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アスンシオン

07 29, 2010 | パラグアイ

3 Comments
アスンシオン

 イグアス移住地にて、のんびりと雨の音を聞いて過ごした後、パラグアイの首都、アスンシオンへと向かった。
 一泊だけの予定で、イグアス移住地の前を走る国道7号線の前に立ち、バスが来るのを待つ。オンボロのバスが一台止まったが、それはアスンシオンまでは、行かないようで次のバスを待つ。もう少しばかりマシに思えるバスが来た。バスのフロントガラスの右前にASUNCIONという表示が 出ていた。間違いない。

DSC_0093 (3)
バス停

 僕は、バスに乗り込んでアスンシオン?、と尋ねる。運転手さんは顔を2度、縦に振った。おんぼろのバスは、すぐに出発してガタガタと揺れた。
 1時間程走った所で、人の乗り下りが激しくなり、バスは満員に近い状態になった。狭い通路には、10人程度が立ち、バスの揺れに体を揺すられていた。
 バスの中にはあまり風が吹かず、やけに暑い。3時間を過ぎた頃から、尿意をもよおして、暑さとは別に膀胱にまで緊張感を持たなくてはならなくなった。冷や汗と、汗が一緒に出る状態というのは、緊張のピークだ。
 幸いにも、このおんぼろバスにもトイレは、ついていた。しかし、通路には押しも押されぬ状態の人々が、いる。僕は一発奮起でその人ごみをかき分けて、トイレに辿りついた。

 トイレに行き、安らぎを得た僕は、席に戻った。水やお菓子なんかも食べたりして、先ほどの緊迫感が、今や少し懐かしい。

 イグアス移住地から5時間、バスは、アスンシオンのバスターミナルに到着した。前評判通り、何もない空気に包まれていた。
 バスターミナルを出て、市バスに乗り、目当ての宿近くを目指す。バスは、予想通り大通りの坂道を上った。15分ほどで、メルカド・クアトロという露店街が見える。この二つ先の交差点ぐらいで降りたら良いくらいかな、と思った矢先にバスは次の交差点を右折した。さきほどまで渋滞にはまり、開けっ放しだったドアも閉まり、バスは、スピードを上げた。
 場所が分からなくなり、通りすぎる交差点の道路名を必死で追いかけた。ブラジル通りにメキシコ通り、ここはパラグアイ、なのか。

 結局、次の停留所で降りた。そこは街の中心地近くだ。その割には、裏通りとしか思えないような通りだ。そこからは、歩いてもそこまで遠くはない。助かったという気持ちを引き連れて、宿を目指した。15分ほどホテル内山田に辿りついた。

 この宿は、朝食が和食バイキング、なのだ。それだけのためにここまではるばるやってきた。目的は、そう和食バイキング、以上で終了。

 晩ご飯を食べに、外に出たのは、夜の6時過ぎだった。しかし、街は完全に眠りに着いていた。開いている店は、ご飯やと、少しのミニスーパーだけだった。他の店はすべてシャッターを下ろし、暗い暗い商店街になっていた。土日はこぞって店を閉めると聞いていた。その日は丁度土曜日だ。
 どこのお店もこぞって店を閉めていた、ので、その情報に間違いはない。

DSC_0093.jpg
 シャッターが閉まりすぎていた上に、何もなかったので、僕はアスンシオンで写真を1枚しか、撮らなかった。これ1枚しか。

 翌日、朝起きえると、様子が少しおかしい。喉がやけに痛いのだ。楽しみにしていた和食バイキングも喉に通る時に痛みを伴い、そこまでモリモリ食べることが出来なかった。ただ、美味しかったことは、確かだ。

 そして、またバスに乗り、イグアス移住地へと戻る。何をしに来たのか。未だにイマイチ分からないでいる。和食バイキングは、旨かったのだが・・・。
 バスに揺られ、帰りは4時間で到着した。僕の喉は、俄然調子が悪くなり、更には寒気と頭痛を引き連れて、徒党を組んでやってきた。厄介な3人組だ。
 翌朝は、イグアスリベンジのためにもう一度アルゼンチンに帰る、予定だった。

 しかし、朝起きると、熱は下がるどころか上がっていた。体温計を借りて測ってみると、38度の高熱だ。ドカベン(プロ野球編)を読む手も震えるわけだ。
 旅に出て、初めての風邪をひいた。あぁ、風邪ってしんどいんだな、と思い出すように唸った。寒気がやってくるのに、頭は熱くて喉が痛い。とてもじゃないが、チョコレートクッキーは食べられなさそうだ。

DSC_0093 (2)
いぬ

 空はいつもよりもずっと晴れていた。部屋の窓の外には木が生えていて、木漏れ日が、やけに綺麗に見えた。今日、イグアスの滝に行けていたら、さぞかし綺麗だろうな、そんなことを布団に包まりながら思う。明日も晴れるかな。明後日も晴れてくれるかな。風邪は明日、治るだろうか。
 僕は、チョコレートクッキーを食べながら、そう思った。

DSC_0093 (1)
今回は写真が全然なかったので、次のイグアスの滝に向けて、ライバルである日本の滝を載せておきます。

 それでは、皆さん良い日々を!
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イグアス移住地(41km地点)

07 26, 2010 | パラグアイ

2 Comments
イグアス移住地(41km地点)

 イグアス移住地に、着いて3、4日が経つ。晴れたり、雨が降ったり、毎日天気は変わりやすい。太陽が出た日は、気持ちの良い温度と気持ちの良い風が吹く。雨の日には、冷たい風が吹き、宿の中までやけに寒く感じる。
 
DSC_0033 (7)
晴れた日は気持ちがいい。この健太さん達とは、ペルー以来二度目の再会。

 このイグアス移住地には、2万人の人々が生活し、その内の700人が日本人、もしくは日系人だ。この街の真ん中には大きな鳥居があり、日本語の看板がよく目に着く。更には、農協まで、ある。
 農協に行けば、日本語で表示された品物が沢山置いてあり、納豆や味噌なんかも売っていて、テンションが著しく、上がった。なめ茸なんて、いつぶりに見ただろうか。

DSC_0033 (1)

 早速、味噌や食材を買って、宿に帰る。その道は、どこまでも粘土質の赤土だった。雨上がりのその日は、靴の裏に土が、どんどん雪だるまのように増えていく。僕は、重くなった靴を石にこすりつけて、土を取る。
 真っ直ぐに続く道は、所どころ舗装された石畳になっているが、多くの道は赤土が広がり、青い空や、白い雲と見事なコントラストを描いていた。
 
DSC_0033.jpg
パラグアイの空の色は、なんだか好きだ。
DSC_0033 (2)


 宿に戻り、みそ汁を作る。久しぶりに飲むみそ汁は、美味しくて、温かい。温度のことでは、ない。温度はむしろ熱々だった。みそ汁とふろふき大根を作って、ついでに肉じゃがなんかも作った。
 こんなことは、日本に帰ればいくらでも出来ること、かもしれない。今、するべきことじゃない、のかもしれない。
 でも、海外で和食を食べるというのは、とても良いことだとも、思う。あぁ、和食って旨い、と強く強く実感することが出来る。もっと日本を好きになれる、そんな気もする。

 次の日、誕生日会が開催された。ここは、誕生日の人がいると、皆で祝ってくれるのだ。僕もここで誕生日を迎えればよかった。エッフェル塔に登ってる場合ではなかった。残念だ。

