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江田inn

06 29, 2010 | ペルー

2 Comments
江田inn

 クスコから、またリマへ戻らなければいけない。21時間のバス移動だ。クスコの街はやけに騒がしい。24日に行われる、南米三大祭りのインティ・ライミーへ向けて、プレイベントでもやっているのだろうか。アルマス広場には、作りの粗い大きな人形が、いくつもパレードのように進んでいる。パレードと違うのは、その人形が、あまりにも手作り感が出ている、ということと、進むスピードが著しく遅い、ということだ。

eda inn (1)
クスコ
eda inn (4)


 沢山の人を通り抜けて、クスコでお昼ご飯を食べて、夕方のバスで、リマへと向かった。今回もクルス・デル・スールという良いバスに乗る。リクライニングを倒して、足を伸ばして座った。いや、もう横になる、のほうが近いような状態だ。
 7時過ぎに晩ご飯が運ばれて来た。前回のバスの記憶が蘇るが、気にせずにガツガツと食べた。快調に進むバスは、前とは別の道を進んでいるようで、そんなにも揺れない。僕はすぐさま眠りについた。今回は快適なバスの旅が出来そうだ。

eda inn

 明け方に目が覚めると、辺りは砂漠のような荒野が広がっていた。バスは快調に飛ばしている。僕の体調も快調だ。9時ごろに朝ご飯が運ばれて来た。サンドウィッチ、のようなものだ。前回は一口も食べることが出来なったが、今回はなんの躊躇いもなく食べられた。リマに近づくにつれて、空はまた、分厚い雲に覆われ始めた。どこまでもどこまでも、厚い雲は続いている。日の光も、もどこかに行ってしまったように、辺りは寂しい色に変わる。

 昼過ぎにリマに到着し、今回は祐平さんにお勧めされた、江田innという宿に向かった。ここは、日本式のお風呂浸かれるという。僕はそれを俄然楽しみにしていた。 

 宿に到着すると、ペルー人のご主人がお出迎えしてくれた。ロビーでは奥さんがサッカーの試合を見ながらうたた寝をしておられる。祐平さんの言葉を借りれば、「親戚のおばさんの家に遊びに行ったような気分」を感じずにはいられなかった。
 部屋に荷物を置き、僕も一緒にサッカーを見る。テレビに向かって話しかけているその姿は正に、親戚のおばさんである。

 僕は、イースター島に向けて買い物をして、またロビーでお茶を飲みながら、のんびりと過ごした。晩ご飯をお願いすると、家庭料理としか思えないような温かい夕ご飯が運ばれてきた。ご飯を食べ終えた頃に、お風呂が沸いたからどうぞ、と言われ、僕は得も言えぬ気分だった。
 
 日本の湯船に浸かると、思わずあ゛ぁ~、と声が出る。久しぶりの湯船に浸かり幸福感が広がり、僕は眠りに着いた。
 翌日は朝7時半のフライトで、朝4時半起きだ。昨日会ったばかりなのに、何故か昔からの知り合いだったような気がする、江田さん夫妻に別れを告げて、空港へと、向かう。

eda inn (2)

 飛行機が滑走路を勢いよく走りだす。飛行機がとび立ち、どこまでも続いてるような分厚い雲の中に突っ込んで行く。機体は少しガタついて、雲を超えると、そこには、青い空が広がっていた。当たり前のことかもしれないけれど、なんだか僕はホッとしていた。あぁ、やっぱり雲の上には青空が広がっているんだと、少し嬉しくなった。

 下を見ると、まるで羊の毛のようにモコモコした雲がどこまでも広がっている。もうリマの街並みを見ることは出来ない。

 13過ぎに、チリのサンチャゴに到着した。荷物検査で引っ掛かり、ジャガイモとニンジンが没収された。それでも、サーモマグに入れていた、ニンニクだけは検査の目を免れた。ラッキーだ。
 
 翌日の朝の便で、イースター島へと向かう。もう街まで、出て宿を取り、翌朝早くに空港に戻るのも面倒で、僕は空港に泊ることにした。出発まで、あと18時間と少し。先は長い。僕は空港のベンチに座り、本を読む。
 長い長い物語を読み進める。物語の時間が進むように、僕の周りの時間もどんどん過ぎていく。時計に目をやると、夜の8時を超えたところだ。出発まであと12時間。

eda inn (3)
インディヘナ

 それでは、皆さん良い日々を!
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82km

06 28, 2010 | ペルー

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82km

 マチュピチュを見た翌日、朝の9時発の電車に乗って帰る予定だった。もちろんチケットは持っている。駅に着くと、人が思ったよりも、想像してたよりも、少ない。少し嫌な予感がして、昨日のことを思い出した。

 昨日、マチュピチュで会った日本人の方が、今日、明日はストライキで電車が動かないらしいですうよ、とそう言った。もちろん僕らは、その2日間がストライキだと知っていた。しかし、チケット売り場のお姉さんは、ペルーレイル(僕らの乗る列車)は17日の1日だけのストライキだ、と言っていた。だから、僕らは18日のチケットを持っているのだ。
 不安になった僕らは、インフォメーションに行き、明日列車は動くのかと、尋ねた。すると、インフォメーションのお姉さんは気だるそうに、ここのストは今日だけよ、クスコやプーノは2日間のストライキだけど、ここは問題ないわぁ、と言う。僕らは、完全に安心して眠りに着いた。そして、今日だ。

 窓口は思うように、進まない。出発の9時を前にして、窓口に並んでいるのは数人だ。やはり、今日はストライキのようだ。
 インフォメーションとチケット売り場のお姉さんたちは何だったのだろうか。まぁそんなことは、どうでもいい。僕は、リマからのフライトが近く、なんとかその日のうちにクスコに帰りたかった。僕らは相談をする。急いでいるのは、僕だ。僕が決めなければならなかった。今日、歩いて帰るのか、明日、列車で帰るのか。

 僕は、歩いて帰ることを選択した。すでにここ2日間のトレッキングで、僕らの足はガタガタだ。筋肉痛でお尻から、ふくろはぎまで、満遍なく痛い。祐平さんも、きっとそうだ。

82km.jpg
マチュピチュ村

 マチュピチュ村から、82km地点まで歩き、そこからコレクティーボ(乗合タクシー)を乗り次いで、クスコまで目指す。マチュピチュ村は110km地点。約30km、線路の上を歩く。

 お昼ごはんを買って、少し高い朝食を食べて10時20分、僕らは線路に向かって歩きだした。線路の上は歩きにくい。枕木の間隔は狭く、自分のペースで歩きづらい。線路を外れると、大量の石が敷き詰められた道になる。足を捻りそうになる。
 時速は、4km。僕らは一定のペースで歩き続ける。1時間に1度の休憩を楽しみにしながら、歩いていく。82km地点に着くのはきっと6時過ぎだろう。周りの景色は雄大だ。それにも気付かない程に、下ばかりを見て歩く。枕木の間隔に自分の歩幅を合わせて、進む。

