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赤い自転車

05 17, 2010 | スイス

5 Comments
赤い自転車

 僕らが、ハンスさんに農場などの紹介をしてもらい、家に戻ると、キッチンからは、良い匂いと共に湯気が立ち込めていた。

赤い自転車 (7)

 父が42年前に使っていたという部屋のテーブルにテーブルクロスを敷いて、お皿を運ぶ。ハンスさんの手作りのりんごジュースをコップに注いで、準備は万端だ。
 まずは、ホッとするような、ポテトスープを頂いた。そして、トマトソースのパスタと、ソーセージが出てくる。まるでコース料理のようだ、いやどんなフルコース料理よりも温かな料理がテーブルに運ばれてくる。コップが空けば、りんごジュースを注いでもらい、皿が空になれば、パスタやサラダを薦められる。この時に食べたソーセージが美味しくて仕方がなかった。
 
 ハンスさんが、30分程休憩をして、車でドライブに連れていってあげるよ、と言う。僕は、遠慮だとか、そういうものは、今はきっといらない、そう思った。お言葉に甘えよう。そういう時は必要だ。

 まるで、自分のおばあちゃんの家にでも来ているような、不思議な気持ちがする。まるで、ハンスさんたちの、優しさが、ごく自然で、あまりにも当たり前のような振る舞い、だからだろうか。

 30分の休憩で、僕たちはお昼寝をした、40分も。2人は、のんびりと階段を下りていく。車に乗り 10分程走り、街に入った。その街を少し通り過ぎて、林道の中を上がっていく。新緑の季節らしく、木々の葉は、黄緑色をしている。僕らがお昼寝をしている間に、太陽は雲の中に、いや雲が太陽の前に来たおかげで、少し林内は薄暗い。

 林道を登り切った所で、お城が見えた。

 車を止めて、お城へと向かう。お城からの眺めはとてもいい。小高い場所にある、このお城からは、辺りが一望できる。西を見ると、ハンス夫妻の家、ラインクリンゲンが見える。
 南を見ると、ライン川と城下町が見える。街の外を一歩でると、もうそこは畑で、牧草か、小麦か、ジャガイモなのか、辺りは緑色をしている。もちろん菜の花畑も広がり、黄色い場所もある。
 北は、林があって、あまり見えないがこの向こう側にはドイツが広がっていることは、間違いない。

赤い自転車 (4)

 お城を下りて、城下町に立ち寄り、僕らは家へと向かった。

 この日は、泊まるんでしょう、と言われ、僕らは少し相談をして、そっとうなづいた。2人は明日、学校だ。3人は、泊る用意など何も持ち合わせていない。
それでも、泊ることが決まっていたように、うなづいた。

 ハンスさんは、酪農の仕事へと向かい、僕らはまたのんびりと過ごしていた。おばあさんが晩ご飯を作り始め、間もなく、ご飯を食べましょうの声が掛った。
 仕事を終えた、ハンスさんも戻ってきて、僕らは食卓を囲んだ。晩ご飯は、パンにバターやジャムと搾りたてのホットミルク。
 まるで、ドイツ語の教科書に出てくるような、伝統的な晩ご飯というやつだ。

 晩ご飯を食べ終えて、おばあさんが、散歩でもしましょうか、と尋ねて、僕らは散歩に行くことになった。外は薄暗く、雨が少し降っていた。傘をさして、ライン川沿いの公園へと向かった。僕は弱い雨は、時に心地良いのだと知った。
 随分と辺りは暗くなり、僕らは家へと向かった。のんびりと歩くおばあさんのスピードに合わせて、のんびりと。

赤い自転車 (1)

