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デリー

04 08, 2010 | インド

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デリー

 今日、フィンランドは、雪がちらいています。
 
アジアを旅しているとき、僕が雨を見たのは、2回だ。2回とも、ラオスだった。明け方から、9時頃まで、しとしとと雨が降り、9時を過ぎた辺りから、雨は身を引いて、太陽が姿を現す。そんな雨と2回出会っただけだった。
フィンランドは今日も、冬の空をしていて雲は低く、白い雪を降らしている。1歩外に出ると、吐く息は白く、クリスマスでも近いんじゃないか、なんて思ってしまう。
インドでは、今も茶色い埃が町中に降り注いでいるのだろうな。

デリー (1)

デリー
メインバザール

 インド、ニューデリー駅に到着し、プラットホーム16番に降り立った。出口を探して、出た場所は、目的地とは、逆方向。めた、長い駅を戻り、プラットホーム1番を目指す。そこから、Main bazaarに入り、宿を探す。
そこそこの宿にチェックインし、クーラーの風に当たる。今は、思い出すだけでも寒い行為だ。朝ご飯を食べて、外に繰り出した。
 あたりには埃が立ち込めている。どこもかしこも工事中。これが、発展というやつなのかな。埃を巻き上げて、あらゆるコンクリートを剥がしている。
 デリーの中心地コンノートプレイスへ向かった。マクドナルドやLevi’s、Reebokなどが立ち並び、遠くには、高層ビルも見える。
 都会は都会だが、インドらしさがあちらこちらに溢れている。
 
 そして、噂に聞いていた耳かきおじさんが、到る所にいる。耳かき耳かきと、うるさいし、しつこい。変な赤い帽子を被り、その帽子と頭の隙間に耳かき(綿棒風)を刺している。一目瞭然だ。近づいてきて、「耳かき、耳かき、耳見して、見るだけ無料」とやたらと、しつこい。僕はどちらかと言うと、その頭文字が全部、「ミ」であることが気になって仕方がなかった。

デリー (3)
耳かきおじさん
 
 パリカバザールに入ると、肩をグーっと掴んで離さない輩が、うようよいる。僕が一番声をかけられたのは、リムーバブルディスクの売店のおっさんだ。そんなに、リムーバブルディスクが欲しそうに見えたのだろうか。電気屋の前を通るたびに「USB、USB」と駆け寄ってくる。
 インドのリムーバブルディスクはすごい。最大で、128Gという容量のものが置いてある。あのサイズで128Gが本当だったら、ちょっと欲しい。実際は何ギガなのかがすごく気になる。買えば良かったな。

 最後に“インドらしさ”を体験し、満足した僕は宿へと帰った。

 人口10億人を超えるこのでかい国。これから、どんな風にどんなスピードで発展していくのだろうか。あらゆるところで、工事が行われ、コンクリートは剥がされ、到る所で、重機の音が響き渡っている。埃なのか、なんなのか、インドの、臭いがする。

デリー (2)
工事だらけ。
デリー (4)
 
 そんなことを思い出しながら、僕はダウンジャケットのポケットに手を突っ込み、フィンランドの寒空の下をとぼとぼと、歩いている。

DSC_0148sweu.jpg


それでは、皆さん良い日々を!
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卒業

04 04, 2010 | インド

4 Comments
卒業式

 昨日、ASHA(アーシャ)の学生たちが卒業式を終えて、3分の2くらいが、ジープに揺られて、あの町を出て行った。
 見送る人も、見送られる人も、はにかんだような顔をして、それでいて、見送る人の方が泣いていて、何かいいよな、そんな風に思う。

 何か、羨ましくなった。

 旅立ったのは、ミャンマーの学生4人とインドの学生が2人。ティ・オというミャンマーの学生(40歳)に、ミャンマーに来てくれよな、なんて言われて、でもティ・オの家が、ミャンマーの首都ヤンゴンからバスで6日、そのあと3日歩いて行かないと辿り着けない場所だってことを、僕は知っている。
 もちろん、行きたいとは、思う。その道に、バスか電車が通ったら・・・。

