FC2プロフ
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム
意見などありましたらこちらで!

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
FC2カウンター
検索フォーム
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
QRコード
QRコード
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム
リンク

スポンサーサイト

-- --, -- | スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ウユニ塩湖

08 12, 2010 | ボリビア

2 Comments
ウユニ

 ウユニ塩湖への、道は激しく悪いと聞いていた。眠たくなった頃から揺れが激しくなり、眠れないのだと。
 僕は眠たくなった頃に眠り、到着の予定時間は7時だったが、7時に着く気配がなく、僕は眠り続けた。一緒に行ったマサさんに呆れられるほどに、眠った。なんだなんだ、そんなに道は悪くなかったな、と思っていた。どうやら、いつもの道が封鎖され、遠回りをしたようだ。

 よく眠れた変わりに、到着時間は3時間近く遅れ、10時前にウユニの街に到着した。その日は、ボリビアの独立記念日のようで、ウユニ塩湖の真ん中にある、プラヤ・ブランカという宿が休みらしい。一泊二日のツアーは、泊る宿によって、値段が断然変わる。
 10時前に到着したこともあり、ツアーはどんどん埋まっていく。

 僕らは結局、プラヤ・ブランカの倍の値段のホテルに泊ることになった。もう時間がないようで、急いで、ピックアップのジープに乗る。
 ウユニの街を出発して、30分ほど荒野の中を走りると、見えてきた。そう、お土産屋さんが。そこで、ジープは止まった。特に購買意欲のなかった僕は、辺りをぶらぶらし、出発を待っていた。12時前に、ジープは再度出発する。
 そこからは、すぐに僕らのホテルに到着した。僕らはそこで、降ろされ、ジープは行ってしまった。僕らは、宿に入り、チェックインを済まし、部屋へと向かう。ホテルはやけに素晴らしい。
 まるで、新婚旅行にでも来ているような、部屋だ。いや、多分そんな立派なものではないのだけれど、貧乏旅行を続けてきた僕から見れば、充分素晴らしかった。
 
uyuni (2)
良い部屋。

 マサさんと、男2人で泊る部屋ではないな、と言い合った。僕も激しく同意だが、仕方がない。今日は独立記念日なんだから・・・。

 早速宿を出て、塩湖へと向かった。ホテルは塩湖まで徒歩15分程の中途半端な立地にある。1泊2日のツアーにしては、1泊目がお土産屋以外自由行動だなんて、驚きだ。修学旅行なら嬉しい所だが、ツアーにしては、物足りない。

 15分ほど歩くと、荒野から、塩の荒野へと変わる。地面が少しずつ茶色から白色へと、変化した。塩湖の中に入っていくと、塩が盛られた場所が見える。そこでツアー客が塩の山に乗って楽しそうに写真を撮っていた。

uyuni (4)

 僕らも、一応塩の山の上に乗ってみた。
 でも、寂しさが込み上げてくるのは、何故だろうか。


 塩の山を越えて、僕らは地平線まで何も見えない塩の大地の上で佇んだ。日差しが強く、白い地面に日光は反射した。僕は目を細める。
 空はどこまでも青く、太陽を遮るものは何も、ない。地平線の方に見える空は、少し薄い青色で、僕の頭上に広がる空は、驚く程に濃い青色をしている。確かに、間違いなくこの空を突き抜けた先には、宇宙があるんだな、と思う。

uyuni (1)
マサさんジャンプ

 時折、僕らの傍をジープや、バスが通って行く。真っ白な塩湖には道、などあるのだろうか。何を頼りに、何を目指して、進んでいるのか。少し不思議に思う。広がる塩湖の地平線の先には、いくつかの山がある。それを頼りに、それを目指して、進んでいるのだろうか。じゃあ、夜は、どうだろう。方位磁石でもついているのかな。何もない道を真っ直ぐ走るなんて、相当難しそうだ。

 僕らは、宿へと戻った。ウユニの宿は、寒いという。本当に寒いから気を付けろ、というのが、旅人の合言葉だった。しかし、僕らのホテルは驚くほどに、温かく、驚くほどに、良い布団だった。
 僕は、布団に入って、本を読んでいるうちに、瞬く間に眠りに着いた。こんなふかふかな布団で昼寝が出来るなんて、幸せだ。

 目を覚ますと、もう夕暮れが近い。僕は、マサさんを起こして、またウユニ塩湖へと向かった。太陽は随分傾いていたが、まだまだ日の光は強い。地面が白いからか、太陽の光が明るいうちは、外はやけに明るく感じる。
 太陽が、少しずつオレンジ色に近づく頃になると、あらゆるものは影を大きく伸ばした。もちろん僕の影も長くなる。主に足が長くなる点が素晴らしい。
 塩の石ころのような、小さな塊も影を作っていた。

uyuni (6)
足長い。
uyuni (5)

