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アーグラ

03 30, 2010 | インド

4 Comments
アーグラ

 休みを利用して、アーグラに行って参りました。

 夜11時半の列車で、僕はアーグラに向かう。横のおじさんが、やたらとフレンドリーだ。どこに行くんだ、と聞くから、アーグラだ、と言った。おじさんは、俺もアーグラだ、と言う。アーグラに家があるんだ、と。そして朝6時、僕が目覚めるとおじさんはいなかった。何の為の嘘だったんだ。そりゃもう、おじさんがいないから、アーグラを通り過ぎたかと思って、一瞬、へっ!?っていう恥ずかしい顔をしてしまった。

 朝6時40分、アーグラ駅に到着。この時間に到着しても、僕の目的はタージ・マハル、ただ1つ。時間があまりにあまっている。とりあえず、歩きだした。リクシャーのおやじたちはしつこいが、もう大して気にならない。
 標識を見ると、タージ・マハルまで10km。遠いなと思うが、今からリクシャーで行ったら、多分7時には、辿り着く。開園は、8時だ。それはそれで、間抜けだ。
 僕は、ゆっくりと歩いた。横を、リクシャーに乗ったインド人がどんどん駆け抜けていく。歩いている人なんて、誰も、いない。僕がダントツ№1で、ケチだ。50ルピー(100円)すらケチってしまう。昨日予約した、フィンランドの宿代2520円が頭をよぎる。しかし、日本円換算はよくない。その国の感覚に身を置かなくては、お金はすぐになくなってしまう。50ルピーと言えば、インドでは屋台でヤキソバとチャーハンが食べられるのだもの。

 朝の街は涼しく、歩きやすい。ゆっくり歩いてみないと、見えないものがある。いや、今回に限っては大して何もなかったのだが・・・。

ta-jimaharu (1)
左端の彼は、どこに座っているのだろうか・・・。

 8時半頃、タージ・マハルの入口への入口のような所に辿り着いた。そこに入ると、ラクダが歩いていた。僕は、間違いないと確信した。ラクダがいたら、間違いない。馬がいるより、間違いない。ラクダは、お漏らし防止の為か、オムツをしていた。
 ラクダってそう言えば、初めて見たかもしれない。初めは、一瞬何か分からなかった。背の高い馬、ではなく、ラクダだ!と、興奮した。しかも、オムツ付きなんて、大変レアじゃないか。

ta-jimaharu (2)
オムツラクダ。じゃあ道路にたくさん落ちている、糞は何だ。

 ここ、タージ・マハルは色んなものが持ち込み禁止である。そのため、ロッカーに荷物を預けなくてはいけない。ロッカーに荷物を預け、カメラと財布のみ持ち、いざタージ・マハルへと向かった、筈だった。しかし、歩けど歩けど、入口が見当たらない。しばらく、歩いていると、アーグラ城が遠くに見える。そこで、気付いた、逆だ!と。なんとも、微妙に方向音痴なのがたまに傷だ。入口の入口を真っすぐ行くと、左ロッカーという看板がある。しかし、しかしだ、右タージ・マハルとは書いてない。それはもう、ロッカーの方向にひた進む結果になるとは思いませんか。そうですか、思いませんね。

 タージ・マハルの入口にやっと到着。インド人20ルピー、外国人750ルピーのチケットを購入し、行列に身を任す。しばらくすると、検問まで到着。カメラケースからズボンのポケットまで、調べられて、ようやく辿り着いた。

 大きな門に入ると、真正面にでかいでかい、タージ・マハルが姿を現す。確かに、ラクダが似合うな、最初にそんなことに思いを馳せてしまった。

ta-jimaharu (3)
ぼんやり見える。

 確かに、それは美しかった。雲一つない空に、白いタージ・マハルがそびえ立つ。綺麗な装飾が到る所に施されている。
 タージ・マハルは白く、太陽を目一杯反射し、直視しているのが少し辛い。そのせいか、おかげかタージ・マハルは何だか、ぼんやりと見える。
砂漠で、歩き疲れた人が、砂漠にオアシスを見るように、僕は、歩き疲れたアーグラにタージ・マハルを見る。そんな気分だ。

ta-jimaharu (4)

ta-jimaharu (6)
タージ・マハルから、モスクへ。

 ただ、これは水が出るわけではなく、もちろん、パッションフルーツジュースが出てくる訳でもない。ただの墓だ。
 
 タージ・マハルを後にして、お昼ごはんを食べて、ひと休みし、ガイドブックをむさぼり読んだ。しかし、行きたい場所1つもなく、僕は駅に向かった。朝は涼しかったから良いものの、昼間は干乾びそうなくらいに暑い。リクシャーに乗ればいいのだが、僕が乗る列車は夜9時40分だ。今は12時半。歩いていくしか、僕には選択肢がないのだ。50ルピーをケチってしまうのだから・・・。
 なんとか、命からがら駅に辿り着き、コーラを飲み、水を飲みほした。占めて34ルピーだ。そして、そのあとマンゴージュースを豪快に飲み干した。56ルピーの出費だ。いや、しかし歩いたからこそ、これだけ美味く感じることが出来る。歩いていなかったら、多分こんなにも、飲まなかっただろう。

 約9時間、僕は駅で待ち続けた。寝汗をかきながら、横のおじさんに何度ももたれ掛かるという、大変気まずい状況をくぐり抜け、アーグラ観光は幕を閉じた。
 
ta-jimaharu.jpg
プラットホーム

ta-jimaharu (7)

 それでは、みなさん良い日々を! 
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ナマステ!

