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生きる

05 30, 2010 | 未分類

8 Comments
生きる。

 この旅に出て、最大の悲劇が、おこりました。
 お金を取られました。内容については、少し悲しくて、詳細をこのパソコンに打ち付けるには、まだ、少し時間が必要で、手がきっと震えてしまう。
 だから、取られてしまったということだけ、そして、僕は無事で生きている、ということ。

 そして、まだもう少し僕の旅は続くというお知らせ。

 時間は、今も流れていて、きっとこの、時、が僕の心を癒してくれる。

 母に連絡をして、生きていていいじゃない、という言葉をもらい、姉に励ましの言葉をかけてもらい、本当に家族の愛というものをしっかりと、感じた。

 涙が流れることもあるけれど、もう過ぎてしまったことは仕方がない、と割り切ってもう少し頑張ろう。

 その日、丁度どん底の僕が耳を傾けたポッドキャストで流れてきた、詩を紹介します。

生きる   
                                     谷川俊太郎
生きているということ
いま生きているということ

それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ

それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ

そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ

泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ

いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ

いまいまがすぎてゆくこと

生きているということ
いま生きてるということ

鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ

人は愛するということ
あなたの手のぬくみ

いのちということ


CIMG4948.jpg
長野県 上高地

そういうこと。家族や、すべての人に感謝します。すべての自然に感謝します。
ありがとうございます。

それでは、皆さん良い日々を。
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おかえり

05 27, 2010 | イギリス

3 Comments
おかえり

 ロンドンにいるのだからと、僕はその日大英博物館へと向かった。ロンドン名物の赤い二階立てバスに乗り、博物館を目指す。バスを降りて少し歩いていると、大きな大きな建物が見えてくる。博物館の入り口付近には、沢山の人がいる。

JPG524 (9)

JPG524 (8)

 博物館に入ると、地域ごとにたくさんの文化遺産が並べられている。

jpgYUJI (1)

 二階に上がり、北側の部屋に行くと、本物のミイラがいくつか展示されている。1つは少し衝撃的なものだ。人がそのまま干からびた様な、そんな姿だ。まるで、痛みに耐えながら死んでいったように、足を曲げて、手を顔の前に置いて、呻いているような、その呻きが、今まさに聞こえてきそうな姿だ。
 
何年も、何百年も、何千年もの間、この姿のままで、残っているという事実は確かにすごい。でも、何となく、こういうものを見ていると、不思議な感覚になる。この人は偉い人だったのだろうか。ミイラにするということは、そういうことなのか。
 他の数個は、型に入っていたり、ぐるぐる巻きにされていたりして、その人自身をみることは出来ない。
JPG524 (2)
 
 その部屋の奥の道の階段を上ると日本の部屋になる。日本の文化を、海外で見るというのも、面白い。他の部屋と比べると、少し近代的な物が多かった。篠山紀信の写真(舞妓はん)や水木しげるの妖怪漫画なんかも展示されている。
 見比べていくと、こんなにも世界はそれぞれの文化を育んでいる。場所によって、全く別物の世界を作り出している。

JPG524 (1)

 大英博物館の見学を終えて、博物館の入り口のベンチに腰掛けてガイドブックを読んでいた。すると、ロゼッタストーンという名前が載っている。聞いたことがあるな、僕はそう思い、もう一度大英博物館に入り、ロゼッタストーンの場所へと向かった。入り口に着いた所で時間は5時28分。閉館が5時30分。僕はギリギリのところでロゼッタストーンを見逃した。入り口から、ロゼッタストーンらしきものは見えた。
 僕はそれでいい、とした。

 博物館を出て、タワーブリッジへと向かう。ヨーロッパに入ってから、暗くなるのが9時半頃だ。妙な感覚に囚われながら6時を回っても、昼間のように明るい街を歩く。

JPG524 (3)

 1時間程歩いたところで、タワーブリッジが見えた。テムズ川に掛かる大きな跳ね橋だ。感想は、特にない。

JPG524 (5)

 そこで、しばらくベンチに座る。また、赤い二階立てのバスに乗って、宿に戻った。

翌日、昼12時のバスに乗り、パリへと向かう。今回もぎゅうぎゅう詰めのバスはドーバー海峡を目指して走る。 
 行きは、多分列車で運ばれたのに、今回は船だ。船は、列車と違い、のんびりとドーバー海峡を進んでいく。
 かもめが船と全く同じスピードで飛んでいる。甲板から、海を見ると海は、ひどく濃い色をしている。船の周りにだけ白い泡のようなものが出来る。その泡はビールの泡よりも多分柔らかくて、シャボン玉よりもすぐに消えてなくなる。そんな泡に見える。
 風が強く、僕の伸びた髪が風に揺れる。そこで、何気なくI podでメールを確認していると、今日泊るはずの宿がクレジットカード番号を間違えたらしく、キャンセルになっていることに気付いた。
 どうしようか。僕は焦ったが、まぁなんとかなるか、と軽く考えていた。

JPG524 (6)

JPG524 (7)

 パリに夜の8時半に到着した。取りあえず予約した場所に行ってみる。フルだ、と断られた。もうそろそろ、薄いオレンジ色の空は、どこからともなくやってくる闇に連れて行かれそうだ。
 ガイドブックに載っている宿を2軒程あたってみるが、どこもフルだった。
 僕の野宿が決まった。旅に出て4カ月半。初めての野宿だ。駅にでも行けば、なんとかなる気がしていた。東欧の方では、夜中3時発の列車や4時着の列車があったはずだ。駅で座っていれば、なんとかなる。今夜だけだ。
 僕は、望みをかけて駅へと向かう。

 駅は閑散している。今は夜の10時45分。電光掲示板を見る。最終は11時45分だ。これはどういうことか。とりあえず、薄暗い駅の中で座る。すると、1時間もしないうちに、旅人風の人が1人、2人と増え、12時前には5人が駅の待合所で座っていた。
 僕は何となく、大丈夫なんじゃないかと思った。12時半、1人2人と眠る態勢に入る。僕は体育座りで、時間が経つのを待つ。
 1時になる少し手前、警察とドーベルマンがやってきた。僕らは、一様に駅を追い出された。夜の世界に取り残された僕は、明るい24時間営業のバーの近くに座った。万が一襲われても逃げ込めるようにと。
 旅に出て、初めて見るかもしれない外国の夜。深淵のような暗闇にオレンジ色の街灯がポツポツと灯り、まるでゾンビのように、フラフラと歩くホームレス。救急車の音が、街に響いている。
 
あるとき、救急車が猛スピードで、街を駆けてきた。すると、1人のおじさんが轢かれたフリを大げさにしていた。「うぉぅ!!」と言いながら大げさに転ぶ。救急車は止まらない。
おじさんは、おずおずと立ち上がり、公衆電話に向かい、自分で消防署に電話をし始めた。数分後に救急車が現れ、おじさんは、救急隊員にきつく叱られていた。すごい世界だな。僕は単純に感心する。それ以上の恐怖心を自分の中に押し込めて。
 朝の5時になれば、なんとかなる。その思いだけで、僕は時間が経つのを待つ。眠ってしまえばあんなにも朝は素早く迎えに来てくれるのに、今夜、光は僕をなかなか迎えに来てはくれない。
 
 毎日訪れるはずの朝が、こんなにも待ち遠しい。5時半頃、空が明るくなり始めた。僕は、太陽におかえり、と言いたくなった。

JPG524 (4)

 それでは皆さん良い日々を!