 翌日、朝食を食べて、僕らはお昼の12時になるのを待っていた。スイスでの12時は日本での夜7時、僕の父に電話をかけるためだ。ハンスさんとおばあさんは、少し待ちきれないように11時半でも大丈夫か、と尋ねた。僕は多分大丈夫だ、と答えた。
 11時半になり、家に電話すると、母が出た。父は今ちょうど出かけてるという。30分くらいで帰るって言ってたけど・・・、と少し弱気だ。
 僕は、電話を切り、12時には大丈夫と、伝えた。12時になり、もう一度電話をかける、父が出て、僕はかなりホッとしていた。おばあさんに代わり、ハンスさんに代わる。そんなに長く話してはいなかったけれど、何か伝わったことがあればいい。僕は自分の任務が終わったように、嬉しくなった。

 そして、僕らは今日もドライブへと、出かける。今日はシャッフハウゼンという街へ滝を見に行った。この日も天気は少し悪い。
 滝に着いて、中に入った頃に雨が降り出した。雨が冷たくて、2人のことが心配になる。滝から戻り駐車場に着いたあたりで、雨は止んだ。すごいタイミングだ。

赤い自転車 (5)
ライン滝 ヨーロッパ一の水量。

 家に帰り、お昼御飯にチーズフォンデュを御馳走になった。チーズフォンデュはスイス料理だ。お鍋の下のアルコールランプに火を灯して、熱いチーズをパンにつけて食べる。本場のチーズフォンデュは、お酒の味が強すぎて、僕は少し頭痛を引き起こした。

赤い自転車 (8)
チーズフォンデュ

赤い自転車 (2)
最後の散歩
赤い自転車 (3)


 そして、お別れの時間になる。僕らは、作業中のハンスさんにあいさつに行き、みんなと握手をして、僕らは、ハンスさんの家を出た。

 おばあさんが家の三階の、多分2人の寝室から、ずっと僕らを見守っていてくれた。いつまでも、長い間、僕らの方を眺めていてくれた。

僕らは、道を曲がるところで、3人で大きく手を振った。おばあさんも大きく手を振り返してくれた。

赤い自転車 (6)
三階の小さいのが、おばあさん。

 楽しかったね。本当によくしてもらって、お返しをしなくちゃね。僕らは、そんなことを話しながら、駅へと向かった。

赤い自転車 (9)

 農道の交差点が見える。あの赤い自転車を左でしたっけ、と僕。いや、あのもう一つ向こうの交差点を左じゃない。

 交差点に差し掛かったところで、赤い自転車を見ると、昨日まで、壊れていた自転車がキチンと直っていた。ハンドルもサドルもしっかりと付いている。不思議なことがあるものだ。

 それは、なんだかとても不思議だったのだけれど、1人が、ここがラインクリンゲンの入り口で、壊れている時にしか入れないんじゃない、と言った。
 まるで、おとぎ話だけど、まるで、おとぎ話のようにハンス夫妻は優しかった。だから、僕はそれもいいな、と思った。
 次に来る時、その時もこの自転車は壊れて、僕らを待っていてくれるだろうか。

赤い自転車
赤い自転車

 それでは、みなさん良い日々を!
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ラインクリンゲン

05 15, 2010 | スイス

6 Comments
ラインクリンゲン

 42年前、僕の父はスイスのラインクリンゲンという、チューリッヒから電車で1時間、そこから歩いて30分のライン川沿いの小さな小さな村で、実習をしていた。
 42年後、僕がそこを訪れる。引っ越しているかもしれないし、もしかしたら、生きていないかもしれない。僕は、不安を抱えがら、ラインクリンゲンに向かった。

 僕が泊めてもらっている空さんと、その友人と僕の三人は電車に乗り、チョコレートクッキーを食べた。1度乗り換えて、ラインクリンゲンの最寄り駅、エッツヴィーレンに到着した。ここから北北西に向かって歩いていけば、ライン川に突き当たる、はずだ。その辺りがラインクリンゲンだ。

ラインクリンゲン
エッツヴィーレン

 僕の方位磁石が北を指す方向へと向かう。線路を横断して、フェンスを越える。小さい農道のような道を北へと向かう。道の右側では、たんぽぽとたんぽぽの綿毛が風に揺れている。左側には、沢山のクローバーが一面を覆い、その先には、放牧されている牛が見える。

