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グランドキャニオン ノースリム

09 28, 2010 | アメリカ

0 Comments
グランドキャニオン(ノースリム)

 ラスベガス(の方角)へと、僕らは車を走らせる。すでに、スターバックスのWi-Fi Freeを駆使してSt.georgeの街に、今夜の宿を予約している。一泊目の車中泊が思ったよりも狭くて暑かった、からだ。

 バストーを出発してから、300km近く、砂漠にも似た道を走る。時折、僕らは小さな町を通りすぎた。75マイル、およそ120kmでフリーウェイを進む。小さな町は瞬く間に見えなくなり、また荒々しい自然の中を走る。

ノースリム (2)


 そこを抜けると、急にビルが見え始めた。Las Vegasの文字が目に入る。僕と古川は、どうするどうする?と相談をして、帰りも通るよな、と言って、Las Vegasを通りすぎた。フリーウェイの両側にはビルやネオンの看板が広がっている。砂漠の中に、ポツリとオアシスが広がっている。 
 焼けるような暑さの中に、人工的なエアーコンディションで冷やしたビルが並び、街は砂漠以上に干からびそうな空気が流れていた。

 Las Vegasを抜けると、またあたりは殺伐とした風景に変わる。そこから北東に100kmほど行くとSt.george、今夜の宿へと辿りついた。

ノースリム (3)
St.george

 翌日は、グランドキャニオン・ノースリム(サウスリムが有名な方)へと向かうべく、朝は早目(9時ごろ)に宿を出た。
 St.georgeを出るとすぐに、また道の両側には荒々しい山々が広がった。小さな町を超えると、どこまでも真っすぐな道に出る。
 地平線までの距離は視線の場所にもよるが、4kmと少し。僕らは走りながら地平線を追いかけるけれど、地平線は僕らとの距離を4kmほど保ちながら逃げていく。それは突然に形を変えて地平線ではなくなり、それと同時に、少し大きな街が見えた。Fredoniaだ。その町を抜けると、少しずつ当たりの緑が増え始め、グランドキャニオンへの距離を示した看板のマイルがどんどん減っていく。グランドキャニオンへ40マイルを切った時、周りは沢山の木々に囲まれていた。

 グランドキャニオンのエントランスを超えて、スーパー林道のような道を走ると、所々にベンチが置いてある休憩所がある。
 僕らは、一度そこで止まり、お昼休憩にすることにした。お昼御飯はマルちゃんのカップラーメンだ。古川が持参したガスコロンのカートリッジと、一昨日ホームセンターからアウトドアショップまで探し回ったガスでお湯を沸かしてラーメンを食べた。

ノースリム (4)


 パンチが足りないラーメンであることに違いなかったが、そんなことは問題ではなかった。日向に出ると、暑いこの場所でも、木陰に入ると驚くほどに涼しかった。ラーメンを食べている木製のテーブルの向こうには、木の間から峡谷が見える。

 こんなところで、食べるパンチの足りないラーメンは、僕らをやけに贅沢な気持ちにさせてくれた。

 少し休憩をして、グランドキャニオンへと向かい、駐車場に車を止める。

 Visiter Centerで案内された方へと向かうと、グランドキャニオンはすぐに、僕らの視界の中に溢れ出んばかりに入ってきた。もちろん入りきるサイズではなくて、どこまでも続いていて、どこまでも美しい。


ノースリム (5)
グランドキャニオン ノースリム
ノースリム (7)
ちょかる古川

 それは、まるで整理されたもののようにも思える。自然というのは、時間が流れれば流れるほどに、自然と整然としていくものなのかもしれない。
 グランドキャニオン・ノースリムの遊歩道を歩いて行くと、視界が開けた。空は青くて、その中に雲がちょうど同じ高さに浮かんでいる。4000m位だろうか、それとももう少し高いのか。
その下、標高2000mほどの高さでちょうど、テーブルマウンテンのトップが並んでいる。まるでそれはその上は雲の領域だ、とでも言わんばかりに、きれいに並んでいた。

ノースリム (6)


 遊歩道の行き止まりまで、歩くと、そこに一枚の大きな岩がある。僕らはその上に登り、あたりを眺めた。
 風が強く吹いている。強い風の中で、雲は悠々とのんびりと動く。これが、ここの時間の、時代の流れなのかと思う。

ノースリム (8)

ノースリム (9)


 風は急いで吹き続け、その中で雲はのんびりと浮かび、峡谷は静かにゆっくりゆっくりと形を変えていく。
 遠い昔から何も変わらず、やってきたのだろう。
 僕らは、それよりもずっとずっと早い速度で、生きて、次の場所へと向かう。

 車に乗り込んで、気持のいい林道を時速120kmで、僕らは進む。雲は相変わらず、のんびり浮かんでいる。
 
ノースリム


 それでは、みなさんいい日々を!