ロンドン

05 25, 2010 | イギリス

7 Comments
ロンドン

 ドイツ最後の日、その日は一日中雨が降り続いていた。朝起きてから、夜、夜行バスに乗るまで雨が降り続いていた。
 ドイツでは、あまり天気に恵まれなかった。少し残念ではあるが、それも仕方がないことだ。

 夜行バスに乗り、僕はフランスのパリへと向かった。バスは空いていて快適な時間を過ごせそうだ。僕が、席を二つ使い上手に寝ている所に、急に水が滴り落ちてきた。何かと思ったら、エアコンの所から雨漏りだ。
 それからしばらく様子を見るが、水が落ちてくる気配がない。僕は何かの間違いかと思い、もう一度睡眠に突入しようとする。
 少しうとうとした辺りで、またもや水が滴り、くるぶしに直撃した。冷たさに、僕は静かに跳ね起きた。そして、仕方なく席を変えて眠りに着いた。
 外の雨は止む気配もなく、バスの窓に強く打ちつけてる。

 朝6時半。フランスのパリに到着した。外は雲ひとつない快晴だ。僕はその日の14時のバスでイギリスへと向かう。
 持て余した時間を有意義に使うために、僕はパリの街へと繰り出した。取りあえず荷物を預けたくて、ロッカーを探す。地下鉄に乗り、少し大きめの駅で降りる。ロッカーが見当たらない。歩いて次の大きい駅を目指した。
 歩けど歩けど、ロッカーが見当たらない。僕は、半ば諦めて、のんびり休憩を繰り返しながら、進むことにした。荷物は重く、太陽の日が強い。シャンゼリゼ通りを、ヒーヒー言いながら無様な姿で通る。
 
ロンドン (1)
パリ
ロンドン

 疲れ切った僕は、早々にバス停に戻り、そこで休憩を兼ねてバスを待った。
 一時間前に、チェックインが始まり、長蛇の列が出来ている。列に並び、チェックインを済まし、バスへと向かった。僕は最初の方にチェックインしたつもりだった。しかし、バスに乗るときに後ろを振り返ると、数人いるだけだった。みんな、順番を抜かすのがとても上手い、と感心した。

 バスに乗り、僕は無事窓側の席を取ることが出来た。しかし、安息も束の間だった。前に座る黒人がリクライニングをこれでもかと、最大まで下げてきた。仕方なく、僕は通路側の席に移る。席を下げ過ぎて、時折前後の席で目が合いそうになる。僕は、急いで目をそらした。

ronndonn.jpg
・・・。

 窓から流れる景色は美しく、パリから2時間程走った所で、沢山の風車が見えた。僕は写真を撮影しようかと悩み、止めた。窓側の席が酷く遠く感じたのだ。
 ドーバー海峡の見える街で、イミグレーションを超える。フランスから出るのは、簡単だ。イギリスに入るのは難しい。
 根掘り葉掘り検査官に問いただされる。僕は、ライオンに睨まれた子羊のように、萎縮しながら質問に答えていく。
 僕は、本当に弱虫だ。

 なんとか、ハンコのガチャン、という音が聞こえた時は、本当にホッとした。無事にイギリスに入国することが出来た。

 そこから、バスはコンテナに詰め込まれた。40分程止まっていたかと思うと、イギリスに到着していた。きっと、列車に運んでもらったのだろう。夜の8時過ぎにようやく、ロンドンに到着した。

 翌日、ロンドン観光に出掛けた。バッキンガム宮殿を眺めて、衛兵の交代式をちらりと見た。鼓笛隊の音に合わせて、赤い制服を着て、頭がもさもさの人が行進をしている。それを見ようとすごい数の人が、行列を作って、あらゆる場所から眺めていた。

ロンドン (4)
バッキンガム前
ロンドン (5)
頭モコモコ
 
 僕は、太陽の日差しを避けるように、公園の木の下に大の字に寝転がった。遠くでは、まだ鼓笛隊の太鼓の音が鳴っている。
 その後、世界の基準となる時計、ビッグベンへと向かった。

ロンドン (7)
ビッグベン

 それ以外の時間は、長い間公園で過ごしていた。この日もロンドンは日差しが強く、とても暑い。それから逃げるように、僕は公園の大きな木の下で休憩を繰りかした。ロンドンは人も多く、すぐに疲れてしまう。木陰で過ごす時間は、涼しくて、とてもいい。
 暑さに弱い、というのは、旅行者にとって、きっと致命的なことだ。僕はそれを最近痛感している。これじゃあ、寒さに弱い、白クマだ。暑さに弱いラクダだ。

ロンドン (6)

 大きい木の下で、僕は花を見ながら胡坐をかいていた。最近、命について考えることがある。いつかのブログで僕は、「涙は、思い出、なんだな」と書いたことがある。インドで泣いている少女を見たときの話だ。
 僕は最近、生まれ変わりについての小説を読んだ。その話では、主人公の妻が亡くなってしまう。僕はそういう時、必要以上の涙があふれ出る。
 
 僕にとって、生まれ変わりというのは、どちらでもいい。あっても、なくても、どちらでも。こんなことを言うと、それを信じて止まない人々に怒られてしまうかもしれない。それでも、僕にとっては、どちらでもいい。
 僕が、いや人が人の死を思う時に涙が出るのは、その人への感謝や思い出や色んな事が涙になって、出てくるのだと、そう思う。ただ、僕はもしかしたら、僕たちは自分が死んだことがあるから、それを魂が覚えているから、人の死に敏感なんじゃないか、なんて考える。でも、もし死ぬことが、とても幸せなことなら、人は、何かの死をそこまで、悲しまないのかもしれない。じゃあ、結局なんなんだって。それは、どっちでもいいんだ。僕は、今、生きているから。この白い、名前も知らない花と同じように。

 しばらく、木陰で休み、僕は「よし!」と決心し、宿へと向かった。

ロンドン (3)


 それでは、皆さん良い日々を!

フランクフルト

05 22, 2010 | ドイツ

2 Comments
フランクフルト

 僕が、フランクフルトに来た目的は、1つ。フランクフルトを食べること、だ。フランクフルトに、着いて、街を少し歩く。街は高層ビルが建ち、所どころに中世のような建物が建つ不思議な場所だ。

フランクフト

 マイン川沿いの遊歩道には、家族やカップル、友人たちが散歩をしていて、賑わっている。僕もその中を歩く。川沿いを歩いていると、二つの聖堂が見える。北には、フランクフルトで一番大きい大聖堂、南にも負けず劣らず美しい教会がある。南の教会の十字架の上には、水色とも黄緑ともつかない色をした風見鶏が立っている。風のないその日、風見鶏は、静かに北の方を眺めていた。

フランクフト (1)
大聖堂
フランクフト (4)

 川を渡り、散歩を続ける。しかし、思ったよりもソーセージ屋さんが見当たらない。フランクフルトにはフランクフルトが沢山ある、というのは、僕の幻想だったのか。

フランクフト (2)

 少し、歩き疲れて、レーマー広場で休憩をしていると、僕の目の端にソーセージ屋さんが飛び込んできた。
 6角形(上から見ると)をした、その屋台の真ん中に丸い網の鉄板が置かれ、沢山のソーセージが並べらている。
 僕は、勢い余って2つ、注文した。ソーセージをパンに挟んで渡してくれる。これは、ホットドッグだ。ソーセージは、アツアツでパンは常温。最初にパンに当たり、熱くない、と思いながら一気に噛み切ると、アツアツのソーセージが、飛び出して来る。思わず火傷してしまいそうになる。

フランクフト (7)

 ソーセージは、美味しくて、結局フランクフルトって何のことを指しているのだろうか、と考えながら、僕はフランクフルトで、ホットドッグをほうばった。日本で言うフランクフルトを想像してみてもイマイチよくわからない。

 その帰り道、やけに賑やかな広場がある。何かと思って見てみると、ビーチバレーの試合だ。砂を広場に運び、街のど真ん中でのビーチバレー大会。その試合は、Smartという小さい車、きっとエコカーがスポンサーの試合のようだった。
 会場の周りには、Smartが2,3台並び、説明会場のようなものが、ある。僕が行ったときには、試合は終わり、表彰式に移っていた。表彰台の上に立つ人々は嬉しそうに笑っていた。

 翌日、また僕が散歩をしていると、昨日の広場が見えた。僕は少し、立ち止まる。ビーチバレー会場は撤去され、その後に、残っているのは沢山のゴミと鉄屑だった。曇り空も相まって、その風景はとても、とても寂しいものだった。

フランクフト (6)

 僕は、ゴミを横目に、また歩きだした。もちろんフランクフルトでホットドッグを食べるために。

フランクフト (3)


 それでは、皆さん良い日々を!

