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サンチアゴ

07 13, 2010 | チリ

3 Comments
サンチアゴ

 ビーニャ・デル・マルから、バスに乗って2時間でサンチアゴに到着した。外は土砂降りに変わっていた。風は強く、道路も冠水している。

 僕は、バスターミナルでアルゼンチンのメンドーサ行きのバスを探した。バス会社の看板には、メンドーサの文字が躍る。けれど、メンドーサ行きのバスは、どこもいっぱいで明日しかないようだ。僕は、道路に打ち付ける雨を見ながら、ガイドブックで宿を探した。めぼしい宿は、1つしかない。ユースホステルだ。最寄りの駅から徒歩10分。

サンチアゴ (1)
サンチアゴ

 僕は、地下鉄で最寄りの駅まで向かった。雨の日は地下まで湿っぽい。地上に出る階段を上っている時点で、雨が顔に強く打ちつけてくる。
 僕は、フードを被り宿へと向かった。道があまりよく分からない、けれど、北へと向かう。2ブロック目を左の筈だ。慎重に、1ブロック、2ブロックと数えて左へと向かった。その途中、横を走る車が2度水を大胆に跳ねた。まるで失恋したヒロインのように、僕は水を被ったわけだ。ジーンズがぐっしょりと濡れて、靴の中も洪水状態になった。

 左に曲がり、通りの名前を頼りに、宿を探す。最寄りの駅から徒歩10分。10分なんて10分前に過ぎている。僕は、打ち付ける雨に目を細めた。
 それから10分後、僕は、宿にチェックインを済まして、びしょびしょになった服と、バックパックのレインカバーを部屋に干した。2段ベッドの下に寝転んで、ふと上を見ると沢山の落書きが目に入る。思わず高校の寮のベッドを思い出していた。

 誰かが、ここに名前を記したんだな、とその文字たちを僕は手でなぞった。そこには、僕の知っている名前が1つだけ記されていた。THE BLUE HEARTSだ。何故それをここに、記したのか、それはその人にしか分からない。

 僕は、その文字を見ながらI pod を手に取り、THE BLUE HEARTSの「青空」を選択して、再生ボタンを、押した。
 外は、まだどしゃ降りで、風の音が、ピューピューと強く吹き、まるで幽霊のうめき声のようにも聞こえる。その音をTHE BLUE HEARTSは優しく掻き消した。
 そのとき僕の耳に、心に聞こえるのは、ブルーハーツの歌だけだった。2段ベッドの上には、少し青空が広がっていた。彼もこんな気持ちだったのかも、しれない。僕は、そんな風に思った。次の曲との合間に少しだけ流れる、短い沈黙が妙に心地良かった。

サンチアゴ (3)


 翌日、雨はすっかり上がり、空は間違いなく青空、だった。昨日僕が2段ベッドで見た青空よりも、多分、青空だった。僕は、地下鉄へと向かい、わかったことが1つある。迷わず行けば、駅から宿は徒歩10分だということだ。

 バス停に、到着してお菓子を選んでいると、出発10時間際になり、僕はバスに飛び乗った。雪山が左右に沢山連なる道を快調に走る。アルゼンチンとの国境が近づいてくると、雪は更に深くなった。
 バスから見える景色は、白くなった。

サンチアゴ (2)

サンチアゴ (5)
ボーダー

 12時前に山の下で、バスは止まり、1時間ほど待機していた。何のための待機だったのか、1時過ぎにバスは動き出した。乗客からは拍手が巻き起こっていた。僕も、軽く手を叩いておいた。
 
 国境に着いたのは2時頃で、国境を出発したのは5時過ぎだった。時間が、かなりかかる。そこからメンドーサまでは、もう日が沈んでいて、真っ暗な道をひた走る。
 8時半にメンドーサに到着した。僕が持っている乗り継ぎのチケットは8時だ。乗り継ぎに間に合ってない、じゃないか。
 僕が、窓口に並ぶと、カウンターの人は、露骨に嫌な顔をしながら、時間を変更してくれた。22時発のバスに乗って、ブエノスアイレスへと向かった。
 寝る前にチョコパイが1つ配られ、朝到着の前にチョコパイがもう一つ配られた。アルゼンチン人の主食はチョコパイなのかと、本気で心配した。