03 28, 2010 | インド

5 Comments
ナマステ

 アラハバードに来てから、もう2週間が経とうとしています。この2週間の中で、温度は上り、風に舞う砂が増えました。今日も砂は、風に乗って僕の部屋へと舞い込んで、僕の目の中まで侵入してくるようになりました。

 アラハバードに、1人の日本人が訪れた。長髪に髭。もちろん僕は、敬語でご挨拶。渡された名刺には、大学1年生と記されている。「おいくつですか?」と尋ねた。彼は、「19です」と笑った。敬語なんて、全然使わないで下さい、とも言った。僕は、わかりました。頑張ります、と言ってみた。それから、4日が経つ。僕は、もちろん敬語で話し続けている。
 ヒトシ君(長髪と髭の彼)が来た次の日、3人の日本人が訪ねて来た。彼らも大学生。大学2年生が2人と、院生が1人。僕は、もちろん全員に敬語で話している。旅に出てからからなのか、もう敬語が抜けない。タメ口が使えなくなりそうだ。

 でも、久しぶりの若者に僕は、興奮で鼻息を荒くしていた。ヒトシ君と出会った日の夜も、かなり話した。同年代というのは、面白いものだな、と感じた。
 しばらく、アラハバード大学で村へ同行したり、オフィスで作業をしていると、自分の気持ちを話すことが少なくなってたんだなぁ、と実感。

 学生4人はみんな、国際協力などに興味があって、ここに来たようだ。村に行ってもしっかりメモを取っている。僕は1人、写真を撮っていた。
 
namaste (5)
カンジャサ村
namaste.jpg


 5人でカンジャサ村に行ったとき、僕らはある家に招待された。そこに座っていると、横のお兄さんが、手に彫ったタトゥーをしきりに見せてくる。・・・ハートだ。顔が近いし・・・。
 インドはゲイが多いようだ。夜(昼も)なんか歩いていると、手を繋いで歩いているおっさんも多い。普通の男女が手を繋いでいるシーンを見ることは、あまりない。ゲイを軽くあしらい、ハルディー村へ向かい、学校の授業参観をした。
 

 子どもたちは、20人程度だ。僕らが訪れると、一斉に立ち上がり、「ナマステー」と手を合わせる。僕らも「ナマステ」と手を合わせた。この、挨拶のときに手を合わせる、という行為が、僕はすごく不思議に思う。日本でこんにちは、と言う時、手は合わせない。はじめまして、と言うとき僕らは握手をする。西洋人はハグをする。人は、お祈りの時、手を合わせる。この間、いのり、というブログを書いた時に、祈りは感謝です、と姉からメッセージが来たこと思い出した。
 祈りは感謝です。


 namaste (4)
なますてー! 
 
 ナマステは、挨拶であると同時に祈りである、ような気がした。
 
 祈りは感謝です。

 僕らは、ごはんを食べる時にも手を合わせる。「いただきます」と言いながら。祈りは、感謝で、合掌も、感謝だ。僕はそんなことを思っていた。

 子どもたちは、かわいい青い制服を着ている。床に布を敷いて、みんなそこに座っていた。お尻のやわかい僕は、すぐにお尻が痛くなりそうだな。それか、硬くなるのかな、お尻って。
 ヒンディー語(国語)の授業のようで、1人が音読し、みんなが後に続く。こうやって、学んでいる子どもがいて、同じ村でも、学校に行かない子どもは、多い。いや、そういう子どもの方が多い。
 
namaste (2)
ヒンディー文字って難しい・・・。
namaste (3)

 見学を終えて、僕らはまたジープに乗り込んだ。

 翌日、3人で来た、黒木君・阿部君・徳さんは2日だけの滞在で、嵐のように去っていった。僕も本当は、いつもそうなんだな、と思う。いつも移動して、新しい街に着いてもやることがなくなれば、移動する。2泊、3泊でその街を後にする。その街の人には、誰にも見送ってはもらえない。1人でバックパックを背負い直して、次の街を、目指す。
 でも、今回の僕は違う。何度も村へ行き、村の子どもたちは、いつも僕を見送ってくれる。そして、たまに来る来客者を、僕は見送る。まるで、ここに住んでいるような感覚にもなる。それもそろそろ終わりだな。僕の旅立ちも近づいて来たんだから。

namaste (1)
みなさんに合えて感謝です。
 
ここを、出るときはもちろん、ナマステと手を合わせるつもりだ。
 
 それでは、みなさん良い日々を!

陽炎

03 25, 2010 | インド

2 Comments
 陽炎

 インドは今日も、40℃を超えると思われる猛暑日です。太陽の日差しが、痛く感じられ、冷えた水に生命を依存しています。日本のファミレスに、行きたい。


 こないだ、JICAのインド事務局の次長の方が、ここアラハバードに遊びにやってきた。アラハバード観光に行くらしく、僕もそれに付いて行くことになった。僕は、アラハバードに来て、10日程経過していたが、村にしか行ったことがなかったのだ。

 最初に訪れたのは、マエダ村だ。ここもASHAがプロジェクトを行っている村である。この村では、日本米を作り、日本食レストランなどに出荷しているそうだ。この村には、テレビが何台あるのだろうか。一軒の家に、14インチ程の小さいテレビが一台置いてあった。村の女性たちが、そこに集まり、テレビを見ていた。白黒で、映りの悪いテレビをみんなで見ていた。嬉しそうに、照れくさそうに。
 僕から見れば、映りの悪い白黒のテレビを見ること、なんてなんの楽しみにもならない。もしかしたらストレスになるのかもしれない。それでも、嬉しそうにテレビを見ている女性たちが、ここにいる。

 戦後の日本もこんな感じだったのかな、そんな風に考えてしまう。一つの小さいテレビを皆で見る。それが、幸せなのかもしれない。例え、映りが悪くたって。
 その環境を、可哀そうだと思うのは、僕のエゴだ。だから、僕は思わない。幸せの形は、誰かに決められるものでも、押し付けられるものでもない。
 小さいテレビだって、いいじゃないか。

kagerou.jpg
君は、幸せかい。この子は多分そうやって聞いている。
DSC_0039.jpg
こいつは、かなり謎な少年。俺を撮ってくれ、って言うから水をバシャンとかぶると思いきや、チョロチョロチョロチョロ水を滴らしている。君は、何がしたいんだ。水も滴る良い男だよ!
 

 村を少し見て回り、次に訪れたのはAnand Bhawan(アナンド・バワン)という場所だ。ここは、インド初代大統領ネルーの生家だ。ここのゲストルームには、ガンディーがよく泊まりに来たらしい。全くの豪邸だ。
 博物館のようになっているAnand Bhawan。ガラス張りになっており、部屋の中には入れない。ガラスの外から、インド人がまじまじと中を眺めている。みんなが必死に覗きすぎて、ガラスはもう、鼻頭の皮脂がこびりついている。
 「ネルーの仕事部屋」などと書いてあり、インド人は興味津々のようだ。僕には、その姿を見ている方がよほど面白い。いや、正直に言うと、このときはお腹が痛くて「仕事部屋」どころでは、なかった。僕の今の仕事は、トイレに行き心にゆとりを得ることなのだ。
 
kagerou (1)