 卒業式は、本当にこじんまりしたものだった。お祈りをして、賛美歌を歌って、スピーチを少し聞いて、卒業証書を授与して、また歌って、お祈りをする。
 11人の卒業生の歌声は、小さいホールに響き渡った。

 僕も昨日、アラハバードを出てデリーへやってきた。明日には、この暑い暑いインドと、お別れだ。今日のインドはきっと42℃位ある。
 フィンランドに行くのは楽しみでは、ある。それでも、朝6時過ぎに起きて(起きれたら)、畑に行く。そして、朝ごはんの時にしか出ないチャイに、糖分摂取を依存して、 昼も夜も、大体カレー味のカレーを食べる。その日々が、既に懐かしい。1つの所に長居すると、そういうことになるんだな。

 何故だろうか、本当に朝のチャイが楽しみで仕方がなかった。

卒業

卒業 (1)


 アラハバードで、学んだ事は、沢山ある。
皆さんは、知っていますか?インドの農村では、牛糞を乾燥さして燃料にしていることを。 知っていますか?牛糞を村人たちは、素手で掴んでいることを。
子供たちの多くは、裸足で駆け回っていることを。
村人は、写真が好きだってことを。
家は、暑くならないように、土壁で、中は薄暗い洞窟のようになっていることを。
それでいて、みんな笑顔が素敵だってことを。

 僕は、それを知ったのか、学んだのか、いや感じた、これが一番近い。

卒業 (3)

卒業 (4)

卒業 (6)


 アラハバードにいる間、僕はサンダルを履き続けた。昨日、久し振りに履いた靴が、妙にしっくりこなかったりする。 
 3週間というのは、そういう期間だ。本当に、お世話になりました。

 1年休学中の僕は、こうやって、大学の同級生たちを見送るのかと思うと、また、寂しくもなる。

 ここから、今度はヨーロッパを駆け抜けるように、急ぎ足での移動になる。休養と糖分はしっかり、取った。そして、デリーでは、クーラー付きのいい部屋を、取った。
 部屋から出たくなくなるが、最後のインドを見に行こうかな。

卒業 (2)
学生さんたち。みなさん、良い人生を。

 それでは、みなさん良い日々を!

ASHA

04 01, 2010 | インド

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ASHA

僕が、ここアラハバードに来て、もうすぐ3週間が経ちます。そして、3週間が経てば、僕はここを出て、ヨーロッパへ向かいます。旅立ちは、近い。

ASHA.jpg


 1週間近くいたヒトシ君も、アラハバードを出て次の街へ。ここアラハバード大学の卒業も近く、みんな忙しそうに、している。もう、村へ行くことも減り、僕はオフィスで作業をしている。
 それにしても、インドの暑さは尋常ではない。少し外を歩いていると、鼻血が飛び出してくる。すぐにのぼせてしまうのだ。これから、更に気温が10℃近く上がるという。それはもう、僕の想像の範囲を超えている。今でも、暑くて体調が悪くなりそうだと言うのに。

 話しは、少し変わる。この「ASHA アジアの農民とともに歩む会」のASHAというのは、ヒンディー語で、「希望」という意味なのだ、と聞いた。

ASHA (2)

ASHA (4)

  
 そのとき、僕は、思いだした。この旅に出る前、僕がバイトに明け暮れていた時のことを。早いときは、夕方3時にバイト先に入り、遅い時は朝の5時、6時まで働く。つまり居酒屋だ。早上がりのときは、11時に仕事を終えて、家路に着く。終電間近の電車に乗り込み、油の匂いが染み込んだ制服を膝の上に置き、音楽を聴く。
真っ暗な家に着き、自分の部屋へと向かう。夜型人間になってしまった僕は、もう12時なんかには眠れなかった。お風呂に入り、眠くなるまで本を読んだり、パソコンに向かう。僕の家は、田舎にある。外は真っ暗、家も真っ暗だ。
 
 ごそごそと、部屋を出てトイレに向かう。そのときに、キッチンを、いやそんなオシャレなものではないな。台所を通り、台所の電気を付けて、居間を通って玄関口にあるトイレに向かう。用を足して、部屋に帰る。