82km (1)

 今日、太陽は雲の中に隠れることが多く、日差しは僕らまで届かずに済む。時折、雲から顔を出す太陽の光は、僕らから体力を奪った。その度に雲が僕らの味方をするように、すぐに太陽を包んでくれた。

82km (2)

 何度か休憩を繰り返し、時刻は4時を回った。やっと90km地点までやってきた。あと2時間で到着するだろう。僕らは、少し元気を取り戻した。

82km (4)
90km地点

 そこから2kmくらい歩き、88kmの標識が見え、時刻は4時45分ごろを指していた。前から作業車が走ってくる。僕らの前でそれは止まる。乗ってもいいか、と聞くと、お金の合図をしている。それでも、僕らはそれに乗り込む。次々に欧米人が乗り込み、作業車はあっという間に多くの人間をパンパンに詰め込んだ。何人かは、作業車のへりに掴まっている。作業車は、ものすごい勢いで前進し始めた。汽笛をポッポーと鳴らしながら進む。時折、歩いている旅人をすごいスピード追い越して行く。さっきまで、15分に一度しか見なかった1kmずつ減っていく標識も、どんどん82kmに向けて、加速するように、減っていく。

82km (5)


 10分程で、82km地点に到着した。民家があり、バス停がある。そこで少し待っているとボロボロのバンがやってきた。僕らは、それに乗り込みオリャンタイタンボという街まで移動する。
 ボロボロのバンに9人ほど乗り、バンの上には大量の荷物が積まれた。もう辺りは真っ暗で、乗せてくれた(有料で)作業車に感謝せずには、いられない。
 
 45分ほどバンは走り、オリャンタイタンボに着いた。そこからさらにコレクティーボを乗りついで、クスコまで向かう。街の人に聞けば、人それぞれ答えが違う。もう、クスコ行きはないわ、というお姉さん、あっちだ、というおじさんもいる。取りあえず、指を差された方に向かうと、コレクティーボが出発しそうな雰囲気があった。僕らは走った。今度は綺麗なバンだ。クスコ行きのようだ。

 僕らは、バンに乗り込む。これで、クスコに帰れると、安堵が体中に広がった。グネグネの道をバンが進む。途中で、いくつかの街を超えていく。どこも、オレンジ色の街灯が街を照らしている。

 徐々に標高は上がっているのだろう。外の温度と、車内の温度の違いで、窓ガラスはどんどん曇っていく。水滴が霧のように、窓ガラスを覆い、街を照らす街灯がぼんやりと広がって見える。
 2時間近く走ったところで、窓ガラスに広がるオレンジ色の明かりが、多くなる。クスコに到着したのだろう。

 20時間近く歩いた、この3日間。この足が覚えている。筋肉痛が足全体に広がり、体は少し重い。それでいて、心は軽い。標高3600メートル、僕はまた一歩一歩踏みしめるように、坂道を登る。クスコに着いた丁度、あの日のように。

82km (3)


 それでは、皆さん良い日々を!

マチュピチュ

06 26, 2010 | ペルー

4 Comments
マチュピチュ

 午前4時、目覚ましが部屋に鳴り響き、祐平さんが部屋の電気を付けた。そして、俺の仕事おわり、とひとり言にしては大きい声で言う。彼の仕事は終わったらしい。僕らは、結局4時半に起きだした。眠りに着いたのがつい先ほどの気がする。いや、気のせいではない。僕らは、午前1時に眠りに着いたのだ。つい先ほどというのは、間違いではない。
 起きてすぐに準備をして、出発だ。

 マチュピチュ村は、まだ真っ暗だ。マチュピチュ村を出て森の中へと向かう。辺りは明かりもなくなり、真っ暗で星がよく見える。僕は眠たくて、更に言うと寒くてどちらかというと、マチュピチュよりも布団が恋しかった。
 はじめの30分、僕らはバスが通る道をのんびりと歩いていた。大回りをしながら、ジグザグに登っていく。しかし、途中で登山道と思われる、矢印を発見した。そこを登ると近道に違いない。僕らは、その道を登り始めた。急斜面が続き、思うように足が動かない。真っ暗な道を、小さなライトの明かりだけを頼りに、進んで行く。辺りはまだ、暗い。

 時折休憩しながら、斜面を登っていると、エンジン音が聞こえる。シャトルバスだ。ライトの光が先に現れて、それの後ろを付いてくるように、バスが現れた。素早く僕らの横を追い抜いていく。僕らは、ただ呆然とバスが通り過ぎるのを待った。
 
マチュピチュ (1)

 空は少しずつ、少しずつ、うっすらと明るくなり始めた。朝特有の水分をしっかりと蓄えた空気が、僕の前を漂うように流れているのがよく分かる。
 6時を過ぎて、空は随分明るくなった。僕らの進む方向から、声が聞こえる。どうやらマチュピチュは近いようだ。
急な坂道を登り終えて、僕らはとうとうマチュピチュに到着した。すでに何かをやり遂げた充実感に溢れていた。入場スタンプを押してもらい、マチュピチュの中へと進む。まず、目指すはワイナピチュだ。僕らはワイナピチュの入り口へと向かった。ワイナピチュは整理券が必要で、一日に400人しか登ることが出来ない。僕らは整理券などもらっていなかった。詰めの甘さが悔やまれる。

 管理人のおじさんに尋ねると、ノープロブレム、とそういうことらしい。今日は、ストライキでお客が少なく、ワイナピチュの入場制限がないらしい。これはラッキーだった。7時になると、ワイナピチュ登山道が解放され、僕らはワイナピチュに登り始めた。

 石段を少し登ると、山の隙間から光が線になり漏れて来ていた。もうすぐあの山から太陽が顔を出すのだろう。僕らは、そこにある大きな石に腰をかけて、朝日を待った。辺りは、もう完全に朝の光に包まれていた。これを朝日と、日の出と呼んでいいのかはよく分からない。それでも、その日初めて見る太陽と言うのは、いつでも美しいものだ。

 7時半頃、太陽はようやく山を越えて、眩しい光を僕らに届けてくれて、マチュピチュは太陽に照らされて、色を変えた。僕はあまりに眩しくて、目を細めた。
 太陽が、山から完全に姿を現すと、僕らは、立ち上がる。そして、また石段を登り始めた。
急斜面が続く。息はなかなか続かない。しばらく登り、後ろを振り返ると、マチュピチュが、石で造られたインカの遺跡がキレイに見える。それは、山の中腹に段々畑が広がり、不自然な程に自然の中に溶け込んでいた。
 
マチュピチュ (8)

 僕らは1時間程かけて、ワイナピチュの山頂に登頂した。見渡す限り、空はどこまでも広がっていた。南には、マチュピチュが太陽の光を浴び、その後ろにはマチュピチュ山が聳えている。西には、白い雪が残る山があり、東には渓谷が見える。遥か下に川が流れ、北は山深い景色がどこまでも続いている。

