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クロアチア

04 30, 2010 | クロアチア

3 Comments
クロアチア

 ブタペストの宿を、13時5分の列車に乗るために、少し早目の12時に出発する。宿の人に別れを告げて、握手をして、手を振った。クロアチアに一緒に行くことになった方と、駅に向かう。

 駅には、12時35分に到着し、チケット売り場に行くと、人は疎らながら、並んでいた。しかし、呼び出し番号は、531番。表示はまだ、501番になったばかりだった。30人も待っているようには、見えない。待てども待てど、数字は、進まない。13時になった頃、527番に差し掛かった。ここは、決断の時だ。もうチケットを買わずに列車にダッシュしないと、間に合わない。
 チケット売り場から、列車までは少し遠い。重い荷物を背負い直し、僕らは走った。出発のほんの少し前、プラットホームに到着し、乗り込もうとするが、ドアが閉まっている。やっと6つ目のドアで、開いた。安堵しながら、列車に乗り込む。

 車掌さんから、切符を買い(割増料金で)、とりあえず一安心だ。

クロアチア (1)

 出発し、ブタペストから、南へ向かうと、窓からは、一面黄色の花を付けた菜種畑が広がっている。窓を開けていると、涼しい風と共に、タンポポの綿毛が車内に次々と飛び込んでくる。
 夜の7時半にクロアチアの首都、ザグレブに到着した。外は、まだほんのりと明るい。

クロアチア (9)
ザグレブ駅前

 予約した宿がなかなか見つからず、やっとの思いでチェックインを済ました。

 翌日、6時に目覚ましが鳴り、目が覚めた。この日は、クロアチアに遙々やってきた最大にして唯一の目的であるプリトヴィッツェ国立公園に向かう。
 準備を済まして、朝ごはんを食べて、バス停に向かった。7時半のバスに乗る予定だ。バス停が見え始めたころ、時計は7時35分を指していた。諦めて、次のバスに乗ることにし、チケットを買う。8時40分。予想以上の待ち時間だ。

 お昼ご飯用のサンドウィッチを買い、少し、街を歩いた。バスに乗り、しばらくすると、空は、雲に覆われ始めた。雲の上に雲がある、典型的な、曇りだ。
 晴れて欲しいと願う。
 
 11時前に、プリトヴッツェ国立公園に到着した。空は、まだ曇っている。チケットを買い、エントランスで、帰りのバスをチェックする。1時間に1本程度。最終は7時40分。

 プリトヴェッツェに入り、湖の見えるベンチで、サンドウィッチを食べる。雲に覆われた空は、太陽を隠して、辺りは何となく暗い。


 散歩のように、僕らはのんびりと歩いた。新緑の季節。黄緑色した葉をつけ始めた広葉樹が森を覆い始めていた。
 
 のんびり進んでいるうちに、日の光が森に差し込んだり、また雲の中に隠れたりを繰り返す。太陽が、森に差し込んだ時の新緑の色は、とても奇麗だ。
 
クロアチア (7)

 この公園は湖畔公園なのだが、湖の水がものすごく美しい。まさしく透明、でも少し離れて見ると、エメラルドグリーンというやつに変わる。その色の変化が不思議で仕方がない。

クロアチア (3)
 
そして、次々に滝が現れる。今まで見たことのないような滝だった。木々の間を縫うようにして、水が流れ落ちている。不思議な滝だ。奥に進むたびに、形を変えて、滝が現れる。澄んだ水の中には、魚がたくさん泳いでいる。湖の上に遊歩道があり、滝を間近に見ることができる。水が流れ、滝は、加速するように川に飛び込んでいる。まるで生きているようだ、と思う。

クロアチア (2)
 
桟橋を渡り、出発地点の対岸にやってきた。ここから、船に乗って帰る。目的は果たされたと、僕らはエントランスに向かった。そして、何気なく地図を眺めていた。そこで、発見してしまった。大滝という表示を。
 
 この大滝って行きましたっけ・・・。いや行ってないね。僕らは、さっき来たばかりの道を引き返し、船に二度乗り、大滝方面へ向かう。この時、時間は、5時少し前だった。渓谷の上を歩き、谷からは下を流れる美しい川がよく見える。幾重にも滝が流れ、この場所の水量の多さには、驚いてしまう。

クロアチア (6)

クロアチア (8)


 夕暮れの迫る、あたりがほんの少しオレンジ色に姿を変えた頃、大滝に到着した。大滝は、滑らかに何本もの線を作って川へと落下していく。ザァーザァーという音を立てて。

 僕らは、今度こそはとバス停へ向かった。6時30分、バス停に到着し、7時5分のバスまで余裕があるな、なんて思いながらバス停のベンチに腰を掛けていた。
 7時30分、バスは来ない。7時40分最終のバスを待つ。辺りは、もう少しで暗くなる。8時、バスは、来ない。僕はダッシュで、プリトヴィッツェのレストランに駆け込んだ。
 「バスがこないのだけれど、バスは、何時にありますか」息切れを堪えながら、尋ねた。1人の人がバス会社に電話をし、こう言った。「今日はもうないわ。明日の朝10時過ぎにあるわよ」。
 僕は、震える声で、「さんきゅう」と振り絞り、レストランを飛び出した。僕は、この日の11時35分の夜行列車でイタリアに向かうはずだった。

 ヒッチハイクを試みるが、田舎なだけに、通る車自体少ない。100キロ近く出している車に、僕らの姿は見えているのだろうか。車は止まる気配もなく、結局僕らはここプリトヴィッツェで一泊することにした。レストランに舞い戻り、ご飯を食べて、宿に行き、すぐさま眠りに着いた。翌日、バス停に9時半に到着し、ザグレブ行きを待つ。一向にバスは来ず、結局11時にバスは来た。僕らはこの二日間で、バス停に何時間立っていたのだろう。時刻表を張りなさい。
 
バスに乗り込んだ時の幸福感はすごいものがあった。バスに乗れるだけで、こんなにも嬉しいなんて。窓からは、もちろん黄色い花を付けた菜種畑が広がっている。

クロアチア

クロアチア (4)

それでは、皆さんよい日々を!
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コーヒー牛乳

04 26, 2010 | ハンガリー

1 Comments
コーヒー牛乳


 ハンガリー、本当は一昨日出発するはずだった。でも、あまりにも居心地が良くて、なかなか、出られなかった。今日、出発する。次の国、クロアチアへ。

onnsenn (2)

 ハンガリーといえば、温泉だ。旅に出てから、3か月とちょっと。お湯に浸かる機会は一度もなかった。そのときがとうとう訪れた。
 ここ、ブタペストには、沢山の温泉がある。湧いて出ているのかは知らない。それでも、とりあえず温泉がある。

 宿で知り合った2人の方と3人で、温泉に向かった。エリザベート橋を渡れば、すぐそこだ。ロッカールームで、着替えて入口で渡された、少し心もとないふんどしを身につけて、いざ行かん。
 温泉は、真ん中に大きいものが一つ、四隅に1つずつ。合計5つの浴槽がある。順番に足を浸けていく。
 1つめカラ3つめまでは、体温~それ以下くらいのぬるま湯だった。全くもって温泉の心を分かっていない。これでは、温水プールじゃないか。もう一つの浴槽に望みをかけて足を入れてみる。温かい!
 体を沈めていくと、自ずと「あ゛ぁ~」と例の声が漏れてしまう。久しぶりの、本当に久しぶりの温泉だ。僕は、日本人なんだと実感する。
 当たり前のように、子どものころから湯船に浸かり、体が茹でダコのように真っ赤になり、湯気を立てながら、体を拭く。お風呂上がりには、コーヒー牛乳かフルーツ牛乳を飲む。
 そんな事がやけに懐かしく感じる。

 帰ったら、すぐに温泉に行こう。日本の、熱くて体が茹でダコになるような温泉に。そして、風呂上りには、コーヒー牛乳を飲もう。それは、きっととても幸せなことだ。

onnsenn (5)
温泉

 風呂から上がり、ほかほかの気持ちで、宿に帰る。風呂上がり独特の残り香を漂わせて。


onnsenn.jpg
ドナウ川の夜景
onnsenn (1)

onnsenn (3)
英雄広場

onnsenn (4)
これが世界一美しいマクドナルドらしい。

それでは、皆さん良い日々!

