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江田inn

06 29, 2010 | ペルー

2 Comments
江田inn

 クスコから、またリマへ戻らなければいけない。21時間のバス移動だ。クスコの街はやけに騒がしい。24日に行われる、南米三大祭りのインティ・ライミーへ向けて、プレイベントでもやっているのだろうか。アルマス広場には、作りの粗い大きな人形が、いくつもパレードのように進んでいる。パレードと違うのは、その人形が、あまりにも手作り感が出ている、ということと、進むスピードが著しく遅い、ということだ。

eda inn (1)
クスコ
eda inn (4)


 沢山の人を通り抜けて、クスコでお昼ご飯を食べて、夕方のバスで、リマへと向かった。今回もクルス・デル・スールという良いバスに乗る。リクライニングを倒して、足を伸ばして座った。いや、もう横になる、のほうが近いような状態だ。
 7時過ぎに晩ご飯が運ばれて来た。前回のバスの記憶が蘇るが、気にせずにガツガツと食べた。快調に進むバスは、前とは別の道を進んでいるようで、そんなにも揺れない。僕はすぐさま眠りについた。今回は快適なバスの旅が出来そうだ。

eda inn

 明け方に目が覚めると、辺りは砂漠のような荒野が広がっていた。バスは快調に飛ばしている。僕の体調も快調だ。9時ごろに朝ご飯が運ばれて来た。サンドウィッチ、のようなものだ。前回は一口も食べることが出来なったが、今回はなんの躊躇いもなく食べられた。リマに近づくにつれて、空はまた、分厚い雲に覆われ始めた。どこまでもどこまでも、厚い雲は続いている。日の光も、もどこかに行ってしまったように、辺りは寂しい色に変わる。

 昼過ぎにリマに到着し、今回は祐平さんにお勧めされた、江田innという宿に向かった。ここは、日本式のお風呂浸かれるという。僕はそれを俄然楽しみにしていた。 

 宿に到着すると、ペルー人のご主人がお出迎えしてくれた。ロビーでは奥さんがサッカーの試合を見ながらうたた寝をしておられる。祐平さんの言葉を借りれば、「親戚のおばさんの家に遊びに行ったような気分」を感じずにはいられなかった。
 部屋に荷物を置き、僕も一緒にサッカーを見る。テレビに向かって話しかけているその姿は正に、親戚のおばさんである。

 僕は、イースター島に向けて買い物をして、またロビーでお茶を飲みながら、のんびりと過ごした。晩ご飯をお願いすると、家庭料理としか思えないような温かい夕ご飯が運ばれてきた。ご飯を食べ終えた頃に、お風呂が沸いたからどうぞ、と言われ、僕は得も言えぬ気分だった。
 
 日本の湯船に浸かると、思わずあ゛ぁ~、と声が出る。久しぶりの湯船に浸かり幸福感が広がり、僕は眠りに着いた。
 翌日は朝7時半のフライトで、朝4時半起きだ。昨日会ったばかりなのに、何故か昔からの知り合いだったような気がする、江田さん夫妻に別れを告げて、空港へと、向かう。

eda inn (2)

 飛行機が滑走路を勢いよく走りだす。飛行機がとび立ち、どこまでも続いてるような分厚い雲の中に突っ込んで行く。機体は少しガタついて、雲を超えると、そこには、青い空が広がっていた。当たり前のことかもしれないけれど、なんだか僕はホッとしていた。あぁ、やっぱり雲の上には青空が広がっているんだと、少し嬉しくなった。

 下を見ると、まるで羊の毛のようにモコモコした雲がどこまでも広がっている。もうリマの街並みを見ることは出来ない。

 13過ぎに、チリのサンチャゴに到着した。荷物検査で引っ掛かり、ジャガイモとニンジンが没収された。それでも、サーモマグに入れていた、ニンニクだけは検査の目を免れた。ラッキーだ。
 
 翌日の朝の便で、イースター島へと向かう。もう街まで、出て宿を取り、翌朝早くに空港に戻るのも面倒で、僕は空港に泊ることにした。出発まで、あと18時間と少し。先は長い。僕は空港のベンチに座り、本を読む。
 長い長い物語を読み進める。物語の時間が進むように、僕の周りの時間もどんどん過ぎていく。時計に目をやると、夜の8時を超えたところだ。出発まであと12時間。

eda inn (3)
インディヘナ

 それでは、皆さん良い日々を!