 Anand Bhawanを後にし(もちろん仕事は素早く遂行した)、KHOSROW BAGへと向かった。

 ここは、王様と王様の妹などのお墓がある。とても奇麗な造りをしていた。子どもたちは、まるでそこが運動場であるように、クリケットをしたり、走り回ったりしている。ここの子どもたちは、村の子どものように接してはいけない。写真を撮れば、お金を要求してくるし、「ジャパニー、ジャパニー」とうるさいのだ。
 子どもたちのことは、適度に無視しながら、お墓を眺める。王様のお墓は改装中なのか、修復中なのか、はたまた壊しているのか、判断がつかない程に、色々剥がされていた。JICAの次長の言葉を借りると、「インド人は修復と改装の違いをわかっていないからね。遺跡を奇麗にしてどうするんだよ」と仰られておられました。
 なるほど、もしかしたらこの墓は、ピカピカになるのかもな、そんなことを考えながら最後の目的地サンガムへと向かった。

kagerou (2)
そんなに、剥いだら、別物になりそうだ。
kagerou (3)


 サンガムとは、ヤムナ川とガンジス川の合流地点があり、その合流地点をサンガムという。ここは、ヒンドゥー教の聖地で、多くの巡礼者が訪れる。
 そこに、ヒンドゥー教でもない僕らが訪れた。周りを見渡すと、インド人ばかり。流石に、巡礼地だ。熱心なヒンドゥー教徒しかいないのかもしれない。
 
 ボートに乗り込み、合流地点サンガムを目指す。ヤムナ川の中腹までボートは漕ぎ出した。左手から、ゆるやかな流れの中に、ガンジス川が流れて来ていた。合流する、正にその場所は、深緑色したヤムナ川と、濃い茶色のガンジス川がぶつかる。それは、茶色に呑み込まれてガンジス川になる。そして、バラナシへと向かい、バングラディッシュまで注がれる。
 
 図ったように(もちろん時間は図ったのだが)夕日は、ヤムナ川の上流、橋の上に姿を落とした。人々は、嬉しそうに沐浴している。
 僕はと言えば、はしゃぐインド人の水しぶきが、こっちに飛んでこないかどうかを心配していた。幸せは、人それぞれ、なんだから。

kagerou (5)

kagerou (4)


 岸に戻り、20分。6時を少し回ったころ、夕日は陽炎のように、姿をぼんやりとさせながら、沈むではなく、消えた。

kagerou (6)

 それでは、皆さん良い日々を。
 

腰痛の理由

03 23, 2010 | インド

3 Comments
腰痛の理由

 ここ、インドは日を追うごとに暑さが増して、子どもたちは水の中に逃げ込む時間が増えているようです。

 今回も村の、話。

 いつも通り、ジープに揺られて1時間。インドの雑踏を抜けて、ハルディー村に近づいていく。村に近づくと、辺りは少しばかり静かになる。道の端には木があり、日陰を作っている。その向こう側には、小麦畑が広がっている。
 小麦畑が広がる、小さい道を入り少し走ると、村が現れる。小麦は、風に揺れている、ゆさゆさと。揺れる度に、小麦は色をかえていく。まるで、サッカーの試合で観客が起す、ビッグウェーブのように。
小麦や稲穂は、ビッグウェーブを巻き起こし、波が岸辺に打ち上げられる時の、白い部分を波の穂、という。そういうことか、と僕は納得する。

hurdy (7)
ビッグウェーブ!

 村に到着し、最初に目に入ったのは、小さい池の中で泳ぎ回る子どもたちだ。そして、池の端では、おじいさんが、漁でもしているのか、池を棒で突いている。
 僕が近づくと、子どもたちは池から飛び出し、1列に並んで背筋をピンと伸ばしている。写真を撮って欲しいんだな。僕はそう思い、カメラを向けた。僕が写真を撮り終えるまで、みんなはじっと、背筋を伸ばしている。
本当にかわいく思う。

hurdy (2)


 池を覗いてみると、その汚さに僕は驚いた。真っ茶色の池の中で、子どもたちは嬉しそうに泳ぎ回っているのだ。
 僕が、手を振り池を離れると、子どもたちはまた、泳ぎだす。


 今回このハルディー村にやってきたのは、Village Health Volunteerという子どもの健康診断などを行っているチームに付いてきたのだ。今日は、母親を集めて、母乳育児についてのミーティングを行うらようだ。
 母親たちの集まりは悪く、ゆっくりゆっくりと、集まってくる。

hurdy (4)


 僕が、村をうろうろしていると、子どもたちとの、鬼ゴッコが始まった。もちろん僕が提案したわけでも、望んだわけでもない。僕が、子どもたちに近づくと走って逃げ、僕が遠ざかると、走ってやってきて挑発して逃げる、という作戦を実行してきたのだ。僕は、時折本気で走ったり、のんびり走ったりしていた。
 僕は次の日、驚く程の腰痛に襲われた。階段を下るのは、もちろん1段ずつで、上りなんて、1段ずつですら痛いのだ。21歳の春、運動不足を実感した(ただ、ベッドの硬さも1つの要因の筈だ!)。

hurdy (6)
本気で走って逃げる。心まで鬼にしてやろうか!

 僕が戻ると、大きな木の下でミーティングが始まっていた。日なたはあんなにも暑いのに、木陰は、こんなにも涼しい。
 木の力は偉大だ。

 ミーティングも順調に進んでいるようで、あっと言う間にお昼を過ぎていた。ヒンディー語で繰り広げられるミーティングを僕は、何一つ理解出来なかった。
 ただ、子どもたちが写真を撮って欲しそうに、僕にウロウロ付いてくる。撮って見せる度に子どもたちは、ケラケラと笑う。僕はミーティングの邪魔をしてはいけないと思って、邪魔にならないところに移動を繰り返していた(駆け足で)。それもきっと腰痛の要因だ。

hurdy.jpg
一緒に行った、village health volunteerの孝子さん。

 ミーティングが終り、僕らは村を出た。村人が見送ってくれて、ジープが走りだした。小麦は相変わらず、ビッグウェーブを繰り返している。

 
hurdy (5)
アラハバードは今日も快晴。暑さは増して、僕の運動不足は加速しそうだ。


 それでは、みなさん良い日々を(腰は大事に)!