ASIA

04 24, 2010 | ASIA

5 Comments
ASIA

 たった、1週間だけのトルコ旅行を終えて、またハンガリーに戻ってきました。

 トルコというのは、アジアなのか、ヨーロッパなのか。それは、トルコ自体、東ヨーロッパにも、西アジアに所属しているのだから、そこに住む人の気持ちでいいのだろう。

 しかし、これで今回の旅での、ASIAは終わった。アイスランドの噴火で、ハンガリーに帰れるのかと、心配しながら空港に向かい、何事もなくCheck In を終えて、パスポートコントロールを抜けた時、僕のアジア旅行は終わった。

asia (1)

 アジアを3か月と少し、周った。
 僕は、何を思って、何を感じたろうか。

 タイに、入国して日本を離れたという実感が湧いてきた、あの日から今日まで、長かった、ような気がする。
 アジアに限ったことではなく、世界中でそうなのだけれど、僕は、国は人だと、そう強く思った。何度も何度も思った。

 国は、人、だ。


asia (4)


 旅(旅行)を始める前に読み漁ったガイドブックや、インターネット、どれを取っても僕にはワクワクと同時に不安が押し寄せてくるのが、分かった。盗難、強盗、虚偽、麻薬、死亡。そんな言葉が飛び交っている。
 その言葉を胸に、僕は誰を信じていいのか、誰を疑うべきなのか、そればかりを考えていた。目の前に映る奴の多くは、自分を騙そうとする敵なのだ。それを、薄っぺらなガイドブックから学んでいた。そればかりを学んでいた。

 話しかけてくる奴なんてもってのほかだ。市内観光を10バーツ(30円)でやってくれる訳がないだろう。このやろう。

asia3.jpg
※彼は、悪人ではありません。
 
 1人の悪人によって、その国を嫌いになれる。1人の善人よって、その国を好きになれる。
 1人の悪人によって、その国の国民を嫌いになれる。1人の善人よって、その国の国民を好きになれる。
 僕は、そんなもんだった。5人の善人を、1人の悪人が倒してしまうことも出来る。悪の力は絶大だった。
 どこの国も悪い人ばかりでは、ない。むしろ悪人はきっとごく一部のはずだ。タイ、ラオス、ベトナム、カンボジア、インド、トルコ、どこの国でも優しさに触れて、笑顔に触れた。
 
 そのときが1番、満たされる。そのときが、なによりも嬉しい。

asia.jpg

 アジアでは、どこに行っても、日本人の、つまり僕の顔を見ると、寄って来て大麻を勧める。子どもの物乞いは、僕に付いてくる。商売人は僕に「ジャポンジャポン」と近寄って来る。
 日本人がそういう風に見られているということが、すごくよく分かる。歩いているだけ分かることが、沢山ある。
 
 東南アジアと言っても、それぞれの国がそれぞれの顔を持ち、生きている。決して、アジアだから、こうだ、というものはない。
 だから、僕の中でのアジアというのは、どこか埃っぽくて建物がぎゅうぎゅうに詰め込まれているような、そんな空気、なのかもしれない。

asia3 (1)


 僕が見た、アジアはアジアの一部の更に一部でしかない。観光地ばかりに行っている僕に、分かることなんて、更に一部でしかないのかもしれないけれど、僕にとって、それはとても重要なことだった。実際に行ってみないと分からないことだらけだった。他人の評価なんて、どうでもいい。        
自分で行って、自分で見て、自分で感じなければ、何もわからない。そこは、あんまり良くないって聞きましたよ、なんて言いたくない。そこは、行っていないのでわからないですね、そこは行きましたけど、僕は好きでした、でもあなたにとってはどうでしょうか。それは分かりません。
 
 アジアは良いところばかりではない。悪いところもいっぱいある。それでも、僕はアジアをきっと好きなんだと思う。
 なんてたって、僕は、アジア人なのだから。

CSC_0110.jpg


 それでは、皆さん良い日々を!

Green Tour

04 22, 2010 | トルコ

6 Comments
Green Tour

 カッパドキア2日目。僕は、ツアーに参加した。15人が一つのミニバスに乗り、名所を回っていく。ツアーというのは、楽だ。楽なのだけれど、何かが足りない、そんな気がしてならない。名所を回り、はいどうぞ写真を撮って下さい、というスタンスが多い。そして、ガイドは、長い長い歴史を話し出す。それはそれで、有意義ではあるし、素晴らしい。
 それでも、僕はのんびりと過ごしたい。一つの場所で音楽を聴いて、本を読んでしまうくらいにのんびりしたい時もある。

 バスに乗り、まずはギョレメパノラマという場所に、移動する。少し高台になっているその場所からは、低い山に囲まれた奇岩地帯が見渡せる。奇岩には、沢山の穴が空いている。その岩の中に穴を掘って住んでいたことは、間違いない。
 時代は変遷し、住んでいた人々も、住んでいた用途も、違うのだろう。紀元前から、15世紀までの長い長い時間の流れの中での話だ。
 
green tour
ギョレメパノラマ
green tour (1)

 次に、ミニバスで30分程移動し、ウフララ渓谷にやって来た。名前だけで、その美しさがわかるような、柔らかい響きだ。
 ウフララ渓谷は、高さ約70m程の渓谷だ。何万年もかけて積み上げられた地層が切り立っている。渓谷を下り、谷底から空を見上げると、そのウフララの柔らかい響きとは、似つかわしくない程、自然の厳しさを滲ましながらそびえ立っていた。
 それに習ってか、谷に生えている木は、枝を上に向けて伸ばし、葉も空に向かっている。

green tour (3)
ウフララ渓谷
green tour (4)

 1時間程、ウフララ渓谷を歩いた。流れる川は、水の流れが少し早い。川の匂いが、する。懐かしい匂いだ。僕は、川の匂いというのは、世界共通なんだな、なんて考えていた。街の匂いは、それぞれだったような気がする。排気ガスや、腐ったような臭いや、埃の臭い。色々あった。それでも、自然の香りというのは、どこも同じ、なんだ。

green tour (5)

green tour (6)