 誕生日会は、大量の肉やソーセージを焼いた(僕は焼いていない)。日本米のおにぎりも、握った(僕は握っていない)。更に美しく盛られたサラダも作った(僕は盛ってない)。
 机は、美味しい料理とお酒で、どんどん埋まった(もちろん、僕は埋めてない)。

DSC_0033 (3)
肉。おにぎり。
DSC_0033 (4)

 皆で、乾杯をした。おめでとー、の声が部屋に鳴り響く。改めて誕生日というものの素晴らしさを感じた。
 お誕生日おめでとう。誕生のその日、今日まで生きてきたんだね。おめでとう。
 お誕生日おめでとうや、あけましておめでとう、ってイマイチ言葉の意味が僕は、わからないでいる。
 とりあえず、おめでたいことなんだと、思ってきた。どちらも、年(歳)の終わりで始まりである点は一緒だ。
 つまり、どちらも誕生、なのかもしれない。終わりで始まりだ。

 僕は、焼きたての肉を旨い旨い、と食べながらそんなことを考えた。その日、外はどしゃ降りで、雨の音が強く聞こえる。
 僕には、もうひとつ疑問が浮かぶ。雨の音って何なんだろう、って。水の音、それは水が何かにぶつかる時の音だ。
 雨が、何ものにも当たらずに何処までも、落ちていったら。音は無い、のかな。そんなことは、ない気がする。雨と雨が少なくともお互いぶつかりあって、小さい音を立てるんじゃないかな。それが、本当は雨の音なのかな、なんて思う。

 雨と雨が、雨の音を立てながら、ぶつかって、また一つになる時、それもまた終わりで、始まりだ。
 
 焼けた、肉がどんどん机に運ばれて、僕のお腹はたちまち満腹になった。誕生日会は、夜遅くに終わり、片付けをした(僕は、片付けてない。何もしてないと思われるかもしれませんが、僕は肉に岩塩をかけて、ひたすらに揉み続けるという、大役を遂行しているので安心だ)。

DSC_0033 (5)
あかつち

 外では、まだ雨が強く地面に打ち付けていた。僕は、それもやっぱり雨の音なんだな、なんて思う。

DSC_0033 (6)

それでは、皆さん良い日々を!

イグアス

07 24, 2010 | アルゼンチン

4 Comments
イグアス

 アルゼンチンとブラジル、それからパラグアイの国境の近く。そこにイグアスの滝はある。ブエノスアイレスから、プエルト・イグアスまでバスで、16時間。ブエノスアイレスは、しばらく晴れの予報で、プエルト・イグアスは雨予報だった。
 バスで5、6時間走った頃に、外の天気はがらりと変わった。そこに天気の境目があったのだろう。

 翌日の昼過ぎに、プエルト・イグアスに到着した。天気は、悪い。

 僕が、この旅に出る前に一番楽しみなのは何処か、と聞かれればイグアスの滝、と言っていた。
 つまり、地球上で一番見たかったものだった。

 次の日は、雨だった。

 僕らは、9時過ぎのシャトルバスに乗り、イグアスの滝へと向かう。30分程でイグアスの滝のセントラルセンターに到着した。チケット売り場に入ると、雨が強くなった。少し値上がりしたチケットを購入して、僕らは園内に入る。
 雨の中を、ハナグマが急ぎ足で歩いていた。

iguazu (1)
イグアス川

 国立公園内のトレインに乗って、出発を待っていると、雨は俄然強くなった。吹き付けるように、打ち付けるように、雨は降る。トレインと言っても、野ざらし、雨ざらしの遊園地にあるような、列車だ。つまり、雨風が席まで侵入してくるのだ。僕の気持は、少し下がり目だった。冷えていく手と足先を気にしながら出発を、待つ。
出発のベルが鳴り、観客は、指笛をならして喜んだ。僕は下を向いて雨風を避けるように乗客の歓喜の声を聞いていた。その音を、降り続く雨が少しシャットダウンしている。
 
 途中の駅で、乗り換えて一番奥の悪魔の喉笛へと向かった。駅に到着すると、雨は止んだ。雲が流れて、晴れ間が見える、そんな雨上がりでは間違いなく、そこにある雲はすぐにでも大粒の雨を降らせるだろう。
 遊歩道を歩いて、滝へと向かった。世界最大の滝の音は、まだ聞こえない。
 遊歩道は、雨に濡れて少し滑りやすくなっていた。

iguazu (4)

 滝の音が聞こえる、と同時に滝の姿が見えた。
 ものすごい量の水が、滝つぼへと落ちる。
 
iguazu (2)


 鳥肌が体の中にまで立ちそうだ。いや、実際にたっていたかもしれない。
 雨のイグアスの滝を見た僕は、晴れた日のイグアスの滝を見ると、誓う。だから、滝の感想は、これくらいに。

iguazu (3)
悪魔の喉笛

 その日は、早々にイグアスの滝を出て、パラグアイへと向かった。夜の7時頃にパラグアイにある日本人移住地のイグアス移住地(41km地点)に到着した。何もない、ガソリンスタンドの前で着いたぞ、と言われ、僕らはバスを降りた。

 宿が、分からない。

 ガソリンスタンドに向かい、スペイン語で、どこですかは何だっけ、なんて考えた。口の中でオラ・ドンデ・エスタ、なんて呟く。ガソリンスタンドの従業員に近づいて、僕がオラ、なんて間抜けな声を出そうとしたら、あぁどーも、という声が聞こえた。何かお困りですか?なんて久しぶりに聞いた。
すでに、ここは日本だ。そんな空気が漂っていた。

iguazu (5)

 宿に着くと、玄関口には短冊がおいてある。きっと片付けるのが面倒なのだろう。七夕からは、もう10日ばかり過ぎていた。でも、その日の夜空は、明日はよく晴れるんだろうな、なんて思わせてくれる、そんな夜空だった。

iguazu.jpg
ペンション園田

イグアスの滝は、必ず晴れた日リベンジするので、少々お待ちを~。

 それでは、みなさん良い日々を!

エムアンドエムズ

07 21, 2010 | アルゼンチン

2 Comments
エムアンドエムズ

 僕が、ブエノスアイレスでのんびりしていたのには、少しだけ訳があった。今からちょうど1カ月前、一緒にマチュピチュに行った祐平さんと再会するため、だ。
 7月10日にブエノス集合で、そう言って、僕らはペルーのクスコで別れた。そこから、僕はチリへと向かい、祐平さんはボリビアへと、向かった。

R0015988.jpg
マチュピチュにて

 7月14日、無事に明日ブエノスアイレスに着きそうです、とメールをもらった。約束からは、少しだけ、違うけれど、それぞれの旅であって、そんなことはどうでもよかった。僕らは、ペルーのストライキによって、マチュピチュ村から82km地点まで歩く羽目になった時に、一緒にタンシチュー食いたいですねー、と言い合っていた。それで気分を盛り上げながら(もちろんその話だけではない)、8時間近く線路の上を歩いた。空想のタンシチューから思い出のタンシチューに、変える。これが大切だ。

 15日、僕が泊っている宿は満室で、祐平さんは違う宿に泊ることになった。僕はその翌日に、祐平さんに会いに、その宿へと向かう。地下鉄に乗って、最寄りの駅から少しだけ歩いた。
 大きな高速道路のような5月25日通りを右手に見ながら、歩く。

mANd
アルゼンチンは、黄色が進め。

 宿に着いて、お久しぶりです、と僕らは再会して、照れ笑いのようなものを浮かべた。買出しに行って、タンシチューに必要な物を買う。もちろん必需品のタンを買わなくてはならない。初めて、そのままのタンを見た。それは、思っていたよりも、タンだった。気持ち悪い、というのが、僕の中で素直で、一番それに近い表現に思えた。