ラインクリンゲン (6)


 綺麗なところだ。父が実習をしていた頃と変わったすれば、何なのだろうか。空も雲も、草原も、この少し砂利交じりの道も、変わっていないのではないかと、そんなことを考える。それは、父に聞いてみなくては、分からないのだけれど。

 道の向こう側から、白と茶色の2頭の馬が、人を乗せてこちらに向かって、闊歩している。その2頭を先導するように、1匹の白い犬が前を歩き、時折止まり、後ろを振り返る。2頭の後ろを、ビーグル犬が歩いている。そういうフォーメーションなのだ。1-2-1だ。ディフェンダーのビーグルが少し、頼りない。
 
 僕らは馬と、犬に軽く会釈をした。もちろん乗っている人にも。

ラインクリンゲン (2)

 農道を歩いていると、交差点に差し掛かる。その交差点の牧草畑の端に壊れた赤い自転車が置かれていた。ハンドルもサドルも無い。赤い自転車と、黄色いたんぽぽと緑の牧草が美しくマッチしている。

ラインクリンゲン (7)

 その通りを抜けると、大きな道とぶつかった。僕の目指すところは、北北東のライン川沿いだ。大きな道を突っ切って、また農道のような道に、入る。後で分かったことだが、その大通りを西に見て、1番手前にある、大きな家がハンスさんの家だった。僕らは少し遠回りをしたようだ。

 1つ農家を通り越して、菜の花畑の前を通る。花の色は、どうしてこんなにも世の中を彩るのだろう。不思議に思うくらいに綺麗な色をしている。たんぽぽや菜の花の黄色も、オオイヌノフグリの青色も、美しい。

ラインクリンゲン (8)

ラインクリンゲン (4)

 
 ライン川が見え始めた。それは、静かに流れていた。こういうのをせせらぎ、というのだろう。ライン川は大きくて、透明だ。3人で水きりをした。姿勢を低く、石をなるべく、水面にギリギリに向けて、放り投げる。
 石は、2回、3回と川の上を跳ねる。1回、2回、上手くいけば、7回、8回と水の上を跳ねる。

ラインクリンゲン (9)
ライン川
ラインクリンゲン (5)
ライン川沿いの公園

 ライン川を出て、少し歩いたところに、小さい公園が見えた。滑り台と、ブランコに土管というオーソドックスな公園だ。真ん中には桜の木が生えている。花はもうほんの少ししか残っていないが、桜の木の下に置いていあるベンチの上に散れ散れになった花びらがひっついている。川沿いのベンチで少し休憩し、また僕らはハンスさんの家を探すために歩きだした。

 公園を出てすぐの所に交差点があり、家が数件ある。僕らは、馬の糞掃除をしているおじさんに、尋ねた。もちろん僕ではなく、ドイツ語が出来る二人が。すると、おじさんは、首を傾げたが、少し待ってろ、といい、家の中に入って行った。家から奥さんが出てきて、その家ならこの村の1番外れの家よ、と教えてくれた。
 ハンスさんは、いるんだ。この村に。

 僕は、少し緊張した。

 何件かの、家を通り過ぎて行く。村の端の家。大きな家に到着し、郵便ポストの所に「H.Stauffer」 と、書いてある。

ラインクリンゲン (10)


 遂にたどり着いた。ここで、父が実習していたんだと、不思議な気分になる。僕らは、少し躊躇いながら、着いたね、と言い合っていた。



 そこに、1人のおばあさんが農具庫の方から、出てきた。

 「やっと見つけたのね」と、そう言ったらしい。そして僕らに駆けより、3人を順番に抱きしめてくれた。父が、僕が5月の初旬に行くと、手紙を出していたのだ。そして、2人は僕らがやってくることを楽しみにしていてくれたようだ。