マチュピチュ
仙のメッセージが良く見える。
マチュピチュ (9)
渓谷

 僕らは、岩の上に座り込み自然にただ見とれていた。なんて美しい色だ。マチュピチュは自然の景観を損なうことなく、まるでごく当たり前のような顔をして、そこにある。それが、素晴らしい。標高2690メートル。息苦しさはまるでない。あるのは、多くの感動と、少しの疲労感だった。

マチュピチュ (7)
登山道
 
 僕らはしばらく太陽の光を浴びて、山を降り始めた。ずんずんと、標高を下げていく。どこまで下がるのかという程に下った。怖いほどの道を下り、おののく様な、ハシゴを下った。1時間ほど下った所で、「マチュピチュ1h30」という残念な看板を発見した。道を間違えたとしか思えない。そこから道はまた登りに転じていた。祐平さんは、すでに虫の息だった。杖に全身の体重を預けて登っている。

マチュピチュ (2)
リャマ
マチュピチュ (3)
マチュピチュ
マチュピチュ (4)

 マチュピチュに戻り、小高い場所まで歩いた。見張り小屋だ。そこは風が強く吹いていて、とても涼しい。眼下には遺跡が広がり、目の前には、先ほど登ったばかりのワイナピチュが白い雲と青い空を背景に、空に向かって伸びている。

マチュピチュ (5)
見張り小屋

 僕らは、そこでしばらく風に吹かれた。確実に、この山の上で生きていた人のことを思いながら。確実に、今、生きている僕を思いながら。

マチュピチュ (6)

 それでは、皆さん良い日々を。

マチュピチュ村

06 24, 2010 | ペルー

2 Comments
マチュピチュ村

 朝、6時40分にロビー(のようなもの)に集合。そう約束して、僕らは眠りに着いた。朝、6時前にインターホンが鳴っている。目覚めた僕はいやに喉が乾いていて、顔が火照っていた。ライトスタンドの側に置いてある水を飲むが、あまり美味しくない、いや美味しんぼではない。
 起き上がると同時に鼻血が溢れだして、驚いた。急いでトイレに駆け込み、ティッシュを鼻に詰めて、もう一度、布団に転がり込んだ。朝は本当に寒い。風でもひいたのかと心配したが、一緒に行く人、ゆうへいさんに告げると、それは乾燥です、と一蹴された。乾燥すると、人は鼻血が出るらしい。

 僕らは、階段と坂道を下り、タクシーに乗り込んだ。細い路地を抜けて、コレクティーボ乗り場にやってきた。まずは、コレクティーボという乗合タクシーでサンタ・マリアという街まで行く。コレクティーボ乗り場で人数が揃うまで40分程待たされる。やっと人が集まり、5時間近く乗合のバンに乗り、山道を登ったり下ったりを繰り返す。結果的には、下っているようだ。

matipityu mura

matipityu mura (1)
ゴミゴミしている。

 途中で一度だけ休憩をして、お昼すぎにサンタ・マリアに辿りついた。そこから、また別の乗合タクシーに乗り換える。今度は普通のセダンだ(トヨタの)。それの後部座席に4人が詰め込まれた。助手席の内藤大介似の彼が羨ましい。さらに荷台に、帰宅中の小学生が4人が乗り込んだ。5人乗りのセダンに現在、10人乗っている。そのまま、車は跳ねるように、悪路を飛ばしていく。途中車が跳ね過ぎて、後ろの小学生が頭を強打したようだ。悲鳴が聞こえる。僕は、後ろを振り返ることもままならない。
 しばらくすると、小学生の内の2人が下りた。後ろの2人は、快適そうに座っている。それも束の間、また新たな子供たちが乗り込んで来た。後ろはもう、まるで奴隷船のように人が詰め込まれている。乗ったり降りたりを繰り返し、最終的には、助手席と運転席の間、サイドブレーキの上にまで人が乗りだした。5人乗りのセダンは今、13人と少しの荷物を載せて走っている。もう、好きにしてほしい。

 1時間45分、3時になる少し前、ようやくサンタ・クルスに到着した。そこでもう一度乗り換えがある。僕らは、一刻も早く、出発してほしかったが、そうはいかない。人数が集まるまで彼らは出発しないのだ。3時過ぎにタクシーは出発した。ぼこぼこの未舗装の道を進んでいく。そこで、ようやく僕らのスタート地点に到着した。そう、ここが今日のスタート地点水力発電所だ。
 僕らは、すでに疲れていた。それでもここが今日のスタート地点だ。

matipityu mura (3)
スタート地点から、列車も走っている、ようだ。

 ジーンズを脱ぎ、スパッツに短パンという格好になり、リュックを背負い直した。ここから、3時間線路の上を歩いて行く。この線路の先に、マチュピチュ村がある。

matipityu mura (7)

 僕らは線路の横の道を歩き始めた。スイッチバックがある度に、ジグザグに登っていく。そこは標高1600メートル程だ。息は思ったよりも辛くはない。線路は途切れることなく、続いている。

matipityu mura (4)

 5時を超えた頃には、山に囲まれたこの場所は薄暗くなり始めた。夕方特有の小さい虫が辺りを飛び回る。それを手で振り払いながら、進む。時速は4キロくらいだろう。5時半頃、空は少しずつではあるが確実に暗さを増している。遠くから、汽笛の音が聞こえた。後ろを振り返ると、列車がゆっくりと進んでくる。本当にゆっくりと。時速は多分20キロか30キロか。僕らはの5倍か7倍程のスピードで進んで行く。

matipityu mura (8)

matipityu mura (6)

 6時を過ぎるともう、空は真っ暗で、月が綺麗な底月を形作り、周りには、ちらほらと星が煌めき始めていた。更に、しばらく歩いていると、山あいの中から光が零れているのが、山に反射して見える。やっと、着いた。
 7時前にマチュピチュ村に到着したときには、到着したという安心感と、マチュピチュ村の意外な程の傾斜で、僕らの足はぷるぷるしていた。
 
 夕飯を食べて、宿へ向かった。もうお風呂に入って素早く寝る、予定だった。しかし、お湯が出ない。人肌以下の水が勢いよく飛び出している。
 僕らは、お風呂騒動によりなかなか眠れず、布団に入ったら入ったで、中学生の修学旅行のように、下らない話で盛り上がり、結局眠りに着いたのは、1時前だった。

さぁ明日は、4時起きだ。

matipityu mura (2)


それでは、皆さん良い日々を!