Village

03 20, 2010 | インド

7 Comments
 Village

 アラハバードに来て、早くも1週間が経ちました。

 ここ、「アーシャ アジアの農民と歩む会」では、農村に学校を作ったり、子ども達の健康診断や有機農業の普及事業、農村女性の地位向上など、多くのことをしている。

 僕も村に連れて行ってもらい、写真やビデオ撮影など微力ながらお手伝いをさして頂いている。はじめに行った村は、Badgoraha(バルゴナ)という村だった。
 道が悪く、ジープは飛び跳ねるように進んでいく。

DSC_02003432 (3)
バルゴナ村
DSC_02003432 (1)


 バルゴナ村には、真っすぐに1本の道が伸びている。その両側に畑が広がっており、家が建ち並んでいる。子ども達が自転車で僕の脇を通っていく。おじさんは、昼休みなのか、常にそうなのか家の軒先で座ってこちらを眺めている。
 1本道を歩いていると、右に左にと道が現れる。その小道を歩いていくと、公園のように木陰があり、トタン屋根の日よけがある。そこに、Free Schoolがあった。沢山の子どもたちが、青空の下でノートを開いて、楽しそうに笑っている。

 僕が、学校に近付くと子どもたちが立ち上がり、まるで、絶世の美女でも見るようにざわめいていた。先生が、それを制するように何か言い、子どもたちは、また元の場所に戻っていく。
 小道で遊んでいる子どももいるし、自転車に乗ってどこかに走り去る子もいる。学校は、あってないようなものなのかもしれない。
 それでも、子どもたちの笑い声は、天高く響きわたり、村は賑やかだ。

DSC_02003432 (5)
free schoolの子ども達。

 その後、MAKINO SCHOOLというアーシャが作っている学校に連れて行ってもらった。そこには、子どもが7人、黒板に向かって座っていた。
 ノートを開いて、先生に当てられたら、黒板に答えを書く。そのときは、算数の授業だった。子どもたちはしっかりと答えを書いていく。
 この学校はお金がかかる。1月50ルピー(100円)らしい。それが、安いのか高いのか、僕には正直わからない。
 
 それが払えずに学校に行けないのか、行かないのかも。

DSC_02003432 (6)
とても静かな学校。

 学校を後にし、僕が座っていると子どもたちが集まって来た。写真を撮ってほしいらしい。僕が写真を撮ると、皆一斉にカメラに集まってくる。写真を見せると、みんな嬉しそうに、きゃっきゃ言っている。何枚も何枚も撮っては見せて、その度にみんな嬉しそうに、笑う。こんな単純なことでみんな爆笑している。
 
DSC_02003432 (7)
元気に育て。

 そのうちおばさんも集まって来て、この子を撮ってくれ、と嬉しそうに言う。そして、ついでに自分も撮ってほしいといいながら、ボサボサの髪の毛を、櫛で梳いている。髪を梳かしたら、布を被り、スンとも笑わずにこちらを見つめている。布を被ったら、梳かした髪は見えないし、そんな真顔だと免許の写真みたいになっちゃうよ、そう言いたかった。
 実際に撮った写真は日陰も手伝って、かなり怖い感じになってしまった。それでも、それを見たおばさんや子ども達は、もちろん大爆笑だった。

DSC_02003432.jpg


 そのときは、写真っていいな、って本気で思った。言葉は伝わらないけど、一緒に笑える、その瞬間は、伝わった、そう思える。
 
 笑うのは、共有することで、苦笑いは、共有出来ないのを誤魔化すことのように思う。もっと多くの人と笑いたいな、そんな風に考えていたら、ジープからクラクションが聞こえた。帰るぞ、の合図だ。僕は、子どもたちに手を振り、下手くそな笑顔を送った。
 子どもたちは、みんな笑っている。みんな笑顔が上手いな。羨ましく思い、僕はもう一度手を振った。

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 それでは、皆さん良い日々を!

アラハバード

03 18, 2010 | インド

0 Comments
アラハバード

 僕は、今アラハバードにおります。
 
 蚊の大群を撃破した朝、僕はバラナシを出た。バックパックを背負って、メインストリートまで出ると、次はリキシャーの大群に囲まれた。彼らには多分、蚊取線香が効かない。そのぶん、蚊より厄介に感じるが、痒み成分を出さないので、無視して進む。強引なリキシャーおじさんは、もう値段とか関係なしに、「とりあえず座れ!」とシートを叩きながら言って来る。何故そんなに偉そうなのか、と不思議に思う。

DSC_1959112.jpg
バラナシの町並み(って語呂がいい)

 サイクルリクシャーに乗り、バス停へと向かう。サイクルリキシャーの座席は何故か驚く程、短い。25㎝くらいしかないのではないか、と思うほどだ。お尻に常に緊張感を走らせていないとずり落ちそうだ。
バス停に着くと、丁度おっさんが、「アラハバード、アラハバード!」と叫んでいる。僕は、無事バス乗り込む。席に着き、横に座っていたインド人に、「ビスケット食べる?」とビスケットを取り出すと、彼は「いいよ」と照れくさそうに笑った。僕は、そうか、といいながらビスケットを食べた。
1時間程走ったところで、休憩になり、横のインド人は出ていき、スナック菓子とspriteを片手に戻ってきた。そして、おもむろに「食え」、とスナック菓子をくれた。僕は「ありがとう」と言って、それを貰った。

 優しさは、ブーメランだ。

 いつか必ず、ブーメランは返ってくる。いや、ブーメランだとしたら、返ってきたブーメランを、自分で追いかけて、キャッチしなくちゃいけない。常に足元に返ってくるとは、限らないもんね。

 昼過ぎに、アラハバードに到着した。バスを降りようとすると、すでに、荷物をキャッチしようとリキシャー軍団が待ち構えている。
 なんて優しい人達なんだ。僕は、まるで外交に行った首相のように、手を振りながら降りようとしたが、バスの出口で右肩を強打し、それの痛みを隠すのに必死だった。
 

 そこからサイクルリキシャーに乗り、Allahabad Agricultural Insitute へ向かった。ここアラハバード大学には、僕の両親の知り合いがいる。その先生は、ここで「アーシャ アジアの農民と歩む会」という農村開発を行っている人がおり、そこで暫くお世話になる。

DSC_0106423.jpg
アラハバード大学のジープ(手書き・・・?)

