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ワラス

08 31, 2010 | ペルー

2 Comments
ワラス

 アレキパから、16時間かけてリマへ行き、そこで、2日間のんびりと休憩した後、僕はワラスという街へと向かった。
 ワラスはリマから8時間ほど北へと向かった場所にあり、ペルーの最高峰ワスカランの麓だ。

 朝の9時半にリマを出て、ワラスに到着したのは夕方と夜の丁度真ん中の6時頃だった。バスを降りて、宿へと向かう。本当に小さい町だ。歩いてどこでも行けそうな小さい町の、少し西にある宿に泊る。
 僕は2泊3日の国立公園トレッキングに行きたくて、この町を訪れた。ツアー会社に行き、尋ねてみるが、2泊はない、と言われた。あるのは1泊と3泊らしい。1泊2日は僕1人だから、ツアー料金が高くなる、という。3泊だとパーティーを組めるようだが、僕には3泊する余裕がなかった。
 結局、日帰りツアーを2日分申し込み、宿に帰った。

 翌朝、8時50分に宿のロビーにいてくれ、と言われた僕は律義に8時50分、5分前にロビーのソファーでスタンバイしていた。この日のツアーはヤンガヌコ湖ツアーだ。
 一向にツアーのピックアップが来る気配がない。9時20分を過ぎても来ずに、流石に宿のマイケルジャクソン似のおばちゃんも心配そうにしていた。
 9時30分、ようやくピックアップのバンが到着した。バンの中には、僕以外に2人(ガイドと乗務員さん)乗っているだけだ。そのあと、2軒のホテルに寄り、ツアー会社の前でバンは止まった。

 僕は多分1番最初にピックアップされた、はずだ。それで、この時間。どう考えても出発時間を間違えているとしか思えない。もしくは、僕の時計が40分進んでいたかどちらかだ。

 ようやく10時過ぎに、バンは出発して、ワラスの街をでた。そこで、気付いたがガイドのおっさんはスペイン語しか、話さない。僕の気持ちは、すぐさまおっさんから離れ去った。何を言っているか、全く分からない上、おっさんは話と話の間に「あ゛ぁー?」と、まるでヤンキーのような声を出す。
 僕は、昔からスピーチなどで、「ですから、えーー、お二人の門出を、えーー、祝しましてぇー」などというおじさんが苦手だった。でも、僕はそれ以上に、このおじさんが苦手であることが早々に判明したのだ。

huaraz.jpg
ユンガイ

 バスは1時間程で、休憩ポイントのユンガイという街に到着した。そこでおっさんは間違いなく、5ミニッツと言った。僕は5分休憩かー、と思いながらベンチに座っていたが、5分経てど15分経てど出発する気配は、見当たらない。それなら、無理に英語を使わなくていいから、スペイン語で教えて欲しかった。数字位なら、わかるから・・・。

 結局30分休憩を経て、バンは動き出した。時間は11時20分を過ぎた頃だ。
 その、ふぁいぶみにっつはどこから来たのか教えて欲しい。

 
 バンは、時折止まって、おっさん(ガイドの)はここをフォトしなさい、と言っている。左側の窓を指をさしながら、何かを言っている。とりあえず、左側に何かあるのかもしれない。誰一人降りようともせず、窓ガラス越しにそれを、フォトしていた。
 僕は右側の席に座っており、フォト出来なかった、が、特にそこになにがあるのかも分からなったので良し、とした。

 昼過ぎに、ワスカランがよく見える場所へとやって来た。ようやくバスを降りて、フォト出来る。ワスカラン山は双子山のように南峰と北峰を擁する山だ。標高6768m、それは白い雪を全身に纏い、空に近い、というよりも、それはもう空の中にあるのだろう。白いはずの山はどこか青味がかっているようにも見える。空の色をワスカランは写しているようだった。

huaraz (1)
ワスカラン

 標高3000mのその場所は日差しが照りつけて、暑いくらいなのに、ここからあんなに近く見えるワスカランの頂きは、凍える程の寒さなのかと思うと、不思議で仕方ない。
 ガイドは、スペイン語で何かをぼそぼそと喋っているが、僕は何一つ理解することなく、ただその山に見とれていた。

huaraz (2)
ワスカランの雪崩の影響、のはず。
huaraz (3)


 バンは、公園を出発しお昼休憩を1時間程とり、最終目的地のヤンガヌコ湖へと向かって走った。ヤンガヌコ湖に到着したのは3時半を回った頃だ。そのヤンガヌコ湖は、山に囲まれ深い谷のような場所に、ある。

huaraz (4)
お昼ご飯
huaraz (7)
ヤンガヌコ湖

 静かな湖で、緑がかった青色をしている。よくいうエメラルドグリーンというやつだ。やつなのだが、その湖は山に阻まれて太陽はもう、山の稜線ギリギリにある。湖に太陽は差し込んでおらず、完全に時間帯を外しているとしか思えなかった。
 何故、何故なんだろうか。もうここで長いことツアーをやっているはずの人々が何故、完全に時間帯を外しているのだろうか。

huaraz (5)


 太陽が山に隠れて、湖には冷たい風が吹き、湖面をゆらゆらと揺らしていた。その中で、何人か(多数)のツアー客はボートに乗り込んでいく。湖の半分程進んで、また戻る。
 僕は歩いて、湖の反対側まで向かった。場所によっては、時折太陽が湖を照らしている場所があり、きらきらと風に揺れる湖を輝かせていた。

huaraz (6)


 どちらも、本当、ではあるけれど、どちらも、美しい、のだけれど、太陽が照らすだけで、気温とは別に温かな気持ちになれる。
 僕と湖を挟みこむように、聳える山々も太陽に照らされて、沢山の色を僕に見せてくれた。僕に、なんていうのは、あまりにも自分本位かな。

huaraz (8)


 また、そろそろバンではおっさんが「バモスバモス あ゛ぁー!?」と叫んでいる頃だろう。僕は少しやれやれ、と思いながらバンへと向かった。

huaraz (9)


 それでは、皆さん良い日々を!
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クルス・デル・コンドル

08 29, 2010 | ペルー

2 Comments
クルス・デル・コンドル

 コンドルは、悠然と飛ぶ。羽を広げて、風に逆らうことがないような、そんな飛び方に見えた。

cruzdecondo (4)
コンドル

 午前8時40分にコンドルがよく出現する渓谷、クルス・デル・コンドルへと到着した。渓谷はとても深く、渓谷の底は遥かに下にある。東から太陽が渓谷を照らして、谷は自分自身のなかに刻み込むように深い影を作っていた。
 乾燥した大地に風が吹いて、背の低い植物が揺れる。標高5000m近いこの場所で坂を登るのは想像以上に苦しかった。道の両側には、サボテンが生えており、そのサボテンすら枯れていたりする。それほどに、ここは厳しい環境なのだろう。

cruzdecondo (5)


 9時を過ぎると、1羽のコンドルが現れた。音もなく現れてすぐに消えた。どこに行ったのか、と探してみるが、全くわからなかい。どこから来て、どこに消えていくのか。コンドルは不思議なほどに華麗に現れて、華麗に消えた。

 それから10分ほど経つと、2羽のコンドルが渓谷の中を自由に飛び回った。しかし、決して羽ばたく訳ではなく、コンドルは羽を広げたまま悠々と、大空と谷の合間を、飛ぶ。その姿は本当に美しい。もしかしたら、コンドルもこの空気の薄い地帯で羽ばたくと、疲れて、飛んでる場合ではないのかもしれない。
 風を切り裂くでもなく、風に逆らうでもなく、コンドルは、風に乗っている、僕にはそんな風に見える。でも、風に乗ることが出来るコンドルですら、飛び立つその瞬間は、風に逆らい、風を切り裂かなくては、空は飛べない。それは、すごい勇気で、すごい力が必要なんだな、なんて僕は思う。
 風に乗れない僕らが、空を飛べないわけだ。

cruzdecondo.jpg
クルス・デル・コンドル
cruzdecondo (8)

 コンドルは、長い間飛び、いつの間にか消えていた。目で追いかけていたはずなのに、知らぬ間にコンドルは、風の中に消えて、見えなくなった。

cruzdecondo (7)


 クルス・デル・コンドルを出発し、来た道を戻る。昼過ぎに、チバイという村に戻った。そこで昼食を食べたら、ツアーはもう終盤だ。
 バンに乗って、アレキパへと向う。

cruzdecondo (6)