日本

09 23, 2010 | 日本

19 Comments
日本 

 ブログがまだ途中で、今僕はブログの中では、ラスベガスへと向かって東へと向かって走ってることになる。

 間が少し空いてしまって、ラスベガスへと向かったほうがいいのか、日本へと向かったほうがいいのか、少し迷ったけれど今回は、日本へと向かう。このブログの中で僕の旅はまだ終わっていない。だからもう少しだけブログは続く。けれど、僕の世界一周の旅は終わった。

 9月19日1時20分発。アメリカのサンフランシスコから、日本の成田へと僕は帰る。初めてフライトで、帰る、という言葉を使った。
 僕は9月20日の夕方に日本に帰る。成田空港へと到着して、入国手続きは約10秒で完了した。ゲートを抜けると、おかえりなさい、の文字が目に入る。

 僕の世界一周の旅は、終わった。どこで、終わったのか。世界地図の成田と書かれた場所に、2Bの鉛筆で点のような印を打って、その印から西へと鉛筆を動かして、タイのバンコクを目指す。そのとき僕は、飛行機に8時間近く乗っていた。地図上では、たかだた10センチほど、だろう。バンコクから鉛筆は北へと向かい、アユタヤを通り、カムペーン・ペッへと向かう。さらに北上してチェンマイを抜けて、ラオスへと入る。そこからメコン川の上を鉛筆を滑るように押しつける。ベトナム、カンボジアから、タイのバンコクへと戻り、インドのコルカタへと黒鉛は放物線を描くようにミャンマーを超えていく。

 インドを西へと向かい、デリーからフィンランドへと向かう。途中にある中東の上空に鉛筆を進めるころに、鉛筆の先は丸まった。一度鉛筆を削りなおして、もう一度、地図に押し当てる。
 フィンランドから、ヨーロッパを西へと鉛筆を走らせる。大西洋を越えると、地図は途切れた。

 鉛筆を持った手を、地図の右側にも広がる大西洋の、その端っこに置いて、ブラジルを飛び越して、ペルーのリマに印を打ち、そこからチリ、南太平洋を5000km近く、地図には点ほどにも載っていないイースター島へと向かい、また戻る。アルゼンチンを抜けてパラグアイ、ボリビア、またペルーに戻り、北のアメリカへと向かう。アメリカの中を少しうろうろと鉛筆を這わせた。サンフランシスコから、太平洋を8500km越えて日本の成田へと鉛筆は戻った。出発したその場所に。

 そこから、鉛筆は南西へと向かう。僕の出発地点、長野の伊那で鉛筆は一時停止をして、実家のある、三重県の端のほう伊賀市で止まる。そこで、丸まった鉛筆は、カタっと音を立てて、机の上に転がった。

 僕の旅は、どこで終わるのか。

 まだ、終わらない。多分、きっと、ずっと。

 僕は今、日本にいる。

 ブログは、もう少しだけ、続きます。僕の鉛筆は机の上に転がったけれど、パソコンのキーボードはもう少し叩きます。
 日本に帰って来ました。生きて、元気に、無事に帰って来ました。本当に、感謝です。
その報告、でした。・・・にしては長いけれど。

 みんなに会いたいな。是非、どこかで。
 旅の途中で出会った人も、人生の途中で出会った人も(全員か)、また、どこかで会いましょう。

DSC_0203.jpg
ただいま


 それでは、みなさんいい日々を!

サンフランシスコ

09 15, 2010 | アメリカ

5 Comments
サンフランシスコ

 サンフランシスコの、ユニオンスクエアで古川と8カ月ぶりに再会した。待ち合わせ時間に4分ほど遅れて公園の階段を登ると、古川が立ちあがり手を振った。
 僕らは、日本から8500km余りの距離を超えて久しぶりに出会って少し話をした。彼もまた、インドでボランティアをして、ロンドンを経てアメリカへとやってきた。アメリカから日本に帰れば軽く世界一周になるという寸法だ、コノヤロウめが。

san francisco (6)
サンフランシスコ

 僕らは、早速レンタカー屋さんへと向かい、手続きをする。店内は少し込み合い、時間がかかったが、無事に今回の僕らの相棒KIA(韓国社)のRIOに乗り込むことが出来た。
左ハンドルに、右側走行、更に言うと大都会サンフランシスコ。運転手の古川氏は微かに震えているように見受けられた。