 11時頃から、街並みが一気に都会になり、12時半にブエノスアイレスに到着した。
良く晴れた、温かい日だった。チリがずっと寒かったから、それだけでも嬉しい。

サンチアゴ
パブリックビューイング

 バス停の柱にでもTHE BLUE HEARTS と記しておきたくなるような、そんな、「青空」だった。

サンチアゴ (4)
ブエノスアイレス

それでは、皆さん良い日々を!
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バルパライソ

07 11, 2010 | チリ

2 Comments
バルパライソ

 僕が汐見荘で、しなだれていた3日目の夜、2人、ハルさんミユキさんがやってきた。僕は思わず、ばあさん!と声をあげそうになった。
 その日、僕は1人で市場に向かい、ムール貝とホタテを買い、1人でホタテを網で焼いて、ムール貝でパスタを作って食べた。一言も喋らずに食べて、一言も喋らずに片付けを終えた、その時だった。
2人は、チェックインを済ますと買い物に出かけた。僕はそわそわと居間で待っていた。いつもなら、もう布団にチェックインしている時間だ。

 2人が、ワインとビールと少しのお菓子などを買って帰って来た。少し話をして、明日の朝、市場に行こうと約束して眠りに着いた。
 いつもより、布団が温かく感じられる。何てたって明日は、海鮮パーティーだ。もちろん僕は、いつものように、ばあさん(海鮮パーティー)や・・・、と呟いて眠りに着いた。

 翌日、普段よりも少し早起きをした。2人が起きだして来て、準備をしている。僕らは3人で市場へと向かった。
 30分と少し歩いた頃、市場が見えた。その日の空は、僕の心とは裏腹に、どんよりと暗い。僕らは市場をうろうろ、うろついて、ホタテとアサリと白身魚を購入した。

baruparaiso (3)
市場

 宿に戻り、早速ごはんに取りかかる。もうお昼を過ぎていたが、メニューは白米とみそ汁と焼き魚だ。僕は少し勘違いしていたのかもしれない。僕が欲しかったのは、海鮮パーティーではなくて、ぬくもりだったのだ。
 その、日本の朝食としか思えないメニューは、決して海鮮パーティーでは、ない。でも温かくて、美味しくて、笑顔がこぼれた。誰かと食べるごはんは、こんなにも美味しい。
 
baruparaiso (4)


 翌日、僕らはパルパライソという、隣町へと出掛けた。この町は、曲がりなりにも世界遺産なのだ。
 昼過ぎに、坂道を下り駅へと向かい、電車に乗る。昨日、30分かけて歩いた市場を、電車はすぐに追い越して、15分程で、パルパライソに到着した。
 今日も天気は、良くない。

baruparaiso (5)


 バルパライソは、急な斜面に多くの建築物や家屋が建ち並んでいる。つまり、坂が多い。僕らは、アセンソールというケーブルカーのようなものに乗った。傾斜が50度近いような所をアセンソールは上っていく。アセンソールを降りて、そこから更に町を上った。

baruparaiso (6)
アセンソール


 坂道の傾斜は急だった。寒いかもしれない、と着込んだ服が、暑くて仕方ない。少し坂を上った所に一匹のイカした犬がいた。
 先に言っておくと、このイカした犬が、バルパライソで一番鮮烈で、一番イカしていた。

 僕らは、坂をかなり上った。この町は、チリで一番治安が悪いらしい。確かに、流れる空気は荒んでいた。僕はそう感じた。
 あちこちに落書きがあり、野良犬がエサを探しまわり、犬のフンがあちこちに転がっている。ついでに言うと、多くの家に番犬がおり、執拗に吠えてくる。

 坂は、きっとまだ上に続いているけれど、僕らは海がよく見える場所で、坂道を下り始めた。何度も番犬に吠えられながら。

baruparaiso (2)

baruparaiso (1)

 
 また、電車に乗って、ビーニャ・デル・マルに帰り、3人でご飯を食べた。結局思い描いた海鮮パーティーはしなかった、のだけれど、僕は充分に満たされていたし、充分に楽しかった。

 翌朝、僕は2人にお礼を言い、台風みたいな風が吹く中アルゼンチンに向かう為、サンチャゴに向かった。2人に散々アルゼンチンの肉の話を吹きこまれた僕の頭の中には、牛肉パーティーの7文字が躍っていた(進歩なし!)。

baruparaiso.jpg
イカした犬。

 それでは、皆さん良い日々を!