 そのとき、僕はふと思う。帰りは、明るいな、と。当たり前のことでしかない。光が、後ろにあるとき、前は暗い。自分の体が壁になり、尚更目の前は暗い。でも、帰り道は、台所の光を目指し、そこを通り、部屋へ向かう。もちろん、部屋の電気は付いているし、部屋のドアは少し開けてきている。そこへ向かうだけだ。
 もう1つ言えば、光は曲がらない。台所を通り、僕は居間を右に向かう。光は、居間にあるテレビに向かって真っ直ぐに伸びている。トイレの方を指し示してはくれない。
 僕の家を分らない人には、すごく分かりにくい話だ。

 ただ、僕が言いたかったのは、トイレの帰り道、そのときに僕は、いつも台所の濁った光に希望を見ていた、ということだ。

 僕の進む道に、この道の先に光がある。これが重要だ。灯台は、決して陸の者のためにあるのではない。海を彷徨う者の為にあるのだ。

 僕が、バイトに明け暮れていられたのも、その先にあるはずの世界一周が僕に、灯台のように光を指し示していてくれたからだ。
 例え、どんなに過去に輝かしい出来事があっても、どんなに大きな光があっても、その道を一歩、右に曲がるだけで、その光は、この道の先を照らしてはくれない。真っ暗な道で、地図も見えないなら、人は道に迷ってしまうのではないだろうか。

 前にある、希望が僕を動かしてくれている。今の僕への希望は、世界遺産でも南米大陸でもない。きっとそれは、日本にいる家族や友人知人、それに暖かい味噌汁、なのかもしれない。

 ここ、インドの農村に暮らす人々を、射し照らしている希望は、何なのだろうか。あの、農村で見た笑顔の子ども達や農民が、道に迷わないように「ASHA」は今日も頑張ってんのかな。僕は、そんな風に思う。

ASHA (1)
太陽は、でっかい希望だな。

ASHA (3)
僕は、今日も、味噌汁を求めて旅を続ける。

それでは、みなさん良い日々を!

アーグラ

03 30, 2010 | インド

4 Comments
アーグラ

 休みを利用して、アーグラに行って参りました。

 夜11時半の列車で、僕はアーグラに向かう。横のおじさんが、やたらとフレンドリーだ。どこに行くんだ、と聞くから、アーグラだ、と言った。おじさんは、俺もアーグラだ、と言う。アーグラに家があるんだ、と。そして朝6時、僕が目覚めるとおじさんはいなかった。何の為の嘘だったんだ。そりゃもう、おじさんがいないから、アーグラを通り過ぎたかと思って、一瞬、へっ!?っていう恥ずかしい顔をしてしまった。

 朝6時40分、アーグラ駅に到着。この時間に到着しても、僕の目的はタージ・マハル、ただ1つ。時間があまりにあまっている。とりあえず、歩きだした。リクシャーのおやじたちはしつこいが、もう大して気にならない。
 標識を見ると、タージ・マハルまで10km。遠いなと思うが、今からリクシャーで行ったら、多分7時には、辿り着く。開園は、8時だ。それはそれで、間抜けだ。
 僕は、ゆっくりと歩いた。横を、リクシャーに乗ったインド人がどんどん駆け抜けていく。歩いている人なんて、誰も、いない。僕がダントツ№1で、ケチだ。50ルピー(100円)すらケチってしまう。昨日予約した、フィンランドの宿代2520円が頭をよぎる。しかし、日本円換算はよくない。その国の感覚に身を置かなくては、お金はすぐになくなってしまう。50ルピーと言えば、インドでは屋台でヤキソバとチャーハンが食べられるのだもの。