 取りあえず、ナビをラスベガスにセットし、この街を2人で出よう、と夜逃げ(昼間だが)同然に持てる限りの荷物(持っている荷物全て)を車に詰め込み出発した。サンフランシスコの街は広く、何度か道に間違え、降りなくてよいフリーウェイを2度ほど降りた後、ようやく車通りの少ない大平原地帯までやって来た。今日ラスベガスまで行けるかしら、とナビの地図を見てみるが、行けたとしても今日の日付は超えることになる。行けるところまでいこうじゃないか。僕らの気持ちは少し高ぶっていた。

san francisco (3)
途中の湖

 走り出した頃から半分ほどしか入っていなかったガソリンはそろそろ底を着きそうで、朝から何も食べていない僕らのお腹は疾うの昔にエンプティーランプが付いていた。
 サブウェイを併設した、ガソリンスタンドを見つけ僕らは、フリーウェイを降りてガソリンスタンドへと向かう。ちなみに腹ペコなのは、僕らとRIOだけではなく、ナビも、だった。電池が切れるなと思い、付属のバッテリーチャージャーを車のシガーソケットに差し込み、電力を供給しようと思ったが、ウンともスンとも(もともとウンともスンとも言わないが)、言わない。チャージャーの野郎に、充電しようという心意気が感じられない。お前本当にやる気があるのか、と問いただしたくなるが、彼は充電を放棄している。このままでは、僕らは路頭に迷い、道にも迷うことになってしまう。

 取りあえず、ガソリンを満タンにして、僕らのお腹も満たして、残るはナビだけだ。問題は、チャージャーが12ドルするということで、このお金をレンタカー会社に返してもらえるか、だ。僕らはお店の気の良いおばちゃんにお願いして、会社に電話をしてもらった、のだが、会社側は一向に出る気配がないようだ。どうやら会社側も腹ペコでご飯にでも行っているのかもしれない。

san francisco
僕らのRIOとムハマンド

 結局、電話は応答されなかったため、僕らはNEWチャージャーを購入した。そいつは、いかにも充電しやすぜ、というテカった顔していた。さっきのチャージャーのソケットに差し込む部分はもう寂しげ(というより錆びていた)な顔をしていたのが思い出される。

 僕らは、満タンのお腹を車に乗せて、国道5号線をひたすら南へと向かった。一泊目はどこに泊ろうか、地図と睨めっこをして、今日の宿はバストーという街に決まった。ここはラスベガスから230km程南西にある街だ。決して大きくはない。
 一日目は車中泊を決め込み、僕はお巡りさんか不良中学生に起こされないことを祈りながら眠りに着いた。
 暑くて何度か目が覚めたが、なんとか朝を誰にも起こされずに迎えることが出来た。

 朝は、スターバックスで優雅に歯を磨き、顔を洗った(もちろんコーヒーも頂いている)。今日もまた、僕らはRIOに乗り込む。昨日は700km走った。今日はSt.georgeと言う町まで向かう。ここから450km程北東に行ったところだ。

san francisco (5)
スタバー
san francisco (1)
バストー


 快調に国道15号線を東へと向かう。道は真っ直ぐで、ピックアップトラックが僕らを抜かしていく。日差しは強く、砂漠の街ラスベガスまで、もう少しだ。

san francisco (2)


 それでは、皆さん良い日々を!

ロサンゼルス

09 13, 2010 | アメリカ

2 Comments
ロサンゼルス

 ロスに到着した翌日、僕はハリウッドへと出掛けた。地下鉄を乗り換えて、ハリウッドハイランド駅で降りる。
 地下鉄の駅から外に向かって階段を登ると、ハリウッドの街へと出る。僕がこのセレブの街に何を見に来たのか。それは、ハリウッドのランドマークサインだった。山の上に白いHOLLY WOODの文字が浮かんでいるのを、何となく見てみたくなった。

ロサンゼルス (5)
チャイニーズシアター

 テレビ番組で幾度とみて来たランドマーク。ハリウッドの大通りを歩いてみるが、一向にその文字は見えてこない。冬の南米からやってきた僕にロサンゼルスの暑さが堪える。
 見えないな、諦めてハリウッドハイランドセンターに戻り、エスカレーターを上がると、HOLLY WOODが微かに見えた。小さく小さく遥か向こうの山の上に、見える。まるで京都の五山の送り火でも見ているような、気分になる。あぁー・・・、あれが、んっ?大かな、こっちからだと、ちょっと分かりにくいなぁ、なんて、そんな気分だ。