 家に招かれ、ハンスさんにも3人は抱きしめてもらった。

 少し、小話をした。そして、ご飯は食べたのかい、と聞かれて、僕らはまだです、と答えた。おばあさんは、じゃあ何か作るわねと、言って寝室へと向かった。
 ハンスさんは、ご飯が出来るまで、農場を案内しようと言って、立ち上がった。僕は、なんとも言えない温かさに包まれていた。

 来れて、本当に良かった。ドイツ語が出来れば更に良かった。

  おばあさんは、エプロンをして、キッチンで何かを作り出した。
  きっと、それは温かいだろう。僕はそんなことを思いながら階段を下りて、農具庫の方に向かった。

ラインクリンゲン (1)
シュタウファー家


 それでは、皆さん良い日々を!

チューリッヒ

05 13, 2010 | スイス

3 Comments
チューリッヒ
 
 マッターホルンを見上げた次の日、僕はツェルマットを後にした。天気予報通りの雪、とまではいかないが、ツェルマットの町は雲に覆われ、山は麓しか見えない。マッターホルンは姿を雲の中に隠して、最後のお別れは、出来ない。

 来た時と同じように、VISP駅で降りて乗り換える。スーパーで買ったクロワッサンをかじりながら、電車を待つ。
 チューリッヒには、僕の母の知り合いの息子さんという、かなり遠い関係の方がいる。交換留学というやつらしい。 僕は、そこに泊めてもらえることになっている。物価が随一のスイスにおいて、こんなにもありがたいことは、ない。
 待ち合わせの時間よりも少し早めにチューリッヒHB駅に到着した、僕は、本を読みながらベンチに腰をかけていた。

zuric.jpg
チューリッヒHB駅

 しかし、顔も知らない二人が巡り合うというのも、少し不思議な気がする。案の定、日本人である僕たち二人は少し、牽制し合いながら間合いを取っていた。しばらくして声をかけ、僕らは無事に出会った。

 その日僕は、「今日は友達の家でお好み焼きパーティーがあるから、来るか」というお誘いを受けた。こ、これが留学生というやつか、と僕は多少たじろいでいた。パーティーにお呼ばれするような、服は生憎持ち合わせていない。
 お好み焼きパーティーで良かった。これが立食パーティーなら、間違いなくリッツの上にチーズやおシャレなハムなどが乗っていて、田舎者はそのようなことに慣れていないので、端のソファーに腰掛けて静かにしていなくてはけなかった。しかし、お好み焼きの食べ方ぐらい僕も知っている。それにお好み焼きさんに行くときは決してドレスやタキシードではいかない筈だ。それならば僕のジーパンにパーカーという格好でも馴染める筈だ。


 夜まで、チューリッヒ大学の留学生寮で休憩し、近代的な外観と美しい内装にため息が零れた。僕の大学の寮はどんなのだっけな、ぼろくて、そうそう家賃は確か700円(※光熱費別)だったな。それは、そっちの方がいいかもしれない。決して近代的な外装ではないのだけれど。

 6時前に寮を出発する。電車を1度乗り換えて、少し郊外へと向かった。4人でプラットシェアしているという家にお邪魔する。家に入ると、数人の方が料理をしている背中が目に入った。
 僕らは、そのへんのソファーに座って待っていてという、指令が下った。お好み焼きパーティーでも、僕は結局部屋の隅っこのソファーで腰掛ける結果になってしまった。

zurich (1)

 30分ほどぼーっと座り、たまに話し掛けて来てくれる日本人の方や、スイス人の方と少し話していた。7時を少し回った所でお好み焼きとから揚げが登場し、僕のテンションは俄然上がった。

 久しぶりに食べるお好み焼き。いつぶりだろうか。日本にいた時から数えても思い出せない。久しぶりのお好み焼きと、から揚げを僕はニヤニヤしながら頂いた。
 これが、パーティーか。留学生は、おしゃれだ。僕の大学では、主にたこ焼きパーティーという名前が飛び交っていた。やはり、丸いたこ焼きよりも平たいお好み焼きか、流石は留学生だ。

zurich (2)