ビーニャ・デル・マル

07 09, 2010 | チリ

4 Comments
ビーニャ・デル・マル

 イースター島を、出て3時間。見渡す限りに海で、周りに陸地はしばらく見えない。チリ本土での夕暮れの時刻、イースター島の時間に合わせていた僕の時計はまだ4時過ぎを指していた。空に浮かぶ雲が所どころ真っ赤に染まっている。赤く染まった雲は、まるでその雲だけ燃えているようでもあった。

ビーニャデルマル
イースター島
ビーニャデルマル (1)


 飛行機が物凄いスピードで、雲から遠ざかっている筈なのに、少しずつしか燃えている雲からの距離は離れない。燃えるような赤い色をした雲は、静かに夜の闇に紛れて、見えなくなった。

 サンチャゴに着いたのは、夜の8時だった。僕は、また得意の空港泊をすることにした。空港の中は、妙に静かで寒い。明け方明るくなるのを待って、うたた寝を繰り返していたら、8時を過ぎていた。
 僕は、賑わいを取り戻している空港を出て、バスに乗ってバスターミナルへと向かう。サンチャゴバスターミナルからビーニャ・デル・マルという海岸線沿いの町へと向かう。2時間程かかるが、僕はすぐさま眠りについて目が覚めた時には、もうビーニャ・デル・マルの街中にいた。
 ここ、ビーニャ・デル・マルには、日本人宿があり、そこでは市場で海鮮を買い込んで、毎晩のように海鮮バーティーが開かれている、という情報を聞いていたのだ。海鮮なんて、いつぶりだろうか。もう思い出せない。多分それ程、昔の話だ。

 僕は、乗合タクシーに乗って、日本人宿(汐見荘)に向かった。外観はまったくもって普通の住宅地で、番地を知らなかったら間違いなくたどり着けない。
 インターホーンを押して中に入り、チェックインを済ました。宿の説明を受けるが、どうもおかしい。人の気配がない。
 どうやら宿泊客は僕だけのようだ。僕だけの・・・。

ビーニャデルマル (2)
ビーニャ・デル・マル

 それからの3日間は、まるで長いこと連れ合ったおばあさんを亡くしたおじいさんのような生活を送っていた。
 ここビーニャ・デル・マルはとても寒くて、宿の中も、もれなく寒い。朝8時ごろに一度目覚めて、でも寒過ぎて、もう一度布団をかぶり直す。9時40分に起きて、布団をから出る。本当なら、8時には、朝食ですよ、とばあさんが起こしてくれる。

 1人でテレビを付けて、昨日買っておいたパンを食べて、お茶(紅茶)をすする。満たされない心とは裏腹に、お腹はすぐにいっぱいになる。
 ぼーっと過ごしていると、気付けば、お昼を過ぎていて、買い物に行かないとシエスタ(お昼休み)でスーパーも八百屋も閉まってしまうと、黒のコート(茶色のダウン)を羽織り、帽子(実際にはない)を被って、玄関に置いてある杖(I pod)を持ち、坂道を慎重に下る。急な階段が続き、行きはいいが帰りが辛いのだ、とぼそぼそと呟きながらその階段を一段ずつ下る。スーパーで、適当に食材を買って、パン屋に寄る。パンを二つばかり買って、来た道を戻る。階段をまた一段ずつ上り、登り切った時にはもう息が切れて、肩で息をしている。

ビーニャデルマル (3)
行きつけのパン屋

 家に着いたら、またテレビを付けて、お昼ごはんの準備をして1人で食べる。洗い物を終えたら、また少しぼーっとしてから、ばあさん(イースター島)の思い出をノート(パソコン)に書いて、写真(アップしたブログ)を見返す。それから、知り合いに手紙(イーメール)を書いて、近くのポストに投函(送信ボタンを押す)する。それを終えると、筆とノートをそっと茶だんす(パソコンケース)にしまう。

 夕暮れが近づいて来て、少し外に散歩に出かける。海を眺めて帰りにまた、パン屋に寄って明日の朝のパンを買って、帰る。

ビーニャデルマル (4)
この先にイースター島があるのかなぁ。

 晩ご飯を作って、食べて、早々に寝室の布団の中に入る。そして、眠くなるまで本を読み、眠る間際に、私はこう呟くのだ。

 ばあさん(海鮮パーティー)や・・・と。

ビーニャデルマル (5)


 それでは、皆さん良い日々を!

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