クスコ

06 21, 2010 | ペルー

0 Comments
クスコ

 クスコの宿は、広場から坂道を1つと、階段を1つ昇ったところにある。僕は、一歩一歩踏みしめるように歩いた。実際には、そうしなければ前に進む気がしなかった。標高3600メートルを超えるこの場所。富士山山頂で生活するようなものだ。

 宿の前に着いてインターホンを鳴らした時には、僕はもうヘトヘトだった。頭は痛いし、間接も痛い。これは軽度の高山病だろう。それでも、僕は宿でcheck inを終えたらすぐさまにベッドに横になった。
 同じ部屋の人が、高山病の薬を買いに行くかい、と尋ねてくれたので、僕は立ちあがり、街へと繰り出した。街の広場はやけに賑やかだ。近々、南米の三大祭りの一つ、インティ・ライミーあるらしく、それの練習をしているようだ。

クスコ (7)
アルマス広場

 僕らは薬屋さんに行き、高山病の薬、アゼダゾラミドというものを買った。僕は真っ直ぐに宿に戻った。すぐさま、さっき買った薬を嬉々として飲んだ。これできっと治るだろう。
宿には、美味しんぼが沢山揃っている。僕はそれを手に取り、読みふけった。ゆうこさんが双子の赤ちゃんを海原雄山に見せに行き、雄山がおじいちゃんの顔をしていた。赤ちゃんの力とは絶大だ。いや、そんなことはどうでもいいのだが。

 夜になると、流石にかなり寒くなる。ダウンジャケットまで着こんでも、まだ少し寒く感じる。早々に布団にもぐり込み、美味しんぼを読んだ。寒くて、布団から出て電気を消すのが億劫に感じられる。眠たくなり、のそのそと電気を消しに行くと、さっきまで布団で温められていた体が一気に冷え込んで行く。目が覚めてまた、眠れなくる。
 
 翌日には、僕の頭痛もかなり治まっていた。外は、リマと違い良い天気だ。何処までも澄んでいて青い。雲が1つ2つ、ぽつりぽつりと浮かんでいる。街はオレンジ色に統一されていて、美しい。こんな朝はコーヒーでも飲みながら、美味しんぼだ。

クスコ (8)


 この日の朝に、アレキパからやってきた人が、僕と同じくマチュピチュに一緒に行く人を探しているらしく、僕らはすぐさま一緒に行くことになった。そうなれば、美味しんぼを読んでいる場合ではない。行く手筈を整えなければならない。
 しかし、この日は日本対カメルーン戦だ。取りあえずそれを見なくてはいけない。やることが多くて困る。

 その試合を見終わった後、すぐさま駅に向かった。チケット売り場に並び、マチュピチュ村(名前がすでに良い)行きの列車を買おうとしたが、明日の便はもう一杯だと言われた。僕らは少し相談をして、もう一度窓口へと向かう。今月は17日と18日がストライキらしい。ドンピシャだ。しかし、このペルーレイルは17日のみのストライキで18日は電車が動くらしい。僕らは、帰りの18日のチケットだけをお買い上げした。
 これで、日程は決まった。16日になんとかしてマチュピチュ村まで行って、17日にマチュピチュに行き、18日に帰る。

 安心した僕らは、きんたろうという日本食レストランに行き、舌鼓を打った。この時はこの3日間があんなにも壮絶なものになるなんて、予想もしていなかった。

クスコ (6)
かき揚げ丼!

 翌日は、ピサックという郊外の村に出掛けた。バスに乗り40分。バスの窓からは、クスコの街が一望できる。山あいのこんな高地によくもこんな都市を作ったものだと、感心する。大きい競技場まである。サッカー場か何かだろうか。しかし、ここで試合をしたら、現地チームが有利すぎやしないかと、思う。少し走っただけで、きっと心臓が爆発してしまいそうだ。

 しばらく山道を走ると、村が現れた。ピサックだ。ここは、沢山のお土産屋さんが並んだ、屋台街だ。山を登ると、小さな遺跡もあるらしい。僕らは歩くだけでもへろへろだ。もちろん、遺跡は満場一致で諦めた。

クスコ
ピサック

 少し買い物をして、バスに乗ってクスコへと戻る途中、僕らはバスを降りた。インティ・ライミーの舞台になるキリスト像がある場所で降りたのだ。そこからの見晴らしは美しく、山は、所どころに木が茂り、それ以外の所はまるで苔でも生えているような、色をしている。
 
クスコ (5)

 キリスト像の前では、色黒のおじさんが、楽器を奏でていた、小さな音で。風が少し吹いている。その音に負けてしまいそうな、音だ。
 太陽は、少し東へと傾き始め、僕らの影は西へと伸びている。おじさんは、もう一度楽器を弾き始めた。今度は少し音が大きい。僕らは、太陽に向かって、つまりは東へと歩きだした。

クスコ (2)

クスコ (4)

 それでは、みなさん良い日々を!

リマ

06 19, 2010 | ペルー

2 Comments
リマ

 飛行機がリマの空港に到着する寸前、空はどんよりも重く曇っていて、まだ、少しだけ明るかった。飛行機を降りて、パスポートコントロールを抜けて、荷物を受け取った頃、もう外は真っ暗になっていた。

 タクシーに乗り、今日の宿へと向かう。何人かに交渉し、少し安い彼に決めた。彼に宿の名前と、通りの名前を告げた。彼は、オーケーと言いながら進む。途中で何人かのタクシードライバーに道を尋ねながら。
 なんとか到着し、宿でチェックインを済ます。部屋に入ると、6人用のドミトリーに僕1人だけ、だった。少し寂しく思う。
 あぁ、とうとう南米まで来たんだと噛みしめた。しかし、スペインとの時差はマイナス6時間。もうスペインは、夜中の2時を回った頃だ。この旅で初めて時差を感じる。すぐさま眠りに着く。まだ、時計は8時を少し回ったところだ。

 翌日、3時ごろに目が覚めた。スペインはもう9時だ、そういうことだろう。またお昼寝のように眠ったり、起きたりを繰り返し朝が来るのを待った。

LIMA (1)

 外は相変わらず、どんよりと重く曇っている。一片の疑いようもないような、曇り空だ。朝食を食べに外に出て、南米というものに少し怯えながら、街を歩く。朝食を食べて、また部屋に戻る。リマの見どころの欄には、見どころと思えるようなものが見当たらなかったのだ。

 お昼、少し前、別の宿から日本人が3人移ってきた。その3人と少し観光へと向かった。まずは広場に向かう。この日は、広場の大きなスクリーンにフランスとウルグアイの試合が放映され、多くの人が固唾をのんで見守っている。スコアは長らく0対0のようだ。

LIMA (2)
 
 広場を離れて、サンフランシスコ聖堂を見て、宗教裁判所博物館へと向かった。昔の宗教裁判所が蝋人形で再現されている。足枷をつけられている人や、紐で手を縛られ吊るされている人間。他にも沢山のシーンが再現されている。僕は何ともいえずにそれを見守った。

LIMA (3)

LIMA (4)

 その裁判所を出た所で、僕は皆と別れて、バスターミナルへと向かった。明日、クスコへと向かうために。
 どのバス会社に聞いても、クスコまでは行かないという。クスコまで行くバス会社が集まっている場所はそこから少し遠い。僕はその日は諦めて宿へと帰ることにした。翌日、バス会社を尋ねると、クスコはない、という。少し焦りながら、2件目のバス会社でクスコ行きを手にすることが出来た。