  ウフララ渓谷の川の上でお昼ごはんを頂き、ウフララ渓谷を後にした。
 
 次に向かったのは、デリンクユという、地下都市だった。ここは、キリスト教徒が隠れるために使っていたんだという。人々は、いつの時代も殺し合い、いつの時代も宗教で争っている。まずは、どの宗教も素晴らしいんだよ、と説いておくべきだったのかもしれない。
 世の中には、こんなにも宗教の教えを重んじている人が沢山いるのだから。

 地下都市は、地下8階まである。かなり掘ったな、というのが僕の感想だ。そして、狭い。頭を2回打った。中腰になり進んでいく、その道に僕は多少恐怖を覚えた。多分僕は、閉所恐怖所なのだろう。このまま閉じ込められたら、なんて考えてしまう。恐怖症というのは、不思議なものだ。遺伝子に組み込まれているのだろうか。
 地下都市は、かなり涼しい。夏でも快適な生活が出来るかもしれない。しかし、僕は、入口にデカイ石を置かれたら、そんなことを考えてしまうだけで、快適な生活は望めない。

green tour (8)
デリンクユ地下都市

 デリンクユを出て、ツアー最後の場所、ピジョンバレーにやってきた。ここの奇岩にも沢山の穴が空いている。この穴は鳩の家だそうだ。昔の人が、穴を掘り、そこに溜まった鳩の糞を集めて、肥料として使っていたそうだ。
 だから、ピジョンバレー。今でもハトの家なのか、そういえば遠くで鳩(多分)が一斉に飛び立っていたっけ。
 これで、ツアーは終了した。

green tour (9)

 僕らは、バスに揺られて、ギョレメへと向かった。午後6時過ぎ、日は少し傾き、大奇岩地帯、カッパドキアは、赤色と黄色の間のような、色に染まり始めていた。

green tour (7)

green tour (2)


 それでは、皆さん良い日々を!

カッパドキア

04 21, 2010 | トルコ

3 Comments
カッパドキア

 パムッカレの最寄りの街、デニズリからカッパドキアへと向かった。7時半の夜行バスに乗り、適度に硬い椅子と格闘しながら、浅い眠りに就いた。
 何度かの休憩を挟みながらバスは、カッパドキアへと向かう。カッパドキアというのは、トルコのちょうど中心、へそのあたりにある大奇岩地帯である。
 このカッパドキアには、拠点になる町が4つある。ネヴェシヒル、ユルギョップ、アヴァノス、ギョレメの4つだ。僕は、ギョレメという町に行きたかったのだが、ネヴェシヒル行きのチケットだということが分かった。そこから、バスを乗り換えてギョレメに行くつもりだった。
 
 浅い眠りから添乗員さんに起こされ、彼は、カッパドキアに着いたぞ、と言った。僕が時計に目をやると、午前4時30分。僕がバスを降りると、そこはガソリンスタンドだった。ガソリンスタンドに行き、ここはネヴェシヒルかと聞くと、彼はそうだ、と言った。
 外はまだ、暗い。朝の空気は、冷たかった。そして、ガソリンスタンドのおじさんも冷たかった。ギョレメはタクシーで45リラ(3000円位)と言われ、バス停は向こうだと指を差された。指を差された方向には、廃墟になったバススタンドがあった。

 僕は、夜が明けるのを待つか、歩いて行くかを考えた。防寒着に身を包み、地図と睨めっこをする。大体10km~15kmくらいだろう、歩ける距離(歩けない距離ではない)だな、と考えていた。すると、もう一人バスから降りた人がいて、その人も案の定、ガソリンスタンドのおじさんに何かを尋ねていた。僕が、外で地図を読んでいると、その人が店から出てきた。そして、僕の顔をまじまじと見つめる。そこで、気付いた、お互い日本人で、パムッカレで少し挨拶を交わした人だということを。
 一人よりも二人の方が、良い(ときもある)。心強さが何倍も違う。心の余裕が全然違う。一人よりも二人の方が良いんだ、と薄暗いガソリンスタンドでそんなことを思った。

 僕たちは、相談をして、ヒッチハイクをすることにした。朝の5時過ぎ、通る車自体が少ない。少し空が明るくなるのを待ち、辺りが薄黒い色を越えて、濃い青色に変わったころ、僕らは通る車に手を振ってみた。そして、3台目位で車は見事に止まった。
 ギョレメまで行きたい、と伝えると、ギョレメは行かないけれど、途中まで乗せて行ってやるよ、と3人組の陽気なトルコ人は言った。僕らは、お言葉に甘えて車に乗り込んだ。そして、ギョレメへの交差点を10km程通り過ぎた場所にあるユルギョップの交差点で降ろしてくれた。こっちに行けば、ギョレメだよ、と彼は、嬉しそうに話す。しかし、そっちはユルギョップの街だ。

 僕らは、お礼を言って、記念撮影をした。そして、握手をして、手を振った。降り立った場所は、既に絶景だった。美しい奇岩が平原にいくつもいくつも立ち並んでいる。そのまた奥には、大きなテーブルマウンテンが見える。
 
カッパドキア (9)

 その時点で僕は、ノックアウト寸前だった。まだ、夜明けの少し手前、濃い青色は、薄い青色に変わっていく。
 少し、歩いているうちに日が昇り、影に覆われていたような風景は、太陽に照らされて影を振り払い、美しい色へと染まった。

 僕には、「うわぁー」だとか、「すごい」とか、そんな言葉しか浮かばなかった。
 
 そのあと僕らは、目的地ギョメレに向かう為、もう一度ヒッチハイクを試みた。次も2台目で車が僕らの前を減速しながら、通り過ぎて、少し先で止まった。親切にされると、こんなにも人は、満たされた気分になるんだな、と思う。

 ギョレメへ行く交差点で降ろしてもらい、歩いてギョレメを目指すことにした。時刻は、6時を少し過ぎた頃だった。気づけば上空を、沢山の気球が飛んでいる。色とりどりの気球が、シュゴー、と音を立てながらゆっくりと空中浮遊をしている。

カッパドキア (11)
熱気球
カッパドキア
 
 僕らは、景色と気球のコントラストを楽しみながら、ギョレメを目指し、7時過ぎにギョレメに到着した。宿に着き、寝ている管理人を起こして、チェックイン。

カッパドキア (1)
ギョレメの街はこんな街

 僕は2日連続の夜行バス移動の疲れで、すぐさま眠りに就いた。
お昼に起きだして、少し辺りを散歩した。宿から5分くらい歩いた所も雄大で、本当に雄大で、感動する。自然に敵うものなんて、何もない。ただただ実感する。
 
カッパドキア (4)

カッパドキア (5)

 
 僕は呆然と、そこに立ち尽くした。僕の目の前には、テーブルマウンテンが、美しくも雄大にそびえ立っている。

カッパドキア (8)

カッパドキア (7)


それでは、皆さん良い日々を!