MandMs.jpg
すいません。

 タンを2本(800円)買い、スーパーで、野菜や調味料を買って、いざタンを捌く。祐平さんが、タンをテーブルに叩きつけて(そうするようだ)、タンを更に伸ばして、捌き始めた。
僕はというと、ひたすらに小麦粉を焦げないように、炒め続けた。地味な作業だ。地味なうえに、地味に時間がかかる。
タンを野菜と共に、3時間、煮込む。昼ごはんを食べに来たつもりだったが、既に夕ご飯になりそうな気配が漂っている。
煮込んでいる間は、美味しんぼを熟読した。煮込み始めて1時間30分が経った頃、祐平さんが、お腹すいたでしょ、俺が何か適当に作るよ、と言って、キッチンに消えた。
 それから、少ししてキッチンに行くと、祐平さんはピタパンの具を作っていた。そして、パンを温めて準備万端だ。居間に運んで、ピタパンを食べる

 食べ終わって少し美味しんぼを読んで山岡さんが栗田さんにプロポーズをしたころ、タンシチューが出来上がった。

 僕らは、なんとも複雑な腹具合のままタンシチューを皿によそった。
 タンシチューは、もちろん美味しかった。ただ、複雑な腹具合が邪魔をする。これは、完全に僕らの作戦ミスだ。前半に飛ばし過ぎてしまった。
 何はともあれ、僕らの幻想のタンシチューは、思い出のタンシチューに、変わった。それで僕は、満足だった。

MandMs (2)
タンシチュー
MandMs (1)
タン塩

 次の日、余った食材を使い切るために、昼ごはんにトマトソースのパスタを作った。ここ数日空腹、というものを忘れてしまいそうだった。完全に僕の胃は、連日の肉アタックでかなり痛んでいる。
 夕飯は、またもタンだった。その日は、サンチャゴからブエノス行きのバスが一緒だったゆうきさんが、タンを食べようと、誘って下さり、僕がタンを捌いて、タン塩にして、食べた。その日はずっとお腹がすかなかった。でも、やはりタン塩は、旨い。これは間違いない。

 その日の夜8時30分のバスで、僕はプエルト・イグアスへと向かう。ご飯を食べたら慌ただしく、準備をして、宿の人々に挨拶をして、皆に見送ってもらった。一緒のバスの方と3人で、バス停へと歩く。

MandMs (3)
宿の皆さん。出逢いに感謝です。

 出発の時刻に、バスは、バスターミナルに到着した。胸ポケットから切符を取りだそうとすると、違うものが出てきた。M&M‘s(僕の大好物のチョコ)2つと、少しの文字でつづられた手紙だ。

 ありがとう、と書かれた手紙はゆうきさんからだった。

 アルゼンチンは、真冬の真っただ中にいて、僕もその中に立っていた。でも、そういう優しさは、体を温めてくれた。真冬の真ん中にいて、雪の中から僕は花を見つけた、そんな気分になった。これは、少し大げさな言い方だ。
でも、あえて言うならその花は、黄色(ピーナッツ入りチョコ)と茶色(普通のチョコ)をしていた。とても、旨そうだ。

MandMs (4)
※男性です。
 
ゆうきさん、祐平さんありがとー!!んっ?、これじゃY&Y'sだな。

 それでは、皆さん良い日々を!

Zoo Lujan

07 19, 2010 | アルゼンチン

2 Comments
Zoo Lujan

ブエノスアイレスから、バスで2時間程走った所に、Zoo Lujan(スー・ルハン)という動物園がある。ここでは、トラやライオンに触れる、という。僕は、ライオンやトラに触りたいなんて一度だって思ったことがない。でも、それに触れるなら、触ってみてもいいかもしれない。もちろん、触らなくても何の問題もない。

 今回の宿で、3度目の再会を果たした翔さんにその場所お薦めされ、僕は行ってみることにした。
翔さんと最初に出会ったのは、インドのコルカタだった。この時、僕は旅に出て3カ月伸びっぱなしだった髪の毛を切ってもらったのだ。それから更に3カ月後、モロッコのマラケシュの宿で偶然の再会を果たした。その時も、僕の髪の毛は伸び放題だった。しかし、あの暑い暑いモロッコで散髪用のポンチョを被るのが面倒で、それに少し急いでいたのもあって、その時は切ってもらわなかった。それから、更に1カ月。ここブエノスアイレスで3度目の再会をしたのだ。

Zoo Lujan (9)
2度目の散髪中(最初の散髪記事)

 もちろん、髪の毛を切ってもらった。4か月以上伸ばしっぱなしになっていた、髪の毛を。
翔さんは、えりあしバッサリいっちゃっていいっすか?と尋ねる。僕は、良いっすよー、と返事を返した。

 その結果。僕はボブになった、ようだ。そう、ボブカットに。もちろんえりあしはバッサリいっちゃている。

 ボブになった僕は、宿の方と一緒にZoo Lujanへと向かった。地下鉄のプラザ・デ・イタリア駅から、バスに乗る。シートは、何年もの間、何人ものお尻を支えてきました、という顔でそこに落ち着いている。叩けばいくらでも埃が出てきそうな、そんなシートだ。窓から差し込む光が車内の塵を、そこにあるものに、した。
 それは、少しだけ輝いているようにも見える。
 それは、吸い込みたくなくて一瞬、僕の息を止めさせてしまうものにも見える。

 バスに乗って丁度2時間が経ち、バスは、目的地のバススタンドに到着した。子供連れの夫婦が1組と、ブラジル人の夫妻が1組と、僕らがその場所で降りた。この、まだ1歳に満たない子供も子トラか子ライオンと触れ合い、それを夫婦は写真か動画に収めるのかと思うと、何だか妙な幸福感が溢れた。

看板に向かって歩いて行くと、小じんまりとした看板に、小じんまりとした入り口の動物園が見えた。入り口で、チケットを買って、どこから入るのか思っていると、完全にロープで塞がれている道の端をロープをくぐって人々は入場する。

 動物園は、想像していたものとは、少しだけ違った。入るとすぐ左手に、リャマやラクダ、ブタ、アヒルにウサギが、ざっくばらんに生活をしている。
 
Zoo Lujan

 その奥の囲いには、山羊がいて、その前の囲いには、小さいプールがあって、3頭のアシカがその小さいプールを物凄いスピードで周遊している。自由な動物園だ。

Zoo Lujan (1)
アシカ
Zoo Lujan (3)
絨毯のようなトラ

 馬とロバと牛が放牧されている場所で、ロバのモフモフの毛を触っていると、今まで聞いたことのない声を聞いた。
ライオンだ。

 僕は、今までライオンを見たことがないかも知れない。もしかしたらあるかもしれない。でも、覚えてないので、見ていないことにした。

 ライオンの声に、僕は度肝を抜かれた。ライオンの声は、ガオォー、なんかじゃない。グオォー、なんかでもなかった。決して、文字にはならないような声をしていた。
そして、声が何重にも聞こえる、気がする。ガオーだとか、グオーだとか、そんなものを超えた、音、がそこにはあった。
 ライオンを見たことがある人からしたら、今更何を騒いでいるのかと、思われるかもしれない。でも、これが旅、なんだと改めて実感したのだ。