 到着し、僕は部屋へと案内された。このインド旅では、確実に一番良い部屋だ。僕は感動し、ベッドへと、ダイブした。しかし、このベッドがメチャクチャ硬い。板に布が被さっている程度で、僕は先ほど強打した、右手と共に次は全身を強打した。

 その日の夜は、先生のお宅にお呼ばれし、美味しい食事に舌鼓を打った。この温かい雰囲気に、安心感を感じずにはいられない。やはり、宿でなく、家庭というのは良いものだなと実感する。

 翌日は、日曜だったため、僕は先生や大学の生徒さんたちと教会へ向かった。礼拝は英語とヒンディー語で行われていた。僕は話に検討も付けられず、礼拝中かなりの時間、聖書の角と、讃美歌の角を交互に眺めていた。

DSC_2132y754.jpg
教会

 その帰り道、僕は子供が泣いているのを見つけた。多分、姉妹だった。妹は汚れたTシャツだけを着て、下はすっぽんぽん。お姉ちゃんは汚れたワンピースを着ていた。
お姉ちゃんが、妹をからかうように遊んでいて、妹はたどたどしい足取りで、姉の後ろを付いてく。そしたら、お姉ちゃんが妹をビンタした。それは唐突だった。
妹は、もちろん泣く。わんわん泣く。それでも、わんわん泣きながら、ふらふらと姉の後ろを付いてく。

DSC_0236424.jpg
この子はその子じゃなくて、僕が近寄ったら泣きだした子。

 子どもの涙って、なんだか不思議だ。

 妹はビンタされた後、一瞬迷ったような顔して、お姉ちゃんのことを1秒くらい見て、それから泣き出した。わんわん。そしたらもう止まらない。
なんか、その泣き方が、痛くて泣いている、というよりも、殴られたことが悲しくて泣いているようだった。一瞬、どうして?って考えて、悲しくなって泣いている。そんな風に見える。
実際に僕も、多分そうだ。涙が出る時は、思い出して、思い出して、悲しくなって涙が出る。この先の道が悲しすぎるから、涙を流すことは、ほとんどない。旅に出る時の涙もきっと、目の前の不安、ではなくて、思い出して泣いたんだと思う。

涙は、思い出、なんだな。

DSC_00594erui7.jpg
アラハバード大学の朝。

 それでは、みなさん良い日々を!

日の出

03 16, 2010 | インド

4 Comments
日の出

 バラナシでの宿、BABA Guest House。僕は、ここのドミトリーに泊まっていた。屋上に屋根をつけて、鉄格子で囲ったような場所。もちろん窓はあるのだが、夜まで開けっぱなしのため、尋常じゃないのだ、蚊の数が。
 夜、眠るのが怖い位に飛んでいる。長ズボンを穿き、靴下を着用、長袖を着る。更に、虫よけクリームを塗り、シュラフに潜り込む。

 それでも、奴らの攻撃を掻い潜ることは、出来ない。どういう訳か、足の指が刺されたりする。もちろん、無防備の手や顔も刺される。痒さでの目覚めは、本気で不快だ。ガバっと起き上がり、横に設置していた、ムヒを塗りたくる。患部を掻きむしりながら、またシュラフに潜り込み、眠る。これを何度も繰り返す。

 そして、朝5時半。僕は痒さの為に目覚めた。この日はガンジス川へ朝日を見に行く予定だったため、遅刻せずに済んだ。

 6時頃、外は薄暗く、東の空はオレンジ色に染まっていた。そして、僕らはボートから、朝日を望む為、ボート乗りと交渉する。
 ボート乗りは、少しふっかけてくる人、すごくふかっけてくる人、べらぼうにふっかけてくる人の3種類に分けることが出来ることが分かった。僕らは少しふかっけてくる人のボートに乗り込む。
 
 朝のバラナシは、寒い。この寒さの中でも、人々は沐浴している。ふんどし一丁、パンツ一丁で彼らは、ガンジス川へと赴く。そして、手を合わせて、目を瞑る。中には、クロールしている人もいる。でも、あれは間違いなく息継ぎの時に、ガンジス川の水を摂取している筈だ。インド人のお腹はどうなっているのか、本気で不思議に思う。

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 ボートが川の中ほどまで来たとき、太陽は上る。真っ赤な姿で現われて、ガンジス川をオレンジ色に染めていく。沐浴している人々はシルエットになり、その姿はなんだか、神聖なものに見えた。
 
 清める。

 聖なる川、ガンジス川。人々を清めるこの川は、この美しい朝日によって清められているのではないか。そんな気がしてならない位、朝日は真っ赤で、川はオレンジだった。

DSC_2043.jpg

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対岸側から

 バラナシは基本的にやることが、ない。それでも、旅人は上手い事やっている。太鼓を習ったり、ヨガを習ったりしている、らしい。
 僕はそれらに、全く興味がなかった。だからやることがなかった。ただ、日本食屋が多くて、安い。僕は、ほぼ毎食、日本食を食べていた。カツ丼を食べた時は、日本に帰ってソースかつ丼が食べたくなった。いや、今だって食べたい。

 夜になると、プージャーというお祈りが、ガンジス川の畔で始まる。

 そこでは、僧と思われる人が歌う。そして、インドミュージックが流れだし、それが終わるとお祈りが始まる。本当に沢山の人が集まり、船でガンジス川から参加する人も多い。
 毎晩毎晩、大勢の人が集まり、祈りが捧げられている。ヒンディー語の為何を言っているか、全く分からない。そこがとても悔しい。まぁ、日本の仏教は日本語が分かっても何て言っているか全く分からないから、ヒンディー語が分かっても全く分からないかもしれない。

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プージャーは賑やか。
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 プージャーも蚊の多さに負けて、僕はさっさと退散した。そしてその足で、蚊取線香を買いに走った。
 その日の夜、僕は驚く程の快眠を得ることが出来た。それと同時に僕のベッドやバックパックには驚く程の蚊が死んでいた。インドの蚊取線香強い!!

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 それでは皆さん良い日々を!

バラナシ

03 14, 2010 | インド

2 Comments
バラナシ

 コルカタ20時発、バラナシ行き。僕は、これに乗るために宿を19時少し前に出た。そして、バスがしこたま走っている通りを目指した。
 バスが目の前に停車し、乗務員のおっさんが、「ハウラーハウラーハウラー!」と、叫んでいる。ハウラーは、僕が行く駅の名前だ。
 
 よかった、と胸を撫で下ろした。そして僕と、もう一人ブッダ・ガヤーに行くために駅に向かう方が、バスに乗ろうとした。そのとき、乗務員のおっさんは、「NO NO NO」とブルーハーツの曲名を連呼してきた。そして、あっちに乗れと言ってる。僕らは、素直に従いそっちのバスに乗ろうとする。 すると、こっちのおっさんも「NO NO NO」だ。こんなにもブルーハーツが流行っているとは思ってもみなかった。3台目は、バスをドンドン叩きながら、「NO NO NO」だ。僕らは何故だ!?と聞いているのに、彼らはバスをドンドン「NO NO NO」しかいわない。まるで、地団駄を踏む子どものような対応に、僕らは呆れてタクシーに乗り込んだ。