パムッカレ

04 19, 2010 | トルコ

7 Comments
パムッカレ

 イスタンブールの宿を夜9時に出た。出来上がったばかりの日本のルーで作ったカレーを、急いでかき込み、それが熱々で、口の中を火傷しそうになりながら食べた。久しぶりの日本のカレーは美味しくて、もっとゆっくり食べたかった。

 宿を出て、トラムと地下鉄を乗り継いで、バス停へと向かう。次の目的地はパムッカレ。そこには、世界遺産である石灰棚とヒエラポリスがある。パムッカレまでは、宿で一緒になった方と同行することになった。
 バス停に10時2分前に到着した。バス停に着くや、緑と黒のボーダーのTシャツを着たトルコ人が、どこに行きたいのか、と聞いて来て、パムカッレと答えると、ぐいぐいと案内してくれる。そして、パムカッレ行きのバスがどこもフルであることが判明し、僕らは苦渋の選択を迫られた。一度出直すか、バスを乗り継いで行くか。そして、もう1つ面倒くさい選択を迫られた。ボーダートルコ人が要求するチップを払うか払わないかだ。もちろんこれは、即答で払わない、を選択した。
 
 どちらも嫌だったが、僕らは乗り継いで行くことを決意し、12時発キャタフヤ行きに乗り込んだ。バスの一番後ろの席に座り、12時発のくせに何度も飲み物を配りに来たり、ゴミを回収しに来たりする。電気も付いているし、本当に寝にくい夜行バスだ。6時にキャタフヤに到着し、そこで、9時半発パムッカレ行きのチケットを買う。3時間も時間を持て余し、ようやく、9時を過ぎて、バスが到着した。僕たちは、それに乗り込んだ。9時半に出発し、パムッカレ村の最寄りの町、デニズリに到着したのは、1時半頃だった。
 
 そこから、ミニバスに乗り込みパムッカレ村へと向かい、2時過ぎにパムッカレ村に到着した。
 早速、僕は石灰棚とヒエラポリスへと向かった。僕は、この日の夜に、カッパドキアに夜行バスで移動する。急いでその景色を見に行かなくてはいけなかった。こんなにも、急いで、こんなにも、焦って、観光するというのは、なにか、失礼な気がしてしまう。

パムッカレ

 パムッカレの石灰棚は、石灰で出来た山のようなものだ。そこに棚田のように、段々に水たまりが出来ている。その水が美しい水色なのだ。
 そして、その石灰棚の上を歩くときは、靴を脱いで裸足で歩かなくてはいけない。このとき、思うのは、自分の足がいかに貧弱で軟弱ものかということだ。いつも靴に守られていて気付かない。こんなにも、裸足で歩くと痛いのか、と気づく。
 少しの、ほんの些細な砂利が転がっているだけで、体重を急いで、踏んだ足の逆足に持って行く。インドなどで、見た裸足で駆け回る子どもや、裸足で、農作業する人のそれと、僕の足はまるで別物なんだと気付く。
 石灰棚を登って行くと、所々に美しい色の水が、ある。僕が写真で見た、パムッカレとは明らかに違った。水が溜まっている場所が、少ない。ソーダアイスのような色の水が、折々の棚田を形成している景色だと思っていた。

パムッカレ (2)
石灰棚
パムッカレ (3)


 観光客の増加によって、湧水が枯れつつある、らしい。水を溜める日と、溜めない日があるとも聞いた。何にしても、今日の石灰棚の水は少ない。

パムッカレの石灰棚は純白で、太陽の光を目一杯反射している。そして、石灰棚の上からは、パムッカレの町が一望でき、周りは畑しかない平原が広がっていた。

パムッカレ (4)


 石灰棚の上には、ヒエラポリスというローマ遺跡がある。もう朽ち果てていて、多くの遺跡は、それが何なのかすら分からない。ただの石の集合体のように見える。一面に草が生い茂り、野花が咲き誇り、石の集合体がある。僕は、決して遺跡が好きな方ではない。それでも、その景色は好きだった。遺跡が好きなのではなく、その景色、その立ち振る舞いが美しくて好きだった。

パムッカレ (5)
ヒエラポリス
パムッカレ (6)


 ヒエラポリスの一番上には、円形劇場が綺麗に残っている。劇場の上の席からの眺めは綺麗だ。劇場の南西には、残雪を被った山が見える。

パムッカレ (7)
円形劇場

 ヒエラポリスを降りて、また靴を脱いで裸足になり、石灰棚を下っていく。行きよりも帰りの方が痛いのは、何故だろうか。それは多分、急いで下りているからなんだな、と思う。ゆっくりと登っている時には感じなかった痛みが、ある。
 石灰で出来た地面を、ゆっくりと踏みしめながら僕は、村へと向かった。


パムッカレ (1)

それでは、皆さん良い日々を!

イスタンブール

04 17, 2010 | トルコ

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イスタンブール

 僕は、今トルコのイスタンブールにいます。

 トルコは、アジアとヨーロッパの架け橋だと、言われている。確かにそんな雰囲気が漂っている。街は、ヨーロッパのようにトラムが走り、美しい公園がある。それでも少し奥まった所は、アジアのようにゴミが散乱し、家もオンボロだ。



 イスタンブールの空港に到着し、地下鉄に乗りトラムのある駅まで行く。そこからトラムに乗り、イスタンブールの中心に向かった。走るトラムからは、沢山のモスクが見える。どれも似たような形をしていて、迷った時の目印にはならなさそうだ。
 隣の青年は、おじいさんやおばあさんがいると、サッと席を立ち、席を譲る。そういえば、地下鉄に乗っている時にも同じ光景を見たな。トルコ人は紳士なのかもしれない。 
 
 宿に着き、早速散歩に出かけた。宿の近くにある公園から、ブルーモスクが見える。ブルーモスクの本当の名前は、スルタンアフメット・ジャーミィというらしい。これはすごくカッコいい。

 

 公園がいやに賑わっている。今日は、2010年F1ラリーの開始の日だそうだ。多くのギャラリーが、でかいカメラを持って塀を取り囲んでいた。
 次々に、赤や青のカラフルな車が飛び出して行く。これから、3日間の長い戦いが始まる。そう思うと、関係のない僕も少し緊張する。
 速度を上げて、もしかしたら死んでしまうような戦いだ。3日間も神経を研ぎ澄ませてハンドル、アクセル、ブレーキ、ギアに力を滲ませる。
 僕は、F1には興味がない。でも、生で見ると(スタートのみ)、そういう事を想像することが出来る。実際にみるということは、きっと大事だ。

イスタンブール (4)


 ブルーモスクは、1日に5回のお祈りの時間以外は、自由に入ることが出来る。僕は、お祈りの時間に出かけ、入れない事が判明した。その間に、見事に絨毯屋さんに連れ込まれた。
 日本語が堪能なおじさんと、日本語の喋れないケツアゴのおじさんだ。言葉巧みに僕をお店に連れて行く。いや、彼はお茶を御馳走したい、と言った。2日前にオープンしたばかりだと。僕は、お茶屋さんだと思って行ったのだ。そしたら絨毯屋だった。

 イスタンブールの見所の絨毯屋さんも見学し、ブルーモスクに向かった。ブルーモスクの中は、美しくかった。薄暗いホール、ここがイスラム教徒の聖地で、ここで何万、何千万という人が祈ったと思うとすごいな。ここには、きっと何憶という祈りが詰まっている。きっとすごこエネルギーなんだろうな。

イスタンブール (7)
ブルーモスク
イスタンブール (5)

イスタンブール (6)


  翌日、空は晴れ渡り散歩日和だった。金角湾にかかるガラタ橋の近くには、潮に揺られた船が止まっている。揺れが激しく、船の出発を待っている人は、心なしか気分が悪そうだ。

イスタンブール (1)
金角湾。
イスタンブール (3)
モスク

  日本は、もう新生活の季節なんだな。僕も、新生活のように、急ぎ足だ。でも、急ぎ足と忙しいは違うんだな、と実感する。

イスタンブール


 それでは、皆さん良い日々を!