 ライオンの声を聞いたことのない人間に、ライオンの声は決して分からない。それだけのこと。それだけのことに、僕は非道く感動した。

Zoo Lujan (8)
ライオン

 ライオンは、二重の檻の中で暮らしていた。5、6頭の雄と雌が暮らしている。僕には、決して真似することが出来ない声を出しているライオンは、遠くを見つめるように、立ち尽くしていた。ライオンは格好いいんだな、と僕は思う。タテガミも、猫をそのまま大きくしたような口鼻も、意外と丸い目も、あぁ、これがライオンか、と思わせてくれた。ライオンでこんなにもテンションが上がるなんて、思ってもみなかった。

Zoo Lujan (6)
園内には、訳の分からない乗り物が沢山ある。これはこれで、カッコいい。
Zoo Lujan (7)


 ひとしきりライオンに、興奮した後、僕らは子ライオンを触りに行った。子ライオンは子猫の15倍、親猫の1.75倍、柴犬生後11カ月そのものぐらいの大きさだ。多くの人々に抱っこされてきたであろう子ライオンは、既に疲れ切った顔をしていた。僕は、子ライオンを抱っこする。思っていたよりも軽くて、思ったよりも毛はフサフサしていた。疲れ切った子ライオンは、なんの抵抗もなく、僕の腕に抱かれて、また飼育係さんの腕に戻っていった。

Zoo Lujan (4)
子ライオン

 その、風貌は、あそこでしきりに吠える、ライオンになるなんて思えない。僕らは檻を出て、次の動物を見るために、分かりにくいマップを頼りに、園内を歩く。

ライオンは、すさまじい“音“を出している。人々は、なんだなんだ、と檻の周りに集まった。人が集まったのを見て、百獣の王ライオンは、よしよしと、吠えるのを辞めた。寂しがりなライオンだ。

僕らは、遠くのような近くのような、そんなライオンの不思議な音を聞きながら、カピバラを探しに行った。

Zoo Lujan (5)
カピバラ

それでは、皆さん良い日々を!

ブエノスアイレス

07 17, 2010 | アルゼンチン

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ブエノスアイレス

 ブエノスアイレスに来て、何日が過ぎたろうか。そんな、時間の間隔だった。毎日ゆっくりとしたペースで、一日を過ごして、ご飯だけに情熱をかけていた。
 7月11日に、W杯のオランダ対スペイン戦が行われ、120分の激闘の末にスペインが優勝した、ようだ。

 僕は、その試合を見なかった。宿にいた人は全員、もれなくテレビの前にいたし、パブリックビューイングに見に行った人たちも少なくない。
 僕だけ、ベットに座っていた。ベットに座って、インターネットで試合の経過を淡々と中継するサイトを開いて、たまに覗いて、0-0か、と呟いた。

 ワールドカップは、素晴らしい。僕は純粋にそう思った。日本はパラグアイにPKの末に敗れた。選手たちは、フィールドにうずくまるように、祈った。観客は、きっと天を仰いで、祈った。

 その姿に僕は一番感動したのだ。残念なお知らせは、僕が見たのは再放送だった、ということだ。皆と同じタイミングではなかったし、結果も分かっていた。それでも、僕は感動した。
 もし、生まれ変わったならサッカー選手になりたいな、なんて思ったかもしれない。
 もし、人生がやり直せるなら、何かスポーツを真剣に、何処までも真っ直ぐに、やってみたかった、なんて思ったかもしれない。

ブエノスアイレス


 でも、それは無理な話だ。
 今の僕は、今の僕でしかない。

生まれ変わったら、多分次は、大根かせいぜいホウレンソウ辺りだ。とてもじゃないが、サッカー選手には、なれそうにない。
 だから、僕はこれから頑張るしかない。何かをサッカー選手に負けないくらい頑張れば、いいじゃないか。もちろんサッカーだってありだ。今から始めればもしかしたら2018年のワールドカップに出れるかも知れない。もちろん審判か、ボールボーイだが。

 その次の日に、僕は観光に出掛けた。人はパンだけで生きているわけではない、と思った。ご飯を食べることはとても幸福なことだが、それだけではダメな気がしたのだ。

 向かったのは、世界で2番目に美しい本屋だ。キャッチフレーズが既に、的外れな気がする。宿から、大通りを歩いて、20分程で本屋に、到着した。もとは劇場だったようだ。中は広くて、円形のホールのように、なっている。多分沢山の歌手やダンサーが踊ったステージは、今はカフェになっている。その場所は、生まれ変わった。
 劇場は劇場じゃなくなり、映画館になった。その映画館は今、本屋になった。そうやって、生まれ変わってきた。僕らとは、少しだけ違う。

ブエノスアイレス (3)
El Ateneo Grand Splendid 世界で二番目
ブエノスアイレス (2)

 本屋を出ると、冬の冷たい風が街を吹き抜けている。キンと、顔を冷やしていく。僕は肩をすくめた。寒いと、肩をすくめてしまうのは、やっぱり首が寒いからかな。それともカメに何処かで憧れているのかな。じゃあ、生まれ変わったら、もしかしたらカメになれるかもしれない。

 僕は、その足でレコレータ地区にあるレコレータ墓地に向かった。ここには、数々の有名人の墓があるらしい。そこは、墓と言うよりも小さな家の集合住宅地、に見える。ただ、十字架と、天使がやけに多いが。
 ここで、安らかに眠っている、のだろう。それとも、もう彼らは、ホウレンソウにでもなったろうか。

ブエノスアイレス (6)
レコレータ墓地
ブエノスアイレス (7)

さっきまで、晴れていた空に、雲が覆っている。寒くなった僕は、墓地を出た。僕は、その日何となく、何となくではあるが、少し生まれ変わった気がした。
 冷たい空気に生かされて、残りの旅を楽しむために。最後の日に、空港で天を仰がないように。
 僕は、スーパーによって、ホウレンソウと肉を、買って帰った。それは、とても旨かった。
 
ブエノスアイレス (5)
それらは、旨かった!
ブエノスアイレス (1)


 それでは、皆さん良い日々を!

タンゴ

07 15, 2010 | アルゼンチン

6 Comments
タンゴ

 ブエノスアイレスに着いた翌日、タンゴを見に行かないか、と誘われた。僕は、あぁーそうですねぇ、と少し言葉を濁して考えた。僕は、ダンスなんて見に行ったこともなければ、踊ろうと思ったことすらない。それに、タンゴとは何なのか、それすらイマイチわからなかったのだ。あぁ、タンゴですかいいですね、と話を聞きながら、僕の頭の中には、多分フラメンコの映像が流れていた。
 知らないのなら、行った方がいいかもしれない。僕は、そんな風に考えてタンゴを見に行くことにした。

 夜の8時に宿を5人で出発して、今日の目的地「BAR SUR」へと向かう。タクシーを1台つかまえると、4人までしか乗れない、という。僕らは3人と2人の2組に分かれた。もう1台タクシーをつかまえて、前のタクシーに付いて行ってください、となんとなく伝えた。しかし、前のタクシーはすでに見えなくなっていた。僕らは住所も場所さえもイマイチ知らなかった。
 「BAR SUR」 「TANGO」 とタンゴをいや、単語を並べてみるが、運転手も場所を知らないらしい。僕らが住所を知らないと知った時、彼は両手を上げて、オーマイガッ、と言った。僕はそれに少し感動した。あぁ、こうやって使うんだな、と感心したのだ。