 その途中で、一度だけバンは止まった。そこがこの車で行ける場所での最高地点のようだ。標高4920m。風が強く吹き、風が耳の中で鳴っている。もうここに、植物は極めて少なくて、どこまでも荒野が広がっていた。石が沢山の場所で積まれ、この石はどこから来たのか、不思議に思うほどに、石と岩で溢れていた。カサカサの大地に苔のような色の植物がほんの少しだけ、生きている。
 標高4920mのこの場所からも、周りには山がいくつか見える。その場所にも、植物は生きているのだろうか。

cruzdecondo (1)

 ここが、今までの人生で一番の高所だろう。こんなにも生きづらいのかと、考える。5000m、平地で歩けば1時間と少し。走れば20分ほど、だろうか。人間はたった走って20分、5000mの中でしか生きられないのだ。
 そんな僕が、この標高5000mの荒野で生きる植物には、敵いっこないんだな。

 僕は吹き付ける風を口の中に一杯入れてみる、けれど空気が薄い。風って、空気じゃないのか、なんて考えていると、バモスバモス(行こうぜー)とガイドが言っている。僕らは、バンに乗って、アレキパの街へと向かった。

cruzdecondo (2)
4920m

 夕方にはアレキパに到着し、その日の夜の便で、僕はリマへと向かった。

 僕に飛ぶときが来なたら、風を切り裂いて、風に向かって、飛び立つことが出来るだろうか。その時がきたなら、その勇気と力が欲しいな。
ぼくはリマ行きのバスに揺られながら、そんなことを思う。

cruzdecondo (3)


 それでは、皆さん良い日々を!

アレキパ

08 26, 2010 | ペルー

6 Comments
アレキパ

 標高3800m、プーノをバスで出発して、6時間ほど郊外の道を走った。途中から、バスの窓からは一本の長い長い線路が見える。バスは線路と並走するように走る。何もない、という表現を僕はいつも使いあぐねている。

 窓から広がる景色、そこには建物や畑など、人工的な物はあまり見当たらない。これは確かだ。荒野のような岩地か、滑らかな曲線を描いて、それがまじまじとよく分かるような小高い丘、野生動物が草を食む草原、それを支えるように包みこんでいる空。ただただ、それらが広がっている、そんな景色が、バスのスピードに比例して、窓から流れている。

arequipa (8)


 これは、何もない、のだろうか。

 そこには、全てがあるような気さえするし、何もないような気もする。人間は、分からないものをを見たときに、何もない、そう感じるんじゃないか、なんて思う。じゃあ、名前をつけてやればいい。そこには、完全に、なんだってある。そこには、命がある。
 
 標高2300m、アレキパに着いたのは夕暮れ前だった。宿に行き、明日のツアーを申し込んだ。その日はパレードでもあるのか、やけに街が騒がしかった。

arequipa (6)
アルマス広場
arequipa (1)


 翌朝、8時前にバンが宿にやって来た。16人乗りのバンに15人ほどを詰め込んで、バンは昨日通った道へと走りだした。

 しばらく走ると、乾燥した荒野のようになる。どこをみても木は生えておらず、植物は疎らに、それでいてどこか規則的にすら見えるように、ずらりと並んでいる。
 バスは何度か道沿いに止まり、野生のビクーニャや山を紹介する。

arequipa (7)

arequipa (2)


 更に進むと、ツアーのお決まりのお土産屋さんで休憩を挟んで、バスはお昼過ぎにチバイというその日泊る村へと到着した。そこでお昼ご飯を食べて、ホテルに行き、自由時間になる。近くに温泉があるようで、行きたい人は15時30分にロビーに集合と言われが、僕は気付けばお昼寝をしていて、16時に目が覚めた。

 翌日は朝の5時に、部屋がノックされた。その日は5時半から朝食で、6時出発だったため、僕は5時20分に目覚ましをセットしていた。もちろん準備万端の状態で。それなのに、5時に起こされ、無駄に時間を持て余す結果になり、宿の中をうろうろと、出産を待つお父さんのようにしているしかなかった。

 朝食は、いかにも寂しく、ほぼ空洞のパンを二つと紅茶だ。もう少し何かあるだろう。空洞の部分に何か詰めておく位の心遣いが欲しかった。もちろんパンでもいいから詰めておいて欲しかった。
そのおかげで、僕は素早くお腹がすく結果になる。これは、もう少し後の話だが。

 6時過ぎにバスに乗り込み、このツアーのメインである、コルカ・キャニオンという渓谷へと向かう。この渓谷は多くのコンドルが飛ぶことで有名で、僕は「コンドルは飛んでいく」が、すごく好きでどうしてもその渓谷の上でそれを聞きたかったのだ。
 勇み足でバスは土埃を立てながら、コルカ・キャニオンへと向かって走り出して5分ほどでバンは止まった。今日もまずはお土産タイムのようだ。

 その場所で、鷹を手に乗せることが出来るようで、僕は何故、コンドルじゃないのか、と不思議に思いながら、もちろん左手に乗せて貰った。いや乗ってもらった、が正しいかもしれないし、もしかしたら置き物だったのかもしれない。それ程に鷹はじっとしていた。

CSC_0202.jpg
はやぶさ、だったらいいな。

 さらに言うと、鷹かどうかも分からない。とりあえず、カッコいい鳥を乗せた、という経験をしたことは間違いない。

 休憩が終わると、バンはまた15人を乗せてガタガタと山道を走り、少しずつ標高をあげて行く。太陽も東の空から、少しずつ少しずつ標高とは別の次元を昇っていく。
 バンは、何度か止まり、僕は眼下に広がる谷と、上空に広がる山を見上げた。谷には、棚田が;広がり、木々が少し生えている。森とまでも、林とまでも及ばない程度の木々が、ポツリポツリと生きていて、その谷底には太陽の光を一杯に受けて、反射しながら流れる川があった。

arequipa (9)

arequipa (3)


 コルカ・キャニオンまでは、もう少しだろう。バンはまた、オフロードの道をゆっくりと左右に揺れながら走りだした。

arequipa (4)

arequipa (5)


 それでは、皆さん良い日々を!

プーノ

08 24, 2010 | ペルー

3 Comments
プーノ

 ボリビア最後の街、コパカバーナを出て、僕は、ペルーのプーノに向かった。朝の9時にコパカバーナを出発して、チチカカ湖を右手に見ながら、バスは進む。
 30分ほど走った所で、バスは止まる。国境だ。ボリビアで出国スタンプを貰い、ペルーで入国スタンプを貰う。2カ月と少しまえ、スペインからやって来た南米最初の国、ペルー。間違いなく同じスタンプをパスポートに押してもらう。僕は、パスポートを少し見返して、貴重品袋にしまった。
 もう、後はアメリカのスタンプだけになった。世界を少し回っただけでは、このパスポートというやつは埋まらないように出来ているようだ。空白のページがいくつも目に付く。

 またバスに乗り、プーノへと向かう。僕の旅が、急速に終息へと向かっているように、バスは、プーノへと向けて、加速していった。

 バスはプーノのチチカカ湖沿いのバスターミナルに昼過ぎに到着した。バスターミナルを出ると、インドぶりにサイクルリキシャーのようなもの、があり、僕は迷わずそれに乗る。インドと違うのは、客席が運転席の前にある、ということだ。この仕組みだと正面衝突の時に、死ぬのは、僕だ。

プーノ (2)
プーノ

 サイクルリキシャーは、大通りに出て、車の合間を縫うように左折して、中心街へと進む。それは宿の前で止まった。僕は、おじさんにお礼を言って、リキシャーを降りる。
 宿にチェックインをして、翌日のウロス島へのツアーを申し込みへと向かった。プーノの中心街は、小奇麗なお店が並んでいる。ボリビアとは、やはり少しだけ違う。そんな気がしてしまう。


 翌朝、8時過ぎにピックアップのバンが宿にやって来た。それに乗り、チチカカ湖へと向かう。
 プーノの船乗り場、ここの水はどこか濁っていた。コパカバーナで見たチチカカ湖は、どこまでも青くて、どこまでも澄んでいた。同じ湖のはずなのに、こんなにも違う。この広大な湖の中は、同じ、だけれど、違う、のだろう。僕らが住んでいる地球は、同じ、だけれど、違う、のと似ているな、なんて思う。