82km

06 28, 2010 | ペルー

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82km

 マチュピチュを見た翌日、朝の9時発の電車に乗って帰る予定だった。もちろんチケットは持っている。駅に着くと、人が思ったよりも、想像してたよりも、少ない。少し嫌な予感がして、昨日のことを思い出した。

 昨日、マチュピチュで会った日本人の方が、今日、明日はストライキで電車が動かないらしいですうよ、とそう言った。もちろん僕らは、その2日間がストライキだと知っていた。しかし、チケット売り場のお姉さんは、ペルーレイル(僕らの乗る列車)は17日の1日だけのストライキだ、と言っていた。だから、僕らは18日のチケットを持っているのだ。
 不安になった僕らは、インフォメーションに行き、明日列車は動くのかと、尋ねた。すると、インフォメーションのお姉さんは気だるそうに、ここのストは今日だけよ、クスコやプーノは2日間のストライキだけど、ここは問題ないわぁ、と言う。僕らは、完全に安心して眠りに着いた。そして、今日だ。

 窓口は思うように、進まない。出発の9時を前にして、窓口に並んでいるのは数人だ。やはり、今日はストライキのようだ。
 インフォメーションとチケット売り場のお姉さんたちは何だったのだろうか。まぁそんなことは、どうでもいい。僕は、リマからのフライトが近く、なんとかその日のうちにクスコに帰りたかった。僕らは相談をする。急いでいるのは、僕だ。僕が決めなければならなかった。今日、歩いて帰るのか、明日、列車で帰るのか。

 僕は、歩いて帰ることを選択した。すでにここ2日間のトレッキングで、僕らの足はガタガタだ。筋肉痛でお尻から、ふくろはぎまで、満遍なく痛い。祐平さんも、きっとそうだ。

82km.jpg
マチュピチュ村

 マチュピチュ村から、82km地点まで歩き、そこからコレクティーボ(乗合タクシー)を乗り次いで、クスコまで目指す。マチュピチュ村は110km地点。約30km、線路の上を歩く。

 お昼ごはんを買って、少し高い朝食を食べて10時20分、僕らは線路に向かって歩きだした。線路の上は歩きにくい。枕木の間隔は狭く、自分のペースで歩きづらい。線路を外れると、大量の石が敷き詰められた道になる。足を捻りそうになる。
 時速は、4km。僕らは一定のペースで歩き続ける。1時間に1度の休憩を楽しみにしながら、歩いていく。82km地点に着くのはきっと6時過ぎだろう。周りの景色は雄大だ。それにも気付かない程に、下ばかりを見て歩く。枕木の間隔に自分の歩幅を合わせて、進む。

82km (1)

 今日、太陽は雲の中に隠れることが多く、日差しは僕らまで届かずに済む。時折、雲から顔を出す太陽の光は、僕らから体力を奪った。その度に雲が僕らの味方をするように、すぐに太陽を包んでくれた。

82km (2)

 何度か休憩を繰り返し、時刻は4時を回った。やっと90km地点までやってきた。あと2時間で到着するだろう。僕らは、少し元気を取り戻した。

82km (4)
90km地点

 そこから2kmくらい歩き、88kmの標識が見え、時刻は4時45分ごろを指していた。前から作業車が走ってくる。僕らの前でそれは止まる。乗ってもいいか、と聞くと、お金の合図をしている。それでも、僕らはそれに乗り込む。次々に欧米人が乗り込み、作業車はあっという間に多くの人間をパンパンに詰め込んだ。何人かは、作業車のへりに掴まっている。作業車は、ものすごい勢いで前進し始めた。汽笛をポッポーと鳴らしながら進む。時折、歩いている旅人をすごいスピード追い越して行く。さっきまで、15分に一度しか見なかった1kmずつ減っていく標識も、どんどん82kmに向けて、加速するように、減っていく。

82km (5)


 10分程で、82km地点に到着した。民家があり、バス停がある。そこで少し待っているとボロボロのバンがやってきた。僕らは、それに乗り込みオリャンタイタンボという街まで移動する。
 ボロボロのバンに9人ほど乗り、バンの上には大量の荷物が積まれた。もう辺りは真っ暗で、乗せてくれた(有料で)作業車に感謝せずには、いられない。
 