ブタペスト

04 15, 2010 | ハンガリー

4 Comments
ブタペスト

 ハンガリーに着いてから、2日間。外はしっとりと雨が降っていた。旅に出てから、こんな本格的な雨は初めてだ。2日目、僕が宿から出たのは、夕ごはんの買い出しの時一度だけだった。

 僕が泊まっていたのは、andanteという日本人宿。旅先で出会った方に、そこに行けばフォアグラが食べられるから、と聞いてのこのこやって来た訳だ。結局食べれなかったので、もう一度リベンジをかけて行かなくていけない。

 しかし、この日の晩ご飯は、焼き肉だ。そう、焼き肉なのだ。焼き肉と白米だ。丸いテーブルを9人で囲み、真ん中にはホットプレートが配備され、そこで肉を焼く。思い出しただけでも、よだれが出てきそうだ。フォアグラよりも、焼き肉かもしれない。

ブタペスト (1)
焼き肉。

 2日間宿でのんびりすごし、3日目やっと少しの晴れ間が広がり、僕は外へと繰り出した。雨上がりの街は少し肌寒い。
 僕は、世界遺産に登録されている王宮の丘に向かった。途中で大きな教会、聖イシュトバーン大聖堂に出くわした。その教会は、上に昇れる。まず、3階まで昇り(エレベーターで)、螺旋階段をさらに登って行く。1番上まで行き外に出ると、街が一望できた。かなりの高さに足が震えているのがわかる。雲が急ぎ足で僕の頭の上を駆けて行く。

ブタペスト (3)

 街は、オレンジ屋根の建物が多く、地平線のように遥か向こうまで見渡せる。地平線を見ていると、どこまでも向こうが見えているのだろうと思う。しかし、どこまでも同じ様な景色を見ていると、まるで、すぐ傍のものしか見えていないんじゃないか、という感覚にも陥る。
 遠くにある山や、海で言うなら島が、僕に距離感や、地球の広さをを与えてくれているんだな、と思う。

ブタペスト (4)

ブタペスト (2)
聖イシュトバーン大聖堂

 教会を出て、王宮に向かう。ドナウ川に掛かるくさり橋を渡ると、すぐそこだ。王宮の丘からも町が見渡せる。まるでモスクのようなあずき色の国会議事堂がよく見える。ブタペストの真ん中にはドナウ川が流れている。

ブタペスト (5)
くさり橋
ブタペスト (6)
右 国会議事堂

 空が、曇り始めていた。ブタペスト全体が雨雲に包まれているような、そんな雰囲気だった。天気が安定しない。

 それは、そうと僕はこれから一度トルコに飛ぶ。そしてまたハンガリーに飛ぶ。そのときには、安定した春晴れを期待したいな。
 それと、フォアグラいや焼き肉を食べたい。また、よだれが出そうだ。

ブタペスト

 それでは、皆さん良い日々を。

かもめ。

04 13, 2010 | フィンランド

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かもめ。

 フィンランドから飛び出し、ハンガリーにきております。入国審査が無くて、楽でいいのだけれど、スタンプを貰えないのが、少し寂しい。


 ここ2、3日ヘルシンキは、晴れ渡っていた。青空が広がり、太陽は惜しげもなく姿を現す。その温かさに、街に残る雪は、随分と溶けてなくなった。海一面に漂っていた氷も減った。少しの晴れで、こんなにも季節は移り変わっていくのだな。

かもめ (1)

かもめ (3)
生神女就寝大聖堂

 朝起きて、空の清々しさに僕は、ヘルシンキにある、スオメンリンナ要塞という世界遺産に出掛けていった。ここは、ヘルシンキから船に乗り、15分くらいの所にある。しかし、僕が船着き場に着いた頃、午前中まであんなに晴れていた空は、どんより重い雲に覆われていた。船の甲板に吹き抜ける風が冷たい。
 スオメンリンナに到着し、散歩のようなスピードで風景を眺めていく。スオメンリンナは、石壁の要塞だ。コンクリートと違って情緒がある。ヨーロッパは、要塞までオシャレなのだな。空を覆う雲は、切れ目なく続いている。灰色の空と、灰色の海に挟まれたところを、白い体に黒い顔の、つまり混ぜて灰色のかもめが飛んでいる。
 海沿いの道には大砲が並んでいる。ここで殺し合いが行われたということなんだな、と実感する。この穏やかに凪いだ海は、多くの血と傷痕を包み込んでいるのか、なんて考えてしまう。

かもめ (2)


 船着き場に戻ったころ、少し、雲の切れ間が出来ていた。太陽がそのレーンを通るときだけ、辺りは明るくなり、景色が変わる。

かもめ (6)
スオメンリンナ要塞
かもめ (5)


 船に乗り、街へと向かう。宿へ向かう途中、晩御飯の材料を買いにマーケットに立ち寄った。食材を吟味し外に出たら、空は晴れ渡り、見渡す限りの快晴だった。何故にだ。午前中も晴れていたし、今も晴れている、しかしスオメンリンナに行っている間のみ曇りだ。何故にだ。

 翌日も空には、雲がない。僕は、リベンジマッチをかけて、かもめ食堂(映画のロケ地)へと向かった。開いていることに安堵し、店内に入る。そうそうこんな椅子の色だっけ、なんて思いながらシナモンロールと紅茶を注文した。このとき食べたシナモンロールが僕のフィンランドでの唯一の外食になった。
 カメラのこともあり、しばらく自炊生活が続きそうだ。イタリアでペスカトーレを食べるために僕は、頑張る。

かもめ (8)
シナモンロール
かもめ (7)
かもめ食堂

 その日の夕方の便でハンガリーへとやって来た。ハンガリーは今、曇りを通り越して雨が降っている。日中の雨は旅にでてから初めてだな。こんな日はのんびりと過ごそう。
 
かもめ
かもめ。

 それでは、皆さんよい日々を。

タンペレ

04 11, 2010 | フィンランド

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タンペレ

 別れは、突然訪れる。何も言わずに去っていく。別れは、秒速100キロを超えるスピードで訪れ、出会いは、時速1kmで歩み寄る。

 ヘルシンキを、離れて北へ約200kmのところに、タンペレという町がある。ここは、湖や森、そしてムーミン谷博物館があるのだ。
 ヘルシンキ駅から、電車に乗り2時間。時速100kmを超えるその電車は、ガタンゴトンという音も立てずに、静かに進んでいく。流石は、ヨーロッパだ。

 タンペレに到着し、宿へと向かう。まるで、モデルルームのように美しいホステルだ。
 翌日、散歩に出かけた。湖は大部分が凍っている。この表面が凍るこの湖にも生き物が、そこに生きていることに驚いてしまう。こんな寒くても、魚たちは、泳ぎ回っているのか。想像もつかない。

タンペレ (5)

タンペレ (4)