プーノ
船乗り場

 船に乗り、岸をのんびりと離れて行く。しばらく進むと、両脇にトトラ(葦)が群生した地帯になり、その丁度真ん中を船は通る。船が進んだ後には、波が波紋のように広がり、その波に煽られて、トトラが揺れる。
 トトラ地帯を抜けると、もうひとつのトトラ地帯に遭遇する。それがウロス島だ。

プーノ (1)
トトラ地帯
プーノ (3)
ウロス島

 このウロス島というのは、トトラで出来た浮島なのだ。それが、いくつもいくつもチチカカ湖に浮かぶ。真ん中に船の通り道を作り、その両脇にずらりと、ウロス島が並んでいる。小さい島から、大きな島まで、大きさはそれぞれではあるけれど、小麦色の乾草が敷き詰められた島が沢山あり、その島の上にトトラで出来た家が建ち、島の前には、トトラで出来たバルサが自家用車のように停泊している。

プーノ (7)
バルサ

 ウロス島は、すでに観光地化されており、ウロス島にようこそ、と書かれた看板と、赤や黄色、ピンクに緑のまるで、森の妖精コロボックルのような色の服を着たインディヘナのおばちゃんが僕らを迎えてくれた。島に入ると、足を一歩一歩踏み出す度に、島は僕の足を受け入れるように、ふんわりと沈んだ。
 標高3800mのこの場所で、足が沈みながら歩くのは、少し疲れる。

プーノ (5)


 島の作り方の説明を受けて、島の自由見学が始まり、一軒の家に招かれた。そこには驚くべきかな、テレビジョンが置いてある。そして、そのテレビは、番組を放映していた。決して映りは良くないけれど。どうやら、ソーラーパネルが設置されているらしい。
 編み物をして、魚を養殖して、穀物を栽培して、石で穀物を挽いて、観光客を招いて、テレビジョンを見る。これが今のウロス島の人々の生活のようだ。

プーノ (6)


 僕らがお邪魔した島を、バルサに乗って、離れる。島のインディヘナのおばちゃん達が4人並んで、歌を歌ってお見送りをしてくれた。民族音楽など、色んな歌を歌ってくれた。そんな中、3曲目に日本の民謡のチューリップをおばさん達は歌ってれた。

さいたーさいたー、ちゅーりっぷのはなが、と日本語の歌がチチカカ湖の上に響く。

 何でかな、僕はその姿が少しだけ寂しく感じた。

 おもてなしの気持ちは、嬉しい。確かに嬉しい。でも、僕にはそんなものは必要ではない。チチカカ湖とそこに生きているあなたの姿だけで、充分だ。
 日本の歌は、ここには、いらない。

 バルサは、島を離れて、少しずつ少しずつ、対岸の島へと向かって漕ぎだした。

プーノ (4)

プーノ (8)


 それでは、みなさん良い日々を!

太陽の島

08 22, 2010 | ボリビア

2 Comments
太陽の島

 太陽に起こされた、朝。
僕は、布団の中で何度も寝返りを打ちながら、丁度良い時間になるのを待った。太陽が随分と高くなり、腕時計は7時30分を指している。僕は、起き上がり準備をした。
 この日は、コパカバーナから船(鈍い)で2時間程チチカカ湖を進んだ所にある、太陽の島、Isla de solに行く。

 宿を出て、まだ人が閑散としている街を抜けて、湖沿いの船乗り場へと向かった。船は、出発時間を少し遅れて出港した。
 船が沖へと進むと、一隻のバルサが見える。このバルサと言うのは、トトラという葦を繋いで作った船だ。笹船のような形をして、船主の部分は猫にも似た獣の顔をしている。バルサには、誰も乗っていないようで、この猫にも似た獣は、青い湖の上をただ、揺られるように佇んでいた。

isla de sol (1)
バルサ

 バルサを超えて、ボートはチチカカ湖を進んで行く。湖の遠くを眺めていると、それは、正しく濃い青色をしている。それなのに、すぐ傍を覗きこむと、それは紛れもなく濃い緑色に見えた。それでいて、飛び散る飛沫や、波立つ水は、綺麗な透明だった。光の具合なのか、その場所の深さなのか。水が色を変える時、それは本当に不思議で、一体どうなっているのだろうか、と不思議に思う。でも、科学的に証明してほしいとは、全く思わない。そこにある、不思議が美しい、そう思っていたい気分だった。

isla de sol (3)
グリーン

 船は、のんびりと、湖に二筋の波を立てながら進む。その波は次第に左右に大きく分かれて行った。

isla de sol (2)


 2時間近く経った頃、船は、太陽の島の南側に到着した。僕が、目指すのは、北側だ。そこで、数人の観光客と、インディヘナのおばちゃんが大きな風呂敷を背負って降り立った。
 船は、またエンジンを再起動さして、北へと向かう。20分程で、北の港が見え始めた。港に到着したのは、11時少し前だ。そこから、南の港へと歩いて向かう。

 浜辺のような湖沿いの道を抜けて、緩やかな傾斜を上っていくと、視界が開けた。そこには、海のように大きなチチカカ湖が、真っ青な色をして広がっている。違うのは、ザザー、とうい波の音と、少しまとわりつくような潮風がない、という位に思えた。チチカカ湖はやけに穏やかで、キラキラと水が太陽を反射している。微かに波が立っているように見えるが、それは、水が風に揺られている、程度だった。

isla de sol (4)
チチカカ湖

 しばらく、進んで行くと太陽の島の風景は少し変わる。先ほどまでは、海沿いの民宿街のような色と雰囲気がどこからともなく漂っていた。そこから、山に少し入ると、そこには沢山の棚田が広がり、茶色と、深緑色と、小金色をした風景になる。それはまるで、海沿いの農村のような、風景だった。さして、あまり変わらないと思われるかもしれないが、正しくその通りである。

isla de sol (5)
太陽の島
isla de sol (7)

 でも、僕はこのどことなく懐かしいような、海沿いの農村の風景が好きだった。もちろん農閑期の色をしているが、空は美しく、湖も凪いでいる。それが、なんとも不思議な取り合わせに思えたのだ。

 この辺りから道は、どちらへ向かえば良いのか分からない程にいくつかの方向に伸びていた。看板はおろか、何もなくなり、僕は取りあえず、南だと思う方向へと足を進める。

isla de sol (8)
 
 少し坂道を登っていくと、湖のずっと向こうに雪を被った山が見えた。白くて一瞬、雲のようにも見えるが、それは間違いなく陸に麓を持つ、大きな山だった。ここからじゃ、その山がある陸地は、見えずに、突如湖から山が飛び出しているようにも見える。雲は、その山の周辺にだけ形を現していた。やはり、山には雪が降り、それが溶け出してチチカカ湖をひいては地球を潤しているのだろう。僕の上には、雲はひとつもない。

isla de sol (6)

isla de sol (9)


 山とチチカカ湖を見ながら、進んで行くと、民家ストリートに出た。そろそろ港は近いのかもしれないな、そんなことを思いながら、ひたすらに南(だと思う)へと向かった。
 民家やレストランを超えて、林の中を通り、ロバに挨拶をしながら、進む。僕がふと、崖の下を見ると、完全に船着き場が見える。どうやら、僕は道を間違えたらしい。ロバに挨拶をしている場合ではなかったようだ。僕は元の道を引き返した。ロバへの挨拶も忘れるわけにはいかない。船の時間にはまだたっぷりある。僕はロバの前に座り、草を食むロバと、チチカカ湖と雄大にそびえ立っている山を眺めた。

 少し脱色されたような色をしている草を食むロバに、聞いてみたかった。緑のクローバーとそれってどっちが旨いの?って。
 
 多分ロバは言うだろうな。ニンジンだよ、って。

isla de sol


 それでは、皆さん日々を!