バーデンバーデン

05 20, 2010 | ドイツ

2 Comments
バーデンバーデン

 ドイツに入り、僕はシュバルツバルト(森)に行くためにバーデンバーデンという、シュバルツ
バルトの北の入り口の街へとむかった。

 僕は、いつもより早めに起きて、出発の準備をした。部屋の人々は全員まだ、眠っている。起こさぬよう、怒られぬよう、準備をして、朝食を食べにロビーに向かう。
 朝食を必要以上に食べ、紙ナフキンにこっそりと、ハム数枚とチーズを包んだ。それをパーカーのポケットに入れて、部屋に戻った。
 リュックに大切にハムとチーズを入れる。もちろんパンも忘れてはいけない。ごそごそとリュックを背負い、僕は駅へと向かった。

badenbaden (7)
フランクフルト駅

 電車の自動発券機と向き合い、時間と値段を調べる。5分後に1本ある。しかし、10ユーロも高い。僕は迷った。そうしている間に、5分が経過してくれた。僕は次の列車のチケットを買った。
 ローカル電車のようで乗り換えが3回もある。電車に乗り、快調な滑り出しを見せ、空は晴れていて、太陽が木々に影を作る。影と光が交互に現れ、光が点滅しているようにチカチカと車内に入り込んでくる。

 1つ、2つと乗り換えをこなし、3つ目の電車に乗り込んだ。ここからは、もう10分もかからない。僕がぼーっとしていると、電車は寂れた駅で止まった。看板を見ると、baden baden Hauenebersteinという文字が、目に入る。

 あぁ、ここか、僕は60%の不安を抱えて降りた。降りた所は、あまりにも何もない。あまりにも。僕は、間違えたことに気づく。多分歩いても、行けるような距離だ。それでも僕は、電車を待っていた。30分も待てば、電車は来るだろう。

 電車は現れる気配すらも感じさせない。向かいのプラットホームにすら人はおらず、時折、物凄いスピードで貨物列車や特急列車が通り過ぎていく。この時に起こる風はすごいな、といつも思う。     
少しの間、風を残して列車は通り過ぎていく。その後、すこし線路が軋むようなキキーンという金切り音が、鳴る。
 結局、電車は丁度1時間後に現れた。
 僕は電車に乗り、1駅分、たったの4分ほどで、列車を降りた。そこがバーデンバーデンだ。

 とりあえず、森の方へ歩き出す。Informationもなく、地図も持たない僕は、とりあえず森を目指した。どこがシュバルツバルトですか?と聞いてみたくもなる。しかし、この質問はきっと何の意味も持たない。

 そこに見える森全部が、シュバルツバルトだ。

 僕は、東へと向かった。とりあえず東へ。下調べも何もしていない。行った方が良い場所があるのかもしれない。そんな所は、知らない。
 
badenbaden (10)

 森の中に入ると、木々が少し、風に揺れ、草の茂みからバンビが顔を出して、怯えたように森の中へ走っていった。しばらく歩いていると、少し高台になった丘がある。僕はそこに転がっている木の上に腰をかけて、朝こっそりと包んだハムとソーセージとパンを取りだした。

 先ほどまで、曇っていた空は、少しだけ晴れ間が広がっている。温かい春の光だ。僕はパンにハムとチーズを挟んで食べた。

badenbaden (9)

badenbaden (1)

 ピックニックのような気分になる。1人ぼっちなので、1人で三脚をセットして自分のサンドウィッチシーンをわざとらしく撮影する。
 ピピピと電子が鳴っている間は、止まってなくてはいけない。カシャとシャッター音が鳴り、サンドウィッチを口にくわえて、写真を確認するために立ち上がる。
 背後からも一枚。こんなことをしているのを人に見られた日にはかなり、恥ずかしい。自然に見られていても、何も恥ずかしくはない。

badenbaden (2)

 サンドウィッチを食べ終えて、少し休憩し、また森歩きを楽しむ。東へ東へと、歩いていると、馬が数頭放牧されていた。更に少し歩いていると、メーメーと聞こえてくる。羊だ。沢山の羊がいる。柵のない丘を自由に走り回っている。メーメーと羊は、思い思い声を上げている。特に子羊の鳴き声は人間の子供が、普通のテンションでメー!と言っているように聞こえて、笑えて来る。

badenbaden (8)

 そこに、杖を持った山羊飼いのおじさんが犬を連れて現れた。その犬の賢さに僕は驚いた。羊が逃げ出さないように。シャトルランのように、行ったり来たりを繰り返している。時折、隙を見て小川の水をペロペロと飲む。
 やはり、シャトルランは相当きついのだろう。

badenbaden (6)
羊飼いと羊

 僕が、羊の写真を撮っていると、文字通り急に、雨が降り出した。僕は、辺りを見回した。雨宿り出来そうな場所が見当たらない。急いで、木の下にもぐり込んだ。見事に雨宿りできる。
 羊たちは、まだ呑気に草を食んでいる。

 僕はそのとき、あることを思い出す。大学の面接で、面接官の1人、今の学科長が言ったことを。

 もしも、あなたが森に入っているときに、大雨が降りだして、森から出られなくなってしまったら、あなたはそこから何を学びますか、と。

 そして、最後にこう言った。きっとあなたは生きていることを学ぶでしょう、と。

 僕は、木の下で雨宿りしながら、そのことを思い出す。そして、生きていることを、が指し示す部分は、もしかしたら木自身にも掛っているのかもな、と、そう思った。

 木が、生きているから、幹を伸ばし、枝を伸ばし、葉をつける。そして、僕は木の下で雨宿りをすることが出来る。そこで感じるのは、木々の生、自然の生であり、自分の生である。そんな気がしてならなった。

badenbaden (4)

 僕は、木の下で雨宿りをしながら、本を読み、草を食む羊を眺めた。
 羊は、メーと抑揚のない声で鳴いている。雨は急速に上がり始め、晴れ間が見え始めた。どうやら僕は、森から出ることが出来そうだ。

badenbaden (5)

 それでは、皆さん良い日々を!

持ち物

05 19, 2010 | 持ち物

2 Comments
持ち物

 今回は、以前からほんの少しだけ質問がある、僕の荷物を紹介します。

 まずは、リュック。僕は、Eagle Creekの55LのバックパックとDeuterの28Lのサブバックを使っている。後ろにバックパック、前にサブバックというスタイルで、移動を繰り返している。重量は、多分20kg程だ。

もちもの (5)
リュック

 次に、日用品。爪切りや洗濯ロープに洗濯バサミ、洗剤、洗濯用バケツ風の物、カミソリ、シャンプー、石鹸、ゴシゴシタオル、スイムタオル(すごく水を吸う、そしてすごく水を出す)、ハンドタオル、トイレットペーパー、裁縫道具、常備薬、梅肉エキス(粒状)や寝袋、圧縮袋、メモ帳、ふでばこ、予定帳などがある。

 耳かきをタイで、寝ているときに下敷きにしてしまい、ぽきっと折ってからは、随分と綿棒生活が強いられている。耳かきのが欲しい。出来れば、高島屋の耳かきが欲しい。メモ帳は、アドレスを交換したり、日記を書いたりと大変重要な役割を担っている。

 自炊道具。僕は、トラベルクッカーという、電気調理具を持ち歩いている。ご飯も炊けるし、ラーメンも食べれる。もちろんポトフだって作れる。そのかわり、重い。だから、ヨーロッパが終わったら送ろうと思っている。他には、ナイフとピーラー、箸、スプーン、コップ。
 調味料類は醤油、コンソメ、出汁のもと、塩、味噌、油、紅茶がある。

もちもの (1)
日用品や自炊道具

 衣類。衣類は、暑い東南アジアから寒い北欧や標高の高い場所まで行くので、少し多くなる。Tシャツが3枚、ロンTが2枚(うち一枚ヒートテック)、温かめのインナー1枚、薄手のパーカー1枚。ダウンジャケットが1つ。それから、大学の友達がくれたメッセージポロシャツ。
 ズボンは、ジーンズが1着、クライミングパンツ(7分で切れて、短パンにもなる)が1着、短パンが1枚、スパッツ(ヒートテック)が1枚。靴下5足と下着が4枚。レインウェアが上下1着ずつ。友達が餞別でくれた、帽子。

 これを、最大限に、上は、ロンTにTシャツ、インナーとパーカーを着て、ダウンジャケットを着る。下はスパッツに短パンを履いて、ジーンズを着用。その上から、上下のレインウェアを着れば、大体、大丈夫。マイナス5℃くらいまでは、強がれる。

もちもの (3)


