車を発見した。
寝台列車に乗り込み、僕はそそくさと3段ベッドの一番上に座り、横になる準備をした。何故なら、そう、オカマの物乞いが来る前に寝た振りをしたかったからだ。
もちろん奴はやってくる。手を顔の左側でパンパン!と叩きながら、やってくる。僕はもちろん寝た振りをしながら、彼(彼女)が去るのを待つ。しかし、彼(彼女)は寝ている者への配慮など、全くない。寝てたら起こす。これをモットーにしているようだ。僕は、体を揺すられた、いや強請られたの方がしっくりくる。
オカマさんが過ぎ去ると、安心して僕は眠りに着く。しかし、彼ら(彼女ら)は徘徊している。そのため、何回かやってくる。その度にお金を出さないと、「この、ケチンボ!」とでも言わんばかりに去っていく。
サイクルリクシャー
バラナシに予定時刻から、2時間い遅れで到着した。駅から出ると、噂のリキシャー軍団に囲まれる。「おぉ、これか」と少し、感動を覚えた。
しかし、やはり彼らは鬱陶しい。何度行きたい宿を伝えても、そこは危ないとか、いつもフルだ、と言い自分がマージンを貰える宿にばかり連れて行こうとする。なんとか、やる気のなさそうなサイクルリクシャーを捕まえて宿まで連れて行ってもらうことが出来た。
僕は荷物を置いて、ガンジス川へと向かった。
川沿いのガートを歩いていると、日本語がメチャクチャ上手い少年に声を掛けられる。彼の口癖は「まじですか」、だ。それは、敬語なのか、なんなのか。
日本人の話す日本語を聞いて、勉強したんだな、と感じる。
聖なる川、ガンジス川。
僕の第一印象は、思ったほど汚くない、だ。水は、真っ茶色で、何も見えないと思っていた。しかし、以外にも、水は辛うじて透けていて、川辺の魚が上から見える。
ガートをしばらく歩いていると、マニエルニカーガート(火葬場)に辿りついた。このマニエルニカーガートは、死体を焼却し、ガンジス川に流す。
ここには、インド中から死体が運ばれてくる。そして、ここでは24時間絶えることなく、焼却が続く。辺りには、薪が積んであり、牛がそれを見守っている。
人は、布に包まれ、ガンジス川で一度清められる。その後、少し大きい焚き火程度の火で焼かれる。そこに、遺族はいるのか、どうなのか。沢山の観光客と牛に見守られながら、焼かれている。牛は、煙たいのか居場所を探すように、顔を右に左に動かしている。
まるで、上りゆく煙に魂を見出して、お見送りをするように。
あまりにも、あまりにもあっさりしている。毎日毎日絶えることなく、人が運び込まれ、焼かれる。それぞれの人に、それぞれの人生がある。それの終着点は、誰しもここ、なのか、と考えてしまう。誰しもが、このガンジス川の畔で焼かれ、灰になり、流されていく。
多くの観光客に見守られながら。
僕は、足早にそこを後にする。例えば、人は、死んだら皆同じだ。そうかもしれない。でも、そこにすら差がある。
死んだら皆同じ。確かにそうなのかもしれない。でも、それにすら違和感を感じる。
でも、死ぬ、その瞬間まで、生きてんだもんな。僕は今日も生きてんだもんな。そんなことを考えていると、太陽は沈み、真っ暗な夜を迎えに行く。
暗闇に、黒い水牛が同化している。インド人が、またしつこく声を掛けてくる。皆生きてんだもんな。
何だか、それが、いやに愛おしく思えた。
今日も祈りは、ガンガーへ。
それでは、みなさん良日々を!