 春を感じさせる、森の木々は、まだ眠りの中にいるようだ。伸びる枝から新しい芽吹きは、ない。常緑針葉樹も、少し寒そうに濃い緑の葉を揺らしている。フィンランドに春の訪れは、まだ少し先のようだ。

タンペレ (2)
 

 その足で、ムーミン谷へと向かった。
 ムーミン谷博物館は、中央図書館の下にある。僕は、ムーミンのことを全く知らない。あれが何なのかすら、知らない。それでも、悪いやつじゃない気がする。それだけは、なんとなく分かる。何故だかムーミン谷には行きたかった。
 ムーミン谷には、作者Tove Janssonの挿絵が並び、「ムーミン屋敷」という、何人かの芸術家が作った少し大きめのムーミンの家がある。
 ムーミン博物館に行き、知ったことがいくつかある。ひとつは、ムーミンはムーミントロールという、トロールだったこと。そして、ムーミンが傷付きやすくて、心優しいってこと。
 最後にニョロニョロは、触れることも話すことも出来ず、ただ集団で、黙々と移動を続けている、ということだ。なんとなく、ニョロニョロのことが好きになった。
 
タンペレ (7)
博物館内は撮影禁止なので、入口付近。

 ムーミン博物館を出て、宿へと向かった。外は、少し晴れている。久しぶりの晴れだ。太陽って暖かいんだな、とただ単に、実感する。
 
 2日後、僕はタンペレを出た。お昼前に駅に到着し、電車を待っていた。そして、あぁそうだ、駅の写真でも撮っておこう、なんて思った。そして、カメラを見ると無い。カメラを探すけど、無い!
 僕は、驚いた。驚いて、一応駅を走り回って、ごみ箱も覗いて、駅員さんに落し物を訪ねて、精力的に活動した。
 しかし、彼は見つからない。別れは秒速100kmを超えるスピードで訪れた。

タンペレ (3)
これが、最後の写真になりました。


 不思議なものだ。昨日丹精に掃除をしたところだったのにな。シュガー&スパイスというやつか。シュガーだけでは、去って行くという、あれか。いや、コンクリートに何度か落していたし、埃まみれのアジアも一緒にやってきた筈だ。どちらかと言えば、スパイスだらけだった筈なのにな。

 そんなことを思い、僕は電車に乗り込んだ。心がざわついているのが分かる。目の前に座っている人がものすごく美人だということも、分かる。

 ヘルシンキ駅に付き、荷物を背負う。やはり、いつもカメラの定位置である、首になにもないのが物悲しい。
 そこで、気付いた。あのカメラには、三脚の頭がくっ付いていることを。そのとき何故かめちゃくちゃショックだった。三脚がただの重い棒に変わったのだ。それをこれからもそれを背負っていくのか。
 三脚の頭だけでもいいから、返して欲しい。

 重い荷物を背負い、宿へと向かう。翌日、警察に届け出に行った。警察も保険も、どちらの2文字も僕の頭の中には無かった。友達に報告してみたところ、警察には行ったのか?というメールが届き、僕は膝を打った。忘れてた!と。そして、同時に保険のことを思い出し、保険屋さんに連絡だ。

そういう経緯で、警察を訪れた。警察官は、驚く程のイケメンだった。彼にはきっとシュガーもスパイスも関係ないだろうな、元がハチミツのような男なのだから。そんなことを考えながら質問に答えていく。案外すばやく被害証明を出してくれて、僕はカメラ屋さんに走った。そして、悩みに悩んだ。値段と、欲しいものの兼ね合いが難しい。
 
 出会いは、ゆっくりとゆっくりと時速1kmで歩み寄る。

 そして、僕はカメラを購入した。1日、たった1日だけなのに、カメラがあることが嬉しくて仕方がない。シャッターを切り、ニヤニヤする。そして、ヘルシンキにある、かもめ食堂のロケ地へと向かった。かもめ食堂に到着すると、土日は休みだそうだ。僕が外観を撮っていると、日本人の方が現れ、撮りましょうか、の一声。お言葉に甘えて、僕はピースをカメラに向けた。そこで、カメラの電池が、切れた。
 でも何故か、ついてないな、とは一回も思わなかった。カメラは撮らずに盗られた、と思うのか、失くしたと思うのか、いなくなったと思うのかは、自由だ。

 僕は、盗られたと、思った。そして、そいつの手の中でカメラが爆発することを望んだ。でも、もう仕方がないことだ。そう、仕方がない。
 新しいカメラのシャッター音が少し、柔らかい。三脚の頭とシャッター音だけでいいから返してもらいたい。
 いや、どちらかと言うと、僕はあのカメラにお別れが言いたかった。「2年間お疲れ」か、3か月埃まみれになって、僕の眼の変わりをしてくれたことに感謝の言葉が言いたかった。僕は、君を誇りに思うよ、なんて、ダジャレなんだけどさ。

タンペレ (6)

タンペレ (1)

 
 それでは皆さん良い日々を!
 (追伸。よく聞かれますが、データは無事ですので!)

しんしん

04 09, 2010 | フィンランド

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しんしん

 北欧の国フィンランド。
 到る所に雪が、残る。

 ヘルシンキは、静かな街だ。フィンランドの首都、なのだけれど、とても静かな街だ。宿は、中心街か1km程離れた場所にある。宿の部屋には、誰もいなくて、一人ぼっちでヘルシンキの地図と睨めっこを、する。

 そのとき、僕の耳には何の音も聞こえてこない。車の音も、小鳥のさえずりも、街の雑踏の音も、何も聞こえない。
 ただ、何も聞こえない時、何の音も無い場所にいると、音がない、という音があるんじゃないか、そんな風に思う。

 例えば、雪が深淵の闇に降りしきるとき、そこに音はないかもしれない。しかし、僕らは、雪がしんしんと降る、と言う。それこそ、音がない、という音のような気がする。何も聞こえない部屋にいると、しんしんとした音が聞こえているんじゃないか。それが、無音ってやつなのかな。そんな事を考えていた。

しんしん (1)

 ヘルシンキの街に出て、僕は海に向かった。海の辺りは、一面に霧が立ち込めている。白いもやが、僕の目の前を霞まして見せる。
 海も最近まで凍っていたのか、それとも流氷というやつなのか、そこら中に氷が浮かんでいる。それを振り払うように、船はホバークラフトのような形をしていて、空気を吐き出している。氷を押しのけながら、船は進む。それは、すぐに見えなくなった。
  闇、というのは、光がないこと、暗いことだ。でも、光の中も闇と似ている気がする。僕は、黒も白も闇になれるのだと、感じた。
 船は、白い闇の中に消えていった。

しんしん (2)

 しばらく、海沿いを歩いていると、岸から200m位離れた所に小さい島がいくつか見えた。こんな霧の日に見る島は、とても寂しい。霧に閉じ込められているようにも見える。

しんしん (4)

 
 海を離れて、街の中心地に向かった。曇り時々晴れ、というのは、殆ど曇りのことだ。少し、青空が出たと思えば、次の瞬間には、もう太陽は雲の中に隠れている。
 フィンランドで一番有名な建築物と言われている、ヘルシンキ大聖堂へ着いても、空は曇天だった。

しんしん
モノクロ
しんしん (5)
 静けさの中で、鳴り響くパイプオルガンの音色や賛美歌は、さぞかし美しいんだろうな。

 曇りの日の写真は難しい。だから僕は夜に写真を撮ることにして、宿に帰った。しかし、今のフィンランドの夜は短い。9時頃まで、外は、じんわりと明るい。
 外が明るいものだから、夕方気分でボーっとしていると、暗くなる前に眠くなる。

 夜の街は、尚更静かで、尚更、寒い。かじかむ手をダウンジャケットのポケットに入れて、温める。通り過ぎるカフェやレストランの明るさや暖かについつい惹かれてしまう。 こんな寒い日には、鍋が食べたい。ケンタッキーでもいいけど。
 闇は、やっぱり暗い方がお似合いだな。僕は、そんなことを思いながら、大聖堂へ向かった。

しんしん (6)
博物館
しんしん (7)
ヘルシンキ駅
しんしん (8)
ヘルシンキ大聖堂


それでは、皆さん良い日々を!