 電子機器類。パソコン、外付けハードディスク、カメラの充電器、電池充電器、電子辞書、コンセントの形状変換機、I pod、コンパクトデジタルカメラ、デジタル一眼レフカメラ、ズームレンズがある。電子機器類は、基本的に重たい。

もちもの (2)
電子機器

 貴重品。パスポートや、クレジットカード、財布、航空券のE-チケット。これらを無くすと、旅の存続に関わるので、いつもおびえている。
友達からもらったお守り。バイトの先輩から頂いたお守り、のようなもの。貴重品袋。この貴重品袋は、東南アジアに入ってから、ビビりながら腰に巻き続けた。暑くて、汗をかいて何度も何度も取り外したいと思っていた。それでも巻き続けたこの貴重品袋は僕の汗がしっかり浸みこんでいて、これすら、少し愛おしく思う。

もちもの (4)
貴重品

 靴も、すり減って、昔は水たまりに足をつけても大丈夫だったゴアテックスも効き目が無くなり、些細な雨にもやられ始めている。かかとの部分に入っている、綿も少し飛び出してきた。それでも、4か月半一緒に歩き続けたこいつで、最後まで旅を続けたいと思う。

その他。腕時計、三脚、ブロアー(カメラの掃除用品)、サンダル、パックセーフ(バックパックを守ってくれる物)、ダイヤルロック3個、コンパス、小説2~3冊。

 僕の荷物は、こんな感じです。これを、バックパックに詰め込んで、肩紐は肩に食い込んで、僕はそれを背負って、歩いている。
 雨の日も、暑い日も、もちろん寒い日も。時に投げ出してしまいたくなるのだけれど、バックパックを地面に置いて、休憩して、また背負い直す時、僕の汗や砂埃で汚れたリュックを見ていると、よし行こう、そう思える。
 
もちもの (6)

 よし、行くか。

もちもの


 それでは、皆さん良い日々を。

赤い自転車

05 17, 2010 | スイス

5 Comments
赤い自転車

 僕らが、ハンスさんに農場などの紹介をしてもらい、家に戻ると、キッチンからは、良い匂いと共に湯気が立ち込めていた。

赤い自転車 (7)

 父が42年前に使っていたという部屋のテーブルにテーブルクロスを敷いて、お皿を運ぶ。ハンスさんの手作りのりんごジュースをコップに注いで、準備は万端だ。
 まずは、ホッとするような、ポテトスープを頂いた。そして、トマトソースのパスタと、ソーセージが出てくる。まるでコース料理のようだ、いやどんなフルコース料理よりも温かな料理がテーブルに運ばれてくる。コップが空けば、りんごジュースを注いでもらい、皿が空になれば、パスタやサラダを薦められる。この時に食べたソーセージが美味しくて仕方がなかった。
 
 ハンスさんが、30分程休憩をして、車でドライブに連れていってあげるよ、と言う。僕は、遠慮だとか、そういうものは、今はきっといらない、そう思った。お言葉に甘えよう。そういう時は必要だ。

 まるで、自分のおばあちゃんの家にでも来ているような、不思議な気持ちがする。まるで、ハンスさんたちの、優しさが、ごく自然で、あまりにも当たり前のような振る舞い、だからだろうか。

 30分の休憩で、僕たちはお昼寝をした、40分も。2人は、のんびりと階段を下りていく。車に乗り 10分程走り、街に入った。その街を少し通り過ぎて、林道の中を上がっていく。新緑の季節らしく、木々の葉は、黄緑色をしている。僕らがお昼寝をしている間に、太陽は雲の中に、いや雲が太陽の前に来たおかげで、少し林内は薄暗い。

 林道を登り切った所で、お城が見えた。

 車を止めて、お城へと向かう。お城からの眺めはとてもいい。小高い場所にある、このお城からは、辺りが一望できる。西を見ると、ハンス夫妻の家、ラインクリンゲンが見える。
 南を見ると、ライン川と城下町が見える。街の外を一歩でると、もうそこは畑で、牧草か、小麦か、ジャガイモなのか、辺りは緑色をしている。もちろん菜の花畑も広がり、黄色い場所もある。
 北は、林があって、あまり見えないがこの向こう側にはドイツが広がっていることは、間違いない。

赤い自転車 (4)

 お城を下りて、城下町に立ち寄り、僕らは家へと向かった。

 この日は、泊まるんでしょう、と言われ、僕らは少し相談をして、そっとうなづいた。2人は明日、学校だ。3人は、泊る用意など何も持ち合わせていない。
それでも、泊ることが決まっていたように、うなづいた。

 ハンスさんは、酪農の仕事へと向かい、僕らはまたのんびりと過ごしていた。おばあさんが晩ご飯を作り始め、間もなく、ご飯を食べましょうの声が掛った。
 仕事を終えた、ハンスさんも戻ってきて、僕らは食卓を囲んだ。晩ご飯は、パンにバターやジャムと搾りたてのホットミルク。
 まるで、ドイツ語の教科書に出てくるような、伝統的な晩ご飯というやつだ。

 晩ご飯を食べ終えて、おばあさんが、散歩でもしましょうか、と尋ねて、僕らは散歩に行くことになった。外は薄暗く、雨が少し降っていた。傘をさして、ライン川沿いの公園へと向かった。僕は弱い雨は、時に心地良いのだと知った。
 随分と辺りは暗くなり、僕らは家へと向かった。のんびりと歩くおばあさんのスピードに合わせて、のんびりと。

赤い自転車 (1)

 翌日、朝食を食べて、僕らはお昼の12時になるのを待っていた。スイスでの12時は日本での夜7時、僕の父に電話をかけるためだ。ハンスさんとおばあさんは、少し待ちきれないように11時半でも大丈夫か、と尋ねた。僕は多分大丈夫だ、と答えた。
 11時半になり、家に電話すると、母が出た。父は今ちょうど出かけてるという。30分くらいで帰るって言ってたけど・・・、と少し弱気だ。
 僕は、電話を切り、12時には大丈夫と、伝えた。12時になり、もう一度電話をかける、父が出て、僕はかなりホッとしていた。おばあさんに代わり、ハンスさんに代わる。そんなに長く話してはいなかったけれど、何か伝わったことがあればいい。僕は自分の任務が終わったように、嬉しくなった。

 そして、僕らは今日もドライブへと、出かける。今日はシャッフハウゼンという街へ滝を見に行った。この日も天気は少し悪い。
 滝に着いて、中に入った頃に雨が降り出した。雨が冷たくて、2人のことが心配になる。滝から戻り駐車場に着いたあたりで、雨は止んだ。すごいタイミングだ。

赤い自転車 (5)
ライン滝 ヨーロッパ一の水量。

 家に帰り、お昼御飯にチーズフォンデュを御馳走になった。チーズフォンデュはスイス料理だ。お鍋の下のアルコールランプに火を灯して、熱いチーズをパンにつけて食べる。本場のチーズフォンデュは、お酒の味が強すぎて、僕は少し頭痛を引き起こした。

赤い自転車 (8)
チーズフォンデュ

赤い自転車 (2)
最後の散歩
赤い自転車 (3)


 そして、お別れの時間になる。僕らは、作業中のハンスさんにあいさつに行き、みんなと握手をして、僕らは、ハンスさんの家を出た。

 おばあさんが家の三階の、多分2人の寝室から、ずっと僕らを見守っていてくれた。いつまでも、長い間、僕らの方を眺めていてくれた。

僕らは、道を曲がるところで、3人で大きく手を振った。おばあさんも大きく手を振り返してくれた。

赤い自転車 (6)
三階の小さいのが、おばあさん。

 楽しかったね。本当によくしてもらって、お返しをしなくちゃね。僕らは、そんなことを話しながら、駅へと向かった。

赤い自転車 (9)

 農道の交差点が見える。あの赤い自転車を左でしたっけ、と僕。いや、あのもう一つ向こうの交差点を左じゃない。

 交差点に差し掛かったところで、赤い自転車を見ると、昨日まで、壊れていた自転車がキチンと直っていた。ハンドルもサドルもしっかりと付いている。不思議なことがあるものだ。

 それは、なんだかとても不思議だったのだけれど、1人が、ここがラインクリンゲンの入り口で、壊れている時にしか入れないんじゃない、と言った。
 まるで、おとぎ話だけど、まるで、おとぎ話のようにハンス夫妻は優しかった。だから、僕はそれもいいな、と思った。
 次に来る時、その時もこの自転車は壊れて、僕らを待っていてくれるだろうか。

赤い自転車
赤い自転車

 それでは、みなさん良い日々を!