 次第に、太陽の色が変わると共に、ウユニ塩湖の塩も色を変えて行く。真っ白だった筈の地面は、次第に黄色にも似た色に変わり、どんどんオレンジ色に近づき、土のような色になる。
 太陽は、真っ直ぐに地平線へと向かう。丸い太陽の形がどんどんと地面に吸い込まれ、やがて半丸になる。そのころには、辺り一面は太陽の色に染まる。自分では見えないが、多分僕自身も。

uyuni (7)
洛陽
uyuni (8)


 太陽は、急速に沈む。太陽が沈んだ後も、残り香のように、世界は太陽の色だった。西の空の、地平線の近くは、まだ強いオレンジ色で、上に向かう程に、オレンジは弱くなり、濃い青色に変わる。東の空は、地面に近いところが濃い青色だ。空に向かって、少しオレンジ色に変わり、また空に向かって青色に、なる。

uyuni (9)
西の空
uyuni (10)
東の空

 太陽は、沈んでいるのに、辺りはしばらく太陽の色を残していた。僕らが宿へと歩いている間中、空は優しく僕らの足元を照らしてくれた。宿に着くころに、ようやく辺り一面を闇が覆い、もう塩湖も山も見えない。僕はどこへ向かえばいいのか。そんな気持ちにも、少しなる。しかし、闇が辺りを覆うのとほぼ同時に、空に星が煌めきだした。

 山が見えなくなれば、星を目指すのか。僕は妙に納得して、宿の中に入る。やっぱり、温かい。

uyuni (11)
暖炉は素敵だ。
uyuni.jpg

 それでは、皆さん良い日々を!

ライカコタ

08 06, 2010 | ボリビア

4 Comments
ライカコタ

 ボリビアの首都ラ・パス。標高4000m近い世界に着いて、軽い高山病を経て、翌日には元気になって、その翌日には、またぶり返して頭痛になった。僕は、元気と高山病の間の行ったり来たりを繰り返した。頭痛が治り、今は元気になった、ような気がしている。

 元気と高山病を行ったり来たり、健康と病気を行ったり来たり。行ったり来たりの帰り路が、元気であり、健康である、ということに純粋に感謝する。いつまでも、帰り路は安心にも似た、そんな路であってほしいと、思う。

 元気な時でも、この標高の高い世界では、坂道を歩いているだけで、すぐに息が切れて、心臓の音が強く聞こえる。ドンドンと心臓の音が鮮明になり、ドクドクと血液が体中を忙しく駆け巡っているのを感じずにはいられない。
ライカコタ (3)

 ラ・パスは、僕が思っていたよりもずっと美しくて、臭い。傾斜地には、オレンジ色の家々が並び、その後ろには白い山がそびえる。街の中心部には雑多なビルが沢山建っている。急斜面が続くこの街では、一般車よりもずっと沢山のミニバンやミクロと呼ばれる古びたバスが、灰色の排気ガスと、バスの行き先を大声で吐き出しながら、走る。
 ミニバンには、いつも人がパンパンに詰め込まれているが、人々は物ともせずに、一席空いているかどうかのミニバンに、勇ましく乗り込んで行く。

ライカコタ
ラパス

 街の至る所に、露店が並ぶ。お菓子や飲み物から、硬いパン、ジュース屋、湯たんぽまで何だって、ある。
 乾季の今は毎日青空が広がり、雨の心配は、どこまでもなさそうな気さえ、してくる。標高の高いこの場所の日差しは強く、首元に当たる日光が痛い。紫外線は、相当なものだ。

 この街には平坦な道があるのかどうか、少し不安になるほど坂道が続く。その坂道を上っていくと、ライカコタの丘という、ほんの少しだけ小高い場所に辿り着く。そこからは、ラ・パスの街がよく見える。南東には、月の谷という赤茶けた乾燥した山が見え、ライカコタの丘を囲むように、街はすり鉢状に広がっている。それは、まるでミニチュアで出来た街のようにも、見えた。

ライカコタ (4)
月の谷
ライカコタ (1)


 夕暮れが近いことを教えてくれるように、ライカコタの丘の上に、風が吹き始めた。入り口に戻ると、入り口のすぐ横に、大きなチェス盤と、大きな32体の駒が置いてある。それを、ちょうどキングと同じくらいの背の高さをした子どもが2人、抱きかかえるようにして、並べる。

ライカコタ (5)

ライカコタ (6)
チェス

 並べ終わると、2人は対戦を始めた。お互いのキングをチェックメイトするために、駒を動かしていく。2人の駒が3体ずつチェス盤からはじかれて、僕はライカコタの丘を出た。どちらが勝っただろうか。

 ミニチュアみたいな街に、大きなチェスボード。ここは、どこなんだ、と思わずにいられなかった。

ライカコタ (7)


 空には、青空を透かして見せる程薄い雲が広がっている。それはまるで、風、をこの目で見ているような美しい雲だった。

ライカコタ (8)


 それでは、皆さん良い日々を!