デリー

04 08, 2010 | インド

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デリー

 今日、フィンランドは、雪がちらいています。
 
アジアを旅しているとき、僕が雨を見たのは、2回だ。2回とも、ラオスだった。明け方から、9時頃まで、しとしとと雨が降り、9時を過ぎた辺りから、雨は身を引いて、太陽が姿を現す。そんな雨と2回出会っただけだった。
フィンランドは今日も、冬の空をしていて雲は低く、白い雪を降らしている。1歩外に出ると、吐く息は白く、クリスマスでも近いんじゃないか、なんて思ってしまう。
インドでは、今も茶色い埃が町中に降り注いでいるのだろうな。

デリー (1)

デリー
メインバザール

 インド、ニューデリー駅に到着し、プラットホーム16番に降り立った。出口を探して、出た場所は、目的地とは、逆方向。めた、長い駅を戻り、プラットホーム1番を目指す。そこから、Main bazaarに入り、宿を探す。
そこそこの宿にチェックインし、クーラーの風に当たる。今は、思い出すだけでも寒い行為だ。朝ご飯を食べて、外に繰り出した。
 あたりには埃が立ち込めている。どこもかしこも工事中。これが、発展というやつなのかな。埃を巻き上げて、あらゆるコンクリートを剥がしている。
 デリーの中心地コンノートプレイスへ向かった。マクドナルドやLevi’s、Reebokなどが立ち並び、遠くには、高層ビルも見える。
 都会は都会だが、インドらしさがあちらこちらに溢れている。
 
 そして、噂に聞いていた耳かきおじさんが、到る所にいる。耳かき耳かきと、うるさいし、しつこい。変な赤い帽子を被り、その帽子と頭の隙間に耳かき(綿棒風)を刺している。一目瞭然だ。近づいてきて、「耳かき、耳かき、耳見して、見るだけ無料」とやたらと、しつこい。僕はどちらかと言うと、その頭文字が全部、「ミ」であることが気になって仕方がなかった。

デリー (3)
耳かきおじさん
 
 パリカバザールに入ると、肩をグーっと掴んで離さない輩が、うようよいる。僕が一番声をかけられたのは、リムーバブルディスクの売店のおっさんだ。そんなに、リムーバブルディスクが欲しそうに見えたのだろうか。電気屋の前を通るたびに「USB、USB」と駆け寄ってくる。
 インドのリムーバブルディスクはすごい。最大で、128Gという容量のものが置いてある。あのサイズで128Gが本当だったら、ちょっと欲しい。実際は何ギガなのかがすごく気になる。買えば良かったな。

 最後に“インドらしさ”を体験し、満足した僕は宿へと帰った。

 人口10億人を超えるこのでかい国。これから、どんな風にどんなスピードで発展していくのだろうか。あらゆるところで、工事が行われ、コンクリートは剥がされ、到る所で、重機の音が響き渡っている。埃なのか、なんなのか、インドの、臭いがする。

デリー (2)
工事だらけ。
デリー (4)
 
 そんなことを思い出しながら、僕はダウンジャケットのポケットに手を突っ込み、フィンランドの寒空の下をとぼとぼと、歩いている。

DSC_0148sweu.jpg


それでは、皆さん良い日々を!

ヘルシンキ

04 06, 2010 | フィンランド

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ヘルシンキ

 インドを飛び出して、7時間半。北欧のヘルシンキに到着しました。

 朝、4時半にホテルを出て、空港へ向かった。朝の空気は涼しく、外はまだ暗い。空港に到着し、チェックインの時間までは、まだ時間がある。ポケットに入っていた30ルピー。丁度30ルピーの紅茶を飲みほし、ルピーを綺麗に使いきった。だんだんと外は白み始め、チェックインの時間が近づいてきた。パスポートコントロールを抜けて、待合室から、2便程飛び立つ飛行機を見送る。
 AY022 FINNAIR フィンランド行き。日本人は僕、だけだ。

DSC_0185fdsa.jpg

 体に震動が伝い、飛行機は宙に浮き上がる。5000km先にあるヨーロッパ大陸、北欧のフィンランドを目指す。
 出発から2時間が過ぎたころ、眼下にはカラコルム山脈が見えた。雪に覆われた頂がいくつも連なり、辺りは、白い山頂と茶色と黒の麓で美しいコントラストが築かれていた。世界第2位の山、K2を探してはみるが、どれが一番高いかなんて、分らない。その遥か上空を行く飛行機。
 山脈を越えて、穏やかに広がる雲は、不思議なくらいに同じ高さを漂っている。まるで、陸と空にサンドされて、そこに丁度、境界線がある、とでも言うように。

 フィンランド、北欧の大地が見え始めた時、天気が変わる。辺りは、一面雪景色に変わり、空は少し厚い雲に覆われていた。冬の、空の色だ。
 森は葉を落とし、雪は溶け始めているのか、所どころ茶色い。

 飛行機は、急旋回し滑走路に向かう。体に振動が伝い、飛行機は陸に吸い込まれるように着陸していく。

 外に出て、外の寒さを確かめる。薄手のパーカーに冷たい風が当たり、首筋から体が冷えるのを、感じる。
 バックパックの奥底から、ダウンジャケットを引っ張り出した。ダウンジャケットに腕を通し、ローカルバスに乗り込む。バスの窓から流れていく景色は、ゆったりだ。残雪が辺りを埋めて、町を歩くカップルは、寒そうに肩を寄せ合う。

ヘルシンキ

 僕は、ヘルシンキの中央駅で、バスを降りた。大きなショッピングモールに、広場でスケボーの練習をする、子ども。建物はどれも美しい。空は、相変わらず少し低く、冬空だ。宿までの途中にあった湖は、凍っており、ほんの少し溶けた場所に、合鴨たちが、たむろする。
 町の到る所に、トラムが走り、バススタンドには、バスを待つフィンランド人。どれを取っても絵になる。

ヘルシンキ (1)

ヘルシンキ (3)

 オリンピックスタジアムの裏にある、stadion hostelに到着し、チェックインした。2泊で38ユーロ(4700円位)だ。僕が、空港で両替した、100ドルはみるみる内に小額紙幣に姿を変えていく。手元に残ったお金で、ご飯を食べに向かった。途中で、スーパーにより、明日の朝ごはんなどを買い、レジを通ると、僕のお財布は既に晩御飯を満足に食べられるような状況ではなくなっていた。
 
 足早に宿に帰り、先ほど買ったパンとハムとチーズとトマトでサンドイッチを作って食べる。物価の高さには驚くが、何故かニヤニヤしてしまう。初めてのヨーロッパに、今は少し、陶酔しているのかもしれない。

ヘルシンキ (2)

 それでは、皆さん良い日々を!