コパカバーナ

08 20, 2010 | ボリビア

4 Comments
コパカバーナ

 ウユニ塩湖からラ・パスに戻った翌朝、僕は、ボリビアとペルーの国境付近の街コパカバーナに向かった。
 朝の7時40分。バスは僕の泊る宿の細い細い道にやって来た。黒いバスは、宿の前で止まり、僕はそれに乗り込む。まだ、人は疎らだ。バスは、市内をぐるぐると回り、バスがいっぱいになるまで、人を乗せて、コパカバーナへと向けて、出発した。

 バスは、辺り一面小麦色の平野の脇を通る長い長い一本道を走る。バスの左手にチチカカ湖が見え始めた。僕は生憎右側の席に座っていたため、広がる平野と、小高い山のコントラストを楽しんでいた。

 2時間と少しが経過した頃、バスは、チチカカ湖の前で止まった。乗客は皆、バスを降りる。そこから、対岸のチュアというところまで、ボートに乗り換える。空には、雲が1つもなくて、チチカカ湖にも雲は一つもない。空の先に宇宙がある、というのなら、この水の先にも宇宙があるんじゃないか、なんて思える程、チチカカ湖は美しい青色をしていた。

copakabana (1)


 ボートに乗って、チチカカ湖のんびりと渡る。僕らが乗って来たバスは、バスや車用の、大きいボートに乗せて運ばれている。対岸からは小さく見えたバスは、こちら近づいてくるにつれて、どんどんと、大きくなる。そのバスを乗せているボートの名は、タイタニックだ。
 沈まないことを祈るほか、ない。

copakabana (2)
タイタニック

 無事に、タイタニック号は対岸に到着した。僕は少しホッとして、バスに乗り込んだ。それは、チュアを出て、山道をジグザグに上っていく。40分ほど走った頃、少し小高い場所から、コパカバーナの街が良く見える。木々が、所どころに生えて、茶色い大地を彩り、空とまるで同じような色のチチカカ湖が街を包みこむように、広がっている。峠を越えて、バスは街へと向かう。

copakabana (5)
コパカバーナ

 街に着いて、バスを降りると、日差しが強く降り注ぎ、少し暑く感じる。ここも標高3500m程あり、こんな富士山の頂上みたいな場所に琵琶湖の12倍もの湖がある、というのも不思議な話だ。
 荷物を受け取り、それを背負って、宿を探す。この町の地図を持っていない僕は、多少戸惑いながら宿の方角へと、向かった。至る所に民芸品が並んでいる。その通りを抜けると、教会が見えた。教会の前には、沢山の花束や、ロウソクなどに売り物が、変わる。教会の前に居たおばさんが、僕が何も言わないうちから、僕の目指している宿への行き方を教えてくれた。

copakabana (8)
カテドラル

 バックパックの腰ベルトをせずに、ここまで来たからか、やけに荷物が重く感じる。あと、少しだと、自分に言い聞かせて、言われた道を進む。宿に着くと、色黒のお兄さんが出てきた。
 完全にペルー人だと、疑いもしなかったけれど、日本人、のようだ。部屋へ案内してもらうと、そこは、ミラドール、天守閣だった。

 その宿の屋上にある部屋、だ。全面ガラス張りで、夕日がきれいに見えるらしい。なんて、ロマンチックな部屋だろうか・・・・・・・。部屋からは、チチカカ湖とコパカバーナの街が一望できる。なんて、ロマンチックな部屋、だろうか・・・。
 僕は、ご飯を食べに行き、部屋で、少し休憩していた。ベッドに横になり、本を読む。ガラス張りの部屋には、直射日光がビシビシと入ってくる。カーテンもレースのような、生易しいもので、太陽の紫外線アタックを防ぎきれない。温かいのは、いいのだけれど、首筋が、痛い。

copakabana (4)
天守閣
copakabana (3)

 太陽が、西に沈む程に、丁度僕の首筋に日光が集結する。太陽の色が白色にも似た、光から、オレンジにも似た、光に変わると、先ほどまでの力を失ったように、太陽は、優しく天守閣を照らす。太陽は、街をオレンジ色に染めながら、チチカカ湖へと沈んで行く。やはり、そこにも宇宙があるんじゃないか、そんな風に僕は思った。

copakabana (6)
夕日

 太陽が沈むと、先ほどまでは温かかったのが信じられない程、冷え込み始めた。僕は、天守閣から、暗くなった町を眺めた。もう先ほどまであんなにも青かった、空も湖も、黒色にも似た、闇に色を変えている。なんだか、僕は少し寂しくなった。

copakabana (7)


 翌朝は、もちろんガラス張りのレースのカーテンを朝日が突き破って僕を起こす。全く、なんてでかくて、テカった顔をしたやつだ、なんて、寝ぼけ眼で、僕は思う。人間はわがままな奴だ、テカったあいつは、そう思っているかもしれいないけれど。

kopa.jpg


 それでは、皆さん良い日々を!

月の谷

08 18, 2010 | ボリビア

8 Comments
月の谷

 17時発のウユニからオルーロへのバスは、ウユニ塩湖を突っ切る様に、走った。太陽はどんどん沈む。その時、バスの中で僕は、マサさんに手相を見てもらっていた。マサさんは元占い師、らしい。

tukinotani (5)

 神経質だね、マサさんは最初にそう言った。僕は思わず笑う。その通り、だ。もしかしたら2日間一緒にいて、そう思ったのかもしれない。そうだとすると、かなり恥ずかしい。でも、この2日間で神経質な行動は取っていないはずだ。手相の、筈だ。
 揺れるバスの中で、続けて手相を少し見てもらった。揺れるし、暗くてやりにくいと、マサさんは言う。僕はまるでマサさんに見透かされているような気分になった。
 
 太陽が沈んで、薄暗くなった。今頃、地球の裏側では同じ顔した、同じ太陽が辺りを照らしているのだろう。僕の家族や友人は、そろそろ出かける時間だろうか、そんなことを考えながら外を眺めた。まだ、太陽の残り日が、辺りを少しだけ明るくしているというのに、日本では、朝日が顔を出して、もう街や自然を照らしているはずだ。
 僕は、太陽はなんてせっかちな奴だ、なんて思う。照らしたがりだ。僕は照れ屋だから、まさしく正反対で、友達には、なれないかもしれない。
 
tukinotani (6)
照らしたがりの彼

 行きは迂回したからか、平穏に眠れたが、帰りは、それは道なのか、と運転首に強く問いただしたくなるような道を進む。これは、確かに揺れる。のそりのそりと、バスは横に大きく揺れながらゆっくりと進む。象にでも乗っているのかと思う。
 真っ暗闇をバスはガタガタと進んだ。壊れるんじゃないかと少し心配になる。揺れのことは気にせずに僕は眠りに着く。が、揺れよりも横のマサさんの頭が、僕の肩に寄りかかってくるのが気になる。少し尖った髪の毛が僕の首元を刺激する。

 僕は、先ほど言われたばかりの神経質、という言葉が頭をよぎる。僕は、気にせずに眠ろうとする、が髪の毛アタックの度にうっすらと目が覚める。
 時刻はもう夜中の1時を過ぎていて、外は、たまにオレンジ色の街灯を通り過ぎるだけだった。バスは夜中の2時半にオルーロに到着した。
 僕らはウユニ塩湖からウユニに戻った日に、ラ・パスに帰る予定だったが、道の閉鎖などで、ウユニからラ・パスに帰りたい人で溢れかえり、その日のチケットはおろか、翌日のラ・パス行きも取れず、僕らは翌日のオルーロ行きに乗り、乗り換えてラ・パスに向かうことにしたのだ。
 
tukinotani (3)
ウユニの街
tukinotani (4)

 オルーロに到着して、ラ・パス行きのバスを探す。バスのフロントガラスに、LA PAZというプレートを挟んでいるバスを見つけて、何時発か聞いてみる。運転手は3時だという。僕らはバスに乗り、出発を待つ。
 3時を少し回り、バスは出発した。このバスには暖房がなく、真冬の標高3000mの上を走る。寒くて寒くて、僕は何度も足をさすった。窓から隙間風が入ってきているとしか、思えない。

 何度もウトウトしたが、寒さで目が覚めた。朝6時にラ・パスに到着して、なんとか足が生きていること確認して、歩きだす。
  宿に帰り、僕はチェックインを済ました。マサさんは、リマへと向かう為、急いで、バスターミナルへと向かっていく。

 宿で少し休憩をして、のんびりしていると、同じ宿の方が、月の谷に行かないか、と誘って下さった。僕は、眠たい気持ちが強くて、どうしようか、考える。でも月の谷、という名前に僕は魅かれた。

 3人で、ミニバスに乗って月の谷へと向かう。40分ほどかかり、月の谷に着いた。そこには、灰色のごつごつした、奇岩が広がっている。ここは、月のような世界、らしい。月には、行ったことがないので月のようだと、僕には言えない。

tukinotani (2)
月の谷

 ただ、この乾燥した尖った奇岩群が月の姿なのだとしたら、やはり少し物悲しい風景だな、と思う。月の谷の向こう側には、緑の木々が茂り、青い青い空が広がる。そこには、色がある。月に色がないのかどうか、それは行ってみないと分からないし、色はきっとあるだろう。ただ、僕は地球の、この色が、好きだ。

tukinotani (1)


 乾いた土色をした奇岩群の傍で、乾いた色の植物が風に揺れている。その姿は、なんとも美しいな、なんて思う。

tukinotani.jpg


 それでは、皆さん良い日々を!