 朝の街は涼しく、歩きやすい。ゆっくり歩いてみないと、見えないものがある。いや、今回に限っては大して何もなかったのだが・・・。

ta-jimaharu (1)
左端の彼は、どこに座っているのだろうか・・・。

 8時半頃、タージ・マハルの入口への入口のような所に辿り着いた。そこに入ると、ラクダが歩いていた。僕は、間違いないと確信した。ラクダがいたら、間違いない。馬がいるより、間違いない。ラクダは、お漏らし防止の為か、オムツをしていた。
 ラクダってそう言えば、初めて見たかもしれない。初めは、一瞬何か分からなかった。背の高い馬、ではなく、ラクダだ!と、興奮した。しかも、オムツ付きなんて、大変レアじゃないか。

ta-jimaharu (2)
オムツラクダ。じゃあ道路にたくさん落ちている、糞は何だ。

 ここ、タージ・マハルは色んなものが持ち込み禁止である。そのため、ロッカーに荷物を預けなくてはいけない。ロッカーに荷物を預け、カメラと財布のみ持ち、いざタージ・マハルへと向かった、筈だった。しかし、歩けど歩けど、入口が見当たらない。しばらく、歩いていると、アーグラ城が遠くに見える。そこで、気付いた、逆だ!と。なんとも、微妙に方向音痴なのがたまに傷だ。入口の入口を真っすぐ行くと、左ロッカーという看板がある。しかし、しかしだ、右タージ・マハルとは書いてない。それはもう、ロッカーの方向にひた進む結果になるとは思いませんか。そうですか、思いませんね。

 タージ・マハルの入口にやっと到着。インド人20ルピー、外国人750ルピーのチケットを購入し、行列に身を任す。しばらくすると、検問まで到着。カメラケースからズボンのポケットまで、調べられて、ようやく辿り着いた。

 大きな門に入ると、真正面にでかいでかい、タージ・マハルが姿を現す。確かに、ラクダが似合うな、最初にそんなことに思いを馳せてしまった。

ta-jimaharu (3)
ぼんやり見える。

 確かに、それは美しかった。雲一つない空に、白いタージ・マハルがそびえ立つ。綺麗な装飾が到る所に施されている。
 タージ・マハルは白く、太陽を目一杯反射し、直視しているのが少し辛い。そのせいか、おかげかタージ・マハルは何だか、ぼんやりと見える。
砂漠で、歩き疲れた人が、砂漠にオアシスを見るように、僕は、歩き疲れたアーグラにタージ・マハルを見る。そんな気分だ。

ta-jimaharu (4)

ta-jimaharu (6)
タージ・マハルから、モスクへ。

 ただ、これは水が出るわけではなく、もちろん、パッションフルーツジュースが出てくる訳でもない。ただの墓だ。
 
 タージ・マハルを後にして、お昼ごはんを食べて、ひと休みし、ガイドブックをむさぼり読んだ。しかし、行きたい場所1つもなく、僕は駅に向かった。朝は涼しかったから良いものの、昼間は干乾びそうなくらいに暑い。リクシャーに乗ればいいのだが、僕が乗る列車は夜9時40分だ。今は12時半。歩いていくしか、僕には選択肢がないのだ。50ルピーをケチってしまうのだから・・・。
 なんとか、命からがら駅に辿り着き、コーラを飲み、水を飲みほした。占めて34ルピーだ。そして、そのあとマンゴージュースを豪快に飲み干した。56ルピーの出費だ。いや、しかし歩いたからこそ、これだけ美味く感じることが出来る。歩いていなかったら、多分こんなにも、飲まなかっただろう。

 約9時間、僕は駅で待ち続けた。寝汗をかきながら、横のおじさんに何度ももたれ掛かるという、大変気まずい状況をくぐり抜け、アーグラ観光は幕を閉じた。
 
ta-jimaharu.jpg
プラットホーム

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 それでは、みなさん良い日々を! 

ナマステ!