 そんなことに感心している場合ではない。
一緒に乗っていたゆうきさんが、一度だけ見た地図を頼りに何となく近そうな所まで行き、タクシーを降りた。すぐそばの店に入って聞いてみると、意外と近い場所で降りることが出来ていた。
 僕は、もしそこが見当違いの場所だったなら、オーマイガッ、を使おうと、少し考えていたが、使わずに済んだようだ。

タンゴ (7)
BAR SUR

 3分ほど歩いたところで、BAR SURが見つかった、前のタクシーに乗っていた3人は店の前で待っててくれており、僕らは、店内に入った。お店は、思っていたよりもずっと小さなバーだった。テーブル席が少し並んでいて、店の真ん中が畳2畳分程のスペースが空いているような店だった。

タンゴ (3)

タンゴ (5)

 飲み物を注文して(僕はもちろん紅茶だ)、待っていると、ショーは始まった。ピアノとアコーディオン奏者による演奏が始まり、照明は、その2人を照らしていた。3曲が終わった頃、BGMの音量が上がり、2人の男女が手を取り合い登場した。軽快に足を動かし、スライドさせている。

タンゴ
タンゴ!
タンゴ (1)


 これが、タンゴなのか。僕はタンゴがどういうものか、知らなかった。タンゴってなんなんだろうか、そんな思いを抱いていた。そして、この記事を書いている今も同じ思いをしている。

 結局、タンゴがどういうものなのか、イマイチ分からない。

 1つタンゴショーが終わると、次に魔女のようなシンガーが登場して、見事な腹式呼吸で歌を歌いあげた。
 歌が終わると、またタンゴショーが始まり、最初とは別のペアが躍った。そして、またピアノとアコーディオンの生演奏が始まる。

タンゴ (6)

 薄暗い店内に、音楽は止むことなく鳴り響いた。時には、ピアノとアコーディオンの生演奏、時には、アコーディオン奏者の弾き語りが、時にはタンゴの妖艶なステップの音がいつまでも、続く。
 大人の社交場というのは、こういうことか、と僕は1人で納得していた。そして、こういう場所に、紅茶は似合わないな、ということも分かった。
11時を回り、佳境に入ったのかもしれない。タンゴを踊る2人のステップのスピードが明らかに速くなった。それは、単純に美しいな、と思った。


 11時半を過ぎた頃、僕らは店を出た。店内からは、まだほんの少しだけ音が漏れている。まだ、ショーは続くのだろう。

 タンゴを見ていると、男女が優しくそっと手を握り、でもその手は決して離さなかった。それは、タンゴだけに限ったことではないだろう。ペアダンスというのは、きっとこういうものなのかもしれない。 
タンゴは、ダンスであり、その場所アルゼンチンの精神なんじゃないか、なんて思う。どこか寂しげで、どこか情熱的だ。
夜はどんどん深くなる。タンゴのリズムはどんどん上がっているのだろうか。僕らは遠くでなっているような、音を背中に聞きながら、タクシーに乗り込んだ。

タンゴ (2)
妙に悩ましげ!
 
  それでは、皆さん良い日々を!

サンチアゴ

07 13, 2010 | チリ

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サンチアゴ

 ビーニャ・デル・マルから、バスに乗って2時間でサンチアゴに到着した。外は土砂降りに変わっていた。風は強く、道路も冠水している。

 僕は、バスターミナルでアルゼンチンのメンドーサ行きのバスを探した。バス会社の看板には、メンドーサの文字が躍る。けれど、メンドーサ行きのバスは、どこもいっぱいで明日しかないようだ。僕は、道路に打ち付ける雨を見ながら、ガイドブックで宿を探した。めぼしい宿は、1つしかない。ユースホステルだ。最寄りの駅から徒歩10分。

サンチアゴ (1)
サンチアゴ

 僕は、地下鉄で最寄りの駅まで向かった。雨の日は地下まで湿っぽい。地上に出る階段を上っている時点で、雨が顔に強く打ちつけてくる。
 僕は、フードを被り宿へと向かった。道があまりよく分からない、けれど、北へと向かう。2ブロック目を左の筈だ。慎重に、1ブロック、2ブロックと数えて左へと向かった。その途中、横を走る車が2度水を大胆に跳ねた。まるで失恋したヒロインのように、僕は水を被ったわけだ。ジーンズがぐっしょりと濡れて、靴の中も洪水状態になった。

 左に曲がり、通りの名前を頼りに、宿を探す。最寄りの駅から徒歩10分。10分なんて10分前に過ぎている。僕は、打ち付ける雨に目を細めた。
 それから10分後、僕は、宿にチェックインを済まして、びしょびしょになった服と、バックパックのレインカバーを部屋に干した。2段ベッドの下に寝転んで、ふと上を見ると沢山の落書きが目に入る。思わず高校の寮のベッドを思い出していた。

 誰かが、ここに名前を記したんだな、とその文字たちを僕は手でなぞった。そこには、僕の知っている名前が1つだけ記されていた。THE BLUE HEARTSだ。何故それをここに、記したのか、それはその人にしか分からない。

 僕は、その文字を見ながらI pod を手に取り、THE BLUE HEARTSの「青空」を選択して、再生ボタンを、押した。
 外は、まだどしゃ降りで、風の音が、ピューピューと強く吹き、まるで幽霊のうめき声のようにも聞こえる。その音をTHE BLUE HEARTSは優しく掻き消した。
 そのとき僕の耳に、心に聞こえるのは、ブルーハーツの歌だけだった。2段ベッドの上には、少し青空が広がっていた。彼もこんな気持ちだったのかも、しれない。僕は、そんな風に思った。次の曲との合間に少しだけ流れる、短い沈黙が妙に心地良かった。

サンチアゴ (3)


 翌日、雨はすっかり上がり、空は間違いなく青空、だった。昨日僕が2段ベッドで見た青空よりも、多分、青空だった。僕は、地下鉄へと向かい、わかったことが1つある。迷わず行けば、駅から宿は徒歩10分だということだ。

 バス停に、到着してお菓子を選んでいると、出発10時間際になり、僕はバスに飛び乗った。雪山が左右に沢山連なる道を快調に走る。アルゼンチンとの国境が近づいてくると、雪は更に深くなった。
 バスから見える景色は、白くなった。

サンチアゴ (2)

サンチアゴ (5)
ボーダー

 12時前に山の下で、バスは止まり、1時間ほど待機していた。何のための待機だったのか、1時過ぎにバスは動き出した。乗客からは拍手が巻き起こっていた。僕も、軽く手を叩いておいた。
 
 国境に着いたのは2時頃で、国境を出発したのは5時過ぎだった。時間が、かなりかかる。そこからメンドーサまでは、もう日が沈んでいて、真っ暗な道をひた走る。
 8時半にメンドーサに到着した。僕が持っている乗り継ぎのチケットは8時だ。乗り継ぎに間に合ってない、じゃないか。
 僕が、窓口に並ぶと、カウンターの人は、露骨に嫌な顔をしながら、時間を変更してくれた。22時発のバスに乗って、ブエノスアイレスへと向かった。
 寝る前にチョコパイが1つ配られ、朝到着の前にチョコパイがもう一つ配られた。アルゼンチン人の主食はチョコパイなのかと、本気で心配した。

 11時頃から、街並みが一気に都会になり、12時半にブエノスアイレスに到着した。
良く晴れた、温かい日だった。チリがずっと寒かったから、それだけでも嬉しい。

サンチアゴ
パブリックビューイング

 バス停の柱にでもTHE BLUE HEARTS と記しておきたくなるような、そんな、「青空」だった。

サンチアゴ (4)
ブエノスアイレス

それでは、皆さん良い日々を!