イスラ・デ・ぺスカ

08 16, 2010 | ボリビア

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イスラ・デ・ペスカ

 ウユニ塩湖ツアーの2日目、12時前にジープがホテルの前で止まった。どうやら日帰りツアーの人々と同じコースを回る、らしい。

 そのジープには日本人の方が3人とブラジル?人の夫婦が2人、それに僕らが乗る。後部座席の6人はぎゅうぎゅうに詰め込まれた。
 ジープは、良く晴れた空の下、遥か向こうに見える山を目指して走る。ジープが走った所だけに2本の白い跡が塩湖に刻まれるように、残った。
 
isla de pesca (1)


 辺り一面真っ白で、干上がった大地の上でジープは止まった(止まってもらった)。塩の大地には、ひびが入っているように、継ぎ目が盛り上がっている。僕は塩の大地の、大地を少し爪で取り、舐めてみる。確かにしょっぱくて、塩辛い。これは、塩だ。
 
 運転手が、Vamos Vamos(早く行こうぜー)と急かす。

 ジープはまた、何もない大地をひたすら走った。速度計を見ると、60km、案外安全運転だ。30分ほど走ると、あんなに遠かった山が、ぐんぐん近づいてくる。そこは、トゥヌパ火山というらしい。   火山の前には薄い水たまりのようなものが広がっていた。驚くほどに水は澄んでいて、波風も一切立たない穏やかな水たまりだ。

isla de pesca (3)
トゥヌパ火山

 トゥヌパ火山の麓には、フラミンゴがいる。運転手は、フラミンゴを見ろ、という。しかし、フラミンゴは遠く、見えるけれども、という心境になる。

isla de pesca (4)
見えるけれども・・・。

 次に向かったのが、イスラ・デ・ぺスカ(魚の島)だ。トゥヌパ火山から、40分ほど走った。真っ直ぐに走ったのか、途中で曲がったのか、全くもって分からなかった。とにかく、この何もない塩湖をひた走る。まるで砂漠のようでもあるし、雪原のようでもある。違うのは、ここには生命が感じられない、ということだ。

 ひたすらに白いこの大地には、植物なんて、一つも見つからないし、動物もこの塩原に限っては、見当たらない。砂漠には砂漠の、雪原には雪原の植物があり、動物がいる。でも、この広大な大地には、何もない。風すら止まっているかのような、不思議な空間だった。

 イスデ・デ・ペスカは魚の島というより、サボテン島だ。サボテンだらけのイスラ・デ・ぺスカの前で遅めのお昼ご飯だ。お昼ご飯を食べて、僕はイスラ・デ・ぺスカを少し登った。

isla de pesca (7)
イスラ・デ・ペスカ
isla de pesca (6)

 サボテンが至る所に生えている。サボテンは、いかにも不思議な植物だと、思う。遠くから見ると、あのトゲはふわふわな柔毛に見える。近づいて見ると、何にそんなに怯えているのかと思うほどの鋭いトゲを全身に纏っている。
 そんなに、傷つくのが怖いのか。僕も怖いけどさ。


 イスラ・デ・ぺスカの丘の上からは、塩の大地が良く見える。でも、僕はこの塩の大地も充分素敵だと思うけれど、やはり、この命が宿る大地が好きだと、思う。何の変哲もないこの茶色い命の受け皿が、いつだってカッコいいと思うんだ。
 イスラ・デ・ペスカの丘の上には、ボリビアの国旗がはためいていた。

isla de pesca (5)

 イスラ・デ・ぺスカを出て、塩のホテルを見学して、水がぽこぽこと湧き出している泉を見た。

isla de pesca (8)
プラヤ・ブランカ
isla de pesca (9)
ポコポコ

 そこから、また随分と走った。僕らが泊ったホテルを通り過ぎて、街の方へと向かう。僕はうたた寝をして、何度も何度も揺れるジープのなかで頭をぽこぽこと打ち付けて目を覚ました。何度目かに目を覚ました時に着いたのが、廃線の駅だった。

isla de pesca (10)
鉄道
isla de pesca (11)


 線路は、どこまでも真っ直ぐに伸びている。もう使われていない鉄道が何体か置いてある。風がどこからか吹き抜ける、正に荒野のような場所だった。ゴミが散らかり、山は滑らかな曲線を描いている。鉄道はもう、酷く酸化して濃い茶色になっていた。
 風が吹き、砂が舞い上がる。線路は、地平線へと向かって真っ直ぐ真っ直ぐ伸びている。


isla de pesca
線路

 あの、道のないウユニ塩湖も、このまっすぐに伸びる線路も、間違いなくどこかに続いている。間違いなくどこかに繋がっている。

 道が、有ろうが無かろうが、路が、有ろうが無かろうが、それはどこかに繋がっている。僕の行く先に路が有ろうが無かろうが、未来に繋がっている。これは間違いない。

 だから、僕は進んでいける。

isla de pesca (2)


 それでは、皆さん良い日々を!

ウユニ塩湖と天の川

08 14, 2010 | ボリビア

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ウユニ塩湖と天の川

 ウユニ塩湖で夕陽を見た僕らは、暖炉の前で少しばかり温まった。暖炉の火は、じんわりと僕らを温めてくれた。

天の川

 7時を少し回り、2階へと向かう。そこにも暖炉があり、その前に座り夕食が運ばれるのを待っていた。料理が出来たようなので、僕らは席に着いた。スープが運ばれ、白いテーブルクロスの上の白いお皿にスープが注がれる。これは、ディナーだ。

天の川 (1)

 スープを頂いて、メインディッシュのチキンが運ばれてきた。僕のチキンは、完全に胸肉だった。大きめの胸肉は、残念な程に、中まで味が染みておらず、パサパサが止まらなかった。マサさんのものはもも肉で、食べにくい、とぼやいていた。僕は、是非とも交換してやりたかった。

 晩ご飯、いやディナーを食べ終わり、僕らは少し外に出た。宿のすぐ傍は、光があって星の数が少なかったが、塩湖の方の空を見上げると、驚くほどの星が煌めいていた。
 僕らは、少し塩湖の方へと歩いた。ちょうど僕らの頭の上に天の川が見える。そこに流れがあるかのように、沢山の星が輝き、それは確かに川のようだった。
 星の明かりだけで、暗がりの地面に僕らの影が出来ている。まだ、月はでていなかった。

天の川 (2)
天の川

 あまりの寒さに、僕らはそそくさとホテルへと戻った。あの温かいホテルへと。

 ホテルへと帰り、僕は温かい布団の中にもぐり込んだ。明日は、朝日を見るために早起きをする。目標は4時だ。僕は10時過ぎに眠りに着いた。しかし、夜中に何度も何度も目が覚める。乾きだ。乾燥がすご過ぎて、すぐに喉が渇く。人はこんなにも、渇きの中では眠ることさえできないのかと、そう思う。
 なけなしの水を飲もうと思って、置いてあるはず机に手を伸ばすと、水はカランと音を立てて床に落ちていった。
 僕は、水を諦めて、もう一度眠りに着こうとした。でも、喉はカラカラで唇はカサカサだ。その時に見た夢は、ファミレスのドリンクバーでジュースを浴びるように飲む、夢だった。
 夢で満たされた気持ちは、現実の気持ちまでは満たしてくれなかった。僕はまた目を覚まして、水を拾って一気に飲み干して、健やかなる眠りに着いた。

 4時に、目覚ましがなる。朝日を見るために起きなくては、ならない。僕らはお互いに、牽制しながら、5時過ぎに起き上がった。僕らは着替えて外へと向かう。外はまだ真っ暗で、綺麗な底月が空に浮かんでいた。