03 28, 2010 | インド

5 Comments
ナマステ

 アラハバードに来てから、もう2週間が経とうとしています。この2週間の中で、温度は上り、風に舞う砂が増えました。今日も砂は、風に乗って僕の部屋へと舞い込んで、僕の目の中まで侵入してくるようになりました。

 アラハバードに、1人の日本人が訪れた。長髪に髭。もちろん僕は、敬語でご挨拶。渡された名刺には、大学1年生と記されている。「おいくつですか?」と尋ねた。彼は、「19です」と笑った。敬語なんて、全然使わないで下さい、とも言った。僕は、わかりました。頑張ります、と言ってみた。それから、4日が経つ。僕は、もちろん敬語で話し続けている。
 ヒトシ君(長髪と髭の彼)が来た次の日、3人の日本人が訪ねて来た。彼らも大学生。大学2年生が2人と、院生が1人。僕は、もちろん全員に敬語で話している。旅に出てからからなのか、もう敬語が抜けない。タメ口が使えなくなりそうだ。

 でも、久しぶりの若者に僕は、興奮で鼻息を荒くしていた。ヒトシ君と出会った日の夜も、かなり話した。同年代というのは、面白いものだな、と感じた。
 しばらく、アラハバード大学で村へ同行したり、オフィスで作業をしていると、自分の気持ちを話すことが少なくなってたんだなぁ、と実感。

 学生4人はみんな、国際協力などに興味があって、ここに来たようだ。村に行ってもしっかりメモを取っている。僕は1人、写真を撮っていた。
 
namaste (5)
カンジャサ村
namaste.jpg


 5人でカンジャサ村に行ったとき、僕らはある家に招待された。そこに座っていると、横のお兄さんが、手に彫ったタトゥーをしきりに見せてくる。・・・ハートだ。顔が近いし・・・。
 インドはゲイが多いようだ。夜(昼も)なんか歩いていると、手を繋いで歩いているおっさんも多い。普通の男女が手を繋いでいるシーンを見ることは、あまりない。ゲイを軽くあしらい、ハルディー村へ向かい、学校の授業参観をした。
 

 子どもたちは、20人程度だ。僕らが訪れると、一斉に立ち上がり、「ナマステー」と手を合わせる。僕らも「ナマステ」と手を合わせた。この、挨拶のときに手を合わせる、という行為が、僕はすごく不思議に思う。日本でこんにちは、と言う時、手は合わせない。はじめまして、と言うとき僕らは握手をする。西洋人はハグをする。人は、お祈りの時、手を合わせる。この間、いのり、というブログを書いた時に、祈りは感謝です、と姉からメッセージが来たこと思い出した。
 祈りは感謝です。


 namaste (4)
なますてー! 
 
 ナマステは、挨拶であると同時に祈りである、ような気がした。
 
 祈りは感謝です。

 僕らは、ごはんを食べる時にも手を合わせる。「いただきます」と言いながら。祈りは、感謝で、合掌も、感謝だ。僕はそんなことを思っていた。

 子どもたちは、かわいい青い制服を着ている。床に布を敷いて、みんなそこに座っていた。お尻のやわかい僕は、すぐにお尻が痛くなりそうだな。それか、硬くなるのかな、お尻って。
 ヒンディー語(国語)の授業のようで、1人が音読し、みんなが後に続く。こうやって、学んでいる子どもがいて、同じ村でも、学校に行かない子どもは、多い。いや、そういう子どもの方が多い。
 
namaste (2)
ヒンディー文字って難しい・・・。
namaste (3)

 見学を終えて、僕らはまたジープに乗り込んだ。

 翌日、3人で来た、黒木君・阿部君・徳さんは2日だけの滞在で、嵐のように去っていった。僕も本当は、いつもそうなんだな、と思う。いつも移動して、新しい街に着いてもやることがなくなれば、移動する。2泊、3泊でその街を後にする。その街の人には、誰にも見送ってはもらえない。1人でバックパックを背負い直して、次の街を、目指す。
 でも、今回の僕は違う。何度も村へ行き、村の子どもたちは、いつも僕を見送ってくれる。そして、たまに来る来客者を、僕は見送る。まるで、ここに住んでいるような感覚にもなる。それもそろそろ終わりだな。僕の旅立ちも近づいて来たんだから。

namaste (1)
みなさんに合えて感謝です。
 
ここを、出るときはもちろん、ナマステと手を合わせるつもりだ。
 
 それでは、みなさん良い日々を!

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