 無事に駅に到着し、少し手間取りながら、バラナシ行きの電車を発見した。

 寝台列車に乗り込み、僕はそそくさと3段ベッドの一番上に座り、横になる準備をした。何故なら、そう、オカマの物乞いが来る前に寝た振りをしたかったからだ。
 もちろん奴はやってくる。手を顔の左側でパンパン!と叩きながら、やってくる。僕はもちろん寝た振りをしながら、彼(彼女)が去るのを待つ。しかし、彼(彼女)は寝ている者への配慮など、全くない。寝てたら起こす。これをモットーにしているようだ。僕は、体を揺すられた、いや強請られたの方がしっくりくる。
 オカマさんが過ぎ去ると、安心して僕は眠りに着く。しかし、彼ら(彼女ら)は徘徊している。そのため、何回かやってくる。その度にお金を出さないと、「この、ケチンボ!」とでも言わんばかりに去っていく。

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サイクルリクシャー
 
 バラナシに予定時刻から、2時間い遅れで到着した。駅から出ると、噂のリキシャー軍団に囲まれる。「おぉ、これか」と少し、感動を覚えた。
しかし、やはり彼らは鬱陶しい。何度行きたい宿を伝えても、そこは危ないとか、いつもフルだ、と言い自分がマージンを貰える宿にばかり連れて行こうとする。なんとか、やる気のなさそうなサイクルリクシャーを捕まえて宿まで連れて行ってもらうことが出来た。

僕は荷物を置いて、ガンジス川へと向かった。

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 川沿いのガートを歩いていると、日本語がメチャクチャ上手い少年に声を掛けられる。彼の口癖は「まじですか」、だ。それは、敬語なのか、なんなのか。
 日本人の話す日本語を聞いて、勉強したんだな、と感じる。

 聖なる川、ガンジス川。

 僕の第一印象は、思ったほど汚くない、だ。水は、真っ茶色で、何も見えないと思っていた。しかし、以外にも、水は辛うじて透けていて、川辺の魚が上から見える。

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 ガートをしばらく歩いていると、マニエルニカーガート(火葬場)に辿りついた。このマニエルニカーガートは、死体を焼却し、ガンジス川に流す。

 ここには、インド中から死体が運ばれてくる。そして、ここでは24時間絶えることなく、焼却が続く。辺りには、薪が積んであり、牛がそれを見守っている。

 人は、布に包まれ、ガンジス川で一度清められる。その後、少し大きい焚き火程度の火で焼かれる。そこに、遺族はいるのか、どうなのか。沢山の観光客と牛に見守られながら、焼かれている。牛は、煙たいのか居場所を探すように、顔を右に左に動かしている。

 まるで、上りゆく煙に魂を見出して、お見送りをするように。

 あまりにも、あまりにもあっさりしている。毎日毎日絶えることなく、人が運び込まれ、焼かれる。それぞれの人に、それぞれの人生がある。それの終着点は、誰しもここ、なのか、と考えてしまう。誰しもが、このガンジス川の畔で焼かれ、灰になり、流されていく。

 多くの観光客に見守られながら。

 僕は、足早にそこを後にする。例えば、人は、死んだら皆同じだ。そうかもしれない。でも、そこにすら差がある。
死んだら皆同じ。確かにそうなのかもしれない。でも、それにすら違和感を感じる。

 でも、死ぬ、その瞬間まで、生きてんだもんな。僕は今日も生きてんだもんな。そんなことを考えていると、太陽は沈み、真っ暗な夜を迎えに行く。
暗闇に、黒い水牛が同化している。インド人が、またしつこく声を掛けてくる。皆生きてんだもんな。

 何だか、それが、いやに愛おしく思えた。

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今日も祈りは、ガンガーへ。

 それでは、みなさん良日々を!

まるで、幻

03 11, 2010 | インド

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まるで、幻。

 聖なる川、ガンジス川。僕は今、バラナシにいます。

 ダージリンは、ヒマラヤ山脈と、紅茶だけではない。そう、ご存知トイ・トレインがあるのだ。トイ・トレインとは、New Jaipaiguri から、Darjeeling まで、8時間程かけて登る登山鉄道なのだ。ジープだと、3時間のところを、8時間かけて、上る。とても、遅い。
 しかし、この鉄道は世界遺産に登録されている。ゆっくりゆっくり時間かけて、山の風景を見ながら、登っていく。僕とミッチーさんは、流石に全行程乗る気はなかった。世界遺産に少し乗れればよかった訳だ。そして、そんなお客様のニーズに答えてくれるのが、Joy Rideだ。ダージリンから、一つ次の駅、グームまで行き、ダージリンに帰ってくるというものだ。予定時間は、往復2時間。

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機関車って面白い。給水したり、石炭を一生懸命燃やしたり、大変な仕事だ。

 僕とミッチーさんは、トイ・トレインに乗り込んだ。そして、発車と同時に眠りについた。タイガー・ヒルに行き、もうヘトヘトだったのだ。それに標高2200mもある、山の上だ、10時を過ぎると、もやのようなものが、辺りに立ち込め、山の風景なんて見えない。少し走っては、止まる。それを繰り返しながら、片道2時間半かけてグームに到着。話が違うじゃないか。
 往復2時間、お昼過ぎには、帰って来るはずだった。でもお昼を過ぎた1時に、一つ目の駅グームに到着。その日にダージリンを後にするミッチーさんは、足早にトイ・トレインを降り、「俺はもう、ジープでダージリンに帰るよ。」と言う。そして僕らは、握手をしてお別れだ。

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 僕は、一人でトイ・トレインに乗り込んだ。トイ・トレインの汽笛が聞こえた。いや汽笛を感じた、と言った方が正しい気もする。地面が揺れる位の音だった。ブォーー!と甲高い音を出している。
 それは、出発の音としても、別れの音としても、相応しく思えた。

 帰りは早く、40分程でダージリンに到着した。もう、ダージリンの街全体が、雲の中にいるように、白んでいた。
 その日の夜、宿が寒すぎて僕はもう、ダウンジャケットを着たまま、寝袋にピットインし、本を読んだり、湯たんぽを腹の上に載せて、お腹が冷えないように過ごしていた。そうそう、僕はダージリンで、旅に出てから初めて下痢をしたのだ。自分でもびっくりした。うぉう!と思った。迂闊にオナラもこけないのだ。こ、これがインドの細菌か!と激しく驚いた。そんな、油断ならないお腹を抱えながら眠りに着いた。

 翌朝、僕はハッピー・ヴァレー紅茶園に向かった。紅茶園は広く、歩いても歩いても道が続いている。遠く町の方から、トイ・トレインがブォー!と言っているのが、聞こえる。明日も明後日も、あの青いトイ・トレインは、蒸気を吐き出して、ブォー!と言いながら、ゆっくり山道を上り、そしてまた、ゆっくりと下っていくんだな。

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尾根に広がる紅茶畑。
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皆からもらった、メッセージシャツ。暑くてなかなか着れなかったけど、やっと着れました。皆ありがとー!