 翌日、午前中はフリーマーケットに繰り出した。沢山のガラクタが無造作に置かれている。購買意欲をあまり刺激してこないようなディスプレイの仕方だ。

zurich (3)
フリーマーケット
zurich (4)


 2時間あまりぶらぶらと、フリーマーケットを見学したのち、チューリッヒ大学へと向かった。今日は卓球をする予定だ。2時に数人と待ち合わせをして、トレーニングジムの前で卓球をする。この2日間、まるで留学生になったような、キャンパスライフを満喫していた。

zurich (7)

zurich (5)
ジェラード

 久しぶりの運動に、体は軋むようにのろのろと動く。それでも、スポーツというのは、本当に面白い。心地よい汗を流して、僕らは寮へと戻る。風が少し強くて、雲の動きが早い。遠くには、アルプスが見え隠れしていた。

ツェルマットからチューリッヒに向かっている時、1つ、思ったことがある。The Blue Heartsの曲に「ハンマー」という曲が、ある。

“48億の個人的な憂鬱、地球がその重みに耐えかねて来、死んでる”

 僕が生まれる少し前の歌だ。それから22年。70億の大台を超えて、地球は今、70億の個人的な憂鬱を抱えて回っている。それでも僕は、地球は、死んでなどいない、そう思う。
 70億もの個人的な憂鬱を抱えながら回る地球は、今も立派に生きている。耐えかねているのは真実かもしれない。それでも、積もった雪の下には沢山の命が芽吹き、一面を緑色に染めている。たんぽぽが咲き誇る広場には、沢山の綿毛が舞い、次の命へのバトンが、至る所で受け渡されているじゃないか。

“ハンマーが振り下ろされる、僕たちの頭の上に”

 地球が、70億の個人的な憂鬱に死なないように、僕はハンマーなんかじゃ、死なない。
 地球はこんなにも生きている。僕は、ハンマーなんかじゃ、死なない。僕は、今日も地球に感謝する。

zurich (10)

zurich (8)


それでは、皆さん良い日々を。

ツェルマット

05 11, 2010 | スイス

0 Comments
ツェルマット

 ツェルマット、マッターホルンの麓の小さい町である。僕は、そこに行くことを本当に楽しみにしていた。マッターホルンを見たくて仕方がなかった。
 天気予報は、ずっと雪の予報。5月6日、天気予報は曇りのち、雪。何故だかわからない。それでも僕は、その日は、晴れると確信にも似た、何かを感じていた。この日は絶対に晴れる。その思いだけで、僕は、移動を繰りかえいしていた。イタリアでの強行スケジュールも、5月5日までにツェルマットに行くため、それだけのためだった。

 5月5日、ミラノから、スイスのVISP行きの列車に乗る。スイスに入り、雨脚は強くなった。電車の窓には強い雨が打ち付けてくる。VISPに2時ごろに到着した。そこから、ツェルマット行きの電車に乗り換える。待ち時間が1時間近くあったが、強い雨に、僕は駅のホームから動けなくなっていた。
 3時前にツェルマット行きの列車に乗り込んだ。雨が止むことを祈りながら、列車は少しずつ標高を上げていく。

 30分程経ったころ、雨は雪に変わった。列車の窓から流れていく景色は、白く雪化粧をしている。壁のような崖からは、水が這うように流れている。不思議な滝だ。

 4時に、ツェルマットに到着する。あたりは、真っ白だ。大雪とまではいかずとも、路面は雪が積もり、雪解け水も相まって足がどんどん冷えていく。
 雪の中を、宿に向けて歩いて行く。寒さに震えそうだ。

マッターホルン (3)