 バスターミナルで出発時間までぼけーっとしていた。このバス会社はやけに美しい。時間になり、バスに乗り込むと驚くようなシートが並んでいる。まるで飛行機のビジネスクラスだ(乗ったことはないが)。
 優雅な時間を過ごすように、本を読んだ。5時間ばかり、海岸線沿いを快調に走る。空はどこまでも雲に覆われていた。継ぎ目なく敷き詰められた雲は、まるで空がこの色なんじゃないかと思わせる程、灰色の空が続いている。

 外が暗くなり、僕は、少し眠った。夜の8時を過ぎたころ、晩ご飯が運ばれてきた。バスは一度も止まることなく進んで行く。晩ご飯も機内食のように、温められていた。すごいな、と純粋に感心する。

 夜も更けて、バスは、標高をぐんぐんあげながら、進んで行く。山道のカーブをジグザグに進む。標高は、もう2000メートルを超えただろうか。
 僕は、気持ち悪さを覚えた。冬の日本海を進むフェリーのように、バスは左右に揺れ続ける。逃げ場のない気持ち悪さ。僕は、耐えるようにバスの中で悶々としていた。

 標高が更に上がり、3000メートルを超えた頃、僕は気持ち悪さと共に、高山病を併発して、頭が痛くなった。他の乗客が、平然と寝ているのが信じられない。
 何度も、フラフラと立ち上がり、トイレに籠る。トイレの窓から流れている景色は、すでに雲の上で、太陽が山を越えて、やってきた。幻想的な風景が目の前に広がっていることは確かだった。

 僕は、それに感動を覚えることが出来ないほどに痛んでいた。クスコに到着したとき、しばらく僕は地べたにへたり込んでいた。

LIMA (5)
クスコ

 一発奮起して、重いバックパックを背負い直して街へと向かう。そこら中にタクシーが走っている。僕の右手は気がつけば天をかざしていた。
 目の前にタクシーが止まる。僕は仕方なく、それに乗り込んだ。もちろん仕方なく。

 さぁ、広場まで行ってくれたまえ。僕は、きっとそう言っていただろう。クスコの街をタクシーが坂道を上っていく。息絶え絶えの僕を乗せて。

LIMA.jpg
ビバ!ペルー!

 それでは、皆さん良い日々を!

EUROPE

06 16, 2010 | EUROPE

4 Comments
EUROPE

 ヨーロッパ。僕は、何に憧れを抱いていたのだろうか。ヨーロッパの街並みか。ヨーロッパの思想だろうか。多分、雰囲気だ。テレビで見るヨーロッパ、本に出てくるヨーロッパ。それはどれも、優雅で美しかった。

europe.jpg
フィンランド

 でも、それは僕の求めるものではなかったのかもしれない。僕はヨーロッパで自分自身に出会うことが出来た、気がしている。
 建築物に大した興味がない、ということ。自然が好きだ、ということ。僕は日本人だ、ということ。色んなことを僕に与えてくれた気がしている。ヨーロッパが大変な地域であったとしても、それは行かなくては分からなかった、かもしれない。一生、ヨーロッパの中世の街並み、石畳の街、整然と立ち並ぶ、建築物の数々、僕はそれらに憧れ続けていたかもしれない。

europe (5)
イタリア

 国は人だ、ということを、ASIAという記事で書いた。今回も少しそれの続きになる。

 アジアの旅を終えて僕が大きく感じたのは、国は人である、ということだった。最後のアジアであるトルコの旅行を終えてハンガリーに戻った。その翌日に街を歩いていると、大量の本当に大量の自転車が街を走っていた。多分何かのフェスティバルか、今流行りのエコイベントだろう。ベトナムのホーチミンで見たバイクよりも格段に多い。

europe (2)
ハンガリー

 なんとなく、橋の欄干のような場所に座りその大行進を眺めていると、一台の自転車が僕の前を通り過ぎた。彼は自転車の後ろに荷台のようなものを引き、その荷台に長方形の旗を掲げていた。チェコの国旗だ。彼は笑顔で僕の前を通りすぎいく。国旗を掲げている彼は、チェコ代表でやってきただろうか。

europe (3)

 僕はその時思った。僕は日本代表なんだ、ということを。僕は、足が速いわけでもなく、サッカーも下手くそだ。野球も外野からキャッチャーまで何バウンド必要か分からない。もちろん、ヨーヨーも出来なければ、チェスも弱い。

 僕が日本代表になれることがあるなんて、一度も考えたこともなかった。日本代表と言うのは、日本の代表だ。日本のトップなんだ、と思っていた。
 でも、それは多分違う。日本に生きている人、日本人として、生きている人、全ての人間が日本代表だ。国は人なのだから、当たり前のことかもしれない。

 日本人が外国で悪いことをしたなら、その被害者たちは、日本人が大嫌いになる。僕が未だにスペイン人を、ひいてはスペイン自体も好きになれないように。
 だから、僕の行動1つが日本の印象を変えてしまうんだ。だから、僕は日本代表だ。

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クロアチア

 そんな風に思う。僕は、いつの間にか背中に日本代表のゼッケンをつけていたのだ。背番号はそうだな、きっともう数えきれないほどの数だろう。僕は今、何億番目か分からないが日本のゼッケンを背負いながら生きている。そんな気がしてならなかった。希望としては、ゼッケンナンバー11番とかがいいのだけれど。 

 ヨーロッパに来てみなければ分からないことだったのかもしれない。西欧は特に、僕の顔の筋肉を動かしてはくれなかった。僕の心は、僕の体に鳥肌を立たせてはくれなかった。これは、ただの僕の感想でしかない。

 ヨーロッパを愛してやまない人のことを、僕は少し羨ましくも思うが、これが僕に与えられた感性なのだろう。
 凱旋門よりも、日本の棚田でも見ている方が余程感動的だ。これも僕の感性だ。有名な芸術作品よりも、大道芸人の方が余程芸術的だ。これも僕の感性だ。きっと、人の感性はどんどん変遷を繰り返すのかもしれない。22歳になったばかりの僕の感性はこれだと、今は思う。

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スイス

 皆さんの感性はどうでしょう。

 旅とは出逢いです。
 
 僕が出会う人に、旅とは?と尋ねると、この答えが多い。

 そうです、旅とは出会いです。色んな人との、色んな自然との、色んな人工物との、そして、もちろん自分との。

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フランス
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イギリス

 それでは、皆さん良い日々を!
(日本代表は今がワールドカップ中だからそう思ったのでは、ないですよ。でも日本頑張れ。俊輔がんばれと、ベンチの俊輔に僕はまだ、少し未練を残しながら応援しています)