 山の尾根に広がっている紅茶園。坂道をおばさん達が、堆肥を担いで登っていく。ゆっくりゆっくり登っていく、着実に。まるで、トイ・トレインのように。

 紅茶園を出てしばらく歩いていると、ヒマラヤの山々が、見える。

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 そして、それはまるで、幻だったように、雲の中に消えていく。午前10時、少し前、ヒマラヤは今日も完全に見えなくなる。

 僕は、余韻に浸りながら、コルカタへ向かう為にジープで駅を目指した。その日の夜、あの有名な、オカマの物乞いに、しつこく、そりゃもうしつこく「お金出しなさいよ、ちょっと、寝たふりなんてしていないで、お金だしなさいったら」と言われながら、体を硬くしているなんて、もちろん想像もしていない。これは、幻、であってほしかった。

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チャイ屋のオヤジ。

 それでは、皆さん良い日々を!

ダージリン

03 09, 2010 | インド

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ダージリン

 ダージリン最寄りの駅NEW JAIPAIGRI に着き、そこから乗合ジープに乗って、ダージリンを目指す。10人乗りのジープに12人位押し込んで、それは黒煙を吐き出しながら走りだした。
 ガタガタの山道を、縦に横に大袈裟に揺れながら、一気に標高2200mまで駆け登る。縦揺れと横揺れが同時にくるなんて、地震でいうと記録的な損害が出そうだ。僕が耐震偽装のビルだったら、損壊は免れなかった。震度6強はあった、はずだ。僕がビルでも耐震偽装でもなくて本当に良かった。

標高が上げるにつれて、外から流れ込む風が冷たくなり、雲が近くなる。ダージリンに着くと、辺りは白く霞んでいた。山々はまるで幻のように、雲の中に隠れている。
 
 標高が2200mもある、ダージリンは水不足のようだ。まるで日本の山小屋状態。トイレは流れず、バケツで流す。お風呂は一回に使えるお湯の量が決まっていた。しかも、夜はかなり冷え込み、シャワーが途中で水になったら、それは多分、死を意味する。だから、僕はいそいそと、お風呂を済ました。しかし、風呂上がりが、何よりも寒い。ぶるぶる震え、急いで服を着る。この感覚はまるで、日本に帰ったような気分にさせてくれる。

 翌朝は、3時20分に起床。ダージリンで一番の目的でもある、タイガー・ヒルに朝日を見に行くためだ。朝はもちろん寒い。暑さと同様に寒さにも強くない僕は、下はヒートテックにジーパン、レインウェア。上は、ヒートテックにインナー、パーカー、レインウェアにダウンジャケットという、誰よりも充実した装備だった。薄着のミッチーさんには、申し訳ない思いでいっぱいだった。

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黒い煙を吐き出すジープ。

 そして、3時40分頃に外に出て、ジープに乗る。日の出は何時か、と尋ねると、6時だ、と言われた。タイガー・ヒルまでは何分かかるか、と聞くと、35分だと言う。どうやら僕らは、激しく張り切り過ぎたようだ。寒い車内で、人が集まり出発するまで、ひたすら待つ。
 4時半を過ぎた頃、ジープは僕らと僕のウキウキを乗せて出発した。真っ暗闇の中をジープは震度5弱で進んでいく。
 
 まだ薄暗い、5時過ぎに標高2500m、タイガー・ヒルに到着した。遥か遠く向こうの方が、少し赤く染まっている。僕は、冷たくなった手を温めながら、それを、見る。感傷に浸りながら。
 それも束の間。おばさん達が「こーふぃー、こーふぃー、こーふぃー!」と早口で言いまわる。夜行列車でも思ったが、何故こうも、連呼するのか。気分を壊さないでくれ。この時ばかりは、耐震偽装でもいいから、ビルになりたかった。

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 5時30分を回ったころ、辺りはぼんやりと明るくなり、北の方には、ヒマラヤ山脈が連なっているのが見える。雲海を通りこしたずっと向こう側に、それは、あった。
 標高8586m、カンチェンジュンガの頂は、雲に突き刺さっている。その雄大な姿に、僕は本当に感動した。白く雪化粧をした、その山々に僕の心は震えた。誰もいなかったら、叫びたい。言葉は決めてないけど、とにかく叫びたかった。

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ヒマラヤの山々。
 
 それと同時に、東の空は赤く、赤く染まり、雲の中からゆっくりと太陽が姿を現した。ヒマラヤの山々は雪化粧を、オレンジ色に染めている。
 
 自然の美しさに敵うものなど、ないんじゃないか。自然のかっこよさに勝てる奴なんていないんじゃないか。そう思う。

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ただ、そこにあるだけで素晴らしい。

 真っ赤な太陽は雲の中からのそのそと上がってくる。赤かった太陽はどんどん黄色く、そして白く、色を変えていく。辺りに立ち込めていた雲海は、役目が終わったかのように、姿を消した。

 自然は不自然な位に、よく出来ている。これからも、この営みはずっと、続いてくんだろうな。ずっと、続いていって欲しいな。

 山を下りてほっと一息、ダージリンティーを飲む。温かくて、美味しい。インドのチャイと言えば、ミルクティーだった。久しぶりに飲む、ストレートティー。渋みも少なくて本当に美味しかった。
奮発して、渋々20ルピー(40円)も出しただけのことはあるな。うん。

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これ、うまい!
 
それでは、皆さん良い日々を!