バルパライソ

07 11, 2010 | チリ

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バルパライソ

 僕が汐見荘で、しなだれていた3日目の夜、2人、ハルさんミユキさんがやってきた。僕は思わず、ばあさん!と声をあげそうになった。
 その日、僕は1人で市場に向かい、ムール貝とホタテを買い、1人でホタテを網で焼いて、ムール貝でパスタを作って食べた。一言も喋らずに食べて、一言も喋らずに片付けを終えた、その時だった。
2人は、チェックインを済ますと買い物に出かけた。僕はそわそわと居間で待っていた。いつもなら、もう布団にチェックインしている時間だ。

 2人が、ワインとビールと少しのお菓子などを買って帰って来た。少し話をして、明日の朝、市場に行こうと約束して眠りに着いた。
 いつもより、布団が温かく感じられる。何てたって明日は、海鮮パーティーだ。もちろん僕は、いつものように、ばあさん(海鮮パーティー)や・・・、と呟いて眠りに着いた。

 翌日、普段よりも少し早起きをした。2人が起きだして来て、準備をしている。僕らは3人で市場へと向かった。
 30分と少し歩いた頃、市場が見えた。その日の空は、僕の心とは裏腹に、どんよりと暗い。僕らは市場をうろうろ、うろついて、ホタテとアサリと白身魚を購入した。

baruparaiso (3)
市場

 宿に戻り、早速ごはんに取りかかる。もうお昼を過ぎていたが、メニューは白米とみそ汁と焼き魚だ。僕は少し勘違いしていたのかもしれない。僕が欲しかったのは、海鮮パーティーではなくて、ぬくもりだったのだ。
 その、日本の朝食としか思えないメニューは、決して海鮮パーティーでは、ない。でも温かくて、美味しくて、笑顔がこぼれた。誰かと食べるごはんは、こんなにも美味しい。
 
baruparaiso (4)


 翌日、僕らはパルパライソという、隣町へと出掛けた。この町は、曲がりなりにも世界遺産なのだ。
 昼過ぎに、坂道を下り駅へと向かい、電車に乗る。昨日、30分かけて歩いた市場を、電車はすぐに追い越して、15分程で、パルパライソに到着した。
 今日も天気は、良くない。

baruparaiso (5)


 バルパライソは、急な斜面に多くの建築物や家屋が建ち並んでいる。つまり、坂が多い。僕らは、アセンソールというケーブルカーのようなものに乗った。傾斜が50度近いような所をアセンソールは上っていく。アセンソールを降りて、そこから更に町を上った。

baruparaiso (6)
アセンソール


 坂道の傾斜は急だった。寒いかもしれない、と着込んだ服が、暑くて仕方ない。少し坂を上った所に一匹のイカした犬がいた。
 先に言っておくと、このイカした犬が、バルパライソで一番鮮烈で、一番イカしていた。

 僕らは、坂をかなり上った。この町は、チリで一番治安が悪いらしい。確かに、流れる空気は荒んでいた。僕はそう感じた。
 あちこちに落書きがあり、野良犬がエサを探しまわり、犬のフンがあちこちに転がっている。ついでに言うと、多くの家に番犬がおり、執拗に吠えてくる。

 坂は、きっとまだ上に続いているけれど、僕らは海がよく見える場所で、坂道を下り始めた。何度も番犬に吠えられながら。

baruparaiso (2)

baruparaiso (1)

 
 また、電車に乗って、ビーニャ・デル・マルに帰り、3人でご飯を食べた。結局思い描いた海鮮パーティーはしなかった、のだけれど、僕は充分に満たされていたし、充分に楽しかった。

 翌朝、僕は2人にお礼を言い、台風みたいな風が吹く中アルゼンチンに向かう為、サンチャゴに向かった。2人に散々アルゼンチンの肉の話を吹きこまれた僕の頭の中には、牛肉パーティーの7文字が躍っていた(進歩なし!)。

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イカした犬。

 それでは、皆さん良い日々を!

ビーニャ・デル・マル

07 09, 2010 | チリ

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ビーニャ・デル・マル

 イースター島を、出て3時間。見渡す限りに海で、周りに陸地はしばらく見えない。チリ本土での夕暮れの時刻、イースター島の時間に合わせていた僕の時計はまだ4時過ぎを指していた。空に浮かぶ雲が所どころ真っ赤に染まっている。赤く染まった雲は、まるでその雲だけ燃えているようでもあった。

ビーニャデルマル
イースター島
ビーニャデルマル (1)


 飛行機が物凄いスピードで、雲から遠ざかっている筈なのに、少しずつしか燃えている雲からの距離は離れない。燃えるような赤い色をした雲は、静かに夜の闇に紛れて、見えなくなった。

 サンチャゴに着いたのは、夜の8時だった。僕は、また得意の空港泊をすることにした。空港の中は、妙に静かで寒い。明け方明るくなるのを待って、うたた寝を繰り返していたら、8時を過ぎていた。
 僕は、賑わいを取り戻している空港を出て、バスに乗ってバスターミナルへと向かう。サンチャゴバスターミナルからビーニャ・デル・マルという海岸線沿いの町へと向かう。2時間程かかるが、僕はすぐさま眠りについて目が覚めた時には、もうビーニャ・デル・マルの街中にいた。
 ここ、ビーニャ・デル・マルには、日本人宿があり、そこでは市場で海鮮を買い込んで、毎晩のように海鮮バーティーが開かれている、という情報を聞いていたのだ。海鮮なんて、いつぶりだろうか。もう思い出せない。多分それ程、昔の話だ。

 僕は、乗合タクシーに乗って、日本人宿(汐見荘)に向かった。外観はまったくもって普通の住宅地で、番地を知らなかったら間違いなくたどり着けない。
 インターホーンを押して中に入り、チェックインを済ました。宿の説明を受けるが、どうもおかしい。人の気配がない。
 どうやら宿泊客は僕だけのようだ。僕だけの・・・。

ビーニャデルマル (2)
ビーニャ・デル・マル

 それからの3日間は、まるで長いこと連れ合ったおばあさんを亡くしたおじいさんのような生活を送っていた。
 ここビーニャ・デル・マルはとても寒くて、宿の中も、もれなく寒い。朝8時ごろに一度目覚めて、でも寒過ぎて、もう一度布団をかぶり直す。9時40分に起きて、布団をから出る。本当なら、8時には、朝食ですよ、とばあさんが起こしてくれる。

 1人でテレビを付けて、昨日買っておいたパンを食べて、お茶(紅茶)をすする。満たされない心とは裏腹に、お腹はすぐにいっぱいになる。
 ぼーっと過ごしていると、気付けば、お昼を過ぎていて、買い物に行かないとシエスタ(お昼休み)でスーパーも八百屋も閉まってしまうと、黒のコート(茶色のダウン)を羽織り、帽子(実際にはない)を被って、玄関に置いてある杖(I pod)を持ち、坂道を慎重に下る。急な階段が続き、行きはいいが帰りが辛いのだ、とぼそぼそと呟きながらその階段を一段ずつ下る。スーパーで、適当に食材を買って、パン屋に寄る。パンを二つばかり買って、来た道を戻る。階段をまた一段ずつ上り、登り切った時にはもう息が切れて、肩で息をしている。