北へ、西へ、南へと。

06 14, 2010 | モロッコ

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北へ、西へ、南へと。

翌朝目が覚めると、外は明るく日の出間近、だった。

僕は、飛び起きて砂丘に向かった。少しでも、高い所で朝日を見るために砂丘を登る。
30メートルほど登った所で、太陽は早々に姿を出した。砂丘の中腹にも満たない、場所に座り太陽が昇っていくのを見つめた。

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 砂丘を下りると、すぐに出発だった。昨日から同じ場所で座り続けているラクダに乗る。ラクダマンが合図を出すと、少し面倒くさそうにラクダは立ちあがる。行きと同じように、体を前後に揺らしながら立ちあがる。僕は振り落とされないように取っ手を掴んだ。

 ラクダマンが紐を引きながら歩きだすと、ラクダもゆっくりと進む。昨日から我慢していたのか、いかにも硬そうな小さい糞を出しながら、ラクダは進む。

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 途中で、別のグループの2人と合流し、3頭のラクダと2人のラクダマンになる。朝、空は何処までも青くて、何処までも広がっていた。
 来た道と同じ道を、帰る。違うのは、見える風景だ。行きは先に広がり続けるとしか思えない砂漠を進んでいた。帰りは、遠くに村が見える。木が見える。

 1時間半程ラクダに乗り、村に戻った。朝食はベルベルオムレツというものを出してもらった。

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 その日の夕方にも近くの砂丘に登った。自分の足で進むというのは、とてもいい。ラクダに乗るのもいいが、自分の足で進むというのは殊更素晴らしい。砂に埋もれる足は、砂の温度を直に感じることが出来る。

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 次の日に、僕はマラケシュに戻った。宿に行くと、インドのコルカタで髪を切ってもらった方が、座っている。再会だ。この時も僕の髪の毛は伸び放題だっただめ、切ってほしかったのだが、照りつける太陽の下で、あのビニールを被るのは嫌だったので、遠慮しておいた。次に会ったら是非切ってもらおう。南米で。

 また、スペインに戻る。もうスペインにいること自体嫌ではあったのだが、飛行機の都合上そういうわけにもいかない。
 それに、ひとつ楽しみなことがあった。トルコで2日ほど一緒の宿だった、日本人のモモコさんと、韓国人のジスと再会する約束があったのだ。

 無事に3人は再会を果たして、モモコさんの友達のスペイン人と4人で外食をした。初のスペインでの外食だ。いやヨーロッパでこんなにちゃんとした、外食をしたことはなかった。うまかった。

 翌日、ジスはロンドンへと向けて旅立った。僕は南米へと向けて飛び立った。モモコさんはマヨルカ島へと向かった。北に、西に、南に、それぞれ進む道へと進んで行ったわけだ。

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ジスは本当にかわいいやつです。

 僕は、今南米にいる。とうとう、南米までやってきた。飛行機がオーバーブッキングで、乗れないかもしれない、という事態に直面したが、なんとか乗り込むことが出来、お昼に出て、13時間のフライトだ。飛行機は、巻き戻しのように、太陽へと向かって進んで行く。いつまでたっても暗くならない。時間を逆戻りしながら、ペルーに着いた時、丁度夜がやってくる、そんな時間だった。

 さぁ、楽しんで行こう。

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 それでは、皆さん良い日々を!
(今回は、少し駆け足のブログになりました。すいません)

サハラ砂漠

06 10, 2010 | モロッコ

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サハラ砂漠

 ラクダマンに引かれて、一頭のひとこぶラクダが宿の前にやってきた。
 その日、僕はラクダツアーに行く。参加者は僕1人だ。ラクダは声も、音も出さずに座っている。僕はラクダにまたがった。ラクダには気の利いた取っ手がついている。それを、掴んで、と言われ掴むと、ラクダは体を揺らしながら立ちあがる。

 ラクダの上から見る風景は、いつもよりも高い。隣の家の塀を上から覗ける、それ位の高さだ。宿の人たちに手を振り僕は砂漠に向けて出発した。ラクダはゆっくり進んで行く。一歩一歩、体を前後に揺らすように着実に進んで行く。慣性の法則を感じずにはいられない。体は半身分程遅れて前に進んで行く。

 15分程進むと、砂の砂漠に入る。ざっ、ざっ、と柔らかい音を立てながらラクダは進んで行く。ラクダマンは、サンダルを脱ぎ砂の中に埋めた。帰りにまた履いて行くのだろう。いや、彼にとってどちらに向かうことが帰る、ということなのかは、分からないが。

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 東の空には沢山の雲がある。西の空は青い空が広がっている。出発した時間はモロッコの時間で5時半、ベルベル時間で4時半だった。太陽は東へと傾いており、雲の中にある。時折太陽が雲の隙間から顔を出すと、砂漠の赤く白い砂の上にラクダマンとラクダと僕の姿を影に映す。

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 風が、少し吹いている。周りから聞こえる音はラクダの足音、ラクダマンの足音、そして風の音、それだけだ。
 その、風の音を聞け。

 しばらく歩いていると(ラクダが)、急な坂に出くわす。ラクダの体の揺れは強くなり、僕の体もよく揺れた。そのうち、内腿がラクダと擦れ、少し痛くなってくる。足の位置を変えたり、ラクダの上で胡坐をかいてみたりする。
 ラクダは、文句1つ言わずに歩いている。

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 1時間半程経った頃、家が見え始めた。小さい家が1つ。そこを通り過ぎると、小さい家が3つほどある。その左手には少し大きめの家がいくつかある。ここは集落、なのだろうか。

 そのすぐ奥に小さい家が3つほどある。そこが今日の宿であり、多分彼(ラクダマン)の家だ。彼は、砂の上に布を敷いて、机を置いた。そいて、熱いミントティーを出してくれた。このミントティーはモロッコではどこでも出てくる。蕎麦屋のそば茶のような、おばあちゃんの家の麦茶のような、回転ずし屋の緑茶のような、そんなものだ。

 暑い国で、熱いものを出すというのも不思議ではあるが、それにもきっと意味があるのだろう。熱々でひどく甘いミントティーと、ウエハースだ。何故ウエハースなのだろうか。喉が渇くものをチョイスする必要もないのではないか。

 ミントティーを飲みほすと、あの砂丘に登って夕陽を見てこい、と彼は言う。少し小高い砂丘。僕は意気揚々と登り始めた。砂丘の尾根にそって登っていく。足は砂の中に埋もれ、思ったよりも先に進まない。しばらく歩いていると、尾根はどんどん狭くなり、一本の線に変わる。急な傾斜と足を取られる砂丘に体力がどんどん奪われて行く。

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 水を飲みながらゆっくりと進む。一つ目の砂丘に登り切った所で、あと二つ程砂丘を超えなくては夕陽は見えそうにない。砂丘も連峰になっているのだ。この辺りから、風が強くなる。ゴーゴーと風が吹く。風は砂を巻き上げて、砂と共に吹き付ける。連丘を越えて、夕陽が見える場所に到着した。風があまりに強い。砂と風が徒党を組んで、すごい勢いでやってくる。僕の毛穴と言う毛穴に砂がズボズボと入っていくような感覚にさえなる。