コルカタ 

03 07, 2010 | インド

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コルカタ

 コルカタの宿に着いてまず、沢山の日本人に出会った。ドミトリーの前の机に大抵5、6人の日本人が、いる。旅の期間も、旅した場所もそれぞれだ。流石は伝説の宿、と謳われるだけのことはある。
 インドに着いたばかりの僕にとっては、力強かった。

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元美容師さんに髪まで、切って頂きました。

 翌日、僕はカーリー寺院に向かった。ここは、カンボジアに居た頃に教えてもらった場所だった。カーリー寺院では、毎日毎日山羊の首を、切る。
 ヒンドゥー教のカーリー女神に血を、捧げる為だ。日本に生まれた僕にとって、「生贄」という言葉は、どこか遠いものだった。でも、ここでは、こうして何頭もの山羊が毎日、生贄にされているのだ。
女神の為に。

 一言だけ、感想を言うとしたら。

死ぬとき、そのときが来たとしても、生き物はその時まで生きている、ということだった。そう思った。その瞬間に僕は、そう思った。顔を歪ませながら。少し俯きながら。

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カーリー寺院

 インドに来て、僕は顔を歪めることが多くなった。鼻をつまみたくなるような臭い、おびただしい数のゴミ、鳴り止まないクラクション、真っ黒な排気ガス。でも、その分生きている気がする、なんて言ったら、綺麗事だなと思う。僕は、逆に生きた心地がしないとは、このことか、と感じている。ホトホト自分の弱さに気付かされる。

 優しくなりたい。汚いものを受け入れられない自分、僕は強くなりたい。


 そして、暑さには滅法弱い僕は、例の如く、北へ行くことを決意した。それが、ダージリンだ。ダージリンからはヒマラヤ山脈が見えるらしい。諸事情により、ネパール行きを諦めた僕は、せめてヒマラヤだけでも見たいと思ったのだ。
 そして、夜行列車のチケットを取り、一緒に行くことになったミッチーさんと共に駅を目指した。地下鉄に乗り、2駅めで降りる。そして、そこから徒歩で駅に向かう。しかし、夜だし道も分からず、取り合えず、そこらのおじさんに道を尋ねてみる。その結果分かったのは、分からないということだった。3人に聞いて3人とも、違う方向を言う。更に警察官は、聞こえない振りをする。これは爆笑だ。こんな切羽詰まった時に、そんなジョークは要らないぜ。

 地図と勘、それから何人もの人に聞きながら、駅を目指す。その途中に駅に行くという人に、出会い、なんとか、本当になんとか間に合った。このおっさんが嘘つきだったら、もう終わりだな、と思った。
 着いたはいいが、夜行列車がめちゃくちゃく長い。もう、かなり歩いてヘトヘトなのに、いくら歩いても席に辿り付かない。席まで1キロ位歩いた。いや、多分本当に。

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 席は寝台だったため、健やかに眠れるはず、だった。しかし、この列車の窓が完全には、閉まらない。つまり九分袖のTシャツくらい微妙に開いている。隙間風がピューピュー。寒くて何度も起きる。その度に、蚊に刺された跡があり、痒い。痒いし、寒い。逆に言うと、寒いし、痒い。相場では、痒いは暑いと一緒のはずなのに…。どっちも嫌ですね。
 
 ダージリンの最寄の駅に着くと、やはり期待通り涼しい。風が冷涼です。この涼しさは、ダージリンティーが美味しく飲めそうだ。


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インド人の縦列駐車は、前後隙間2センチ位です。流石!
 
 それでは、皆さん良い日々を!

いざ、インド

03 05, 2010 | インド

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インド コルカタ。

 僕は今、インドはコルカタに来ております。地球の歩き方曰く、「伝説の日本人宿パラゴン」にて、宿泊中です。

 バンコクから飛行機に乗り、今回の僕の席は窓側。三人席だけど、そのレーンは、僕しかおらずに快適。トイレも遠慮なく、行ける席だ。
 飛行機に乗り込み、それは、すぐに動き出した。ゆっくりゆっくりと、滑走路に向かっていく。昼間のフライトなんて、もの凄く久し振りだった。だから、僕は浮き足だち、窓ガラスにへばり付くように、外を眺めていた。
 飛行機は滑走路に乗り、スピードを上げる、ゴーゴーと唸りながら。

 ふわっと、浮き上がる。そのまま飛行機は、徐々に高度を上げていく。雲の切れ間を上昇し、コルカタへ向けて方向を調整しながら進んでいく。
 バンコクに立ち並ぶビルが、見る見る小さくなり、まるで模型の町のように、現実から離れていくような気持ちだった。
 
 2時間半でコルカタに到着し、僕は、遠慮なくトイレに行くことなくコルカタの地に降り立った。僕はインドにビビりまくっていた。話しかけてくる奴は、全員敵だ!話しかけてこない奴も、大体敵だ!そう思いながらpasport control を抜けた。
バンコク国際空港で会った日本人の方、僕は金魚の糞のようについて行った。そして、エアポートエクスプレスなる、バスに乗り込み、ポケットの財布に手をかけながら移動した。
目に映る景色が、新鮮に感じられる。「うわー汚いなぁ」なんて思いながら、バスに揺られていた。

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 そして、夜6時過ぎに、金魚さんに別れを告げて宿にチェックイン。それが、伝説の宿パラゴンだ!今までの中で1、2を争わずに独占する汚さだ。

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パラゴンの洗濯場
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 インドにきたんやね、と実感が湧く。ただ嬉しい誤算は飯がうまい、ということだ。安くて、旨い!僕はまだ、お腹も壊してないから、順調な滑りだしだ。
 
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コルカタ モイダン公園 ヴィクトリア。夕日はどこも美しい。


 それでは、皆さん良い日々を!


歯磨き粉を返して!下さい。お願いします。

03 02, 2010 | タイ

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歯磨き粉を返せ!

 僕は今、バンコクスワンナプーム国際空港におります。

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 1月9日。みんなに見送られ、成田空港のpasport controlを抜けた。少し涙が出て、足が震えた。自分で、これは武者震いだと決めつけて、飛行機に乗り込んだ。
 
 不安と恐怖に押し潰されそうな夜だった。

 それから、約2か月。僕は、またこの空港にやってきた。今日、インドに行くために。あの日、見送ってくれた友達は、いない。また、足が震えそうだ。でも、僕はもう泣かない。

 ひたすら、西へ向かう。それだけだ。日本は遠ざかる、のではなく、近付いてくる、はずだから。

 地球が丸くて、本当によかった。

 
 さっきの荷物検査で、預け荷物に入れ忘れた歯磨き粉を捨てられた。リンゴ味のやつだったのに。かなりショックだ。インドにリンゴ味の歯磨き粉があるのかよ。是非返してもらいたい。

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多分、インドに合宿だ。右端が監督に違いない。

 そろそろ、インドのコルカタへ行ってきます。

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今まで、沢山の方に支えられていました。また、こっから一人旅。ありがとうございました。

 それでは、皆さん良い日々を!

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