卒業

04 04, 2010 | インド

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卒業式

 昨日、ASHA(アーシャ)の学生たちが卒業式を終えて、3分の2くらいが、ジープに揺られて、あの町を出て行った。
 見送る人も、見送られる人も、はにかんだような顔をして、それでいて、見送る人の方が泣いていて、何かいいよな、そんな風に思う。

 何か、羨ましくなった。

 旅立ったのは、ミャンマーの学生4人とインドの学生が2人。ティ・オというミャンマーの学生(40歳)に、ミャンマーに来てくれよな、なんて言われて、でもティ・オの家が、ミャンマーの首都ヤンゴンからバスで6日、そのあと3日歩いて行かないと辿り着けない場所だってことを、僕は知っている。
 もちろん、行きたいとは、思う。その道に、バスか電車が通ったら・・・。

 卒業式は、本当にこじんまりしたものだった。お祈りをして、賛美歌を歌って、スピーチを少し聞いて、卒業証書を授与して、また歌って、お祈りをする。
 11人の卒業生の歌声は、小さいホールに響き渡った。

 僕も昨日、アラハバードを出てデリーへやってきた。明日には、この暑い暑いインドと、お別れだ。今日のインドはきっと42℃位ある。
 フィンランドに行くのは楽しみでは、ある。それでも、朝6時過ぎに起きて(起きれたら)、畑に行く。そして、朝ごはんの時にしか出ないチャイに、糖分摂取を依存して、 昼も夜も、大体カレー味のカレーを食べる。その日々が、既に懐かしい。1つの所に長居すると、そういうことになるんだな。

 何故だろうか、本当に朝のチャイが楽しみで仕方がなかった。

卒業

卒業 (1)


 アラハバードで、学んだ事は、沢山ある。
皆さんは、知っていますか?インドの農村では、牛糞を乾燥さして燃料にしていることを。 知っていますか?牛糞を村人たちは、素手で掴んでいることを。
子供たちの多くは、裸足で駆け回っていることを。
村人は、写真が好きだってことを。
家は、暑くならないように、土壁で、中は薄暗い洞窟のようになっていることを。
それでいて、みんな笑顔が素敵だってことを。

 僕は、それを知ったのか、学んだのか、いや感じた、これが一番近い。

卒業 (3)

卒業 (4)

卒業 (6)


 アラハバードにいる間、僕はサンダルを履き続けた。昨日、久し振りに履いた靴が、妙にしっくりこなかったりする。 
 3週間というのは、そういう期間だ。本当に、お世話になりました。

 1年休学中の僕は、こうやって、大学の同級生たちを見送るのかと思うと、また、寂しくもなる。

 ここから、今度はヨーロッパを駆け抜けるように、急ぎ足での移動になる。休養と糖分はしっかり、取った。そして、デリーでは、クーラー付きのいい部屋を、取った。
 部屋から出たくなくなるが、最後のインドを見に行こうかな。

卒業 (2)
学生さんたち。みなさん、良い人生を。

 それでは、みなさん良い日々を!

ASHA

04 01, 2010 | インド

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ASHA

僕が、ここアラハバードに来て、もうすぐ3週間が経ちます。そして、3週間が経てば、僕はここを出て、ヨーロッパへ向かいます。旅立ちは、近い。

ASHA.jpg


 1週間近くいたヒトシ君も、アラハバードを出て次の街へ。ここアラハバード大学の卒業も近く、みんな忙しそうに、している。もう、村へ行くことも減り、僕はオフィスで作業をしている。
 それにしても、インドの暑さは尋常ではない。少し外を歩いていると、鼻血が飛び出してくる。すぐにのぼせてしまうのだ。これから、更に気温が10℃近く上がるという。それはもう、僕の想像の範囲を超えている。今でも、暑くて体調が悪くなりそうだと言うのに。

 話しは、少し変わる。この「ASHA アジアの農民とともに歩む会」のASHAというのは、ヒンディー語で、「希望」という意味なのだ、と聞いた。

ASHA (2)

ASHA (4)

  
 そのとき、僕は、思いだした。この旅に出る前、僕がバイトに明け暮れていた時のことを。早いときは、夕方3時にバイト先に入り、遅い時は朝の5時、6時まで働く。つまり居酒屋だ。早上がりのときは、11時に仕事を終えて、家路に着く。終電間近の電車に乗り込み、油の匂いが染み込んだ制服を膝の上に置き、音楽を聴く。
真っ暗な家に着き、自分の部屋へと向かう。夜型人間になってしまった僕は、もう12時なんかには眠れなかった。お風呂に入り、眠くなるまで本を読んだり、パソコンに向かう。僕の家は、田舎にある。外は真っ暗、家も真っ暗だ。
 
 ごそごそと、部屋を出てトイレに向かう。そのときに、キッチンを、いやそんなオシャレなものではないな。台所を通り、台所の電気を付けて、居間を通って玄関口にあるトイレに向かう。用を足して、部屋に帰る。

 そのとき、僕はふと思う。帰りは、明るいな、と。当たり前のことでしかない。光が、後ろにあるとき、前は暗い。自分の体が壁になり、尚更目の前は暗い。でも、帰り道は、台所の光を目指し、そこを通り、部屋へ向かう。もちろん、部屋の電気は付いているし、部屋のドアは少し開けてきている。そこへ向かうだけだ。
 もう1つ言えば、光は曲がらない。台所を通り、僕は居間を右に向かう。光は、居間にあるテレビに向かって真っ直ぐに伸びている。トイレの方を指し示してはくれない。
 僕の家を分らない人には、すごく分かりにくい話だ。

 ただ、僕が言いたかったのは、トイレの帰り道、そのときに僕は、いつも台所の濁った光に希望を見ていた、ということだ。

 僕の進む道に、この道の先に光がある。これが重要だ。灯台は、決して陸の者のためにあるのではない。海を彷徨う者の為にあるのだ。

 僕が、バイトに明け暮れていられたのも、その先にあるはずの世界一周が僕に、灯台のように光を指し示していてくれたからだ。
 例え、どんなに過去に輝かしい出来事があっても、どんなに大きな光があっても、その道を一歩、右に曲がるだけで、その光は、この道の先を照らしてはくれない。真っ暗な道で、地図も見えないなら、人は道に迷ってしまうのではないだろうか。

 前にある、希望が僕を動かしてくれている。今の僕への希望は、世界遺産でも南米大陸でもない。きっとそれは、日本にいる家族や友人知人、それに暖かい味噌汁、なのかもしれない。

 ここ、インドの農村に暮らす人々を、射し照らしている希望は、何なのだろうか。あの、農村で見た笑顔の子ども達や農民が、道に迷わないように「ASHA」は今日も頑張ってんのかな。僕は、そんな風に思う。

ASHA (1)
太陽は、でっかい希望だな。

ASHA (3)
僕は、今日も、味噌汁を求めて旅を続ける。

それでは、みなさん良い日々を!

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