 宿に到着し、荷物をおろす。案内された場所は、まるで屋根裏部屋のような、すぐに頭を打ってしまいそうな所だ。
 少し、横になっていると、すぐに眠りについてしまう。6時前、晩御飯を買いにスーパーへと向かう。雪は依然強く降っている。雪の中を滑るように走りながらスーパーへと向かった。スイスの物価の高さはこの旅では断トツで一番だ。安物の食品を少し買い、スーパーを後にする。

 宿に帰り、またのんびりと時間は過ぎていく。雨はばしゃばしゃと地面を叩きつけるのに、雪は、やけに静かに地面に舞い降りる。ふわりと、地面に落ちて、何事もなかったように、溶けて、水になる。

 明日の晴れを願い、僕は眠りに着いた。
 翌朝、7時前に目が覚めた。外からは太陽の日差しが、狭い部屋に差し込んでいる。僕は飛び起きて、窓へと駆け寄った。外は、晴れだ。僕は、心底うれしくなり、ドタドタと着替え始めた。
 横で眠るオーストラリア出身の青年を起こして、今日は最高の日だ、と伝えた。

 僕は、7時30分ぐらいに、宿を飛び出した。地面が凍っていて、何度か転びそうになる。本当に晴れている。この日を目指して来て、本当に良かった。

 宿から、緩い坂道を下り、川を渡る橋の上で、僕は立ち止まる。マッターホルンだ。マッターホルンが綺麗に輝いている。
 
マッターホルン (6)
マッターホルン

 何故、だろうか。僕は、今までの心の疲れが、癒されていくように、鳥肌が立って、涙が流れた。いや、流れてはいない。眼の中に涙がたくさん溜まって、それを腕でこするように拭いて、鼻水を1度すすった。
 涙は溢さなかった。

 そのまま、また前を向いて、登山鉄道ゴルグナートへと向かう。
 
 駅に到着し、切符を買う。76フラン(7000円位)もするが、僕は何の躊躇いもなく購入した。登山鉄道に乗り、暫くすると鉄道は、ゆっくりと山を登っていく。のんびりのそのスピードからは、外の風景が滑らかに流れていく。
 何度もマッターホルンが顔を出して、その度に僕は、感嘆の声を漏らす。カッコいい。あいつは、なんてかっこいいんだ。

マッターホルン (9)
登山鉄道
マッターホルン (8)

 1時間近くかけて、山を登り、終点ゴルグナート駅に到着する。辺りは、完全に雪景色で、真っ白だ。
 その雪の道を、展望台に向けて登っていく。昨日の雪で、かなり積もったのか、僕の膝ほどまで足は雪に食い込んでいく。足は、またも水浸しで、あまりの冷たさに何度かくぅーっと体を縮こめた。展望台も雪に埋もれていた。そこからの景色はまた絶景で、本当に寒さとは別に、ぶるっと体が震える。
 近く見えるマッターホルンは驚くほど尖っている。あの山頂に登ることが出来るなんて到底思えない。しかし、それが山の大きさなのだろう。あんなにも尖っていても、人間は小さくてその山頂の上でさえ、仁王立ちをして、雄たけびを上げることが出来る程の大きさなんだろうな。

マッターホルン
マッターホルン
マッターホルン (4)

 
 ここからは、スイスの最高峰、モンテローザも綺麗に見える。今日は、最高の日、だ。
 しばらく、そこに佇んで、山々に囲まれていると、本当に気持ちがいい。のんびり山と向き合い、山を降りる。

マッターホルン (2)
真ん中、モンテローザ

 今日の晴れで、雪は溶けて緑が現れる。僕は、マッターホルンの見える岩の上に座り、フランスパンとハムとチーズだけの簡単な、サンドウィッチを食べる。これが、きっと何よりも、何よりも贅沢なのだ。これが本当の贅沢じゃないか。
 マッターホルンは、雲とじゃれ合うように雲を纏い始めた。

マッターホルン (5)
ツェルマット
マッターホルン (7)
 今日は、最高の日だ。

 それでは、皆さんいい日々を!

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