 45分ほどバンは走り、オリャンタイタンボに着いた。そこからさらにコレクティーボを乗りついで、クスコまで向かう。街の人に聞けば、人それぞれ答えが違う。もう、クスコ行きはないわ、というお姉さん、あっちだ、というおじさんもいる。取りあえず、指を差された方に向かうと、コレクティーボが出発しそうな雰囲気があった。僕らは走った。今度は綺麗なバンだ。クスコ行きのようだ。

 僕らは、バンに乗り込む。これで、クスコに帰れると、安堵が体中に広がった。グネグネの道をバンが進む。途中で、いくつかの街を超えていく。どこも、オレンジ色の街灯が街を照らしている。

 徐々に標高は上がっているのだろう。外の温度と、車内の温度の違いで、窓ガラスはどんどん曇っていく。水滴が霧のように、窓ガラスを覆い、街を照らす街灯がぼんやりと広がって見える。
 2時間近く走ったところで、窓ガラスに広がるオレンジ色の明かりが、多くなる。クスコに到着したのだろう。

 20時間近く歩いた、この3日間。この足が覚えている。筋肉痛が足全体に広がり、体は少し重い。それでいて、心は軽い。標高3600メートル、僕はまた一歩一歩踏みしめるように、坂道を登る。クスコに着いた丁度、あの日のように。

82km (3)


 それでは、皆さん良い日々を!

マチュピチュ

06 26, 2010 | ペルー

4 Comments
マチュピチュ

 午前4時、目覚ましが部屋に鳴り響き、祐平さんが部屋の電気を付けた。そして、俺の仕事おわり、とひとり言にしては大きい声で言う。彼の仕事は終わったらしい。僕らは、結局4時半に起きだした。眠りに着いたのがつい先ほどの気がする。いや、気のせいではない。僕らは、午前1時に眠りに着いたのだ。つい先ほどというのは、間違いではない。
 起きてすぐに準備をして、出発だ。

 マチュピチュ村は、まだ真っ暗だ。マチュピチュ村を出て森の中へと向かう。辺りは明かりもなくなり、真っ暗で星がよく見える。僕は眠たくて、更に言うと寒くてどちらかというと、マチュピチュよりも布団が恋しかった。
 はじめの30分、僕らはバスが通る道をのんびりと歩いていた。大回りをしながら、ジグザグに登っていく。しかし、途中で登山道と思われる、矢印を発見した。そこを登ると近道に違いない。僕らは、その道を登り始めた。急斜面が続き、思うように足が動かない。真っ暗な道を、小さなライトの明かりだけを頼りに、進んで行く。辺りはまだ、暗い。

 時折休憩しながら、斜面を登っていると、エンジン音が聞こえる。シャトルバスだ。ライトの光が先に現れて、それの後ろを付いてくるように、バスが現れた。素早く僕らの横を追い抜いていく。僕らは、ただ呆然とバスが通り過ぎるのを待った。
 
マチュピチュ (1)

 空は少しずつ、少しずつ、うっすらと明るくなり始めた。朝特有の水分をしっかりと蓄えた空気が、僕の前を漂うように流れているのがよく分かる。
 6時を過ぎて、空は随分明るくなった。僕らの進む方向から、声が聞こえる。どうやらマチュピチュは近いようだ。
急な坂道を登り終えて、僕らはとうとうマチュピチュに到着した。すでに何かをやり遂げた充実感に溢れていた。入場スタンプを押してもらい、マチュピチュの中へと進む。まず、目指すはワイナピチュだ。僕らはワイナピチュの入り口へと向かった。ワイナピチュは整理券が必要で、一日に400人しか登ることが出来ない。僕らは整理券などもらっていなかった。詰めの甘さが悔やまれる。

 管理人のおじさんに尋ねると、ノープロブレム、とそういうことらしい。今日は、ストライキでお客が少なく、ワイナピチュの入場制限がないらしい。これはラッキーだった。7時になると、ワイナピチュ登山道が解放され、僕らはワイナピチュに登り始めた。