ラ・パス

08 04, 2010 | ボリビア

0 Comments
ラ・パス

 イグアスの滝を見た翌日、また、パラグアイへと向けて出発した。薄い薄い雲が心地良い空の下で、パラグアイのシウダー・デル・エステ行きのバスに乗った。バスは、アルゼンチンの国境で止まる。そこで出国のスタンプをもらい、もう一度、同じバスに乗り込む。この作業も二度目だが、毎回、出発の時は、座れるのだが、スタンプをもらってバスに戻ると、既に席は埋まっている。ここからは、揺れるおんぼろバスの中で慣性の法則を感じながら、ぐらぐらと、僕自身揺れながら進む。

 バスは、一度ブラジルに入る。ブラジルの国旗の下を通りすぎて、しばらくブラジルの街を走り、渋滞している、友好の橋を越えれば、もうパラグアイだ。


 パラグアイのバス停に昼前に着いて、首都アスンシオン行きのバスを探す。12時発、アスンシオン行きのバスに乗り込んだ。
 バスは、シウダー・デル・エステから国道7号線をひたすら西へと走る。1時間と少しが経った頃、散々お世話になった、イグアス移住地(41km地点)の目印にしていたガソリンスタンドが見えた。時速70kmか80kmで走るバスの窓のその景色が映ったのは、ほんの少しだけ、だった。そのガソリンスタンドには、イグアス移住地に到着した日に、何かお困りですか、と尋ねて下さった白沢さんが今も働いているだろう。

LAPAZ (1)
ガソリンスタンド

 一瞬しか僕の目に映らなかった景色の中に、今もその瞬間も変わらずに、過ごしている人、いる。その事実が、少し嬉しい。

LAPAZ (4)
農協と公園
LAPAZ (3)


 バスは、何度かエンストとしか思えないような止まり方をする。エンジンを頑張ってかけた後の加速力のなさは、陸上部時代の僕の姿が思い出される。残念だ。調子が良ければ、5時間程度で着くだろう、と思っていたが、空は、20分ほどだけ、美しい夕焼け色に染まり、すぐに真っ暗になった。時刻は6時を回っている。アスンシオン自体、夜は何時も暗いような、エコな街なので、アスンシオンに入っても、依然辺りの暗さに変化は見られなかった。
 6時半頃に、アスンシオンのバスターミナルに到着した。ここから、その日の夜11時45分のフライトで、僕らはボリビアのラ・パスへと向かう。空港には8時には到着し。空港の掲示板には、8時の段階で、すでに11時45分ラ・パス行きの表示しか、ない。
 
 11時前に、Passport Controlを抜けて、出発を待つ。11時45分の出発時間になっても、僕は未だにロビーにいた。12時を回った頃、搭乗が開始された。40分遅れで、飛行機はパラグアイのアスンシオンを飛び立った。真っ暗な中を、進む。窓からは、何も見えなくて、僕はいつの間にか眠りに着いていた。ポォ~ンという、シートベルト装着の合図音で、目を覚ました。

 窓からは、オレンジ色の光が無数に見えた。それはまるで、「小樽雪あかりの路」のようだ。空から見れば、小さい家の上に灯る電灯が、濃いオレンジ色をしていて、それはまさにロウソクのようだった。飛行機が高度をどんどん下げていくまで、それらが家々だとうことに気付かないほどだった。

 無事に飛行機は、標高4000mを超える、世界最高所の空港に到着した。朝の3時に。夜が明けるのを空港の中で、待つ。標高たったの60m足らずのアスンシオンから、一気に標高4082mだ。実に、標高差4000m。
 その夜(朝)は、ペルーのクスコに続き、二度目の高山病を患い、2度ほど、トイレへと駆け込んだ。もちろん気持ち悪さから来る、アレをアレするために。

LAPAZ (2)

 朝の爽やかな青空が、空港の外には、広がっている。僕は、8度寝位した体を起き上がらせ、晴れ渡る、外へと向かった。
 風邪をひいたパラグアイから、高山病のボリビアまで、体が普通に動くことの幸せを噛みしめずには、いられない。
 昨日まで、元気だった体に感謝の思いを込める。空港を出ると、雪を被った山が清々しく、輝いて見えた。僕は、一度だけ背伸びをして、街へと向かう(へろへろタクシーで)。

LAPAZ (5)
ラ・パス
LAPAZ.jpg


 それでは、皆さん良い日々を!

« Prev Page

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。