ロサンゼルス (3)
ランドマーク
ロサンゼルス (4)
ハリウッドスターの手形道

 完全にHOLLY WOODなのだけれど、いつもテレビで見ていたそれは、もっと大きくて、ハリウッドの街からすぐに見えると思っていた。分かったのは、テレビカメラのズームの、性能はすごい、ということだ(この後、ランドマークを近くで見たくて、ランドマークの方へ40分ほど歩いた。行けども行けども、山が被さり、結局ランドマークを近くで見ることは出来なかった。

 翌日、僕は同じ宿だった方とメジャーリーグを見に行った。Angels of Anaheim対Baltimore Oriolesの試合で、エンジェルスには松井秀、オリオールズには上原がいる。もしかしたら、両方の活躍が見れるかもしれないな、なんて思ってやってきた。

 アナハイムの駅を降りたら、すぐそこに球場が見えた。エンジェルスのAの大きなマークがそこにはあって、真っ暗な夜に、球場を浮び出させる筈の水銀灯やハロゲンランプが敷き詰められた照明器具が空に突き出している。

 球場に向かい、ネットで購入したチケットを受け取り、僕らは観客席の一番安い一番上の席へと、立体駐車場のような道を登っていく。客席の入り口に着いたとき、人々は動きを止めて黙とうしていた。どうやら国家が演奏されているようだ。
 ライトスタンドと1塁側のダグアウトの丁度真ん中あたり、そこの一番上が僕らの席だ(最初は間違えて違う席に座り、アメリカンボーイに、そこは俺たちの席だ、どきなっ!と言われて、背中を丸めて早々に立ち退いた)。

ロサンゼルス (6)

ロサンゼルス (7)

 試合が始まり、両チーム順調な滑り出しで、3者凡退が続く。もちろん例にもれず、松井もその一役を買っていた。

ロサンゼルス (8)


 エンジェルスは5回、6回にポンポンと2点ずつ入れられ、7回に更にポンと1点の追加点を取られた。5-0になる。野球は9回2アウトから、それが野球の鉄則だ。まだ、ゲームを諦めるわけにはいかない。

 僕らは拳をつよく握り締め、球場を出た。頑張れエンジェルス!負けるなエンジェルス!僕らはユニオンステーション行きの電車に乗り込んだ。球場からはまだ、声援が鳴りやまない。宿に帰り、試合結果をチェックする。5-0、ゲームはそのまま終わっていた。松井はノーヒット、上原は登板なしのようだ。野球は、9回2アウトからだ。

ロサンゼルス


 メジャーリーグの素敵な雰囲気を味わい、ホットドックは味わずに、僕らのメジャーリーグ観戦は終わった。
 
 メジャーリーグにハリウッド、(ビーチも見ました)とロサンゼルス観光を終えた僕は、8月最後の日、夜行バスでサンフランシスコへと向かった。

 9月1日、サンフランシスコのユニオンパークで10時半に集合。それが僕と大学の友達古川との約束だった。僕は夜行バスの到着予定時刻がAM9時だったので、そこからゆっくりとユニオンに向かい、朝ご飯でも食べながら待っていればいいか、と思っていた。
 しかし、Greyhoundのバスは、到着予定時刻よりも4時間早い、AM5時にサンフランシスコに到着した。4時半に一度止まり、そこで半分くらいの人が降りたのをいいことに、僕は俄然深い眠りに入ろうと思っていた、矢先にサンフランシスコに着いたわけだ。

 僕はにわかに信じられなかったが、客は全員降り立ち、看板にはサンフランシスコの文字が、ある。集合時間は5時間半後、になった。外は薄暗く、少し肌寒い。
 古川はきっと今頃、ホテルのベッドで安らかに眠っている頃だろう。出来ることなら、変わってやりたい。いや、是非変わってほしい。
 
 僕は、バス停のベンチに腰をかけて、太陽が昇るか、僕と古川の立場が変わるか、を待っていた。

ロサンゼルス (1)
ロスの宿。はまだじゅく
 
 それでは、皆さん良い日々を!