ラインクリンゲン

05 15, 2010 | スイス

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ラインクリンゲン

 42年前、僕の父はスイスのラインクリンゲンという、チューリッヒから電車で1時間、そこから歩いて30分のライン川沿いの小さな小さな村で、実習をしていた。
 42年後、僕がそこを訪れる。引っ越しているかもしれないし、もしかしたら、生きていないかもしれない。僕は、不安を抱えがら、ラインクリンゲンに向かった。

 僕が泊めてもらっている空さんと、その友人と僕の三人は電車に乗り、チョコレートクッキーを食べた。1度乗り換えて、ラインクリンゲンの最寄り駅、エッツヴィーレンに到着した。ここから北北西に向かって歩いていけば、ライン川に突き当たる、はずだ。その辺りがラインクリンゲンだ。

ラインクリンゲン
エッツヴィーレン

 僕の方位磁石が北を指す方向へと向かう。線路を横断して、フェンスを越える。小さい農道のような道を北へと向かう。道の右側では、たんぽぽとたんぽぽの綿毛が風に揺れている。左側には、沢山のクローバーが一面を覆い、その先には、放牧されている牛が見える。

ラインクリンゲン (6)


 綺麗なところだ。父が実習をしていた頃と変わったすれば、何なのだろうか。空も雲も、草原も、この少し砂利交じりの道も、変わっていないのではないかと、そんなことを考える。それは、父に聞いてみなくては、分からないのだけれど。

 道の向こう側から、白と茶色の2頭の馬が、人を乗せてこちらに向かって、闊歩している。その2頭を先導するように、1匹の白い犬が前を歩き、時折止まり、後ろを振り返る。2頭の後ろを、ビーグル犬が歩いている。そういうフォーメーションなのだ。1-2-1だ。ディフェンダーのビーグルが少し、頼りない。
 
 僕らは馬と、犬に軽く会釈をした。もちろん乗っている人にも。

ラインクリンゲン (2)

 農道を歩いていると、交差点に差し掛かる。その交差点の牧草畑の端に壊れた赤い自転車が置かれていた。ハンドルもサドルも無い。赤い自転車と、黄色いたんぽぽと緑の牧草が美しくマッチしている。

ラインクリンゲン (7)

 その通りを抜けると、大きな道とぶつかった。僕の目指すところは、北北東のライン川沿いだ。大きな道を突っ切って、また農道のような道に、入る。後で分かったことだが、その大通りを西に見て、1番手前にある、大きな家がハンスさんの家だった。僕らは少し遠回りをしたようだ。

 1つ農家を通り越して、菜の花畑の前を通る。花の色は、どうしてこんなにも世の中を彩るのだろう。不思議に思うくらいに綺麗な色をしている。たんぽぽや菜の花の黄色も、オオイヌノフグリの青色も、美しい。

ラインクリンゲン (8)

ラインクリンゲン (4)

 
 ライン川が見え始めた。それは、静かに流れていた。こういうのをせせらぎ、というのだろう。ライン川は大きくて、透明だ。3人で水きりをした。姿勢を低く、石をなるべく、水面にギリギリに向けて、放り投げる。
 石は、2回、3回と川の上を跳ねる。1回、2回、上手くいけば、7回、8回と水の上を跳ねる。

ラインクリンゲン (9)
ライン川
ラインクリンゲン (5)
ライン川沿いの公園

 ライン川を出て、少し歩いたところに、小さい公園が見えた。滑り台と、ブランコに土管というオーソドックスな公園だ。真ん中には桜の木が生えている。花はもうほんの少ししか残っていないが、桜の木の下に置いていあるベンチの上に散れ散れになった花びらがひっついている。川沿いのベンチで少し休憩し、また僕らはハンスさんの家を探すために歩きだした。

 公園を出てすぐの所に交差点があり、家が数件ある。僕らは、馬の糞掃除をしているおじさんに、尋ねた。もちろん僕ではなく、ドイツ語が出来る二人が。すると、おじさんは、首を傾げたが、少し待ってろ、といい、家の中に入って行った。家から奥さんが出てきて、その家ならこの村の1番外れの家よ、と教えてくれた。
 ハンスさんは、いるんだ。この村に。

 僕は、少し緊張した。

 何件かの、家を通り過ぎて行く。村の端の家。大きな家に到着し、郵便ポストの所に「H.Stauffer」 と、書いてある。

ラインクリンゲン (10)


 遂にたどり着いた。ここで、父が実習していたんだと、不思議な気分になる。僕らは、少し躊躇いながら、着いたね、と言い合っていた。



 そこに、1人のおばあさんが農具庫の方から、出てきた。

 「やっと見つけたのね」と、そう言ったらしい。そして僕らに駆けより、3人を順番に抱きしめてくれた。父が、僕が5月の初旬に行くと、手紙を出していたのだ。そして、2人は僕らがやってくることを楽しみにしていてくれたようだ。

 家に招かれ、ハンスさんにも3人は抱きしめてもらった。

 少し、小話をした。そして、ご飯は食べたのかい、と聞かれて、僕らはまだです、と答えた。おばあさんは、じゃあ何か作るわねと、言って寝室へと向かった。
 ハンスさんは、ご飯が出来るまで、農場を案内しようと言って、立ち上がった。僕は、なんとも言えない温かさに包まれていた。

 来れて、本当に良かった。ドイツ語が出来れば更に良かった。

  おばあさんは、エプロンをして、キッチンで何かを作り出した。
  きっと、それは温かいだろう。僕はそんなことを思いながら階段を下りて、農具庫の方に向かった。

ラインクリンゲン (1)
シュタウファー家


 それでは、皆さん良い日々を!

チューリッヒ

05 13, 2010 | スイス

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チューリッヒ
 
 マッターホルンを見上げた次の日、僕はツェルマットを後にした。天気予報通りの雪、とまではいかないが、ツェルマットの町は雲に覆われ、山は麓しか見えない。マッターホルンは姿を雲の中に隠して、最後のお別れは、出来ない。

 来た時と同じように、VISP駅で降りて乗り換える。スーパーで買ったクロワッサンをかじりながら、電車を待つ。
 チューリッヒには、僕の母の知り合いの息子さんという、かなり遠い関係の方がいる。交換留学というやつらしい。 僕は、そこに泊めてもらえることになっている。物価が随一のスイスにおいて、こんなにもありがたいことは、ない。
 待ち合わせの時間よりも少し早めにチューリッヒHB駅に到着した、僕は、本を読みながらベンチに腰をかけていた。

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チューリッヒHB駅

 しかし、顔も知らない二人が巡り合うというのも、少し不思議な気がする。案の定、日本人である僕たち二人は少し、牽制し合いながら間合いを取っていた。しばらくして声をかけ、僕らは無事に出会った。

 その日僕は、「今日は友達の家でお好み焼きパーティーがあるから、来るか」というお誘いを受けた。こ、これが留学生というやつか、と僕は多少たじろいでいた。パーティーにお呼ばれするような、服は生憎持ち合わせていない。
 お好み焼きパーティーで良かった。これが立食パーティーなら、間違いなくリッツの上にチーズやおシャレなハムなどが乗っていて、田舎者はそのようなことに慣れていないので、端のソファーに腰掛けて静かにしていなくてはけなかった。しかし、お好み焼きの食べ方ぐらい僕も知っている。それにお好み焼きさんに行くときは決してドレスやタキシードではいかない筈だ。それならば僕のジーパンにパーカーという格好でも馴染める筈だ。


 夜まで、チューリッヒ大学の留学生寮で休憩し、近代的な外観と美しい内装にため息が零れた。僕の大学の寮はどんなのだっけな、ぼろくて、そうそう家賃は確か700円(※光熱費別)だったな。それは、そっちの方がいいかもしれない。決して近代的な外装ではないのだけれど。

 6時前に寮を出発する。電車を1度乗り換えて、少し郊外へと向かった。4人でプラットシェアしているという家にお邪魔する。家に入ると、数人の方が料理をしている背中が目に入った。
 僕らは、そのへんのソファーに座って待っていてという、指令が下った。お好み焼きパーティーでも、僕は結局部屋の隅っこのソファーで腰掛ける結果になってしまった。