 石段を少し登ると、山の隙間から光が線になり漏れて来ていた。もうすぐあの山から太陽が顔を出すのだろう。僕らは、そこにある大きな石に腰をかけて、朝日を待った。辺りは、もう完全に朝の光に包まれていた。これを朝日と、日の出と呼んでいいのかはよく分からない。それでも、その日初めて見る太陽と言うのは、いつでも美しいものだ。

 7時半頃、太陽はようやく山を越えて、眩しい光を僕らに届けてくれて、マチュピチュは太陽に照らされて、色を変えた。僕はあまりに眩しくて、目を細めた。
 太陽が、山から完全に姿を現すと、僕らは、立ち上がる。そして、また石段を登り始めた。
急斜面が続く。息はなかなか続かない。しばらく登り、後ろを振り返ると、マチュピチュが、石で造られたインカの遺跡がキレイに見える。それは、山の中腹に段々畑が広がり、不自然な程に自然の中に溶け込んでいた。
 
マチュピチュ (8)

 僕らは1時間程かけて、ワイナピチュの山頂に登頂した。見渡す限り、空はどこまでも広がっていた。南には、マチュピチュが太陽の光を浴び、その後ろにはマチュピチュ山が聳えている。西には、白い雪が残る山があり、東には渓谷が見える。遥か下に川が流れ、北は山深い景色がどこまでも続いている。

マチュピチュ
仙のメッセージが良く見える。
マチュピチュ (9)
渓谷

 僕らは、岩の上に座り込み自然にただ見とれていた。なんて美しい色だ。マチュピチュは自然の景観を損なうことなく、まるでごく当たり前のような顔をして、そこにある。それが、素晴らしい。標高2690メートル。息苦しさはまるでない。あるのは、多くの感動と、少しの疲労感だった。

マチュピチュ (7)
登山道
 
 僕らはしばらく太陽の光を浴びて、山を降り始めた。ずんずんと、標高を下げていく。どこまで下がるのかという程に下った。怖いほどの道を下り、おののく様な、ハシゴを下った。1時間ほど下った所で、「マチュピチュ1h30」という残念な看板を発見した。道を間違えたとしか思えない。そこから道はまた登りに転じていた。祐平さんは、すでに虫の息だった。杖に全身の体重を預けて登っている。

マチュピチュ (2)
リャマ
マチュピチュ (3)
マチュピチュ
マチュピチュ (4)

 マチュピチュに戻り、小高い場所まで歩いた。見張り小屋だ。そこは風が強く吹いていて、とても涼しい。眼下には遺跡が広がり、目の前には、先ほど登ったばかりのワイナピチュが白い雲と青い空を背景に、空に向かって伸びている。

マチュピチュ (5)
見張り小屋

 僕らは、そこでしばらく風に吹かれた。確実に、この山の上で生きていた人のことを思いながら。確実に、今、生きている僕を思いながら。

マチュピチュ (6)

 それでは、皆さん良い日々を。

マチュピチュ村

06 24, 2010 | ペルー

2 Comments
マチュピチュ村

 朝、6時40分にロビー(のようなもの)に集合。そう約束して、僕らは眠りに着いた。朝、6時前にインターホンが鳴っている。目覚めた僕はいやに喉が乾いていて、顔が火照っていた。ライトスタンドの側に置いてある水を飲むが、あまり美味しくない、いや美味しんぼではない。
 起き上がると同時に鼻血が溢れだして、驚いた。急いでトイレに駆け込み、ティッシュを鼻に詰めて、もう一度、布団に転がり込んだ。朝は本当に寒い。風でもひいたのかと心配したが、一緒に行く人、ゆうへいさんに告げると、それは乾燥です、と一蹴された。乾燥すると、人は鼻血が出るらしい。