アメリカ

09 08, 2010 | アメリカ

4 Comments
アメリカ

 南米大陸の旅を終えた僕は、アメリカのロサンゼルスへと向かった。飛行機はリマを深夜0時過ぎに飛び出して、真っ暗闇の空へと上昇していく。
 僕は飛行機が離陸するとほぼ同時に眠りに着いた。寝ていたためにアメリカの入国カードを貰い損ねた程だ。
 僕のリマ時間に合わせられた腕時計はAM7時を指した頃、僕は目を覚ました。揺れる機体の中で、アメリカへの期待と不安を抱きしめていた。

amerikan.jpg
アメリカン。左のかたが、やけにいかついね
 
 ロサンゼルスに到着したとき、僕の時計は8時30分を指していたが、太陽はまだカルフォルニアの地に昇ったばかりの、6時30分だった。

 この旅、最後になるはずの入国審査(日本は除く)を終えて、無事にアメリカへと入国した。10年前、僕はこの広大なアメリカの大地に1度立っている。僕は小学6年生だった。留学中の兄に会いに来たのだ。その時も、僕はくしくも1人、だった。
 入国審査官は、いかにもアメリカ人だ、とでも言わんばかりに太った男だった。僕は彼が何を言っているのか、何一つ分からず、はてなマークを、いやアメリカだからクエスチョンマークを30個程、頭の上に出現さしていた。
 見かねたのか何なのか、通訳のおばさんが僕の元へと走って来たことを今でもよく覚えている。社会の仕組みを知らないというのは、面白い。僕はアメリカへと1人で行くことに対して、どう思っていたのか。

 母に、中部国際空港まで連れて行ってもらい、一緒に食事をした。母は僕の行き先であるポートランドへ行く夫婦を捕まえて、もし何かあったら息子をよろしくお願いします、と言っていた、のだろう、と今は思う。
 何度か頭を下げて、不安がる僕に、シャキッとしなさいと声をかけた。

 僕は少しだけ泣きそうだったことを、覚えている。いや、もしかしたら少し泣いたのかもしれない、けれどそんなことはどっちだっていい。
 母に背中を押されて、頑張ってきなさい、と言われた。

 僕は、うん、大丈夫だって、とでも言ったのだろうか。もうその辺りはよく覚えていない。ただ、なんとなくそんなことが鮮明に思い出された。
 その夫婦は、僕の姿を少し気にかけて下さっていた。母の後ろ姿が、今も頭に浮かぶ。

 息子を、よろしくお願いします。

 アメリカに行くことは、怖かったけれど、なんとかなるだろうって思っていた。確かに何とかなった。通訳が走ってきたおかげで。

 今の僕に通訳さんなんて走って来てくれるはずもない。自分で答えなくちゃ。自分でやらなくちゃ。

 今は、母もきっとこう言うだろう。

 息子よ、自分で頑張りなさい、って。そう言って、僕の背中を押し続けてくれるだろう。

 僕はもちろん、うん、という心づもりはある。
 うん、僕はもう1人でアメリカにだって来れちゃうし、世界一周だって出来る。あの頃よりは、少しだけ、ほんの少しだけ逞しくなった。

 あのころよりも、ほんの少しだけ、社会の仕組みが分かって、自分の語学力では入国審査の度にドキドキしちゃうことを知った。でも、僕は自分で頑張るよ。もう通訳も来ないし、あの夫婦も僕のことを見てはくれない。

 10年前、アメリカに初めてやって来たのが、僕の最初の外国だった。今、この旅の最後の国22カ国目アメリカに到着した。
入り口が東向きに作られたロサンゼルス国際空港を出ると、目の前に太陽が昇ってきていた。

america (3)
空港

 僕は、ユニオンステーション行きのバスを待っていた。

 10年前のあの日は、パスポートコントロールを抜けて、到着ゲートへ差し掛かると沢山の人が看板を持って立っていた。
その中に、僕の名前が書かれた紙を持ったおじさんが立っていた。

 奥田 悠史 間違いなく僕の素敵な名前だ。

 紙の裏には、兄の汚い字で「黙ってこのおっさんに付いて行け」という、極めて単純明快な言葉が記されていた。
僕は、もちろん黙って付いて行くつもりだったが、おっさん(兄のホストファミリー)は、僕にピックアップする荷物はあるかと、問い続けた。僕は何を言っているのか全く分からずに、黙っている訳にもいかなくなった。

america (4)

 そんなことを、ふと思い出す。

 FLYAWAYと大きく書かれたバスがやってきた。僕は、自分でピックアップした荷物を背負い直して、バスに乗る。

 バスはロサンゼルスの町に向かって、走りだした。

 シャキッとしなさい。母の声が聞こえそうだ。
 うん、もちろんさ。

america.jpg
ロサンゼルス
america (2)
ルート66

 それでは、皆さん良い日々を!

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