天の川 (3)
底月

 歩いて塩湖の方へと向かっているうちに、東の空が少しずつ真っ青になる。星は、どんどんと輝くのを止めていく。月はまだ輝いていて、1つ2つと星が見えなくなり、オリオン座の四隅の星が消えたころ、辺りはほんのりと明るくなった。

天の川 (4)


 塩湖の朝は、信じられないほどに寒い。完全防備の体はどんどんと温度を下げ、いつもと変わらない装備の足は凍るかと思ったほどだ(塩湖へと向かっているときに、僕が部屋のカギを広大な荒野の中に落として一時騒然となったが、それは皆には、内緒だ)。

 ホテルの人が、サンライズは6時だ、と言っていたが、6時を回っても、朝日が昇る気配は、ない。もしかしたら、サプライズかもしれない、そんな思いがふとよぎる。もう辺りは随分と明るくて、空は薄い水色になり、地平線は僕らをぐるりと取り囲み、薄いピンク色に染まっていた。自然が奏でた、そのコントラストは驚くほどに美しい。まるで、ほんの少しずつ色を変え筆を変えて作られたグラデーションのようにも見える。

天の川 (7)


 寒い寒い、とうろうろしていると、山は、もう太陽を隠せないな、とでも言わんばかりに、朝日は山の向こうから立ち昇って来た。太陽は、また塩湖を薄いオレンジ色に染める。でも、夕陽とは違い、ぐんぐん上昇を続けて、すぐに塩湖は元の真っ白な世界へと変わった。

天の川 (10)
朝日

 太陽が昇ると、少しばかり温かくなった気がするが、僕はホテルのカギを必要以上に握りしめ、いそいそとホテルへと向かった。今日もどこまでも空は青くて、どこまでも広い。
 
天の川 (9)

天の川 (11)
セーター1500円

それでは、皆さん良い日々を!

ウユニ塩湖

08 12, 2010 | ボリビア

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ウユニ

 ウユニ塩湖への、道は激しく悪いと聞いていた。眠たくなった頃から揺れが激しくなり、眠れないのだと。
 僕は眠たくなった頃に眠り、到着の予定時間は7時だったが、7時に着く気配がなく、僕は眠り続けた。一緒に行ったマサさんに呆れられるほどに、眠った。なんだなんだ、そんなに道は悪くなかったな、と思っていた。どうやら、いつもの道が封鎖され、遠回りをしたようだ。

 よく眠れた変わりに、到着時間は3時間近く遅れ、10時前にウユニの街に到着した。その日は、ボリビアの独立記念日のようで、ウユニ塩湖の真ん中にある、プラヤ・ブランカという宿が休みらしい。一泊二日のツアーは、泊る宿によって、値段が断然変わる。
 10時前に到着したこともあり、ツアーはどんどん埋まっていく。

 僕らは結局、プラヤ・ブランカの倍の値段のホテルに泊ることになった。もう時間がないようで、急いで、ピックアップのジープに乗る。
 ウユニの街を出発して、30分ほど荒野の中を走りると、見えてきた。そう、お土産屋さんが。そこで、ジープは止まった。特に購買意欲のなかった僕は、辺りをぶらぶらし、出発を待っていた。12時前に、ジープは再度出発する。
 そこからは、すぐに僕らのホテルに到着した。僕らはそこで、降ろされ、ジープは行ってしまった。僕らは、宿に入り、チェックインを済まし、部屋へと向かう。ホテルはやけに素晴らしい。
 まるで、新婚旅行にでも来ているような、部屋だ。いや、多分そんな立派なものではないのだけれど、貧乏旅行を続けてきた僕から見れば、充分素晴らしかった。
 
uyuni (2)
良い部屋。

 マサさんと、男2人で泊る部屋ではないな、と言い合った。僕も激しく同意だが、仕方がない。今日は独立記念日なんだから・・・。

 早速宿を出て、塩湖へと向かった。ホテルは塩湖まで徒歩15分程の中途半端な立地にある。1泊2日のツアーにしては、1泊目がお土産屋以外自由行動だなんて、驚きだ。修学旅行なら嬉しい所だが、ツアーにしては、物足りない。

 15分ほど歩くと、荒野から、塩の荒野へと変わる。地面が少しずつ茶色から白色へと、変化した。塩湖の中に入っていくと、塩が盛られた場所が見える。そこでツアー客が塩の山に乗って楽しそうに写真を撮っていた。

uyuni (4)

 僕らも、一応塩の山の上に乗ってみた。
 でも、寂しさが込み上げてくるのは、何故だろうか。


 塩の山を越えて、僕らは地平線まで何も見えない塩の大地の上で佇んだ。日差しが強く、白い地面に日光は反射した。僕は目を細める。
 空はどこまでも青く、太陽を遮るものは何も、ない。地平線の方に見える空は、少し薄い青色で、僕の頭上に広がる空は、驚く程に濃い青色をしている。確かに、間違いなくこの空を突き抜けた先には、宇宙があるんだな、と思う。

uyuni (1)
マサさんジャンプ

 時折、僕らの傍をジープや、バスが通って行く。真っ白な塩湖には道、などあるのだろうか。何を頼りに、何を目指して、進んでいるのか。少し不思議に思う。広がる塩湖の地平線の先には、いくつかの山がある。それを頼りに、それを目指して、進んでいるのだろうか。じゃあ、夜は、どうだろう。方位磁石でもついているのかな。何もない道を真っ直ぐ走るなんて、相当難しそうだ。

 僕らは、宿へと戻った。ウユニの宿は、寒いという。本当に寒いから気を付けろ、というのが、旅人の合言葉だった。しかし、僕らのホテルは驚くほどに、温かく、驚くほどに、良い布団だった。
 僕は、布団に入って、本を読んでいるうちに、瞬く間に眠りに着いた。こんなふかふかな布団で昼寝が出来るなんて、幸せだ。

 目を覚ますと、もう夕暮れが近い。僕は、マサさんを起こして、またウユニ塩湖へと向かった。太陽は随分傾いていたが、まだまだ日の光は強い。地面が白いからか、太陽の光が明るいうちは、外はやけに明るく感じる。
 太陽が、少しずつオレンジ色に近づく頃になると、あらゆるものは影を大きく伸ばした。もちろん僕の影も長くなる。主に足が長くなる点が素晴らしい。
 塩の石ころのような、小さな塊も影を作っていた。

uyuni (6)
足長い。
uyuni (5)

 次第に、太陽の色が変わると共に、ウユニ塩湖の塩も色を変えて行く。真っ白だった筈の地面は、次第に黄色にも似た色に変わり、どんどんオレンジ色に近づき、土のような色になる。
 太陽は、真っ直ぐに地平線へと向かう。丸い太陽の形がどんどんと地面に吸い込まれ、やがて半丸になる。そのころには、辺り一面は太陽の色に染まる。自分では見えないが、多分僕自身も。

uyuni (7)
洛陽
uyuni (8)


 太陽は、急速に沈む。太陽が沈んだ後も、残り香のように、世界は太陽の色だった。西の空の、地平線の近くは、まだ強いオレンジ色で、上に向かう程に、オレンジは弱くなり、濃い青色に変わる。東の空は、地面に近いところが濃い青色だ。空に向かって、少しオレンジ色に変わり、また空に向かって青色に、なる。

uyuni (9)
西の空
uyuni (10)
東の空

 太陽は、沈んでいるのに、辺りはしばらく太陽の色を残していた。僕らが宿へと歩いている間中、空は優しく僕らの足元を照らしてくれた。宿に着くころに、ようやく辺り一面を闇が覆い、もう塩湖も山も見えない。僕はどこへ向かえばいいのか。そんな気持ちにも、少しなる。しかし、闇が辺りを覆うのとほぼ同時に、空に星が煌めきだした。

 山が見えなくなれば、星を目指すのか。僕は妙に納得して、宿の中に入る。やっぱり、温かい。

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暖炉は素敵だ。
uyuni.jpg

 それでは、皆さん良い日々を!