ビーニャデルマル (3)
行きつけのパン屋

 家に着いたら、またテレビを付けて、お昼ごはんの準備をして1人で食べる。洗い物を終えたら、また少しぼーっとしてから、ばあさん(イースター島)の思い出をノート(パソコン)に書いて、写真(アップしたブログ)を見返す。それから、知り合いに手紙(イーメール)を書いて、近くのポストに投函(送信ボタンを押す)する。それを終えると、筆とノートをそっと茶だんす(パソコンケース)にしまう。

 夕暮れが近づいて来て、少し外に散歩に出かける。海を眺めて帰りにまた、パン屋に寄って明日の朝のパンを買って、帰る。

ビーニャデルマル (4)
この先にイースター島があるのかなぁ。

 晩ご飯を作って、食べて、早々に寝室の布団の中に入る。そして、眠くなるまで本を読み、眠る間際に、私はこう呟くのだ。

 ばあさん(海鮮パーティー)や・・・と。

ビーニャデルマル (5)


 それでは、皆さん良い日々を!

ラパ・ヌイ

07 06, 2010 | イースター島

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ラパ・ヌイ

 僕らは、朝日を見ようと、朝日とモアイを見ようと、7時前に宿を出た。レンタカーは、暗い島を走る。車には、高長夫妻と違う宿に泊っている日本人の方と僕が乗っている。
 7時30分にアフ・トンガリキ、15体のモアイが立っている場所に到着した。少し肌寒くて、風は強い。夏の季節には、15体のモアイ像の真ん中から太陽が上がる、という。冬の今、太陽はモアイ像のずっと東、小高い丘から、昇る。そのため、僕らがアフ・トンガリキに到着したとき、僕らの上の空は、深い青色で、海のずっと向こうの空は、少しだけオレンジ色をしていた。

ラパヌイ

 僕ら4人は、それぞれバラバラの場所に座り、写真を撮り、また座った。周りには、誰もいない。モアイ像の貸し切り状態だ。
 
 次第に、空の色は薄い青色に変わり、海の向こうのオレンジ色が随分と近づいてきそうだ。でも、それを遮るように、雲が広がっていた。
 辺りが明るくなり、太陽の色が濃くなる。それを写しだしたのも、やはり雲だった。雲は薄いオレンジ色から濃いオレンジ色へと色を変えた。モアイの輪郭がどんどんはっきりとする。

ラパヌイ (2)

ラパヌイ (1)

 8時を少し回った頃だろうか、太陽は丘を越えて鮮烈な光をモアイ像に向けて放った。その光はあまりにも眩しくて、モアイの輪郭は僕の中でまたも見えなくなった。
 太陽が地上を照らして、朝の空気を照らした時、太陽は空に虹を作った。2度目、ではあるが、その日の虹もとてもきれいだった。虹は少しだけ輝いて、すぐに消えた。

ラパヌイ (4)

ラパヌイ (3)

 僕らは、そのまま少しモアイやモアイの被っているプカオというものを切り出したプカオ製造工場
である、プナ・パウを見て回った。
 プカオは、赤い帽子ようのようなものだ。高原に赤い石が転がっている。プカオもモアイのサイズに合わせて作られているだろう。プカオ製造工場と、モアイ製造工場は、近くない。それぞれ別々に作られて、別々に運ばれて、モアイの頭にプカオを載せる。
 大きなモアイのプカオはもちろん大きい筈だ。それをどうやって頭に載せたのだろうか。

 プナ・パウを見た後、僕らはラノ・カウという火口湖に向かった。車で、悪路を進む。到着して車を降りると、そこは高台で海が良く見えた。それと同時に強い風が吹き付けた。
 
 ラノ・カウは、カルデラのような場所に、水が張り、その中に小さな島が沢山あるような、そんな姿をしていた。実際にそれは、なんのか。浮き草のようなものなのか、なんなのか。

 ラノ・カウに溜まっている水は、とても濃い色をしていた。黒色にも似た、紺色だ。すぐ近くには真っ青な色をした海が見える。
 相変わらず風は強く、海は凪いでいる。

ラパヌイ (7)
ラノ・カウ
ラパヌイ (8)


 翌日、高永夫妻がイースター島から旅立った。今まで僕が見た中では一番大きなバックパックを背負い、旅立った。

ラパヌイ (9)
高長夫妻。お世話になりました。

 僕はその日、ドラえもんの映画を2本見て、少しだけ涙が出て、宿からは一歩も出ずにその日を終えた。

 僕がイースター島を出る前日、僕は海沿い、タハイのモアイ像を眺めに行った。よく晴れた日だった。青空が美しくて、青い海も白い波もみな美しかった。

 モアイ像は、謎だらけだ。ほとんど分かっていなくて、ほとんど仮説だ。

  僕は、目を付けたモアイの前に座った。

ラパヌイ (5)
アフ・コテリク 彼に載っているのが、プカオ

人々は、お前のことを見て、不思議だ、という。お前は知っているのか。自分自身がなんなのか。それとも、お前も人間のように、自分が何者か考えているのか。
 なんだ、お前も俺も大して変わらないじゃないか。人は、謎だらけだ。仮説だらけだよな。
 
 モアイ像は手をお腹に当てて、どこか遠くを見ていた。

 翌日、僕はイースター島、ラパ・ヌイを出て、サンチャゴへ向かった。
さようならモアイ。

ラパヌイ (6)


それでは、皆さん良い日々を!

モアイ

07 04, 2010 | イースター島

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モアイ

 イースター島に着いて、2日目。朝、目が覚めると、まだ外は暗い。僕はもう一度布団をかぶり直して、時計を見ると、すでに8時少し前だった。
 立ち上がり、カーテンを少し開いて外を覗いてみる。外は間違いなくまだ薄暗くて、僕の時計は7時40分を指していた。
 
 この島は、冬の今、8時ごろに明るくなるようだ。僕は、寒い寒いとまた布団の中にもぐり込んだ。布団の中で天井を見ながら、ボーっとしていると、じんわりと辺りが明るくなりはじめた。それでも、太陽の光は部屋に入り込んでは来ない。今日は曇りのようだ。

 僕は起き上がり、パンを焼いて(トースターで)、朝食を食べる。曇りの日は、少し肌寒い。この日、外はどんよりと重く、お昼を過ぎたころに少しだけ雨が降った。霧雨のような雨が地面を濡らしている。僕はそれを窓の側に仁王立ちして、眺めていた。雨の日に家の中にいられる喜びを噛みしめていた。イースター島に来てまですることではない、のだけれど、僕はそれをしていた。

 次の日、僕は宿が一緒になった高長夫妻と一緒にイースター島を回ることになった。レンタカーを借りて島を回る。僕が思っていたよりもイースター島は広い、というよりもモアイ像はあちこちにある。僕はモアイ像というのは、1つの場所に並んでいるのだと思っていた。それ以上考えようともしなかった。こういうことがよくある。僕はイメージを持って、薄っぺらな情報を持って、それ以上のことは、知らない。モアイ像は、写真で見るものが全てだと、そう思っていたのだ。

DSC_0010.jpg

 レンタカーに乗って、車が宿から一般道に出た。島、唯一の村を出ると、真っ直ぐな道になる。その道を3km程進んだ所で、高長さんが声を上げた。あっ、しまった、と。僕は何事かと思う。どうやらガソリンを入れ忘れたようだ。僕らは、また町に引き返しガソリンを入れて、再度出発した。