 僕らは、階段と坂道を下り、タクシーに乗り込んだ。細い路地を抜けて、コレクティーボ乗り場にやってきた。まずは、コレクティーボという乗合タクシーでサンタ・マリアという街まで行く。コレクティーボ乗り場で人数が揃うまで40分程待たされる。やっと人が集まり、5時間近く乗合のバンに乗り、山道を登ったり下ったりを繰り返す。結果的には、下っているようだ。

matipityu mura

matipityu mura (1)
ゴミゴミしている。

 途中で一度だけ休憩をして、お昼すぎにサンタ・マリアに辿りついた。そこから、また別の乗合タクシーに乗り換える。今度は普通のセダンだ(トヨタの)。それの後部座席に4人が詰め込まれた。助手席の内藤大介似の彼が羨ましい。さらに荷台に、帰宅中の小学生が4人が乗り込んだ。5人乗りのセダンに現在、10人乗っている。そのまま、車は跳ねるように、悪路を飛ばしていく。途中車が跳ね過ぎて、後ろの小学生が頭を強打したようだ。悲鳴が聞こえる。僕は、後ろを振り返ることもままならない。
 しばらくすると、小学生の内の2人が下りた。後ろの2人は、快適そうに座っている。それも束の間、また新たな子供たちが乗り込んで来た。後ろはもう、まるで奴隷船のように人が詰め込まれている。乗ったり降りたりを繰り返し、最終的には、助手席と運転席の間、サイドブレーキの上にまで人が乗りだした。5人乗りのセダンは今、13人と少しの荷物を載せて走っている。もう、好きにしてほしい。

 1時間45分、3時になる少し前、ようやくサンタ・クルスに到着した。そこでもう一度乗り換えがある。僕らは、一刻も早く、出発してほしかったが、そうはいかない。人数が集まるまで彼らは出発しないのだ。3時過ぎにタクシーは出発した。ぼこぼこの未舗装の道を進んでいく。そこで、ようやく僕らのスタート地点に到着した。そう、ここが今日のスタート地点水力発電所だ。
 僕らは、すでに疲れていた。それでもここが今日のスタート地点だ。

matipityu mura (3)
スタート地点から、列車も走っている、ようだ。

 ジーンズを脱ぎ、スパッツに短パンという格好になり、リュックを背負い直した。ここから、3時間線路の上を歩いて行く。この線路の先に、マチュピチュ村がある。

matipityu mura (7)

 僕らは線路の横の道を歩き始めた。スイッチバックがある度に、ジグザグに登っていく。そこは標高1600メートル程だ。息は思ったよりも辛くはない。線路は途切れることなく、続いている。

matipityu mura (4)

 5時を超えた頃には、山に囲まれたこの場所は薄暗くなり始めた。夕方特有の小さい虫が辺りを飛び回る。それを手で振り払いながら、進む。時速は4キロくらいだろう。5時半頃、空は少しずつではあるが確実に暗さを増している。遠くから、汽笛の音が聞こえた。後ろを振り返ると、列車がゆっくりと進んでくる。本当にゆっくりと。時速は多分20キロか30キロか。僕らはの5倍か7倍程のスピードで進んで行く。

matipityu mura (8)

matipityu mura (6)

 6時を過ぎるともう、空は真っ暗で、月が綺麗な底月を形作り、周りには、ちらほらと星が煌めき始めていた。更に、しばらく歩いていると、山あいの中から光が零れているのが、山に反射して見える。やっと、着いた。
 7時前にマチュピチュ村に到着したときには、到着したという安心感と、マチュピチュ村の意外な程の傾斜で、僕らの足はぷるぷるしていた。
 
 夕飯を食べて、宿へ向かった。もうお風呂に入って素早く寝る、予定だった。しかし、お湯が出ない。人肌以下の水が勢いよく飛び出している。
 僕らは、お風呂騒動によりなかなか眠れず、布団に入ったら入ったで、中学生の修学旅行のように、下らない話で盛り上がり、結局眠りに着いたのは、1時前だった。

さぁ明日は、4時起きだ。

matipityu mura (2)


それでは、皆さん良い日々を!

クスコ

06 21, 2010 | ペルー

0 Comments
クスコ

 クスコの宿は、広場から坂道を1つと、階段を1つ昇ったところにある。僕は、一歩一歩踏みしめるように歩いた。実際には、そうしなければ前に進む気がしなかった。標高3600メートルを超えるこの場所。富士山山頂で生活するようなものだ。

 宿の前に着いてインターホンを鳴らした時には、僕はもうヘトヘトだった。頭は痛いし、間接も痛い。これは軽度の高山病だろう。それでも、僕は宿でcheck inを終えたらすぐさまにベッドに横になった。
 同じ部屋の人が、高山病の薬を買いに行くかい、と尋ねてくれたので、僕は立ちあがり、街へと繰り出した。街の広場はやけに賑やかだ。近々、南米の三大祭りの一つ、インティ・ライミーあるらしく、それの練習をしているようだ。