風に立つライオン

08 09, 2010 |

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風に立つライオン

 僕が、この旅に出る前に、何度も旅に出るのを辞めようかと思った。その時に、心に刺さった歌、がある。それが、さだまさしの、風に立つライオン、だ。

 本当はウユニ塩湖のことを書こうと思ったのだけれど、ウユニ塩湖の写真の整理が出来ていないことと、この歌詞の意味が少しだけ分かったから、今回はそれを書く。

風に立つライオン (1)


 この歌は、恋人を残してケニアに国際医療ボランティアに行った青年に、元恋人から結婚を知らせる手紙が来た。その恋人に青年が宛てた手紙をさだまさしが歌にした、そうだ。
 その歌詞にこんな言葉がある。

 僕は、今を生きることに思い上がりたくないのです

 空を切り裂いて落下する滝のように
 僕はよどみない命を生きたい
 キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空

 僕は風に向かって立つライオンで、ありたい

                      さだ まさし

 僕は今を生きることに思い上がりたくないのです。

 人は皆、この今という時を生きている。これはどうしようもない。過去を引きずっているひとも、足を引きずっているひとも、先のことばかり考えている人も、何も考えていない人も、間違いなく今を生きている。

 意味合いはそれぞれ、かもしれないけれど、人は皆、普通の時は一秒に1~2度、心臓はドクンと打ち付けて、血を体内に流している。体中に血が巡る様に、ドクンドクンと、心臓は動き、今、僕は生きている。
 生きている間、僕らはよどみない命を生きている。よどみない命を全身に携えて生きている。

風に立つライオン (4)
空を切り裂いて落下

 僕は今を生きることに思い上がりたくないのです。

 結局、今を生きることって何だ。一生懸命に生きることか。今という時を大切にすることなのか。それとも生きていること、そのものなのか。

 この気持ちは何だろうか。僕は今を生きることに思い上がりたくないのです。この言葉を聞いて、僕は、世界一周に行こうって思った。逃げずに立ち向かおう、そう思ったんだ。

 でも、それが、どういうことか分かる、ようで分からないし、説明が出来ない。だけど、これは僕の胸に刺さった。強く強く刺さった。

 今を生きること。

 これはきっととても大切なことだ。今というかけがえのない時を生きること、それはとても大切なことだ。

 今を生きる、というのはきっと、人それぞれの言葉だ。それでいい。
 ただ、僕はこんな風に思う。今を生きる。今を生きることを自分で認めた瞬間、自分は今を生きていると、そう思った瞬間に、もしかしたら僕らのスイッチは切り替わってしまうんじゃないか。今を生きたい、と思い続けることが、大切で、今を生きたいと求め続けることが、今を生きる、ことなのかもしれない。もちろん違うかもしれない。

 ただ、僕はウユニ塩湖の真っ白な地面と真っ青な空の下で、そんな風に思った。

風に立つライオン (2)


 風に向かって立つライオンは、タテガミを揺らしながら、文字にはならない音を出しているのだろうか。どんなに強い風が吹いたとしても、僕は目を細めがら、それでも風に向かって走り続けたい。
 
 旅に出て、7か月、ようやく少しだけわかった気がする。違うかもしれないが、これが今の僕の、今を生きる、だ。

DSC_0071.jpg
風に向かって立つ子ライオン(風邪に??)

 それでは、皆さん良い日々を!
(よかったら聴いて下さい。風に立つライオン)

ライカコタ

08 06, 2010 | ボリビア

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ライカコタ

 ボリビアの首都ラ・パス。標高4000m近い世界に着いて、軽い高山病を経て、翌日には元気になって、その翌日には、またぶり返して頭痛になった。僕は、元気と高山病の間の行ったり来たりを繰り返した。頭痛が治り、今は元気になった、ような気がしている。

 元気と高山病を行ったり来たり、健康と病気を行ったり来たり。行ったり来たりの帰り路が、元気であり、健康である、ということに純粋に感謝する。いつまでも、帰り路は安心にも似た、そんな路であってほしいと、思う。

 元気な時でも、この標高の高い世界では、坂道を歩いているだけで、すぐに息が切れて、心臓の音が強く聞こえる。ドンドンと心臓の音が鮮明になり、ドクドクと血液が体中を忙しく駆け巡っているのを感じずにはいられない。
ライカコタ (3)

 ラ・パスは、僕が思っていたよりもずっと美しくて、臭い。傾斜地には、オレンジ色の家々が並び、その後ろには白い山がそびえる。街の中心部には雑多なビルが沢山建っている。急斜面が続くこの街では、一般車よりもずっと沢山のミニバンやミクロと呼ばれる古びたバスが、灰色の排気ガスと、バスの行き先を大声で吐き出しながら、走る。
 ミニバンには、いつも人がパンパンに詰め込まれているが、人々は物ともせずに、一席空いているかどうかのミニバンに、勇ましく乗り込んで行く。

ライカコタ
ラパス

 街の至る所に、露店が並ぶ。お菓子や飲み物から、硬いパン、ジュース屋、湯たんぽまで何だって、ある。
 乾季の今は毎日青空が広がり、雨の心配は、どこまでもなさそうな気さえ、してくる。標高の高いこの場所の日差しは強く、首元に当たる日光が痛い。紫外線は、相当なものだ。

 この街には平坦な道があるのかどうか、少し不安になるほど坂道が続く。その坂道を上っていくと、ライカコタの丘という、ほんの少しだけ小高い場所に辿り着く。そこからは、ラ・パスの街がよく見える。南東には、月の谷という赤茶けた乾燥した山が見え、ライカコタの丘を囲むように、街はすり鉢状に広がっている。それは、まるでミニチュアで出来た街のようにも、見えた。

ライカコタ (4)
月の谷
ライカコタ (1)


 夕暮れが近いことを教えてくれるように、ライカコタの丘の上に、風が吹き始めた。入り口に戻ると、入り口のすぐ横に、大きなチェス盤と、大きな32体の駒が置いてある。それを、ちょうどキングと同じくらいの背の高さをした子どもが2人、抱きかかえるようにして、並べる。

ライカコタ (5)

ライカコタ (6)
チェス

 並べ終わると、2人は対戦を始めた。お互いのキングをチェックメイトするために、駒を動かしていく。2人の駒が3体ずつチェス盤からはじかれて、僕はライカコタの丘を出た。どちらが勝っただろうか。

 ミニチュアみたいな街に、大きなチェスボード。ここは、どこなんだ、と思わずにいられなかった。

ライカコタ (7)


 空には、青空を透かして見せる程薄い雲が広がっている。それはまるで、風、をこの目で見ているような美しい雲だった。

ライカコタ (8)


 それでは、皆さん良い日々を!

ラ・パス

08 04, 2010 | ボリビア

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ラ・パス

 イグアスの滝を見た翌日、また、パラグアイへと向けて出発した。薄い薄い雲が心地良い空の下で、パラグアイのシウダー・デル・エステ行きのバスに乗った。バスは、アルゼンチンの国境で止まる。そこで出国のスタンプをもらい、もう一度、同じバスに乗り込む。この作業も二度目だが、毎回、出発の時は、座れるのだが、スタンプをもらってバスに戻ると、既に席は埋まっている。ここからは、揺れるおんぼろバスの中で慣性の法則を感じながら、ぐらぐらと、僕自身揺れながら進む。

 バスは、一度ブラジルに入る。ブラジルの国旗の下を通りすぎて、しばらくブラジルの街を走り、渋滞している、友好の橋を越えれば、もうパラグアイだ。


 パラグアイのバス停に昼前に着いて、首都アスンシオン行きのバスを探す。12時発、アスンシオン行きのバスに乗り込んだ。
 バスは、シウダー・デル・エステから国道7号線をひたすら西へと走る。1時間と少しが経った頃、散々お世話になった、イグアス移住地(41km地点)の目印にしていたガソリンスタンドが見えた。時速70kmか80kmで走るバスの窓のその景色が映ったのは、ほんの少しだけ、だった。そのガソリンスタンドには、イグアス移住地に到着した日に、何かお困りですか、と尋ねて下さった白沢さんが今も働いているだろう。

LAPAZ (1)
ガソリンスタンド

 一瞬しか僕の目に映らなかった景色の中に、今もその瞬間も変わらずに、過ごしている人、いる。その事実が、少し嬉しい。

LAPAZ (4)
農協と公園
LAPAZ (3)


 バスは、何度かエンストとしか思えないような止まり方をする。エンジンを頑張ってかけた後の加速力のなさは、陸上部時代の僕の姿が思い出される。残念だ。調子が良ければ、5時間程度で着くだろう、と思っていたが、空は、20分ほどだけ、美しい夕焼け色に染まり、すぐに真っ暗になった。時刻は6時を回っている。アスンシオン自体、夜は何時も暗いような、エコな街なので、アスンシオンに入っても、依然辺りの暗さに変化は見られなかった。
 6時半頃に、アスンシオンのバスターミナルに到着した。ここから、その日の夜11時45分のフライトで、僕らはボリビアのラ・パスへと向かう。空港には8時には到着し。空港の掲示板には、8時の段階で、すでに11時45分ラ・パス行きの表示しか、ない。
 