 カメラを出したらカメラのあらゆる毛穴にも砂が入りそうだ。僕はカメラをタオルでくるみ、シャツの中に入れて、風が止むのを待った。風が弱まった瞬間にカメラを取り出して撮る。風が吹き付け始めると、急いでシャツの中に入れる。そんなことを繰り返す。夕陽がはるか遠い山の中に隠れると、周りは急激に暗くなり始める。

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 戦いを終えた戦士のように、僕はへとへとになりながら戻った。しばらく横になってぼーっとしていると、晩ご飯が運ばれてきた。タジンだ、すごい量の。3人前くらいありそうだ。僕は、食べきれずに残した。
 ロウソクの明かりが風に揺れている。今にも消え入りそうだ。聞こえてくるのは、風の音と別の家から聞こえる太鼓の音だけだ。
 僕は目を瞑り、その、風の音を聞く。

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 それでは、皆さんよい日々を!

メルズーガ

06 08, 2010 | モロッコ

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メルズーガ

 マラケシュの宿を朝7時に出発。1時間近くかけて、バス停まで歩く。予定のバスは、30分遅れの9時過ぎに出発した。

 少し、ごちゃごちゃしたマラケシュの街中を進み40分も走ると、辺りは荒野が広がり始める。日上がった大地にポツポツと植物が生えている。ぐんぐん荒野を進んで行くと、うねるような道に変わる。ヘアピンカーブの上り下りを何度も繰り返す。渓谷の上を走るバスの車窓からは、谷底の自然がよく見える。

メルズーガ (4)

 谷底は緑が豊かだった。渓谷の上は赤土色した、山が広がり荒涼としている。それに比べて、谷の下は沢山の木々が生え、畑のようなものも見える。この大地でも、水は流れ、それは山から谷へと、向かっているのだろう。不思議では、ある。雨があまり降らないこの土地にも、少ない雨水を吸って、蓄えて生きている植物がある。

 僕が想像していたよりもずっとたくさん。

メルズーガ

メルズーガ (2)


 2度の休憩をしながら、13時間後の夜9時半にメルズーガに到着した。宿のタクシーがバス停まで迎えに来てくれていた。「ウキタサンデスカ?」と片言の言葉で僕に寄ってくる。何一つ合ってはいなかった。
 タクシーで、夜でも分かるほど、何もない砂漠の上に伸びる一本のコンクリートの道を、5分ほど走り、宿がある村に向けて右折をした。
 宿に着くと日本人の、のりこさんが出迎えてくれた。ご飯を作ってくれていたようだ。白米とサラダに煮込みのベルベル料理。タジン鍋で煮込まれたお肉、 あまりの熱さに僕は舌を少し火傷してしまった。
 でも、本当においしかった。

メルズーガ (5)
ライスがメインですいません。

 時間がのんびり進むような気がする程、落ち着いた雰囲気の中にいるのだけど、時間は僕の体内時計よりもずっと早いスピードで進みあっという間に、その日の天井を超えていた。

 部屋は少し暑かった。のりこさんが、屋上で寝ますか、という。僕はいいですね、と言った。屋上にマットを敷く。空には驚く程の星が見える。

 毛布をかぶり、星空を眺めた。流れ星が時折、流れる。いつもより少しのんびりしたスピードで。ここでは星まで、のんびり進むのかと思った。
 星は煌めいていて、揺れるように大きくなったり、小さくなったりするように、ふわふわと輝いていた。

 眠りについて、少し経った頃に目が覚めると、空には月が浮かんでいる。さっきまではなかったはずの月が。ここでは月まで上るのが遅いらしい。月の光に負けて、姿を消した星も数多くある。

翌日目が覚めると、朝日は昇り、空が真っ青だ。

メルズーガ (6)


 のそのそと起きだして、日本人の方がメルズーガまで、歩いてはがきを出しに行くというので、僕も付いていくことにした。

 泊っている村の家はどれもこれも、土壁で、つまり土の色をしている。地面も家もみな同じような色をしている。
 荒野を1時間程歩いた。地平線のように、コンクリートの道は続いていて、周りには砂丘がこんもりと盛られている。
 メルズーガに到着し、用事を済ませて、また村に戻る。日はどんどん高くなってきており、照りつける太陽が暑い。

 一歩間違えたら遭難してしまいそうなほど、変化のない道を歩く。時折通る車が砂埃をあげて過ぎ去っていく。これは、雄大ですごい景色に思う。何もない。この景色の中に人が住んでいること自体が不思議にすら思う。

 宿にお昼前に到着し、水とコーラを買って飲む。乾きから潤いに変わる瞬間、それは最高に美味しいものに変わる。
宿に置いてある小説をゴロゴロ寝転びながら読む。もとがグータラの僕はこういう時間がたまらなく好きだ。幸せに浸っていると、ラクダマンが来たよ、とのりこさんの声が掛かった。

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 さぁ、出発だ。

それでは、皆さん良い日々を!

マラケシュ

06 06, 2010 | モロッコ

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マラケシュ

 マラケシュ空港に朝の8時ごろ到着した。飛行機の上から見ても、見渡す限りの平野、そして荒野。緑色した木々も申し訳なさそう程度に、生えているが、背は低く見えた。

 空港の外に出ると、真っ青の空が広がっている。まだ時間が早いこともあり、思ったよりも暑くはない。
 僕はバスに乗って市街へと向かう。ジャマ・エル・フナ広場の前でバスは止まった。降りると、どこか懐かしいような雰囲気に包まれた。埃っぽい空気の中で、客引きのおじさんや子供たちが、僕に寄ってくる。ジャポン、ジャポンと、寄ってくる。

マラケシュ (3)


 僕はそれを振り切りながら広場を奥に向かって歩いてく。どんどん日は高くなり、気温が急に上がっていくのが分かる。
 なるべく日陰を歩きながら宿を目指した。宿に着くと、日本人の方が僕を迎え入れてくれた。すごく久しぶりに感じる。
 お茶を入れてもらい、スペインでの話なんかを話していた。僕はまだ、その事実を話すのに慣れていないようで、少し口が上ずり、手が震える。

マラケシュ
宿

 それを聞いていた、大阪から旅に来ていたおば様2人にも話を聞いて貰い、励ましてもらった。その内の一人の方も、ポルトガルでスリに遭ったそうだ。
 僕は日本語を久しぶりに話しているような感覚にさえ陥りそうなくらい、嬉々として、日本語を話した。安心出来る空間だった。

 その2人の方は、今日カサブランカに発つという。僕も駅にチケットを買いに行く予定だったので、3人で、駅へと向かった。駅に向かうタクシーは蒸し風呂のように暑い。途中で通り過ぎる温度計には43℃という標示が出ていた。