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 30分ほどぼーっと座り、たまに話し掛けて来てくれる日本人の方や、スイス人の方と少し話していた。7時を少し回った所でお好み焼きとから揚げが登場し、僕のテンションは俄然上がった。

 久しぶりに食べるお好み焼き。いつぶりだろうか。日本にいた時から数えても思い出せない。久しぶりのお好み焼きと、から揚げを僕はニヤニヤしながら頂いた。
 これが、パーティーか。留学生は、おしゃれだ。僕の大学では、主にたこ焼きパーティーという名前が飛び交っていた。やはり、丸いたこ焼きよりも平たいお好み焼きか、流石は留学生だ。

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 翌日、午前中はフリーマーケットに繰り出した。沢山のガラクタが無造作に置かれている。購買意欲をあまり刺激してこないようなディスプレイの仕方だ。

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フリーマーケット
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 2時間あまりぶらぶらと、フリーマーケットを見学したのち、チューリッヒ大学へと向かった。今日は卓球をする予定だ。2時に数人と待ち合わせをして、トレーニングジムの前で卓球をする。この2日間、まるで留学生になったような、キャンパスライフを満喫していた。

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ジェラード

 久しぶりの運動に、体は軋むようにのろのろと動く。それでも、スポーツというのは、本当に面白い。心地よい汗を流して、僕らは寮へと戻る。風が少し強くて、雲の動きが早い。遠くには、アルプスが見え隠れしていた。

ツェルマットからチューリッヒに向かっている時、1つ、思ったことがある。The Blue Heartsの曲に「ハンマー」という曲が、ある。

“48億の個人的な憂鬱、地球がその重みに耐えかねて来、死んでる”

 僕が生まれる少し前の歌だ。それから22年。70億の大台を超えて、地球は今、70億の個人的な憂鬱を抱えて回っている。それでも僕は、地球は、死んでなどいない、そう思う。
 70億もの個人的な憂鬱を抱えながら回る地球は、今も立派に生きている。耐えかねているのは真実かもしれない。それでも、積もった雪の下には沢山の命が芽吹き、一面を緑色に染めている。たんぽぽが咲き誇る広場には、沢山の綿毛が舞い、次の命へのバトンが、至る所で受け渡されているじゃないか。

“ハンマーが振り下ろされる、僕たちの頭の上に”

 地球が、70億の個人的な憂鬱に死なないように、僕はハンマーなんかじゃ、死なない。
 地球はこんなにも生きている。僕は、ハンマーなんかじゃ、死なない。僕は、今日も地球に感謝する。

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それでは、皆さん良い日々を。

ツェルマット

05 11, 2010 | スイス

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ツェルマット

 ツェルマット、マッターホルンの麓の小さい町である。僕は、そこに行くことを本当に楽しみにしていた。マッターホルンを見たくて仕方がなかった。
 天気予報は、ずっと雪の予報。5月6日、天気予報は曇りのち、雪。何故だかわからない。それでも僕は、その日は、晴れると確信にも似た、何かを感じていた。この日は絶対に晴れる。その思いだけで、僕は、移動を繰りかえいしていた。イタリアでの強行スケジュールも、5月5日までにツェルマットに行くため、それだけのためだった。

 5月5日、ミラノから、スイスのVISP行きの列車に乗る。スイスに入り、雨脚は強くなった。電車の窓には強い雨が打ち付けてくる。VISPに2時ごろに到着した。そこから、ツェルマット行きの電車に乗り換える。待ち時間が1時間近くあったが、強い雨に、僕は駅のホームから動けなくなっていた。
 3時前にツェルマット行きの列車に乗り込んだ。雨が止むことを祈りながら、列車は少しずつ標高を上げていく。

 30分程経ったころ、雨は雪に変わった。列車の窓から流れていく景色は、白く雪化粧をしている。壁のような崖からは、水が這うように流れている。不思議な滝だ。

 4時に、ツェルマットに到着する。あたりは、真っ白だ。大雪とまではいかずとも、路面は雪が積もり、雪解け水も相まって足がどんどん冷えていく。
 雪の中を、宿に向けて歩いて行く。寒さに震えそうだ。

マッターホルン (3)

 宿に到着し、荷物をおろす。案内された場所は、まるで屋根裏部屋のような、すぐに頭を打ってしまいそうな所だ。
 少し、横になっていると、すぐに眠りについてしまう。6時前、晩御飯を買いにスーパーへと向かう。雪は依然強く降っている。雪の中を滑るように走りながらスーパーへと向かった。スイスの物価の高さはこの旅では断トツで一番だ。安物の食品を少し買い、スーパーを後にする。

 宿に帰り、またのんびりと時間は過ぎていく。雨はばしゃばしゃと地面を叩きつけるのに、雪は、やけに静かに地面に舞い降りる。ふわりと、地面に落ちて、何事もなかったように、溶けて、水になる。

 明日の晴れを願い、僕は眠りに着いた。
 翌朝、7時前に目が覚めた。外からは太陽の日差しが、狭い部屋に差し込んでいる。僕は飛び起きて、窓へと駆け寄った。外は、晴れだ。僕は、心底うれしくなり、ドタドタと着替え始めた。
 横で眠るオーストラリア出身の青年を起こして、今日は最高の日だ、と伝えた。

 僕は、7時30分ぐらいに、宿を飛び出した。地面が凍っていて、何度か転びそうになる。本当に晴れている。この日を目指して来て、本当に良かった。

 宿から、緩い坂道を下り、川を渡る橋の上で、僕は立ち止まる。マッターホルンだ。マッターホルンが綺麗に輝いている。
 
マッターホルン (6)
マッターホルン

 何故、だろうか。僕は、今までの心の疲れが、癒されていくように、鳥肌が立って、涙が流れた。いや、流れてはいない。眼の中に涙がたくさん溜まって、それを腕でこするように拭いて、鼻水を1度すすった。
 涙は溢さなかった。

 そのまま、また前を向いて、登山鉄道ゴルグナートへと向かう。
 
 駅に到着し、切符を買う。76フラン(7000円位)もするが、僕は何の躊躇いもなく購入した。登山鉄道に乗り、暫くすると鉄道は、ゆっくりと山を登っていく。のんびりのそのスピードからは、外の風景が滑らかに流れていく。
 何度もマッターホルンが顔を出して、その度に僕は、感嘆の声を漏らす。カッコいい。あいつは、なんてかっこいいんだ。

マッターホルン (9)
登山鉄道
マッターホルン (8)

 1時間近くかけて、山を登り、終点ゴルグナート駅に到着する。辺りは、完全に雪景色で、真っ白だ。
 その雪の道を、展望台に向けて登っていく。昨日の雪で、かなり積もったのか、僕の膝ほどまで足は雪に食い込んでいく。足は、またも水浸しで、あまりの冷たさに何度かくぅーっと体を縮こめた。展望台も雪に埋もれていた。そこからの景色はまた絶景で、本当に寒さとは別に、ぶるっと体が震える。
 近く見えるマッターホルンは驚くほど尖っている。あの山頂に登ることが出来るなんて到底思えない。しかし、それが山の大きさなのだろう。あんなにも尖っていても、人間は小さくてその山頂の上でさえ、仁王立ちをして、雄たけびを上げることが出来る程の大きさなんだろうな。

マッターホルン
マッターホルン
マッターホルン (4)

 
 ここからは、スイスの最高峰、モンテローザも綺麗に見える。今日は、最高の日、だ。
 しばらく、そこに佇んで、山々に囲まれていると、本当に気持ちがいい。のんびり山と向き合い、山を降りる。

マッターホルン (2)
真ん中、モンテローザ

 今日の晴れで、雪は溶けて緑が現れる。僕は、マッターホルンの見える岩の上に座り、フランスパンとハムとチーズだけの簡単な、サンドウィッチを食べる。これが、きっと何よりも、何よりも贅沢なのだ。これが本当の贅沢じゃないか。
 マッターホルンは、雲とじゃれ合うように雲を纏い始めた。

マッターホルン (5)
ツェルマット
マッターホルン (7)
 今日は、最高の日だ。

 それでは、皆さんいい日々を!