 11時前に、Passport Controlを抜けて、出発を待つ。11時45分の出発時間になっても、僕は未だにロビーにいた。12時を回った頃、搭乗が開始された。40分遅れで、飛行機はパラグアイのアスンシオンを飛び立った。真っ暗な中を、進む。窓からは、何も見えなくて、僕はいつの間にか眠りに着いていた。ポォ~ンという、シートベルト装着の合図音で、目を覚ました。

 窓からは、オレンジ色の光が無数に見えた。それはまるで、「小樽雪あかりの路」のようだ。空から見れば、小さい家の上に灯る電灯が、濃いオレンジ色をしていて、それはまさにロウソクのようだった。飛行機が高度をどんどん下げていくまで、それらが家々だとうことに気付かないほどだった。

 無事に飛行機は、標高4000mを超える、世界最高所の空港に到着した。朝の3時に。夜が明けるのを空港の中で、待つ。標高たったの60m足らずのアスンシオンから、一気に標高4082mだ。実に、標高差4000m。
 その夜(朝)は、ペルーのクスコに続き、二度目の高山病を患い、2度ほど、トイレへと駆け込んだ。もちろん気持ち悪さから来る、アレをアレするために。

LAPAZ (2)

 朝の爽やかな青空が、空港の外には、広がっている。僕は、8度寝位した体を起き上がらせ、晴れ渡る、外へと向かった。
 風邪をひいたパラグアイから、高山病のボリビアまで、体が普通に動くことの幸せを噛みしめずには、いられない。
 昨日まで、元気だった体に感謝の思いを込める。空港を出ると、雪を被った山が清々しく、輝いて見えた。僕は、一度だけ背伸びをして、街へと向かう(へろへろタクシーで)。

LAPAZ (5)
ラ・パス
LAPAZ.jpg


 それでは、皆さん良い日々を!

イグアスの滝

08 01, 2010 | アルゼンチン

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イグアスの滝

 パラグアイで、この旅に出て初めての風邪をひいて、イグアスの滝へのリベンジが2日も遅れてしまった。毎日、空を眺めて、インターネットの天気予報を何度もチェックした。これで、また雨でも降ってしまったなら、僕の後悔はいつまでも残ってしまったかもしれない。
 そんな思いを抱えながら、天気予報が、今週いっぱいの晴れを表示する度に、ちいさくガッツポーズをする。

 風邪をひいた翌日には、体調もそれなりによくなり、パラグアイを出て、アルゼンチンへと戻った。次の日には、もうイグアスの滝へと行ける。天気予報は、SUNNYだ。
 翌日の朝は、天気予報通り雲ひとつない空に、朝日がほんのりと差し込み、遠くは、少し赤らめた頬っぺのような色をしていた。
 あぁ、良い天気だ。僕は、背伸びをしながら、思う。お風呂に入り、準備をした。外を見ると、先ほどまでは、何もなかった空に雲が忍び寄っていた。僕は、思わず天気予報をもう一度チェックした。自分の目で見ている空が間違いなく真実であるはずなのに、天気予報に頼るなんておかしな話だな、と自分でも思う。天気予報は、SUNNYだった。
 そのうちに、この空に、流れる羊雲はどこかに消えるだろう。僕はそう信じて、イグアスフォール行きのバスに乗り込んだ。

 30分程バスに乗りイグアスの滝へと向かうと、次第に雲はどこかに消えてしまったように、青い空だけが僕らの頭の上には、あった。

 公園に入り、バスに乗る。中間駅まで行き、バスは止まった。そこから歩いて滝へと向かう。前に来た時とは、全く違う温度と雰囲気の中、遊歩道を歩いた。

イグアスの滝 (1)

 太陽が水しぶきを照らしていた。イグアスの滝が見え始めた。それは、大きな丸い虹を、引っ提げていた。滝の出どころの川を隠すよう、そこには木々が広がっている。流れる滝は見えなくなるまで連なり、轟音と共に流れ、遠くでは黒い鳥が悠々と、飛ぶ。

イグアスの滝 (12)

 きっと、この滝は遥か遠くから、雪解け水がいくつもいくつも重なって小川になり、それらはイグアス川へと注がれ、やがて長い長い月日をかけて、激しい轟音の中に流れ、大きな大きなこの滝の一部になるのだろう。もしくは、滝の流れの中ではじかれてしぶきになり、小さな小さな一粒の滴になり、それを太陽は照らして、虹の一部になっているのだろうか。

 流れる川は果てしなく、その営みの何処かが、途切れてしまったなら、この流れもあっけないほどに、途切れてしまうのだろうか。

 滝に近づける場所に行くと、皆、嬉しそうに滝のしぶきを全身に浴びていた。僕はカメラが壊れるのが心配で、少し離れた場所でそれを見る。人々は、ガッツポーズをしていた。文字にならない音を引き連れて、水はそれこそ、淀みなく流れ続けていた。

イグアスの滝 (7)

イグアスの滝 (6)

 その場所を離れて、僕らは悪魔の喉笛へと向かった。中間駅から列車に乗る。前回来た時は雨で震えていた体は、爽やかな風を浴びている。15分程で悪魔の喉笛駅に到着する。

 悪魔の喉笛は、まるで川の真ん中に急にぽっかりと穴が空き、そこに水が全力で注がれているようだった。そこに注がれる水はあまりにも強烈で、水しぶきで滝つぼは、全くもって見えない。それ程に全力で、いくつもの水の束が、また結束を固めてどんどん勢力を増していくように、滝は力強かった。

イグアスの滝 (10)
虹二つ
イグアスの滝 (11)
水しぶき

 僕は、その時1つ、思い出す。
 僕が、昔読んだ記事で、甲本ヒロトはこう言っていた。

ギタリストとしてのピークは、ギターを初めて持ったその瞬間だ。これがギターか、かっけぇぇ!と思った時がそいつのギタリストのピークなんだ、と。

 僕は、今までの少し長いような短いようなこの旅の中で、僕の旅人としてのピークは、はじめにあった、そう思っていた。タイに入って、怯えながら初めて1人で移動して、アユタヤに向かい、そしてアユタヤに着いたその日、僕はレンタル自転車で世界遺産、ワット・マハタートに向かった。
20バーツを払って中に入る。人が少なくて、世界遺産を独り占めにしたような気、がしていた。
 空はオレンジ色に染まり、レンガ色の遺跡は更にオレンジ色に染まっていた。その中で僕は1人、ニヤニヤを止めることはできなかった。
 そこにピークがあったと、思ってきた。その瞬間に僕の旅人としてのピークがあったのだと。でも、もしかしたら違うかもしれない。

イグアスの滝 (4)

イグアスの滝 (9)

 イグアスの滝を見たとき、僕はそんな風に、思った。ピークは、何度でもやってくる。マッターホルンを見て涙を流した時も、モロッコのサハラ砂漠で1人、満天の星空に抱かれて眠った夜も、インドで農村の子どもたちの笑顔と触れ合った時も、遡れば、ラオスのメコン川の上を2日間かけて、移動したあの日々も、もちろん、イグアスの滝を見て鳥肌が止まらなかった時も。

 ピークは突然、急にやってくる。それに対して、自分が、自分自身がどう捉えるか、だ。ピークが最初にあった、なんて言ってしまったら、その後の旅はどうする。自分で線を引いて、そこに僕のピークがあったと言ってしまえば、僕はそこでストップしてしまう。でも本当は違う。ピークなんて最初からなかった。これからも無い。旅が終わったその時に、自分で頂上が見えるんだ。最初から、山頂に下ろされて楽しいのなんて、バックカントリー位だ。
 やっぱり僕は自分の足で登りたいんだ。いくつもの連峰を超えていきたいんだ。そして最後に、あぁ、あの山が一番高かったのかって、そう、言いたい。

イグアスの滝 (2)

 僕はあと僅かしか残っていない、この旅の中でまた山を上って下りる。それでいいんだ。それがいいんだ。

イグアスの滝 (3)
イグアスの滝
イグアスの滝 (8)


それでは、皆さん良い日々を!

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