 暑さで眩暈を起こしそうだ。

 駅に到着し、列車の時間まではもう少し時間があるようで、お昼御飯を一緒に食べることになった。マクドナルドだ。

 かなり久しぶりに食べるような気がする。外食自体が久しぶりだ。おば様にマクドナルドを御馳走になった。その時食べたチーズバーガーは、今まで食べたマクドナルドの中で一番おいしかった。これは本当だ。食べた瞬間にニヤけてしまう、あの感じを久しぶりに感じた。

 僕は2人に励ましてもらい、そうですね頑張らないといけないですね、と言った。すると2人は、頑張る必要なんてないじゃない、と言った。イグアスの滝やイースター島、行きたくて仕方ない場所に行くんでしょう。楽しめいいのよ。

 僕はこぶしを強く握った。そうだったな。僕の旅の目的は、頑張って時間を潰すことではない筈だ。見たくて仕方がないものを見に来たんだ。

 2人にお礼を行って、ホームに消えていく後姿を見送った。

マラケシュ (2)
マラケシュ駅

 その日の夜にも日本人の同年代の方4人でご飯を一緒に食べた。本当に楽しくて、ご飯もおいしく感じられる。旅はこんなにも楽しいじゃないか。

マラケシュ (4)
タジン料理
マラケシュ (1)

 久しぶりに気持ちが綻んだ。本当に色んな人に会えて、僕は今楽しいことをしているはずだ。頑張る必要なんて、ないじゃないか。
 夜の広場は騒がしくてあちこちから、煙が上がり、呼び込みの声がかかる。僕は適度に無視しながら、これなんだな、と思いながらニヤニヤしていた。

マラケシュ (5)


 それでは、皆さん良い日々を!

パリ

06 04, 2010 | フランス

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パリ

 話は、少し遡る。
 
 幸先悪く野宿をすることになった、次の日、宿をとり荷物を置いた。
 少し昼寝をして、僕はパリの街へと向かった。目指すは凱旋門だ。凱旋門近くの地下鉄で降りた。ものすごい人だかりに押されながら、出口へと向かう。その日は月曜日、平日の筈だ。
 何かのお祭りでも行われているような雰囲気すら、ある。いや実際には何かのフェスタをやっていたらしい。
 人ごみに紛れながら地下から、地上に出る。目の前には、大きなお尻と大きな凱旋門が立っていた。
 凱旋門の周りを、少し歩きまわる。人だかりを避けるように色んな角度から、凱旋門を眺める。どの角度からも同じようなつくりだということが分かる。

 凱旋門を背にシャンゼリゼ通りを東へと向かう。どこに向かっているのか、分からないままに東へと向かった。この日、太陽は隠れる場所もないようで全面にギラギラにテカった顔をこちらへ向けている。少し、いやかなり、暑苦しい。

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凱旋門

 しばらく歩いていると、美しい建物が軒を連ねている。流石はパリだ。色々洗練されているのだろう。
 人があまりにも多くて、息苦しくなった僕は、少し道を外れた。

 僕はヨーロッパに来て、特に西欧に来て、寂しさを強く感じる。暇だと強く感じる。
 都会には、こんなにも人が溢れているのに、孤独だと、再認識されられるように、寂しさを感じる。石畳の道も、石造りの建物もどこか寂しい。
 セーヌ川沿いをしばらく歩き、ノートルダム大聖堂を見に行った。この辺りで、僕は確信に似た何かを、得ていた。
 自分がいかに建物や街並みに興味がないか、ということを。

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ノートルダム大聖堂

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セーヌ

 知っていた、筈だった。でも、知らないふりをしていた。

 どんなに遠くに行っても、いや遠くに行けば行くほど見えてくるのは自分自身だ、という村上春樹の言葉が聞こえてくる。僕は、自分のことがあまり見えていなかったらしい。少しずつ見えてきたんだと実感する。

 翌日は僕の誕生日、だった。22歳になる。
 なんとなく、何もしないのも自分に申し訳がない気がして、僕は夜、エッフェル塔に向かった。例の、あれだ。

 空は、昨日と打って変って曇天だ。
 エッフェル塔に到着し、列に並ぶ。しばらく並んでいると、少し雨が降り出した。カメラをかばんにしまう。少しずつ雨脚は強くなる。その内雨は土砂降りに変わった。チケット売り場の屋根からは、雨水がドタドタと太い線になって落ちてくる。

 チケットを買い、エレベーターで、上に上がる頃、雨は止んでいた。僕は少しホッとしながら、椅子に座り、暗くなるのを待つ。

 10時ごろ、暗くなった空の下で、上を見上げるとエッフェル塔は、パチパチとまるで爆竹がエッフェル塔中で、爆発しているように光始めた。
 しばらく、エッフェル塔からパリの街並みを見下ろして、下に降りた。

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 エッフェル塔は黄色くライトアップされ、それはまるで金色に見える。少し離れた所から、エッフェル塔を眺める。また、エッフェル塔は爆竹のような光を放ち始めた。

 僕は、こんなにも寂しい誕生日は初めてだ、と思う。どんなに、小さいケーキでもいい、家族や友達と過ごす誕生日の温かさを思い出していた。

 エッフェル塔は、ハッピーバースデーを歌ってはくれない。

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 それでは、皆さん良い日々を!

かさぶた

06 01, 2010 | 未分類

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かさぶた

 時間が少し流れて、心の傷は少しずつ少しずつ、回復へ向かっていると思います。心の傷がかさぶたになるには、転んだ擦り傷よりも時間はかかりそうですが、必ず、かさぶたになって、そのうち知らないうちに小さくなって、知らないうちにかさぶたはなくなっていて、傷跡は周りと同じ肌色に変わるでしょう。

 それまでは、傷が痛むこともあり、心の傷には絆創膏が貼れないし、空気にも触れにくいので、のんびりかもしれませんが、必ず傷は治る。
 
 皆さんからのコメントやメールでの励ましなど、本当にありがとうございました。本当に嬉しくて、心の傷を治すのは、消毒液ではなくて、愛や友情なのだと深く実感しました。

 
 これから、僕は一度モロッコへ向かいます。フランス、スペイン編のブログは追々書いていきたいと思います。
 モロッコの乾燥した空気や何もない荒野に、何かを期待して、自然に抱かれることを期待して、進んでみます。

 応援してくれている皆様。本当にありがとうございます。日本や海外にいる皆様も日常には色んな事があると思いますが、楽しんで行きましょう。
僕のことを応援してくれる方がいるように、僕も色んな人のことを応援しています。
次からは、いつも通りのブログに戻る予定です。いつでも、励ましや応援のメールを送って下さいね。何よりも嬉しいです。
 日本で元気に会えることを楽しみにしています!

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美ヶ原高原
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志賀高原
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しらびそ高原
愛すべき長野の高原。

  それでは皆さん良い日々を!

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