 曇り空の下に伸びる真っ直ぐな道を、快調に進む。一度右折して、海沿いの道に出た。海沿いの道と言えば、いかにも快適そうな道を想像する。でもここの道はそうではない。道には定期的に穴が空いていて、それを避けるか、スピードを減速してその穴を乗り越えていかなくてはならない。決して、快適な道ではない。馬が道を横断し、途中から土の道に変わる。
 爽やかな海沿いの道とは、少し違う。海に面した南側は晴れ間が広がっている。それに対して、島の内側北の方は、雲が多く、太陽は雲に隠れたり、顔を出したりを頻繁に繰り返していた。

 アイランドマップを片手に、そこに載っている見どころを見て回る。
 モアイ像が、いくつも海沿いに倒れている場所で車は止まった。モアイ像は全て、前向きに、前のめりに倒れている。男らしい倒れ方、ではある。

モアイ (4)
アフ・アカハンガ

 その場所、アフ・アカハンガを出発して、ラノ・ララクへと向かった。
 このラノ・ララクというのはモアイ像製造工場だ。モアイ像は石山から切り出して作られたという。つまりラノ・ララクは石山だ(多分)。

 ラノ・ララクに入ると、いくつものモアイ像と出逢う。海の方を見て佇むモアイ像、地中にほぼ埋まっているモアイ像、上手に顔だけ出しているモアイ像、顔を斜めに傾げているモアイ像。流石に製造工場というだけのことは、ある。いかにも不思議なものが多い。

モアイ

モアイ (1)
 
 僕は、モアイ像というものが何なのか、それが知りたくてここに来たのでは、ない。ただ立ち尽くすモアイ像に、何だか会いたかったのだ。
 いつの時代だろうか、モアイ像は作るのを中止された。そしていつの時代か、モアイ像は壊され、倒された。そして、今再びモアイ像は立ちつくしている。そんなモアイ像に会いたかった。

モアイ (9)
ラノ・ララク

 僕はこのラノ・ララクをやけに寂しい場所だと感じた。それこそ、ベルトコンベアが止まってしまった工場のような寂しさだ。
 モアイは雨ざらしになり、風化していくのだろうか。地中に埋もれていくのだろうか。

モアイ (2)


 ラノ・ララクを出た僕らは、また車に乗りそこからすぐの、アフ・トンガリキへと向かう。ここは、15体のモアイ像が海に背を向けて立っている場所だ。
 そのモアイは壮大で、広い広い平原の海辺に立っている。モアイの目線の先には山がある。モアイがどこを見ているか、なんて知らないが。

モアイ (5)
アフ・トンガリキ
モアイ (7)

 モアイの前に立って見ると、その大きさがよくわかる。見上げる程に大きく、15体のサイズは正にバラバラだ。
 僕らはモアイ像の前でしばらく見つめ合っていた。モアイの目は窪み、影になり、どこを見ているか全く分からないので、僕は多分、一方的に見つめていたのだろう。
 この壮大なモアイ像から離れて、背を向けて、僕らはまたレンタカー、スズキのジムニーに乗り、島巡りを、もう少しだけ続けた。

モアイ (3)
アフ・ナウナウ 砂に埋もれて、保存状態がいいようです。
モアイ (8)

 島の半分は曇りで、島の半分は晴れている。不思議な天気なのだが、そんなことを気にする必要は、多分ない。この島自体、十分不思議なのだ。

モアイ (6)

 その不思議な天気が、曇った空に、1つポカンと半円形の虹を写していた。

 それでは、みなさん良い日々を!

イースター島

07 02, 2010 | イースター島

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イースター島

 絶海の孤島。チリのサンチャゴから、飛行機で西へ西へと5時間30分。見えるのは、ただひたすらに海と雲。それはまるで空を見ているようでもあった。


 早朝に飛び出した飛行機は、昼前にイースター島に到着した。飛行機を降りると、どこか懐かしい空気に包まれた。イースター島はこの時期、雨季だ。じめっとした空気があたりを漂っている。ちょうど日本の6月のような、そんな雰囲気を感じて、僕はなんだか嬉しくなって、日本みたいだなと呟いた。
 僕の体には、日本の空気が染み込んでいるのだと、思い出す。

 空港は極めて小さい。Baggage Claimで荷物を待っていると、日本人の夫妻が話しかけて来た。僕らは同じ宿のようだ。外に出るとネームプレートを持ったおじさんが僕らを出迎えてくれた。こんなことは始めてだ。
 おじさんは忘れていたように、おもむろに僕らの首に花の首飾りをかけてくれた。こんなことも初めてだ。僕らは送迎の車に乗り、宿へと向かった。

 宿で、少し休憩して、散歩に出かけた。その日は、晴れていて青空が美しかった。それ以上に海は深い深い青色だ。

イースター島

 青い海をバックに早くもモアイが1体、2体と海沿いに並んでいる。そこにある、僕が初めて出逢ったモアイ像は風化が進み、思っていたよりも角がなくて、丸みを帯びていた。それでいて、彫りの深い顔は、常に目の部分が影になっている。

イースター島 (1)

 街をぐるりと、回り僕はまた宿へと戻る。街はとても小さくメインストリートを外れると民家が少し並んでいるだけだ。
 宿に帰る道にポインセチアに似た花を付けた木が目についた。それは空に赤い花を写しだしていた。

イースター島 (3)

 宿でソファに座り、おやつを食べながらゴロゴロしていると、太陽がどんどん傾き始めた。僕は、また散歩に出かける。海で夕陽を見るのは随分と久しぶりな気が、する。
海沿いの道を歩く。太陽が僕の影を長く伸ばして、潮風が強く吹いていた。そこら中を馬が歩いている。飼い馬か、野良馬か。馬のタテガミは潮風に揺られている。

イースター島 (4)

イースター島 (2)

イースター島 (6)
モアイ

海岸線沿いに5体のモアイ像が並び、その少し北、2つの場所にモアイが1体ずつ立っている。1体は唯一、目の入ったモアイだ。

太陽は、急速に沈むスピードを速めて、地平線の向こう側に沈む。太陽が沈んだ後も、太陽のオレンジ色の光は、少し時差を作り、沈んでいく。地球が丸いことを強く実感する。

イースター島 (7)

イースター島 (8)

 モアイ像は夕陽を背に浴びている。彼らは一生、夕陽をその彫りの深い顔に浴びることは出来ない。モアイ像は笑いもせずに、沈む夕日、暗くなる空と同様に、少しずつ影を無くし真っ暗な像になる。正に、木偶の坊のようだ。

暗くなった町は、オレンジの街灯に照らされる。帰りにスーパーに寄った。イースター島の物価は本土(チリ)の2倍~3倍位する。
 野菜だけ少し買って宿に戻り、晩ご飯の準備をする。買った野菜を何とか1週間もたせるために少しずつ少しずつ、大切に使う。
 
 外は、急に雨が降り出した。雨季のイースター島ではざーっと雨が急に降る様だ。雨の音を聞きながら、野菜を小さく切って鍋に入れる。妙に幸福な気分になる。

 雨の音が最近好きだ。モアイも今頃はずぶ濡れだ、きっと。彫りの深い目の部分は、傘を差したように、濡れずにいるのだろうか。
 モアイに涙は似合わないな、なんて僕は思う。

イースター島 (5)


 それでは、皆さん良い日々を!

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