最後の晩餐

05 08, 2010 | イタリア

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最後の晩餐

 ミラノの朝、僕は7時前に起きて、出発の準備をした。「最後の晩餐」を見るためだ。この日の前日、雨に打たれて弱っていた夜。1人の日本人の方に最後の晩餐を見に行かないか、と誘われていたのだ。
最後の晩餐は、15日前までに予約をしなくてはいけない。もちろん僕らは予約などしていない。予約のキャンセルがあった場合、見れるという寸法だ。僕らは地下鉄に乗り、オープンの15分ほど前にサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に到着した。
 8時になると同時に、人がなだれ込むように、チケット売り場に入って行く。僕らは、カウンターに向かい、キャンセルがないかを確認する。係員に冷たくあしらわれた後、日本からの団体ツアーのガイドさんが、ツアーのキャンセルがあったから、と2枚売ってくれた。非常についている。

 ここは、15分間しか見ることが出来ず、15分経つと次のグループ(25名ほど)が入ってくる仕組みだ。
 僕らの番になる。ドアをくぐり、最後の晩餐との対面だ。
 最後の晩餐は、壁画だということを、僕はこの時知った。大きくて、力がある。僕は正直に言うと、芸術的なセンスに多分欠けている。絵画の良さはいまいち分からない。もちろん彫刻もすごいものとすごくないものの違いが分からない。
 でも、最後の晩餐は本当にすごい、と思った。何が、それは分からない。ただ、その前に立つと、何か、がやってくる。
 ぼんやりと、僕はその前に立ち尽くし、最後の晩餐を見上げていた。

最後の晩餐
中は、撮影禁止なので、レプリカ

 キリストの表情が、何だかとてもいい。僕に、分かるのはそれだけだ。

 ベルが鳴り、僕らの見学は終了する。出口が開いた。
 僕らは、外に出た。そして、ミケランジェロの遺作、ロンダニーニのピエタ像を見に行くことになった。歩いて、15分、スフォルツァ城に到着する。雨は降っていないものの、雲は、薄黒くて、分厚い。あの空の上には、今も青空が待っていることを疑いたくなるような、厚い雲だ。

最後の晩餐 (3)


 スフォルツァ城の前では、黒人達がミサンガを売りつけてくる。売りつけてくるというよりは、勝手に渡して来て、別のやつがお金を要求するというタイプなので、恐喝に近い。怖いし。

 スフォルツァ城に入ると、いくつもの彫刻などが並ぶ。自分のそこに対する興味の無さに、驚く。いくつものフロアーを抜けて、最後の、出口の前に「ロンダニーニのピエタ像」がひと際特別なように置かれている。
 白い大理石像で、キリストをそっと抱き寄せるマリア像なのだという。
 僕は、ベンチに腰をかけて、しばらく眺めて見る。近寄って、離れて、また近寄る。

最後の晩餐 (4)
ロンダニーニのピエタ像

 それを繰り返し、そっと外に出た。外ではまた、雨音が聞こえる。ここで、一緒に来ていた方とお別れをした。

 僕は、雨の中を地下鉄に向かって走る。宿に戻り、急いでパッキングを済まして、スイスに行く準備をする。
 ミラノの駅に着いたところで、1人の大道芸人がいた。彼は、動かない、を芸にしている。これが、また本当にすごい。本当に置物のように見える位に動かない。

 この発想がすごい。しばらく見入っていた。ただ動かないその人を。

最後の晩餐 (1)


 ごめんなさい。僕には、ロンダニーニのピエタ像よりも、生きているこの人の方に、ずっと感動を覚えた。これが、僕の感性なのだ、きっと。
 スイス行きの列車が駅に到着したのだろう。電光掲示板にプラットホームの番号が表示された。

最後の晩餐 (2)


 それでは、皆さんよい日々を!

ヴァチカン市国とピサの斜塔

05 06, 2010 | イタリア

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ヴァチカン市国とピサの斜塔

 朝、外は小雨。お昼前に雨は止み、青空と白いうす雲が交互にあった。僕は、ヴァチカン市国へと向かった。
 地下鉄に乗り、ottaviano駅で降りる。地図も何も持ってこなかった僕は、一瞬どこに行けばいいのかと、思ったが、一つの方向から修道士の格好をした、女性が何人も何人も歩いてくる。僕は、こっちだ、と確信した。
 しばらく、歩いていると、サン・ピエトロ寺院の頭が見えてくる。

ヴァチカン市国とピサの斜塔 (1)

 サン・ピエトロ寺院の前には広場があり、広場の中心には、塔が一本そびえるように立っていた。その一番上には小さな十字架が掲げられている。
サン・ピエトロ寺院の上には、キリストと12人の弟子たちが立っている。キリストは左手に十字架を持ち、右手をこちらに向けて掲げている。頭には、天使の輪っかが付いている。いや、彼は天使じゃないのか。

ヴァチカン市国とピサの斜塔 (2)
サン・ピエトロ寺院
ヴァチカン市国とピサの斜塔 (4)
警備員さん

 ヴァチカン市国を出て、少し歩いていると、雨が降り始めた。僕は急ぎ足で、次の目的地へと向かった。真実の口だ。
 真実の口も長蛇の列で、一人ずつ口の中に手を入れて、写真を撮る。僕も列に加わるが、誰一人として、一人で並んでいる人など見当たらない。
 僕は、負けじと一人で並び、真実の口に手を入れずに、写真だけ撮ってそこを出た。そして、小雨降る中、小走りで地下鉄を目指した。
 
 翌日の朝、外は小雨だ。お昼前に雨は止み、空は厚い雲に覆われていた。僕はバックパックを背負いフィレンツェへと向かった。3時にフィレンツェに到着し、宿に荷物を置いた。ここでの滞在はたったの1日。明日の朝にはミラノに向けて旅立つ。
 外は、まだ厚い雲に覆われ、少し薄暗い。僕はピサへと行きピサの斜塔を見るか、フィレンツェを観光するか迷った。これからのイタリアの天気予報はずっと雨だった。今日が最後の曇りかもしれない。僕は、少し小走りに駅へと向かった。ピサの斜塔を選んだのだ。時刻表を確認する。フィレンツェからピサまで1時間と少し。僕は電車に乗り込んだ。
 空は、曇天のままだ。いや、それでも遠く西の空に光が差し込んでいるようにも見える。一縷の希望を握りしめた。
 
 ピサへ着いたのは6時前だった。空は、青い。青空が広がっている。もう少しで曇り空がどこからともなくやってきそうな雰囲気はある。それでも今は晴れている。僕はピサの斜塔へと向かった。細い路地のBARの屋根の向こうに、斜塔がこっそりと見えた。
 路地を抜けると、ピサの斜塔がある。僕は、感嘆の声を漏らす。本当に斜めじゃないか。これは面白い。ピサの斜塔はテレビや写真で何度も見たことがあった、が、本当に斜めだ。

ヴァチカン市国とピサの斜塔 (7)
ピサの斜塔

 そして、そこら中にピサの斜塔を手や足で支えようと(写真で)、人々が試行錯誤している。その風景も面白い。空は、西の空が少し曇り始めていた。それでも東の空は、青い。僕は、ピサの斜塔の前に座り込んだ。
 ピサの斜塔を支えようとしている人々が、無性に羨ましくなる。流石に僕には、写真を撮ってもらっていいですか、とお願いして、じゃあ、といいながら、ピサの斜塔に張り手をする勇気はない。それに、それをしたいとも思わない。それでも、そんな風にしている人々が羨ましい。

ヴァチカン市国とピサの斜塔 (5)

ヴァチカン市国とピサの斜塔 (6)

 
 僕は、駅に向かい何度も天を仰いだ。


 翌日、外は土砂降りだ。朝、フィレンツェを少し観光しようかと考えていたが、外は土砂降りだ。僕は、断念してミラノに向かった。途中で、道に迷い、駅に着かない。乗りたい便を乗り過ごし、雨に打たれて、冷えた足とは、裏腹にレインウェアで熱が籠って、体は暑い。
 なんとか、駅に辿りつき、電車を待つ。夜の7時にミラノに到着した。雨脚は弱まる気配も無く、降り続いている。そこから1時間近く歩いて、宿に到着した。すると、予約ができていないし、もう部屋はフルだ、と言われた時、僕のピークがそこにあった。
 夜の八時半、宿はなし。しかも、ここは駅から少し、遠い。小一時間歩いてやってきたのだから。足は雨でぐちゃぐちゃだった。
 頭も、正直少しぐちゃぐちゃだった。あぁ、どうしようかな。駅に行こうか、とりあえず。そこで夜を越せばいいのかな。
 ここにピークがあった。僕は少し、疲れたんだ。

 ホテルの人に別のホテルを紹介してもらい。そちらに向かった。チェックインを終えた時、僕は安堵と疲れで、少しぼーっとしていた。
 とりあえず、靴下を脱げるという幸せが大きかった。雨で濡れた靴下は僕の足に少しひっついていた、うーーんすぽんっ!という感じで脱げる。幸せだ。

 こういう日、幸せのハードルはずっと低くなる。それがすでに幸せなことだと思う。外からは、まだ強い雨の音が聞こえる。
 僕は、幸福感を抱きしめて布団にくるまった。

ヴァチカン市国とピサの斜塔
まるで、罰ゲーム

 それでは、皆さんいい日々を!
 