クスコ (7)
アルマス広場

 僕らは薬屋さんに行き、高山病の薬、アゼダゾラミドというものを買った。僕は真っ直ぐに宿に戻った。すぐさま、さっき買った薬を嬉々として飲んだ。これできっと治るだろう。
宿には、美味しんぼが沢山揃っている。僕はそれを手に取り、読みふけった。ゆうこさんが双子の赤ちゃんを海原雄山に見せに行き、雄山がおじいちゃんの顔をしていた。赤ちゃんの力とは絶大だ。いや、そんなことはどうでもいいのだが。

 夜になると、流石にかなり寒くなる。ダウンジャケットまで着こんでも、まだ少し寒く感じる。早々に布団にもぐり込み、美味しんぼを読んだ。寒くて、布団から出て電気を消すのが億劫に感じられる。眠たくなり、のそのそと電気を消しに行くと、さっきまで布団で温められていた体が一気に冷え込んで行く。目が覚めてまた、眠れなくる。
 
 翌日には、僕の頭痛もかなり治まっていた。外は、リマと違い良い天気だ。何処までも澄んでいて青い。雲が1つ2つ、ぽつりぽつりと浮かんでいる。街はオレンジ色に統一されていて、美しい。こんな朝はコーヒーでも飲みながら、美味しんぼだ。

クスコ (8)


 この日の朝に、アレキパからやってきた人が、僕と同じくマチュピチュに一緒に行く人を探しているらしく、僕らはすぐさま一緒に行くことになった。そうなれば、美味しんぼを読んでいる場合ではない。行く手筈を整えなければならない。
 しかし、この日は日本対カメルーン戦だ。取りあえずそれを見なくてはいけない。やることが多くて困る。

 その試合を見終わった後、すぐさま駅に向かった。チケット売り場に並び、マチュピチュ村(名前がすでに良い)行きの列車を買おうとしたが、明日の便はもう一杯だと言われた。僕らは少し相談をして、もう一度窓口へと向かう。今月は17日と18日がストライキらしい。ドンピシャだ。しかし、このペルーレイルは17日のみのストライキで18日は電車が動くらしい。僕らは、帰りの18日のチケットだけをお買い上げした。
 これで、日程は決まった。16日になんとかしてマチュピチュ村まで行って、17日にマチュピチュに行き、18日に帰る。

 安心した僕らは、きんたろうという日本食レストランに行き、舌鼓を打った。この時はこの3日間があんなにも壮絶なものになるなんて、予想もしていなかった。

クスコ (6)
かき揚げ丼!

 翌日は、ピサックという郊外の村に出掛けた。バスに乗り40分。バスの窓からは、クスコの街が一望できる。山あいのこんな高地によくもこんな都市を作ったものだと、感心する。大きい競技場まである。サッカー場か何かだろうか。しかし、ここで試合をしたら、現地チームが有利すぎやしないかと、思う。少し走っただけで、きっと心臓が爆発してしまいそうだ。

 しばらく山道を走ると、村が現れた。ピサックだ。ここは、沢山のお土産屋さんが並んだ、屋台街だ。山を登ると、小さな遺跡もあるらしい。僕らは歩くだけでもへろへろだ。もちろん、遺跡は満場一致で諦めた。

クスコ
ピサック

 少し買い物をして、バスに乗ってクスコへと戻る途中、僕らはバスを降りた。インティ・ライミーの舞台になるキリスト像がある場所で降りたのだ。そこからの見晴らしは美しく、山は、所どころに木が茂り、それ以外の所はまるで苔でも生えているような、色をしている。
 
クスコ (5)

 キリスト像の前では、色黒のおじさんが、楽器を奏でていた、小さな音で。風が少し吹いている。その音に負けてしまいそうな、音だ。
 太陽は、少し東へと傾き始め、僕らの影は西へと伸びている。おじさんは、もう一度楽器を弾き始めた。今度は少し音が大きい。僕らは、太陽に向かって、つまりは東へと歩きだした。

クスコ (2)

クスコ (4)

 それでは、みなさん良い日々を!

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