コルカタ20時発、バラナシ行き。僕は、これに乗るために宿を19時少し前に出た。そして、バスがしこたま走っている通りを目指した。
バスが目の前に停車し、乗務員のおっさんが、「ハウラーハウラーハウラー!」と、叫んでいる。ハウラーは、僕が行く駅の名前だ。
よかった、と胸を撫で下ろした。そして僕と、もう一人ブッダ・ガヤーに行くために駅に向かう方が、バスに乗ろうとした。そのとき、乗務員のおっさんは、「NO NO NO」とブルーハーツの曲名を連呼してきた。そして、あっちに乗れと言ってる。僕らは、素直に従いそっちのバスに乗ろうとする。 すると、こっちのおっさんも「NO NO NO」だ。こんなにもブルーハーツが流行っているとは思ってもみなかった。3台目は、バスをドンドン叩きながら、「NO NO NO」だ。僕らは何故だ!?と聞いているのに、彼らはバスをドンドン「NO NO NO」しかいわない。まるで、地団駄を踏む子どものような対応に、僕らは呆れてタクシーに乗り込んだ。
無事に駅に到着し、少し手間取りながら、バラナシ行きの電車を発見した。
寝台列車に乗り込み、僕はそそくさと3段ベッドの一番上に座り、横になる準備をした。何故なら、そう、オカマの物乞いが来る前に寝た振りをしたかったからだ。
もちろん奴はやってくる。手を顔の左側でパンパン!と叩きながら、やってくる。僕はもちろん寝た振りをしながら、彼(彼女)が去るのを待つ。しかし、彼(彼女)は寝ている者への配慮など、全くない。寝てたら起こす。これをモットーにしているようだ。僕は、体を揺すられた、いや強請られたの方がしっくりくる。
オカマさんが過ぎ去ると、安心して僕は眠りに着く。しかし、彼ら(彼女ら)は徘徊している。そのため、何回かやってくる。その度にお金を出さないと、「この、ケチンボ!」とでも言わんばかりに去っていく。
サイクルリクシャー
バラナシに予定時刻から、2時間い遅れで到着した。駅から出ると、噂のリキシャー軍団に囲まれる。「おぉ、これか」と少し、感動を覚えた。
しかし、やはり彼らは鬱陶しい。何度行きたい宿を伝えても、そこは危ないとか、いつもフルだ、と言い自分がマージンを貰える宿にばかり連れて行こうとする。なんとか、やる気のなさそうなサイクルリクシャーを捕まえて宿まで連れて行ってもらうことが出来た。
僕は荷物を置いて、ガンジス川へと向かった。
川沿いのガートを歩いていると、日本語がメチャクチャ上手い少年に声を掛けられる。彼の口癖は「まじですか」、だ。それは、敬語なのか、なんなのか。
日本人の話す日本語を聞いて、勉強したんだな、と感じる。
聖なる川、ガンジス川。
僕の第一印象は、思ったほど汚くない、だ。水は、真っ茶色で、何も見えないと思っていた。しかし、以外にも、水は辛うじて透けていて、川辺の魚が上から見える。
ガートをしばらく歩いていると、マニエルニカーガート(火葬場)に辿りついた。このマニエルニカーガートは、死体を焼却し、ガンジス川に流す。
ここには、インド中から死体が運ばれてくる。そして、ここでは24時間絶えることなく、焼却が続く。辺りには、薪が積んであり、牛がそれを見守っている。
人は、布に包まれ、ガンジス川で一度清められる。その後、少し大きい焚き火程度の火で焼かれる。そこに、遺族はいるのか、どうなのか。沢山の観光客と牛に見守られながら、焼かれている。牛は、煙たいのか居場所を探すように、顔を右に左に動かしている。
まるで、上りゆく煙に魂を見出して、お見送りをするように。
あまりにも、あまりにもあっさりしている。毎日毎日絶えることなく、人が運び込まれ、焼かれる。それぞれの人に、それぞれの人生がある。それの終着点は、誰しもここ、なのか、と考えてしまう。誰しもが、このガンジス川の畔で焼かれ、灰になり、流されていく。
多くの観光客に見守られながら。
僕は、足早にそこを後にする。例えば、人は、死んだら皆同じだ。そうかもしれない。でも、そこにすら差がある。
死んだら皆同じ。確かにそうなのかもしれない。でも、それにすら違和感を感じる。
でも、死ぬ、その瞬間まで、生きてんだもんな。僕は今日も生きてんだもんな。そんなことを考えていると、太陽は沈み、真っ暗な夜を迎えに行く。
暗闇に、黒い水牛が同化している。インド人が、またしつこく声を掛けてくる。皆生きてんだもんな。
何だか、それが、いやに愛おしく思えた。
今日も祈りは、ガンガーへ。
それでは、みなさん良日々を!
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