ローマ

05 04, 2010 | イタリア

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ローマ

 ローマに、朝7時に到着した。宿に荷物を置いて、街へと出かけた。最初に向かったのは、スペイン広場。地球の歩き方の「ローマの休日の舞台を訪れる」、というコーナーに載っていた場所だ。ローマの休日を、見てはいない僕は、そこで、ジェラートを食べたいとは、思わない。
 スペイン広場は賑やかで、ものすごい数の人々が階段に腰をかけている。それを縫うように階段を上って行く。つつじの花が奇麗に咲いている。

ローマ (4)
スペイン広場

 階段を登りきったところからは、街がよく見える。広場には、絵描きや似顔絵かきがたくさんいて、絵になる風景だ。絵描きが絵になる、というのも何だか可笑しな気がしてしまうけれど。

ローマ (6)
ローマ
ローマ (5)

 僕は、いそいそと、階段を降りた。スペイン広場を出て少し歩いていると、ものすごい人だかりが見える。トレヴィの泉だ。
 僕もものすごい人だかりに交じった。

ローマ (7)
トレヴィの泉

 そして、また人だかりの中を縫うように歩いた。

 次に向かったのは、コロッセオだ。ここで、僕は寂しくなった。自分が何をしているのか、何をしたいのか、そんなことを考えてしまう。
 ローマは、2日間の滞在だ。明後日の朝には、ローマを出る。それまでに、見所の多いローマを見て回らなくちゃって、そんなことを考え、急ぎ足で歩いて行く。
 スペイン広場も、トレヴィの泉も僕は見た。でも見ただけにしか過ぎないような気が、する。何か感じることがあったのか。何か思うことがあったのか。
 こんなにも急ぎ足で、何かを見つめることが出来るのか。急に虚しく思えた。

 移動費も宿泊費も、観光費も高いヨーロッパで、僕は何かいそいそと、そこにある風景を無視しながら歩いているような気がしてならない。そこで立ち止まり、僕は、川沿いのベンチで休憩をした。川がのんびりと流れている。この川の上を流れる木の葉のように、のんびりと、湖を漕ぎ進むカヌーのようにのんびりと、そんな風に進みたい。

ローマ (8)

 しばらく座り込んで、コロッセオに向かった。

ローマ
コロッセオ

 コロッセオは大きい。そして立派だ。ここで殺し合いが行われていたんだ。そして、人々はそれに熱狂していた。それを思うだけで、怖くなる。人は慣れてしまう。
 僕がヨーロッパの街並みに慣れて、下を向いて歩いてしまうように、人々は猛獣と人間との命をかけた戦いに、慣れてしまっていたんだろう。

ローマ (2)

ローマ (1)


 観客席は全て立ち見だ。壁の縁に座り、僕は、そこで本を読む。甲子園球場の浜風にも似た涼しい風が吹き込んでくる。空は青くて、気持ちがいい。

 僕は、コロッセオを出て宿へと帰る。一日中歩いた足は、もうヘトヘトだ。天気予報だと明日は雨だ。それでもいいかな。木の葉のように、のんびりと。

 そんな日も、きっと重要だ。

ローマ (9)

ローマ (3)
フォロ・ロマーノ

 それでは、皆さん良い日々を!

All You Need Is Love

05 02, 2010 | イタリア

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ヴェネツィア

 クロアチアから、イタリアへ。スロヴェニアを通り抜けた。夜行列車は、座席で、電気も消さずに、闇の中を走って行く。クロアチアを抜ける前に、パスポートチェックが行われる。うつらうつら眠っていると、肩を叩かれ、パスポートを出して、出国のスタンプを貰う。
 また、眠りについた頃、スロヴェニアのパスポートチェックがある。もう、終わりかと思った頃、もう一度イタリアの国境で、パスポートチェックがある。寝かさないつもりなんだ、きっと。

 朝の7時少し前、ヴェネチア、メストレ駅に到着する。そこから、海の上を走る長い橋を渡り、ヴェネチア、サンタルチア駅に到着する。列車から降り、駅から出ると、朝焼けと共に船着き場が見える。

ヴェネツィア (4)

ヴェネツィア (1)


 僕は前日に見た地図を頼りに、頼りない足取りで宿を目指す。入り組んだ路地と見覚えのある風景に道を迷いそうになる。何とか数人のポパイみたいな服を着た人(ゴンドラ乗り)に聞き、宿に到着した。
 ヴェネツィアは水の都だ。小さい島の中を水路が入り組んで走る。車はおろか自転車の乗り入れさえ禁止されている。聞こえるエンジンの音は、運河を走る船だけだ。細い水路は、手漕ぎのボートか、ゴンドラがのんびりと進んでいる。

ヴェネツィア (7)
ゴンドラ

 サン・マルコ広場に出ると、沢山の人がサン・マルコ大聖堂を見ようと集まっている。30分ごとに、天高くそびえる鐘楼が、鐘を鳴らす。それを聞いた鳩は、一斉に羽を広げて低空飛行をする。
 
ヴェネツィア (3)
鐘楼とサン・マルコ大聖堂

 サン・マルコ広場を抜けると、アドリア海が広がり、対岸に離島が見える。露天があちこちに並び、絵描きが絵を売っている。アドリア海は、濁った水色のような色をしていて、水面に太陽を浴びて、きらきらと輝いている。

 眩しくて、眼を細めた。

ヴェネツィア (2)

ヴェネツィア (9)
アドリア海

 歩き疲れた僕は、宿に戻り昼寝をする。4時頃に起きだして、散歩をする。お金のない僕には、基本的に散歩しかすることが、ない。
 サン・マルコ広場で座り、音楽を聴き、本を読んでいた。僕がふと目を上げると、1人の男性が、両手を大きく前後に振りながらスキップをしているのが見えた。そして、広場の真ん中で向き直り、ビデオの一時停止ボタンを押したように止まった。周りの人間は早足で歩き、鳩も彼の横を低空飛行で過ぎ去った。彼は、動く気配がない。どれくらいだろうか、1分か2分、彼は一時停止ボタンを押しっぱなしになっていた。僕がリモコンを持っていれば、再生ボタンを押したくなるような雰囲気すらあった。
 すると彼は、突然に天に向けて、両手を振り上げた。BGMには、The BeatlesのAll You Need Is Loveのクラシックというのか、コンチェルトというのか、がレストランで生演奏されていた。「All you need is love♪」の後、タッタタララの音と同時に彼は、急に両手を大きく前後に振りながら、スキップをした。再生だ。

 そのまま、30m程軽快に進んで行く。僕は、可笑しな人だな、と思い、立ち上がりお尻をはたいた。そして、彼に背を向けて、歩きだした。2、3歩歩いたところで僕は何気なく振り向いた。すると、彼はひとりの女性を抱きしめていた。

 なんとなく、それはとても素敵なことに思えた。アドリア海よりも、ピザよりパスタよりも、イタリアの国旗よりも、それは僕にイタリアにいるんだということを教えてくれた気がした。
 僕は、ニヤニヤしながら、明日の切符を買いに駅に向かった。

 あぁ、僕は今イタリアにいるんだな。All You Need Is Love 愛こそはすべて か。

ヴェネツィア (5)


それでは、皆さん良い日々を!

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